泥の海となったアスファルトの上で膝をつく。血の臭気と地面の腐敗臭が鼻腔に絡みつく中、背後から軽い足音が聞こえた。
「んっ……?」
振り返ると、さっき公園で転んだ少年がポカンとした顔で立っていた。小さな掌に持ったピンク色のシャボン玉ケースが傾き、地面に水滴を垂らしている。
「もしかして!4号の仲間の未確認!」
「っ?!」
宮崎の変身した姿―赤と金に光る装甲―を指さして少年が飛び跳ねる。その瞳は夜空に打ち上げられた花火を見つめるように輝いていた。
「あのねあのね!ぼく見たよ!この前テレビで!4号が未確認と戦ってるところ!」
興奮で顔を紅潮させた少年が駆け寄ってくる。戦場の血生臭さを知らない無垢な眼差しが宮崎の胸を抉った。
「すごかったよね!ビューンって飛んでパンチ!きっと君も同じくらい強くてカッコイイんだ!」
純粋すぎる賛辞に宮崎は言葉を失う。本当は彼を遠ざけなければならないのに、舌が凍りついたように動かない。
「ねぇねぇ!手合わせて!握手して!」
少年が無邪気に差し出した手。その指先が触れる直前、宮崎は咄嗟に後退した。
(駄目だ……この姿のまま近づけさせるわけには……)
そのときだった。
「悠斗くん!どこに行ってたの!」
慌てた様子のみのり先生が駆けつけた。膝丈のジャージの裾を翻し、泥だらけの地面を躊躇なく踏みしめる。
「先生!見て!未確認の人だよ!」
悠斗少年が宮崎を指さす。
「え……?」
みのりの顔色が一瞬で蒼白に変わった。普段は柔らかな笑みを湛える瞳が鋭く細まる。
「4号と同じ?」
低い警戒心を帯びた呟き。変身した宮崎の姿をじっと見据えるその表情は、さっき公園で談笑していた面影とは別人のようだ。
宮崎は苦悶に眉を寄せた。喉元まで正体を明かしたい衝動が込み上げる。
(今は……説明してる時間がない)
地割れのように広がる血の池の中心で、未確認生物の遺骸が不気味な泡を吐き始めた。皮膚から立ち昇る蒸気がみるみる濃密さを増し、硫黄に似た刺激臭が充満する。
危険を悟った本能が脊髄反射を支配する。考えるより早く左腕で悠斗少年を抱え上げ、右肩にみのり先生を担いだ。
「ちょっ……!」
「わぁーい!」
みのりの抗議と少年の歓声が耳元で交錯する。背後の大地が轟音と共に隆起するのが分かった。
(間に合え……!)
全速力で前方へ跳躍した直後──
ドォンッ!!
爆発的な熱波が背中を貫く。鉄錆の味が口中に広がる。皮膚の表面で溶解したアスファルトの欠片が跳ね返る感触。
「……っ」
背中越しに痛みが鈍い衝撃となる。
致命傷ではないが、細かな火傷が生じているだろう。肩越しに振り返ると、黒煙の向こうで瓦礫が舞い上がっていた。
そっと地面に降ろしたみのり先生が呆然とこちらを見つめる。彼女の表情に宿る恐怖と困惑が宮崎の胸を締めつけた。
腕の中の少年に向き直る。悠斗は状況を理解できていないのか、ただ無邪気に笑っていた。
「ありがと!ヒーローみたいだった!」
その一言に宮崎は思わず苦笑する。褒め言葉として受け取るべきなのか分からない。
「あ……あの」
みのり先生が震える指先で宮崎の顔を指差す。
「あな……たは……」
次の言葉を探している彼女の瞳の奥で、何かが確信に変わりつつあった。
「四号と同じ……」
そう言いかけた瞬間、俺は頭を下げると、背を向けて歩き出す。みのりの視線を感じながらも振り返ることはできなかった。
背中に貼り付くのは爆発の余熱だけではない。正体を隠し続ける罪悪感がじっとりと重くのしかかる。
「かっこよかったよ!また会えるかな?」
「…………」
答えようとして喉が詰まる。この子に再会するということは、つまり---
「ああ……多分」
嘘をついた。こんな危険な場所に二度と近づけたくはない。でも子供の期待を裏切ることはできなかった。