「すごいね。君たち、ちゃんと強くなったんだ」
声は柔らかい。子どもの無邪気さが、そのまま口から転がり落ちたみたいだった。けれど、言葉の中身は刃だった。強くなったから、殺す。遊べるから、壊す。
俺は一歩、前に出た。脚は震えている。筋肉が悲鳴を上げ、関節が軋む。それでも、立つ以外に選択肢はない。
「五代さん、動かないでください」
声が敬語になる。怖いからじゃない。頼りたいからだ。背後にいる五代さんを、現実に縫い止めたいからだ。
「……宮崎くんっ……」
五代さんの声は掠れていた。止めようとする意志だけが届く。でも、身体は動かない。俺は振り返らない。今振り返ったら、足が止まる。
「大丈夫です。……俺が、やります」
命懸けで、再び呼び起こす。ライジング。白い力に金の光が無理やり流れ込む。熱い鉄が血管の中を走り、視界が一瞬、白くなる。骨と筋肉が同時に引き締まり、皮膚の下で何かが組み上がる感覚。立っているだけで、内側から壊れていくのが分かる。それでも、変身が成立した。
ダグバは笑った。
「うん、その顔。いいね」
次の瞬間、俺は殴られていた。見えなかった。音もなかった。衝撃だけが遅れて来た。頬骨の裏に鈍い痛みが炸裂し、身体が宙を舞い、コンクリートに叩きつけられる。肺の空気が全部抜け、息を吸おうとしても、吸えない。視界が揺れ、世界が傾いたまま戻らない。
立ち上がる。動かない脚を、無理やり起こす。膝が笑い、足首が痺れ、痛覚が遅れて押し寄せる。ダグバは歩いてくる。走らない。追い詰める必要がないからだ。俺が立つのを待って、また殴る。
「ほら、君、もっと。立てるよね」
拳が腹に入った。内臓が裏返る感覚。視界が点滅し、吐き気が喉まで上がる。これは致命傷に近い。分かる。普通なら、ここで終わりだ。でも俺は終われない。五代さんがいる。
「……っ、まだ……!」
声は掠れて、息の方が多い。それでも、言葉になった。それが、俺の意地だった。
ダグバは楽しそうに肩を揺らした。
「いいね。そういうの、好きだよ」
殴られる。蹴られる。叩き伏せられる。致命点を外しているはずなのに、どれも致命傷に近い。骨が沈み、関節がずれ、呼吸ができなくなる。俺は倒れるたびに、無理やり起き上がる。起き上がるたびに、身体のどこかがもう戻らない音を立てる。それでも、動く。意思が筋肉を引っ張る。痛みが遅れて追いかけてくる。
そして、ダグバの拳が、わずかに角度を変えた。
狙いが、俺の腹部に集中する。次の瞬間、衝撃がベルトを貫いた。金属が悲鳴を上げ、ひび割れる。俺の中心が砕ける音がした。続けてもう一発。ベルトが割れ、破片が夜に散った。変身が保てず、白と金が剥がれ落ちる。冷気が肌に刺さり、世界がいきなり重くなる。俺は膝をついた。戦士じゃなくなった。器としての支えが、折れた。
ダグバは、もう殴らなかった。ゆっくりと近づき、俺の胸元に手を伸ばす。掴まれる。肉体じゃない。胸の奥の、もっと深いところ。俺の中に植え付けられていた“あいつ自身の核”が、指先で触れられた瞬間、身体が理解する。ああ、これを取りに来たんだ、と。
「返してね。……君、よく育った」
引き抜かれる感覚は、痛みじゃなかった。痛みよりも先に、空っぽになる。心臓が動いているのに、身体を動かす理由だけが消えていく。支えが抜けた。世界に立つ根拠が消えた。
俺は倒れた。呼吸をしようとして、うまくできない。視界の端で、砕けたベルトの破片が転がっているのが見えた。小さな一片が、妙に光を含んでいる。俺の意思の残り滓みたいに、頼りなく。
「五代……さん……」
声にならない声で呼ぶ。五代さんは動けない。でも、そこにいる。目だけが、俺を見ている。俺の身体から抜けきらなかった何かが、その破片に吸い寄せられたのが分かった。破片が、床を滑るように転がっていく。まるで引かれているみたいに。五代さんの腰のアークルが、微かに脈打つ。
カチ、と小さな音がした。破片が吸い込まれる。アークルの中へ。光は一瞬だけだった。でも確かに、繋がった。俺がここで終わっても、全部が無になるわけじゃない。
息が止まる直前、ダグバの影が、俺から離れたのが見えた。興味を失ったみたいに。俺はもう遊び道具として壊れた。次だ、と言わんばかりに。
ダグバは、倒れている五代さんの方へ向き直った。歩き方が軽い。嬉しくて仕方ない子どもの足取りだ。
「ねえ、君。今度は君と遊ぼう」
五代さんは動けない。呼吸も浅い。逃げることも、立つこともできない。それなのに、ダグバは笑っている。今までで一番楽しそうに。
俺の視界が暗くなる。音が遠ざかる。最後に残ったのは、五代さんのアークルが、微かに光った気がしたことだけだった。俺が守りたかったものが、まだそこにあるという事実だけが、俺の最期を支えた。