夜は静かだった。街灯の白い光が一定の間隔で路地を照らしているのに、その光が届くたび世界が一瞬だけ現実に引き戻され、すぐにまた別の場所へ滑り落ちていく感覚がある。アスファルトの感触は足裏に確かにあり、呼吸もできている。それでも腹部の奥、ベルトのある場所だけが現実とは異なる鼓動を刻み続けていた。力は上がっている。それは疑いようのない事実だった。未確認と戦うたび、闇の中で自分を削るたび、身体は確実に応えてくる。反応は速くなり、衝撃は深くなり、迷いは減っていく。クウガがそうであったように、戦うことでしか前に進めない力。守るために、壊すことを選ばされる力。その感覚が、宮崎の中で確かに育っていた。
だが、目の前に立つ存在は別格だった。中間体でありながら、0号がそこにいるというだけで空気が歪む。重さや速さではない。存在そのものが、世界の基準をねじ曲げている。かつてクウガが未確認と対峙した時、感じていたであろう圧倒的な隔たり。宮崎は今、同じ地点に立たされていた。怒りは明確だった。遺跡で選ばれた夜。仲間が死に、自分だけが生き残った理由。力を植え付けられた瞬間に刻まれた理不尽な視線。それらすべてが一本の線となり、目の前の存在へと収束していく。この存在だけは許してはいけない。それは正義でも使命でもなく、もっと原始的で、もっと個人的な衝動だった。
「……来いよ、0号。今度こそ終わらせる」
その声は低く、荒れていた。自分でも分かるほど、感情が剥き出しになっている。それを見て、0号は楽しそうに笑った。
「わあ……いいね、君。その顔。すごくいい。さっきより、ずっと面白くなってる」
言葉の端々に、無邪気さが滲んでいる。挑発でも嘲笑でもない。純粋な好奇心。暴力を、破壊を、壊れていく過程そのものを心の底から楽しむ、少年のような狂気だった。
「黙れ。お前の遊びに付き合う気はない」
「え? でも君、ちゃんと来てくれたじゃないか。逃げなかった。怖いのに、怒ってるのに、それでも来た。そういうの、僕は大好きだよ」
言葉が胸に刺さる。否定したいのに、否定しきれない。怒りが、恐怖が、混ざり合っていることを、自分自身が一番よく分かっているからだ。
「ふざけるな……!」
「ふざけてなんかないよ。だってさ、君、確実に強くなってる。さっきより、昨日より、遺跡の時より。ほら、ちゃんと僕の方まで届きそうだ」
0号の視線が、値踏みするようにこちらをなぞる。その目に宿るのは敵意ではない。期待だ。
「……っ!」
「でもね、まだ足りない。うん、全然。力は増えてるのに、どこか遠慮してる。壊れるのを、ちょっとだけ怖がってる」
「俺は……人を守るために戦ってる」
その言葉に嘘はない。だが、0号は首を傾げ、心底楽しそうに言った。
「それがいいんだよ。ほんとに。そう言いながら殴る時の顔、最高だ。自分を正しいって思い込もうとして、でも心の奥では気持ちよくなってる」
「違う……!」
「違わないよ。君、自分でも分かってるはずだ。だってさ、君はもう選ぶ側の目をしてる」
心臓が強く打つ。五代雄介の姿が脳裏をよぎる。笑顔で人を守り、怒りを誰かにぶつけなかった男。クウガという力を、最後まで人のために使い切ろうとした存在。その背中を尊敬している。だが同時に、理解してしまっている。自分は、同じやり方では進めない。
「昔ね、僕を本気で楽しませてくれた戦士がいたんだ。君も知ってるだろ? 僕たちを封印した、あのクウガ」
「……」
「怒りも、悲しみも、絶望も、全部ぐちゃぐちゃでさ。それでも前に出てきて、何度も何度も殴ってきた。あれは楽しかったなあ」
「でも……今のクウガは……」
「うん。もう違う。復活した時は期待したよ? でもさ、ボロボロで、死にかけてて、完成しちゃってた。壊れないものって、つまらないんだ」
その言葉が、胸を冷たくする。
「……だから、俺を?」
「そう。君は未完成だ。弱くて、優しくて、すぐ傷つく。でもね、その分、どこまででも壊れられる」
「俺は……お前を楽しませるためにいるんじゃない」
「知ってるよ。だからいいんだ。自分のためだと思って暴れる君が、一番きれいだから」
怒りが、さらに形を変える。守るためのものだったはずの感情が、殴る理由へとすり替わっていくのを、はっきりと自覚してしまう。
「ねえ、君。もう気づいてるでしょ? 守るために殴るのと、殴りたいから殴るの、その境目が曖昧になってきてるって」
「黙れええええ!!」
「ははっ! その声! その衝動! ほら、また近づいた。僕のところまで、ちゃんと来てる」
夜の闇が、二人の間で沈黙を深めていく。まだ拳は交わっていない。それでも、ここはすでに戦場だった。クウガが未確認と向き合ったように、怒りを抱えたまま、それでも前に進むしかなかったように。
「0号……必ず、お前を倒す」
「いいよ。やってみなよ。全力で。怒りも、憎しみも、全部ぶつけて」
一歩、踏み出す。それは攻撃のためではない。逃げないという意思表示だ。クウガがそうであったように、ここから先は引き返せない。
「だってさ、君が僕を憎めば憎むほど……君は、僕に似てきてるんだから」
夜は静かに、その行く末を見下ろしていた。