前世を思い出して生き方を見直す日々   作:naoki2525

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第四話

ひどく長く感じた道のりも、ようやく終わり——

 

俺は屋敷の重厚なドアを押し開ける。

 

 

 

外よりは、いくらかマシだ。だが、それでも蒸し暑さはじっとりと肌に絡みついて離れない。

 

 

 

玄関ホールの冷たい石床に靴音を響かせながら、俺は小さくため息をついた。

 

 

 

——前世のエアコンが恋しいな。

 

ボタンひとつで快適な空間が手に入る、あの文明の利器。

 

この世界にも魔道具なんて便利なものがあるんだし、誰か作ってくれないだろうか。

 

 

 

くだらない妄想が浮かぶあたり、やっぱり頭も体も少しバテているのだろう。

 

 

 

「おい、今から風呂にはいる水分と着替えを持ってきてくれ」

 

 

 

近くにいた使用人に軽く指示を出す。

 

 

 

相手は小さく息を呑んでから、ほんのわずかに緊張した面持ちで口を開いた。

 

 

 

「承知いたしました。……服装のご用意なのですが、ミズキ様の部屋に立ち入ってもよろしいでしょうか?」

 

 

 

そうだった。常識が前世の常識で上書きされていた。

 

 

 

この世界では、基本的に男性の部屋に女性が入るのは良くないこととされている。

 

逆もまた然り。貴重な男性を丁重に扱うためのマナーらしいが、今となっては正直、いちいち許可を出すのが面倒だ。

 

 

 

「ああ、入っていい。急げよ」

 

「服の生地はなるべく柔らかいものを頼む。あと水分は、俺が風呂に入っている間に——そうだな、男性に持ってこさせてくれ」

 

 

 

少し細かく指示を付け加える。

 

適当に命じれば済むと思っていた昔の自分と違って、今の俺は、相手が困らないように気を配ることを覚えた。

 

脳裏に少し嫌いだった上司の顔か浮かぶ。反面教師だな。

 

 

 

服を脱ぎ棄て、風呂場に入る。

 

 

 

男湯ということもあり、使用人数が少ないからだろうか、広さはほどほどだが

 

——それでも小さな銭湯くらいの規模はある。

 

磨き上げられた石造りの湯船。ため込まれたかけ湯用の石風呂。

 

薄暗く落ち着いた明かりが、しっとりとした空気に溶け込んでいる。

 

ほんと、贅沢だよな。

 

 

 

ひとまず湯船につかる前に、体を洗う。

 

ため込まれた湯から手桶で湯をすくい、肩から順にかけ流していく。

 

もちろん——シャワーなんてものはない。

 

エアコンのときも思ったけど、誰か……いや、もういいか。

 

 

 

ふと手に取った石鹸は、淡い花の香りがした。

 

何の花かはわからないが、きっと何かのエキスが練り込まれているのだろう。

 

製造方法なんて見当もつかないけど、ただひとつわかるのは——これは高価なものだ、ということ。

 

ほんと、貴族ってのは、いいものを当然のように持ってるんだな。

 

 

 

体を洗っていると、風呂場のドアが小さくノックされた。

 

 

 

「入っていいぞ」

 

 

 

頼んでいた飲み物だろう。声をかけると、扉が静かに開き、控えめな足音が響く。

 

 

 

「失礼いたします。お飲み物をお持ち致しました」

 

 

 

鏡越しに目を向けると、朝に出会ったあの少年が、丁寧にトレイを両手で抱えていた。

 

グラスに注がれた冷たい飲み物と、綺麗に剥かれた少量の果物——涼しげな彩りが、湯けむりの中に浮かんでいる。

 

 

 

「湯船の隣に置いておいてくれ」

 

 

 

少年は静かに頷き、指示された場所にそっとトレイを置くと、深々と頭を下げて出ていった。

 

 

 

俺は石鹸の泡を流し終えると、ようやく湯舟に身を沈める。

 

熱すぎず、ほどよい湯加減が肌を包み、じわりと疲労が溶け出していくのがわかる。

 

 

 

冷えた飲み物を一口。

 

ついでに手を伸ばし、果物をひとつつまむ。

 

 

 

「……大富豪かよ」

 

 

 

ぽつりと漏らし、ふっと笑う。

 

 

 

冷えた飲み物の心地よさと、果物の甘みが身体に染み渡り、じわじわと疲れが抜けていく。

 

しばらくの間、ぼんやりと湯けむりを眺めていたが、やがて名残惜しさを振り払い、俺は湯舟から上がった。

 

 

 

身体を拭き終え、浴場の外へ出ると、すでに用意されていた服が目に入る。

 

 

 

「……お、センスいいな」

 

 

 

そこに並べられていたのは、上質なリネンを使った淡い色合いのシャツと、肌触りの良さそうな柔らかなズボン。

 

余計な装飾もなく、けれどしっかりと品は感じさせる一着だ。

 

 

 

——こういうのを選んでくるあたり、使用人も気が利いてるな。

 

 

 

思わずそんな風に感心してしまう。

 

 

 

身支度を整え、足元も軽やかに屋敷の廊下を歩き出す。

 

少し疲れは残っているものの、風呂と飲み物のおかげで心身ともにだいぶ回復した。

 

 

 

廊下を抜け、部屋のドアを開けると、そこは静かな空間だった。

 

考え事をするにはピッタリだが、同時に静かすぎて寂しくも感じる。

 

 

 

「さてと」

 

 

 

夕食は、朝と同じように食卓には顔を出さなくていいだろう。

 

かかわりの深い家族ほど、俺の変化を怪しむだろうしな。

 

急に性格が変わったと思われるのは——妙に、気恥ずかしい。

 

 

 

「今の俺」が、以前の俺と違うことは自覚している。

 

それを説明することもできなくはないが、信じてもらえそうにないし——何より、面倒だ。

 

今は、無理に絡まないのが正解だろう。

 

……まあ、逃げてるだけの気もするけどな。

 

 

 

次に考えるのは、あの少年だ。

 

名前を聞き損ねたままだったな。

 

これは、夕食を運んできたときにでも聞けばいい。急ぐ話でもない。

 

 

 

そして——一番重要なのは、やはり次の模擬戦だ。

 

いや、正確に言えば——模擬戦の「褒美」のことだ。

 

 

 

「さて……何にするか」

 

 

 

そのまま金を渡しても、味気ないし下品にすら思える。

 

食べ物はどうだろう?菓子ならすぐにみんなで分け合って、特別感が薄れてしまう気もする。

 

かといって武具は——こだわりがありそうだし、下手に選んだら逆効果かもしれない。

 

 

 

こういうのってセンスが問われるよな。

 

でも、贈り物って考えるの少し面白いんだよな。

 

 

 

明日から3日間、街に出て考えるつもりだ。

 

その時に何か見つかれがいいんだがな。

 

 

 

しばらくの間、俺は椅子に腰掛けたまま、ただぼんやりと考え事を続けていた。

 

——褒美のこと。

 

——そして、この先の自分のこと。

 

 

 

思った以上に、俺は真剣に考え込んでいたらしい。

 

扉をノックする音がして、はっと顔を上げた時には、外の光はすっかり淡くなっていた。

 

 

 

「入れ」

 

 

 

そう声をかけると、静かにドアが開く。

 

現れたのは、やはりあの少年だった。

 

両手でトレイを大切そうに抱え、そろそろと部屋に足を踏み入れる。

 

 

 

「失礼いたします。夕食をお持ちしました」

 

 

 

柔らかな声と共に、慎重な動作でテーブルへと料理が並べられていく。

 

もうそんな時間か。

 

 

 

ほんの数分だと思っていたが、どうやらかなりの時間が経っていたらしい。

 

夢中で考えすぎていたな——。

 

 

 

「俺の専属の使用人として三年ぐらいか?」

 

 

 

声をかけると、少年は朝と同じようにわずかに目を見開き、少しだけ戸惑いを見せた。

 

それでもきちんと背筋を伸ばし、静かに頷く。

 

 

 

「はい。三年お仕えしております」

 

 

 

どうやら俺の記憶は間違っていなかったようだ。

 

まあ、以前の俺が他人に興味を示すはずもないから、ちょっと不安だったんだけどな。

 

 

 

「お前には感謝している」

 

 

 

俺がそう言うと、少年は先程とは違い明らかに驚いた顔を見せ、ほんのわずかに視線を伏せた。

 

 

 

「……恐れ入ります。そんな、おそれ多いお言葉です」

 

 

 

少し緊張しているのがわかる。けれど、その声にはどこか嬉しさも滲んでいた。

 

 

 

「悪いが俺は、お前の名を憶えていない。教えてくれないか」

 

 

 

静かにそう告げると、少年は一瞬きょとんとした表情を浮かべたあと、すぐに姿勢を正し、丁寧に頭を下げた。

 

自己紹介の所作が体に染みついているのだろう。

 

 

 

「……アルトと申します、ミズキ様」

 

 

 

「アルト、か。いい名前だな」

 

 

 

俺はそう言いながら、静かに微笑んだ。少年の頬がわずかに緩むみ、紅潮するのが見て取れた。

 

 

 

「ありがとうございます」

 

 

 

「これからも期待している」

 

 

 

その言葉に、アルトは胸に手を当て、深く礼をする。

 

わずかに紅潮した頬が、どこか新鮮で——俺は小さく息を吐き、背もたれに寄りかかった。

 

 

 

「メニューの説明はいい。食後の皿は扉のそばに置いておく」

 

 

 

「かしこまりました」

 

 

 

アルトは静かに一礼し、部屋を後にする。扉が閉まる音だけがやけに静かに響いた。

 

 

 

「はーー」

 

 

 

安堵とともに、妙な気疲れに襲われ、口から漏れたのはすべてが抜け落ちたような脱力の声だった。

 

 

 

胸の突っかかりが、一つ消えた。

 

 

 

こんなふうに誰かと会話して、表情を読んで、言葉を選ぶこと。

 

当たり前のことが、どうしてこんなにも疲れるんだろうな。

 

仲のいい会社の同僚とかとは、無限に会話できたのにな。

 

 

 

——さっきの俺、性格変わりすぎて気持ち悪いって思われてないだろうか。

 

 

 

ふと頭をよぎる考えに、思わず苦笑する。

 

自分でも、いまの自分が「自分じゃない」ように思えるのだから、仕方ない。

 

 

 

気にしたところで、どうにもならない。

 

わかってはいるが、こういうのは「そういうタチ」なんだろう。

 

前世も含め、俺は人間関係の経験値がまだまだ足りないのかもしれない。

 

 

 

きっぱりと切り替えはできないまま、目の前の料理に視線を移す。毎度のことながら豪華だな。

 

冷めてしまう前に食うか。

 

 

 

フォークとナイフでステーキを切る。

 

じゅわっと溢れた肉汁が、皿の上に滲んでいく。

 

 

 

——ああ、勿体ない。

 

この肉汁ごと、全部食べたかった。

 

 

 

どうにも貴族でありながら、こういうところは前世の庶民感覚が抜けていない。

 

 

 

肉を口に運ぶ。

 

柔らかい肉の旨味と熱が、じんわりと染み渡っていく。

 

肉を嚙むたびに、幸せホルモンでも出てるんじゃないかって気がして、思わず微かに笑みが漏れる。

 

 

 

そこそこ腹も膨れたところで——

 

ふと思い至る。

 

……アルトに、模擬戦の褒美について相談すればよかったな、と。

 

すぎたことはしょうがない。

 

それより明日の予定だが街まで少し遠いし俺一人では散策できないよな。男だし何より貴族だ。

 

護衛は必要だが騎士だと褒美の品がばれる恐れがあるよな。

 

 

 

どうしようか。

 

適当な兵士か冒険者でも雇うか?

 

 

 

……うちの領地に腕のいい奴なんて、いるんだろうか。

 

そのあたりの知識も、俺にはまるでないんだよな。

 

 

 

今から冒険者ギルドにでもいってみるか?

 

今がおおよそ七時半。ギルドに着くのは、八時手前ってところか。

 

 

 

冒険者……いるかな。

 

いても、どうせ酒飲んでる気がする。

 

……いや、勝手なイメージで悪いけどさ。

 

 

 

まあいいや、行ってみるか。

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