屋敷の重厚な扉を開けると、朝の光が容赦なく差し込んでくる。
眩しさに一瞬だけ目を細め、額に差す陽の温もりを感じながら、外の石畳を踏みしめた。
空は雲一つない晴天。空気は澄んでいて、どこか背筋が伸びるような朝だった。
門の方に目を向けると、昨日と同じ場所にリサの姿があった。
腰に手を当て、じっとこちらを見据えている。……恐らく、また「遅い」とでも言いたげな顔だ。
時間通り出てきてるんだがな。
近づくにつれて、案の定リサが怒ったような顔を作って出迎える。
「待たせすぎじゃねーか?」
芝居がかったその言い回しに、思わず肩が緩む。
「時間通りだ」
そう淡々と返すと、リサは口をへの字に曲げ、不満をこぼす。
「ちょっとぐらい遊びに付き合ってくれよ」
わざとらしくため息をつきながら、肩をすくめて見せる。
しかしその口元には、明らかにからかい混じりの笑みが浮かんでいた。
不機嫌なふりをして、どこか嬉しそう。
リサのこういう“回りくどい素直さ”には、だいぶ慣れてきた気がする。
「それが目的で早く来てるのか?」
問いに対して、リサは一拍おいてから悪びれもなく頷く。
「まあな」
その潔さに、思わず口元が緩む。
そういうところも、彼女らしい。
「そうか、明日からは付き合ってやる」
そう返して視線を先に向ける。
すると、横から視線を感じた。
ちらりと目をやると、リサが目を細めてこちらを見ていた。
「……それはそれでなんか違うな」
リサの言葉に軽く眉を上げたそのとき、背後から足音が近づいてくる。
靴音はよく整えられており、騎士団の者だとすぐにわかった。
振り向くと、銀の装具を身につけた若い騎士が姿勢を正して立っていた。
「ミズキ様、軍馬2頭準備できております」
短く要点だけを伝えるその声音には、程よい緊張感と忠誠の気配があった。
この世界の騎士たちは、どいつも礼儀を忘れない。
それはありがたくもあり、少しくすぐったくもある。
「そうか。助かる」
俺は軽く頷き、再びリサへと視線を向けた。
彼女は既に騎士の言葉で状況を理解していたのか、腰に手を当てたまま小さく息を吐いていた。
「リサ、準備はできているか?」
問いかけると、リサはにやりと口角を上げて返した。
「ああ、早く行こうぜ」
その口調にはどこか楽しげな響きがある。
リサはくるりと背を向けて、石畳を軽やかに進み出す。
その背中を目で追いながら、俺も足を動かした。
軍馬の背に揺られながら、ゆっくりと進む。
体を上下に軽く揺さぶる駆け足のリズムに、腹の底から響くような振動が伝わってくる。
隣にはリサが同じように馬を操り、風を切る音の中で髪をなびかせている。
「冒険者は戦闘や護衛以外の仕事はあるのか?」
そう尋ねると、リサは視線を前に向けたまま肩をすくめた。
「ああ、何でもあるぜ。採取依頼や街のゴミ拾い、迷子探しに老人の話し相手まで。実質、何でも屋みたいな感じだな」
「俺でもやれそうだな」
「ミズキ様が冒険者は厳しいと思うぜ? 体力仕事が大半だからな」
言われて、内心苦笑するしかなかった。
昨日数時間歩き回っただけで倦怠感が現れたしな。
今度、騎士団の訓練に混ざらせてもらう予定にはなっているが、それまでの間、日々の鍛錬と呼べるものは何もしていない。
訓練が始まってからでいいや、そんな甘えた考えを、いまだにどこかで引きずっている。
このような状態で冒険者になろうものなら、数日で潰れるのが目に見えている。
「……」
言葉に詰まり、視線を前へと戻す。
リサの馬がわずかにこちらへ寄ってくる気配がして、視界の端に彼女の笑みが映った。
いたずらを思いついた子供のような、どこか意地悪そうな笑みだった。
「まあ、ミズキ様が冒険者になったら私が雇ってやるよ」
その言葉に、思わず笑いがこみ上げる。
冗談とも本気ともつかない、だが妙に自然な響きがあった。
どの業界でも、人との縁が仕事につながるものだ――その考えは、前世でもこっちでも共通なのかもしれない。
「俺は高いぞ」
冗談とわかりやすいように、わざとらしくにやりと笑ってリサに返す。
リサはこちらをちらと見て、口角を上げた。
「私はそこそこ稼いでる」
即答したその口調には、見栄も気負いも感じられなかった。
まるで当たり前のことを言っただけのような、淡々とした自信。
それをさらりと口にできるあたり、やはりリサは只者じゃない。
自分でAランク冒険者だと名乗っていたぐらいだし、虚勢ではないのだろう。
この世界で冒険者が上位に立つには、実力も運も、生き残るだけの胆力も必要だ。
そのすべてをくぐり抜けてきたのだと思えば、今の余裕も納得がいく。
見渡せば、街の門がすぐそこまで迫っていた。
衛兵の姿が見え始め、門の奥からは活気ある市のざわめきと、揚げ菓子の香ばしい匂いが風に乗って届いてくる。
俺は手綱を少しだけ引いて馬の速度を落とし、リサの隣へ並ぶ。
「で、俺を雇うなら、いくら払うつもりなんだ?」
「内容によるな。何してくれるんだ?」
「冒険者は何でも屋だろ。何でもする」
「だったら、全財産払ってでも雇うぜ」
リサは笑いながらそう言った。
馬の上でも、言葉の調子でも、一切の躊躇がなかった。
「えらく高い評価だな」
「当たり前だ。エリルだってそうだとおもうぜ?あったら聞いてみな」
「そうだな」
軽く頷きながら、懐から身分証を取り出す。
門の前には、昨日と同じ門番の女性が立っていた。
こちらの姿に気づくと、彼はすぐに歩み寄ってきて、慣れた手つきで証を一瞥する。
形式的な挨拶とともに、すんなりと門を通される。
特にやり取りらしいやり取りもなく、俺とリサは街へと足を踏み入れた。
石畳を馬の蹄が叩く音が数歩続いたところで、馬番が現れる。
手綱を預け、礼を言ってから歩き出した瞬間、街の熱気が肌を撫でた。
風を切っていた馬上では気づかなかったが、気温は昨日よりも明らかに高い。
陽光が石造りの建物に反射して、視界がきらきらと眩しく揺れる。
すでに背中にはうっすらと汗が滲んでいた。
「門の前にエリルがいるはずだ」
そう呟きながら、あたりを見渡す。
日差しが強すぎて、目を細めなければ視界が霞んでしまう。
建物の窓や飾りの金属がいちいち陽を跳ね返し、まるで街全体が光っているようだった。
そんな中、俺の横で立ち止まったリサが、まっすぐ前を指さした。
「いた、あそこだ」
目を凝らして指先を追う。
人混みの向こう、露店の屋根を挟んだ向こう側。
人々の間をゆっくりと歩くひときわ目立つ黒の衣装――確かに、魔女風のローブと帽子だ。
どう見てもエリルだった。
「流石だな」
目利きというより、気配か空気か、あるいは動きの癖か。
あの距離と人混みの中で一発で見つけ出すあたり、高ランク冒険者は伊達じゃない。
リサは軽く顎を上げ、そのままエリルに向かって歩き出した。
俺もその後を追う。人々を縫うように進みながら、あらためてエリルの背中を確認する。
相変わらず、目立つ格好だ。
黒一色のローブに、つば広の帽子。市場の喧騒の中では浮き気味だが、本人はまるで気にしていない。
距離が縮まったタイミングで、リサが声をかけた。
「よう、待たせたか?」
その声に、エリルがびくりと肩を跳ねさせて振り向く。
どうやら俺たちの存在にはまったく気づいていなかったようだ。ほんのりと驚きと照れが混ざる。
「いや、私も今来たところだよ」
帽子のつばを軽く指先で押さえながら、エリルは小さく笑ってこちらを見る。
その仕草には、言い訳がましさもなければ、過剰な照れもない。
ただ、自然と滲み出るような柔らかさがあった。
リサがそれを見て、口の端をわずかに吊り上げる。
「デートの常套句だな。ただの遊び相手に行っても意味ないぜ?」
小ばかにしたような口調ではあるが、そこに棘はない。
むしろ、長年の友人にしか許されないような気安さすら感じられた。
「そんなつもりで言ったわけじゃないけどね」
エリルは淡々と答える。
取り繕うでもなく、受け流すでもなく、まるで呼吸のように自然な返しだった。
照れるわけでもなく、冷めているわけでもない。
この会話の応酬は、きっと何度も繰り返されてきたのだろう。
「まあ、合流できたんだ。ミズキ様、どこに行くよ?」
「今日は一つ買いたいものがある」
俺がそう答えると、エリルの目が少しだけ興味を帯びた色に変わる。
リサは、少し驚いたような口ぶりで続けた。
「今日はちゃんと考えてきたのか」
「騎士の褒美じゃないぞ。個人的に欲しいものがある」
二人が視線を交わし、そして再びこちらへ集中する。
まるで次の展開を楽しみにしているかのように。
隠しているつもりはない。
だが、理由もなく口にするのが面倒で、俺は何も言わずにそのまま歩き出した。
足音が三つ、石畳の上で一定のリズムを刻む中、エリルが口を開く。
「教えてくれないのかい?」
問いかけは柔らかく、それでいて探るような色が含まれていた。
問われたからには、答えない理由もない。
隠しているつもりはないし、意地悪しているわけでもない。
「動きやすい福だ。今着ている服は堅苦しい」
身に纏っているのは、スーツ風の上着とシャツ。
俺が持っている衣服の中では、まだ着心地のいい部類に入るだろう。
だが、それでも満足はできなかった。
どうしても、前世の感覚が尾を引く。
軽くて、柔らかくて、肌に優しくて、そして何より息がしやすい服。
あの世界では、それが当たり前だった。
それに、社会人として働いていた頃の記憶がふと蘇るたび、今のこの格好が“制服”にしか思えず、どこか息苦しくなる。
別にブラック企業だったわけではない。だが、それでも大抵の社会人は、職場に対してどこかしら嫌悪感を持っているものだ。
「へぇ、着心地のいい服は持ってないの?」
エリルの問いかけに、俺は首を縦に振る。
「ああ、一枚もないな」
「ミズキ様、今何歳?」
「……十七だが」
いきなりの年齢確認に、少しばかり戸惑いつつも応じると、エリルはわずかに目を細めた。
「十七年も生きてきて、今さら着心地のいい服を探すんだ」
言葉でこそ言わなかったが、その目ははっきりとそう語っていた。
変わってる、変な奴と。
俺は肩をすくめ、あえて何も言わずに受け流した。
彼女の言いたいことはわかる。確かに、今さら過ぎる。
だが、俺の場合は前世の記憶のせいだから、仕方ない。
「……いい店は知っているか?」
これ以上掘り下げられるのも面倒なので、強引にでも話を変える。
前世の話は誰に言っても伝わらん。
「私は知らないな。いい防具屋なら知ってるんだが」
リサが、飾り気のない声でそう言った。
冒険者としての彼女らしさが出ている一言だったが、俺の求めているものとは、明らかに方向性が違う。
「私、知ってるよ。ちょっと変わった服が多いけど男性用も売ってたよ」
意外な返答に、俺は思わず彼女の服装に視線を移す。
――ローブとつば広帽子。
一目で目立つその格好は、現代日本で言うならコスプレに近い。
仮に着心地が良かったとしても、あの方向性の服を着て外を歩くのは、さすがにためらいがある。
「お前が着ている服を買ったところか?」
念のため、試すように尋ねると、エリルはまっすぐにこちらを見て頷いた。
「そうだよ」
まあ、そうだよな。俺は内心で小さくため息をつきながら、視線を前に戻す。
だが、男性用を扱っているというだけでも、この世界では希少だ。
貴族用の仕立て屋は格式ばかり重んじているし、一般向けの店はそもそも女性の数が圧倒的に多い。
その中で、選択肢がひとつでも増えるというのは、確かにありがたい情報だった。
足を運ぶ価値はある。
「……案内してくれ」
短くそう告げると、エリルはどこか嬉しそうに笑って頷いた。
「じゃあ、ついてきて」