少年を救護班に預けた直後。
背筋を貫く殺気に反応して振り向く。遠方のビルで黒い影が蠢いていた。
(あそこか……)
アスファルトに片足を深く沈める。靴底が路面を抉り込み、放射状の亀裂が蜘蛛の巣のように広がる。
「フゥゥ……」
丹田に意識を集約。細胞内の超微小粒径子が活性化し始める。皮膚の下でプラズマが微細火花を散らし、血管が銀河のように光脈を描いた。
(行くぞ)
重心を落とすと足裏全体が灼熱する。筋肉繊維が瞬間的に膨張・収縮を繰り返し、関節が甲高い軋みを上げる。脊椎が弓なりにしなり、腰骨が砲弾の如く前傾する。
「……ッ!」
踏み切った刹那――大地が吠えた。半径五メートル以内の舗装が粉塵を巻き上げて陥没。放電現象に似た白色閃光が三度瞬く。
真空を切り裂く音が尾を曳いた。重力加速度を無視した垂直跳躍。高層ビル群が瞬時に眼下へ移る。下方では通行人が蟻のように点滅し、車のヘッドライトが流星群に見えた。
目標まで残り二百メートル。遠くで影が振り向いた。ヤマアラシに似た漆黒の棘が空気を帯電させている。禍々しい口吻から噴射された針が扇状に拡散。
(遅い)
空中で身を捩る。風圧が鎧の接合部分を軋ませるが意に介さない。肺腑の酸素を一点放出し推進力を上乗せ。迎撃ミサイルめいた針群が次々と逸れていく。
「!」
グロンギの咆哮。棘の先端から濃縮された毒液が滴り落ちる。落下地点のアスファルトが沸騰し灰色の煙幕を噴いた。
(これで終わりだ)
空中で両足を旋回。エネルギーを右足の爪先一点に凝縮。空気摩擦で足首から爪先までが藍色に発光。大気密度の壁を突破する感覚。
「ハアアァッ!!」
着地寸前。無防備に背を向けたグロンギの側面に滑り込む。
蹴撃。
人体力学の限界を超越した一撃。金属製の看板が紙屑のように巻き上がり、信号機が基盤ごと炸裂する。
ドゴオォン!!
衝撃波が波紋状に広がる。ビルの窓ガラスが連鎖的破裂。足元では舗装が氷河のように割れ砕ける。毒液を浴びた樹木が瞬時に枯死していく。
黒いグロンギは反対側の建物に激突していた。コンクリートの外壁が蜂の巣状に凹凸し、梁が紙切れのように折り重なる。棘は半数以上が根元から脱落し、体液が川を作っていた。
壁に埋もれたグロンギへ歩み寄る。煤けた路面に点々と落ちた黒い棘が溶け始めていた。煙草の吸殻みたいに。
「……起きろ」
倒れた敵に向かって呼びかける。頭頂部から生えた数十本の棘は半数が折れ曲がり、体液とも違う油状の分泌物がアスファルトを腐食させている。
「起きろと言ったんだ」
足元の瓦礫を蹴りつける。乾いたコンクリートが粉々になり、グロンギの表皮に当たった。すると――
『……』
低く鈍い唸り声。眼球がない顔面で縦に走る一条の線が歪む。笑っているのか? 無意味な動きに苛立ちが募る。
「聞け」
膝をつき、真正面から睨みつける。
「何が楽しい?」
『っ』
グロンギが首を傾げる仕草。全く理解していない。
「何が面白い?」
もう一度問う。喉から絞り出した声は自分でも驚くほど冷えていた。
「命を何だと思っているんだ」
その瞬間だった。
『苦しむ姿が面白いからだよ!!』
そう、叫んだグロンギの言葉に対して、俺は。
「・・・そうか」
それだけで、十分に理解出来た。
こいつは、殺さなきゃいけない奴だ
そう考えていた時、グロンギは
『けれど、お前はリントを大切にしているようだな』
「何を」
そう言ってグロンギは、手に持った針を彼方へと投げた。
それは、騒ぎを聞いた野次馬に向かって。
(何を……!)
グロンギの指が奇妙に蠢いた。あの針状の器官が複数同時に射出される前触れだ。しかも狙いは明らかに僕ではなく――
(っ!)
目を向けた先にいたのは若いカップルだった。女性の方が携帯電話を構えている。撮影するために前に出たのだ。背後に控える男性は恐怖で足が竦んでいる。
(間に合わない)
理性が叫ぶ。だが身体は既に動いていた。
「伏せろ!」
声よりも先に風圧が肌を打つ。変身せずに全力疾走。膝が悲鳴を上げるが無視する。あと数メートル……!
パシュッ
微かに空気を裂く音。針の軌道が視界に入った。
(右目を狙ってやがる)
頭を庇うように伸ばした右手に灼熱が走る。皮膚を貫通し筋肉の束をかすめた感触。痛みよりも先に出血が指先を濡らす。
「ぐっ……!」
それでも減速せず二人の前に飛び込む。倒れ込むように押し倒した瞬間――
ドサッ
コンクリートを穿つ嫌な音。寸前までカップルが立っていた場所に深々と刺さった棘が微かに震えている。周囲のアスファルトが蜘蛛の巣状にひび割れ、煙が立ち昇った。
「無事か!?」
倒れ込んだ青年はただ震え、女性は泣き出しそうな顔をしている。
『ふふ……』
嘲笑のような低音。振り向いた先にはヤマアラシ型グロンギの影。壁に半身を埋めながらも確かな愉悦を放っている。
(野郎……)
腹の底が煮え滾る。だが今はこの人たちを……
「逃げろ! 早く!」
両手で彼等を立ち上がらせると背中を押す。
再び見たが、奴は既に消えていた。
「・・・」
俺はそれを見て、手を強く握り締める。