「売ってる場所は心当たりあるのか?」
俺がそう尋ねると、リサはにやりと笑い、得意げに指をくいっと動かしてみせた。
「誰だと思ってる。こう見えて、こっちの街にはちょっと詳しいんだぜ?」
その軽口に苦笑しながらも、俺は素直に彼女の後を追う。
歩き出すリサの足取りは軽やかで、何やら本当に楽しそうだった。
俺たちは再び、賑わいの絶えない市場通りへと足を踏み入れる。
真夏の太陽は容赦なく頭上から降り注ぎ、じりじりと肌を焼くようだ。
それでも、通りは活気に満ち、商人たちの威勢のいい掛け声、香辛料の刺激的な香り、果実の甘い匂いが入り混じって、生命力そのもののような空気が広がっていた。
「ここのレモンは質がいいぜ」
リサが足を止めたのは、小さな果物屋だった。
陽に焼けた木の屋台に、鮮やかな黄色のレモンが山のように積まれている。
どこか懐かしさすら感じさせる、古い八百屋のような店構えだ。
俺は立ち止まり、しばし考え込む。
騎士団の人数は正確には把握していない。ただ、大量に買うわけにもいかない。
帰りは馬だ――荷物が増えればそれだけ負担もかかる。加減が難しい。
「……レモンを五個くれ」
声をかけると、果物屋の女主人は顔を上げ、俺を一目見て小さく目を見開いた。
だが、すぐに柔らかく微笑む。
「はいよ。かっこいいお兄さんだから一個おまけね」
リサが横で吹き出すように笑う。
「へぇ、貴族様もなかなか人気者だな」
「……いや、俺にじゃないだろ」
苦笑しながらも、なんとなく悪い気はしない。
おまけの一個は、きっとリサの顔なじみだからだろう。
貴族の俺が隣にいるのに、物怖じせず軽口を叩ける相手――そういう繋がりのある場所なんだろうな。
袋に入れられたレモンを受け取ると、手のひらにひんやりとした重みが伝わる。
「さて、次は……スライムの蜜だな」
リサは肩越しに振り返り、にやりと笑う。
「任せとけって。そっちも、いい店知ってる」
リサが楽しげに言い、まるで宝探しにでも出かけるような足取りで先を行く。
俺たちは再び真夏の陽射しの下、市場の雑踏を抜けて歩き出した。
だが、歩を進めるにつれて、人通りは徐々にまばらになっていった。
喧噪はいつの間にか背後に遠ざかり、通りの色もにじむように褪せてゆく。
気づけば、俺たちは薄暗い路地裏に足を踏み入れていた。
石畳はところどころひび割れ、苔が張りついて滑りやすそうだ。
古びた建物が壁のように並び、窓のほとんどは閉ざされ、陽射しも遮られている。
湿った空気と、どこか澱んだ匂い――まるで別の街に迷い込んだかのような静けさが広がっていた。
「……道に迷ったのか?」
足を止め、軽く眉をひそめながら、呆れたようにリサに問いかける。
すると、リサはふっと口角を上げ、振り向いた。
その目には悪戯っぽい光が宿っている。
「いいや、合ってるよ、ここで。――まったく、こんな場所までついて来るなんてな。注意したんだがな、警戒心が低すぎるって」
その声はどこか艶めいていて、冗談か本気か判別しにくい。
俺の目をじっと見つめながら、リサはわざとらしく距離を詰めてくる。
薄暗い通りに、二人きり。
路地に射す陽の名残はなく、壁に貼りつくような冷たい影だけが、静かに周囲を染めている。
軽く触れ合うほどの距離。
その空間には、少しだけ湿った空気と、リサの髪からふわりと漂う香りがあった。
「冗談はいい。歩き疲れてるんだ、さっさと行け」
「なんだ、びびりもしないか」
リサは肩を少しだけ揺らし、口元を吊り上げる。
ほんのわずか、試すような声音だった。
「信用しているからな」
淡々と返すと、リサは肩をすくめ、再び歩き出す。
「かっこよすぎるぜ、ミズキ様」
そう言いながら、リサは軽やかに背を向け、歩き出す。
その後ろ姿はどこか楽しそうで、風に揺れる髪がさらりと踊る。
かっこいい、か。
悪い気はしない。いや、嬉しい。前世はモテなかったのだ。
「嬉しいことを言ってくれるな」
そう言うと、リサはちらりと横目で振り返り、ニヤリと笑う。
「なんだ? 前にも褒めた時、ちょっと反応してたよなぁ。――もしかして、褒められんの好きなのか?」
からかい混じりの声音に、少しだけ目を細めて返す。
「まあな」
前世からずっと俺は、褒められて伸びるタイプだ。どんどんほめろ。
リサは一瞬、目を瞬かせた。そして、こらえきれないといった様子で吹き出すように笑った。
「そんな自信満々で言われてもなぁ」
笑い声が路地に軽く響き、閉ざされた空間がふっと緩む。
「それで、まだつかないのか」
わずかに歩き疲れた足を気にしながら問いかけると、リサは肩越しに振り向き、唇を吊り上げる。
「もうすぐそこだ。ほら、目の前」
視線の先、細い路地の突き当たりには、古びた木扉が一枚。
看板もなく、ただの民家にしか見えない。
これ、店じゃないよな?
「ここ、正規の店か?」
訝しげに問うと、リサはふっと肩をすくめ、気軽な口調で答えた。
「店じゃないぞ。私の幼馴染の家だ。趣味で魔物を育てててな――多分、蜜もあると思う」
「それ、犯罪じゃないよな?」
眉をひそめて問い返す。
重ねて問いただす。さすがにまずい場所だったら困る。
一応、俺はこの街の領主の息子だ。
世間体も、最低限は気にしなければならない立場だ。
リサは一瞬きょとんとした顔をしてから、口元だけでくくっと笑った。
「さすがに違法なもんは扱ってないさ。――まあ、あいつはちょっと変わり者だけどな」
リサは悪びれる様子もなく、肩を軽くすくめる。
本当に大丈夫かよ――内心で疑念を抱きながら、俺は小さく息を吐いた。
一応、俺はこの街を治める家の人間だ。軽率な行動で面倒事に巻き込まれるわけにはいかない。
半ば覚悟を決め、俺は無言のまま古びた木扉の前に立つ。
「勝手に開けていいぞ、ノックしても出てこない奴だ」
リサは投げやりな口調で言い、手をひらりと振る。
俺は一度だけ静かに息を整え、扉に手をかけた。
ギィ――と、軋む音が静かに響く。
陰気な相手なのだろうか――そんな考えが頭の隅をよぎる。
中は――薄暗かった。
窓はあるが、カーテンがかけられており、差し込む光はわずかだ。
鼻をかすめるのは、薬草のような、土のような、どこか湿った香り。
足元には土が敷き詰められ、所々に大小さまざまな鉢植えが置かれている。
薬草や見慣れぬ花々が無造作に生い茂り、部屋というより温室のような印象さえ受けた。
「……おい、本当に大丈夫なんだろうな」
思わず漏れた声に、後ろからリサがくくっと小さく笑う。
「平気だって。あいつは見た目こそ怪しいが、根は善人だ。」
物陰からどろりと液体のような個体のようなものが流れ落ちた。
掌に収まるほどの小さな体躯。半透明の青みがかったスライムだ。
その内部には、濃い青色の液体がとろりと揺れているように見え、光を受けて淡く煌めく。
見た目は不思議と愛嬌があり、ふにゃふにゃと不規則に揺れる様子は、どこか生き物というより、生命の宿った宝石のようでもある。
「スライムは本来緑色だ。野生のは基本的に草木を食うからな」
ということは食うものによって色が変わるのだろうか。
ゆるり、スライムは俺たちに向かって進んでくる。
抵抗は――ない。人に慣れているのだろうか。
「持ち主は奥だよ。スライムに餌やってるはずだ。入っちまえよ、ミズキ様」
リサは軽い調子で促すが、俺は警戒を解かぬまま、一歩、また一歩と足を踏み入れる。
やがて、薄闇の中からもう一つ、人影が現れた。
小柄な人物だ。子供かと思いきや、リサが幼馴染だと言っていたことを思い出す。きっとそういう体格なのだろう。
その人影は、魔女のような長い黒いローブを纏い、大きな三角帽子をかぶっていた。静かな佇まいが不思議な存在感を放っている。
「形から入るタイプなんだよ。魔力は使えないんだ」
リサが小声で教えてくれる。
「聞こえてるよ」
魔女装束の少女は俺たちの会話に割り込み、ゆっくりと近づいてきた。
「リサの彼氏か?」
突然の問いかけ。
服装を見れば普通は貴族と護衛と分かるはずだが……これはツッコミを求めているのか、それとも軽い冗談に付き合えということか?
「そうだ」
淡々と告げると、魔女装束の少女は目を見開き、信じ難いものを見るような表情で、その場に尻もちをついた。
「そ、そんな……リサは私と同じく、独身を貫くものだと……信じていたのに……」
声まで震わせ、大げさなほどの嘆きを見せる。
何か言えよ――そう目で訴えたつもりだったが、当の本人は腕を組み、口元をわずかに吊り上げ、どこか勝ち誇ったような顔を浮かべていた。
「――まあ、私も捨てたものじゃないってことだな」
リサが勝ち誇ったように肩をすくめる。
「茶番はこのぐらいにしようか」
少女が歩いた先には、装飾らしいものは一切なく、用途を満たすことのみに徹した、簡素な木製のテーブルと四脚の椅子が並んでいた。
「座っていいよ。貴族様も、ぜひどうぞ」
どうやら俺を貴族だとは認識していたらしい。
「助かる。それと、俺に敬語はいらん」
椅子を引きながら、何気なくそう告げた。
ほんの軽い調子で言ったつもりだったが――
少女の肩がぴくりと跳ねた。
驚きが、そのまま顔に出る。目を見開き、口を小さく開け、声を出しかけて止める。
「……え? いや、それはちょっと……」
戸惑いが明らかに滲んでいる。
視線が定まらず、所在なげに揺れ、やがてちらりとリサの方へ助けを求めるような目線を投げた。
その仕草はどこか小動物めいていて、警戒と興味のあいだで揺れている。
「気にすんな。ミズキ様は、多少の無礼は気にしない」
リサが肩をすくめ、気軽な調子で言葉をかける。
その声には、妙な信頼感がこもっていた。
まるで「私は知ってるよ」と言外に語るような、そんな含みを持って。
少女はしばらく黙っていたが――やがて、ほんの少し目を丸くし、それからふっと息を吐いた。
「へぇ……そうなんだ? ……貴族なのに、変わってるね」
俺はそんな彼女の姿を見つめつつ、目の前の少女の服装へと視線を移す。
「お前ほどじゃない」
自然と出た一言だった。からかうような軽い調子ではあったが、どこか率直な本音も混じっていた。
すると、すぐ隣でリサが思わず吹き出しそうになり、肩を震わせて笑いをこらえている。
その横顔は実に楽しげで、口元を手で覆いながら、にやにやとこちらを見てきた。
一方で、少女はわずかに目を見開いたまま沈黙し、自分の装束をちらりと見下ろす。
「……それよりもさ、リサが男の人を連れてきたから、ちょっと驚いたよ」
少女も思うところはあったのだろうか、話題を逸らす。
「どういう関係なんだい?」
その問いかけに、リサはやれやれと言わんばかりに腕を組み、わざとらしくため息をついた。
「ただの護衛だよ。面白いことがあると思ってついてきたのによ、ふたを開けてみりゃ買い物の荷物持ちさ」
肩をすくめるリサの様子は、文句を言っているようで実は楽しんでいる。
「それでお金が稼げるなら、いいじゃないか」
少女ががそう返すと、リサは鼻で笑った。
「世の中、金じゃねーんだぜ?……まあ、もらえるならありがたく受け取るけどな」
その返しに、少女はくすっと喉の奥で笑い、肩を少しすくめた。
目元は柔らかく緩んでおり、遠慮のないやりとりができる相手――という安心感が伺える。
「リサらしいね」
二人のやりとりは、言葉の端々に信頼と気安さがにじんでいて、そこに割り込むにはいささか場違いな気がした。俺は黙って、湯気の立つ木のカップに手を伸ばす。
ふと、少女が俺の方に顔を向け、少しおどけた口調で言った。
「かっこいい貴族様なんて、まるで小説の中の人みたいだね」
彼女は天井を仰ぐように顔を上げ、目を閉じて空想の世界にでも浸っているようだった。だが、その口調はどこか茶化すようでもあって、俺に向けられた言葉だとすぐに気づく。
「安い内容だな」
少女は目を開けると、ふっと笑みを浮かべる。
その顔には、からかいと楽しさが混ざっていた。
「大衆向けは大体そんなもんだよ。尖りすぎたら面白くないし。よく言えば王道だよ」
言いながら、肩を小さくすくめる。
そこに悪びれた様子はなく、むしろそれが好きだとでも言いたげな表情だった。
「俺は小説をあまり読んだことがない」
この世界のものはな。
「そうなのかい?面白いよ? いろんな物語があってさ。魔法の使い方一つでも、物語にすると奥深くなるんだから」
机の上で指先を滑らせながら語る。
その表情はどこか陶然としていて、まるで本のページをめくる音が、今そこにあるかのようだった。
だがその隣で、リサがひょいと茶を飲みながらぼそりと口を挟む。
「ミズキ様、女向けの小説はやめときな。楽しめないと思うぜ。ああいうの、感情の動きばっかで展開もふわふわしてるし」
声音はどこかあっさりとしていたが、明らかに好みに合わなかったのだろう。
肩をすくめながら、少しだけ顔をしかめるような仕草をする。
「そんなことないよ」
少女はすぐに反論する。
声の調子は穏やかだが、その瞳には真っ直ぐな意志が宿っていた。
「感情がわかるって、すごく大事なことだし。ほら、小説の中の貴族様って、ちょっと大胆で、不器用で、でも優しいでしょ? 貴族様も、そういう振る舞いをすれば、周りの女性はみんな落とせると思うよ」
口調は軽く、冗談めかして笑ってみせるが、どこかに本気の響きが混ざっている。
俺は静かにカップを置くと、言葉を選びながら口を開いた。
「それは……物語の中だから成立する話だ」
断言するでも否定するでもなく、あくまで一つの見解として述べたつもりだった。
だが、少女はすぐさまその考えに首を振る。
「そんなことないよ。現実でも通用すると私は思うね」
椅子の背に軽く身を預けながら、いたずらっぽく笑った。その目には、ただの冗談以上の光が宿っていた。
「どうだかな」
「それじゃあ私が壁際によるからさ、貴族様は壁まで私を追い込んで甘い言葉でも吐いてよ」
さらりと言い放ちながら、エリルは椅子を引いて立ち上がり、本当に壁際まで歩いていった。背中をぴたりと木壁に預け、両手を後ろに回して視線をこちらに投げる。
「……はあ、甘い言葉はなんていえばいい?」
面倒だと思いつつも、楽しんでいる自分もいる。
この世界にも壁ドンってあるんだな……なんて、前世の知識がふとよぎる。
それも、だいぶ古いネタじゃなかったか? なんて考えが頭をかすめ、少しだけ苦笑が漏れる。
「そうだね。一生そばにいろ、とかでいいよ」
少女があっけらかんと言う。
その小さな顔に浮かぶ笑みは、どこか期待といたずらが混ざっていた。
「ほんとにやるのかよ。断ってもいいんだぜ?ミズキ様」
リサが横から茶化すように言う。
「ダメダメ、ここまで来たら付き合ってもらうよ」
少女は胸を張って言った。
「ほら、物語の真似をしても気持ち悪がられないって証明してあげる」
なかなか難しい証明だ。
前世のドラマでさえ芝居がかった言動は白けることもあるのにな。
「ほら、はやくはやく」
急かすように言いながら、少女は頭に乗せていた三角帽子をそっと外し、それを両手で胸の前に抱えた。
小柄な体を壁際に寄せ、まっすぐにこちらを見上げる。
俺は立ち上がり、無言で歩を進める。距離を詰めるたびに、少女の瞳の奥に浮かぶ光が揺れる。
そして、彼女を囲うように壁に手をつく。
顔の距離をじわじわと詰めながら、声を低く落とす。
「……一生、そばにいろ」
低く抑えた声で、言葉を落とす。意外にも、俺の声はさほど震えていなかった。
少女の肩がわずかに震えた。だがそのまま、ぽつりと呟く。
「……そのまま、愛してる、エリルって、言ってくれないかい?」
目がほんのり見開かれ、頬がわずかに紅く染まった状態でお願いしてくる。
俺も恥ずかしいんだが。
「愛してる。エリル」
その瞬間、少女の目が見開かれたかと思うと――
「っ……!」
少女は、そのまま、まるで我を忘れたように俺の胸へ飛び込んできた。
細い腕が背中に回り、頬が俺の胸元に触れる。香草のような香りがふわりと鼻をくすぐった。
「おい、ばか、なにやってんだ!」
リサの声が鋭く空気を裂いた。ぴしりと場が凍る。
反射的に振り返ると、彼女は本気の顔をしていた。
その声と同時に、彼女は素早くエリルの身体を引きはがす。
乱暴ではないが、容赦もない動きだった。
「わっ……!」
小柄な身体はなすすべもなく後ろへ引き離され、エリルはそのまま床に尻もちをついた。
三角帽子が床に落ち、ころりと転がる。
「ご、ごめんね……その、本当に、かっこよかったから……」
少女は恥ずかしそうに俯きながらも、しっかりと謝った。
頬はまだ真っ赤で、視線は落としたまま。
リサは盛大にため息をついたあと、少し低い声で言った。
「貴族に抱き着くのは冗談でもやめてくれ。牢獄ものだぞ」
リサの言葉に、思わず俺は心の中でぼやいた。
――昼間、お前だってやたら距離詰めてきただろ。
苦笑しそうになるのをこらえて、口に出すのはやめておいた。
下手に言えば、また面倒な小競り合いになりそうだった。
「俺は気にしていない」
静かにそう告げると、リサは一瞬だけ俺を見て、それからふっと目を逸らした。
「……まあいいや、座ろうぜ」
リサはため息まじりに言いながら、転んだエリルに手を差し伸べる。
エリルは照れくさそうに笑いながら、その手を取って立ち上がった。