排水路の奥から、確かに“気配”がした。
耳ではなく、もっと内側――腹の奥で、何かが反応している。
(……来てる)
胸の奥が熱い。いや、熱いというより、強くなっていく。
鼓動に合わせて、昨夜よりも明確に、力が脈打っているのが分かる。
ダグバの力が、獲物の位置を示している。
「待ってください、一条さん」
止める声を背に、俺は排水路へ足を踏み出した。
ふたを外した瞬間、鼻腔を突いたのは腐った水と油と鉄の匂い。
生温い湿気が肺に絡みつき、吐き気がこみ上げる。
不快感――だが、それだけじゃない。
この匂いは、昨夜の血の匂いと混じり合い、恐怖を直接刺激してくる。
(嫌だ……でも)
足を進めるたび、靴底がぬちゃりと音を立てる。
暗闇の中、視界は利かないはずなのに、なぜか“分かる”。
水の揺れ。
遠ざかる脈動。
逃げる未確認の背中。
力が、はっきりと教えてくる。
(……捕まえられる)
その確信が怖かった。
昨日よりも、確実に強くなっている。
怒りだけじゃない。
追うことそのものが、楽になり始めている。
下水の壁に手をついた瞬間、ぬめった感触が掌に絡みついた。
反射的に息を詰める。
不快と恐怖が混ざり合い、心臓が早鐘を打つ。
それでも、足は止まらなかった。
(近づくな……)
頭ではそう叫んでいるのに、
身体の奥の“別の何か”が、静かに笑っている気がした。
闇の向こうで、水音が逃げていく。
俺はそれを追って、さらに深く、排水路へと踏み込んでいった。
ゆっくりと歩き始める。
急げば追いつける――それは分かっている。だが、あえて速度を落とした。
一歩、また一歩。水を踏む音が、やけに大きく響く。
進むたびに、自分の身体が未確認に近づいているのを感じた。
距離ではない。空間でもない。
もっと内側――血と骨の間にある“何か”が、引き寄せられていく感覚だ。
(……強く、なってる)
昨日よりも、さっきよりも、確実に。
力が増している。研ぎ澄まされている。
それが事実だと理解できること自体が、恐ろしかった。
下水の匂いが濃くなる。
腐敗した水、油、鉄錆。肺の奥に沈殿する不快感。
吐き気と同時に、背筋を撫でる寒気。
恐怖と嫌悪が混ざり合い、思考を鈍らせようとする。
それでも――足は止まらない。
やがて、暗闇の向こうで水面が揺れた。
ぬらりとした影。
ワニを思わせる輪郭が、ゆっくりと浮かび上がる。
「……見つけた」
俺の呟きに反応するように、未確認がこちらを向いた。
濁った目が、俺を捉える。
逃げない。隠れない。
ギチ、と音を立ててガントレットが持ち上がる。
肩を落とし、重心を低くし、明確に――構えた。
その瞬間、はっきりと分かった。
こいつも気づいている。
下水の闇の中で、
二つの“異物”が、互いを測るように向かい合っていた。