前世を思い出して生き方を見直す日々   作:naoki2525

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第七話

扉を押し開けると、柔らかな灯りが穏やかに店内を包み、静謐な空気が静かに満ちていた。

 

壁に掛けられた絵画や精緻な調度品が、格式の高さをひっそりと主張している。

 

 

 

「いらっしゃいませ。二名様でよろしいでしょうか?」

 

 

 

落ち着いた声で給仕が迎え、俺は「ああ」と短く答えた。

 

 

 

「それでは、お席にご案内いたします」

 

 

 

通されたのは、二人掛けのソファが向かい合わせに設けられた小さな個室。

 

壁には簡素ながら品のある絵画が掛かり、窓の外にはささやかな庭が見える。

 

落ち着いた空間だった。

 

 

 

俺が席に着くと、リサは特に迷う様子もなく、向かいではなく隣のソファに腰を下ろした。

 

しかも、やけに距離が近い。

 

意図的に距離を詰めてきていることは、なんとなく伝わってくる。

 

 

 

気まずさというより、窮屈さを感じて、思わず声をかけた。

 

 

 

「向かいに座れ。狭いだろう」

 

 

 

視線を送っても、リサは何も応じなかった。

 

まるで聞こえていないかのように、机に両腕をついて顔を伏せる。

 

頬を机につけるような姿勢のまま、しばらく沈黙が流れた。

 

 

 

そして、そのままの姿勢でぽつりと呟く。

 

 

 

「あーあ、おもろいことがあると思ったから今回の護衛を引き受けたのによ」

 

 

 

その声には明らかな失望と、拗ねたような響きが混じっていた。

 

ふだんの快活さは影を潜めている。

 

リサなりに、何かしらの期待を抱いていたことは察せられる。

 

ただ――彼女が勝手に「面白い何か」を期待していたのは、こちらの責任ではない。

 

 

 

内心、少しだけ申し訳なさを感じながらも、呆れのほうが勝っていた。

 

 

 

「勝手に勘違いするのが悪い」

 

 

 

そう言い放った瞬間、リサは顔を上げ、こちらに視線を突き刺してくる。瞳は鋭く、どこか痛むような光を宿していた。

 

 

 

「そうだけどな……割り切れるもんじゃないだろ、気持ちってやつはさ」

 

 

 

言葉こそ反論めいているが、その声には苛立ちだけでなく、かすかな寂しさがにじんでいた。

 

いつも冗談を飛ばしているあのリサが、今はどこか素直すぎるほどの顔をしている。

 

 

 

俺は黙って、その表情を見返した。

 

 

 

たしかに、仕事としての関係に私情を挟まれるのは困る。だが、目の前の彼女は――少しだけ、割り切れずにいるのだろう。

 

それでも、口から出た言葉は冷めたものだった。

 

 

 

「仕事だろ。割り切れ」

 

 

 

淡々と、言い放つ。意図的に突き放したわけではない――が、結果的にそうなってしまっていた。

 

 

 

リサは舌打ちし、「っち、しゃーねーな」と不満げに肩をすくめる。

 

 

 

声音には不満が滲んでいるのに、その表情はどこか気楽そうで、掴みどころがない。まるで深追いはしないと決めたかのように、気怠げにソファに背を預けて目線だけをこちらに向けてくる。

 

 

 

「慰めの一言もないとは――冷たい貴族様だぜ」

 

 

 

口元だけで笑いながら、皮肉めいた一言を投げてくる。

 

その調子はふてくされているようでもあり、同時にどこか楽しんでいるようにも聞こえた。

 

 

 

多少なりとも機嫌が戻ってきたのか、あるいは最初から大げさな演技だったのか――どうにもこの軽薄な雰囲気の彼女のことは掴みきれない。

 

 

 

そんなふうに考えていた、その時だった。

 

 

 

不意に、するりとリサの手が俺の太腿に伸びてきた。

 

柔らかく、まるで無意識のような動作。

 

けれど明らかに意図的だった。手はそのまま、俺の太腿に触れたまま、小さく握っては離し、また握っては、指を緩める。

 

 

 

男の太腿なんぞ触っても、面白いことなどあるはずもない。

 

俺の感覚ではそう感じてしまう。

 

もっとも、この世界の価値観では、これも立派な――いや、相当に悪質な

 

――セクハラに当たるだろう。

 

 

 

依頼主にセクハラとは、呆れるぞ、ほんと。

 

 

 

「……やめろ」

 

 

 

呆れ混じりの声が漏れた。ゆっくりと、だが確実に、リサの手を掴み、どかす。

 

そして、目の前のテーブルに置かれたメニュー表を、二人の間に滑らせた。

 

 

 

「何を食う?」

 

 

 

淡々と問いかけながら、ふと顔を上げれば、リサの視線がこちらに向いていた。

 

メニューには目もくれず、真っ直ぐこちらを見つめている。

 

その顔には、先ほどまでの軽薄さや戯けた雰囲気は消えていた。

 

代わりに浮かんでいたのは、どこか言い淀むような――そんな、言葉を選ぶ表情。

 

 

 

「ミズキ様さ……あんた、ちょっと警戒心が低すぎるぜ」

 

 

 

その声は、先ほどまでの軽さとは違い、わずかに真面目さが滲んでいた。

 

 

 

「さっきの行動だって、怒られるのは承知の上でやったんだ。それなのに――呆れるだけで済ますとはな」

 

 

 

わずかに目を細め、肩をすくめるリサ。

 

茶化しているのか、本気で言っているのか――その表情は読みづらい。

 

俺は静かにメニューへ視線を戻しながら、肩をひとつ落とした。

 

 

 

「……怒るほどのことじゃない」

 

 

 

実際、俺の感覚ではそう思う。

 

俺が前世の記憶を思い出してから少しずれてるのは自覚しているがな。

 

 

 

リサはふっと笑い、少し期待の含んだ声を上げる。

 

 

 

「だったらさ、触っててもいいか?」

 

 

 

うーん、それはダメだな。身を安売りするつもりはない。

 

 

 

「……それはダメだ」

 

 

 

すぐに静かに答える。

 

そういうことを許せば際限がなくなる。たとえ冗談でも、線は引いておくべきだ。

 

 

 

「それより、食うものを決めろ」

 

 

 

そう言ってメニューを指し示す。

 

 

 

「はいよ」

 

 

 

リサは軽く笑い、ようやくメニューに目を落とした。

 

俺はひと息つき、もうひとつだけ指摘する。

 

 

 

「それと――向かいに行け」

 

 

 

「それは嫌だな」

 

 

 

リサはさらりと応じ、微笑んだままその場から動こうとしない。

 

 

 

俺が頼んだエビ料理は、見た目こそ華やかだったものの、皿に盛られた量は値段の割にはいささか控えめだった。

 

まあ、高級店とはえてしてこういうものだろうと、自分を納得させる。味は間違いなく上等だったし、料理人の腕も確かだった。満腹にはほど遠いが、文句をつける気にはならない。

 

 

 

一方のリサは、出された簡素なサラダを、興味なさそうにフォークでつついているだけだった。

 

最初こそ箸をつけたものの、結局、ほとんど食べていない。

 

 

 

食事中も、特に会話はなかった。

 

互いに言葉を交わす必要も感じず、ただ静かに皿を進める。

 

 

 

窓から差し込む柔らかな陽光が、テーブルクロスを淡く照らし、店内の静けさがそのまま二人の間にも流れ込んでいる。

 

落ち着いているというより、どこか所在ない沈黙だった。

 

 

 

やがて、食事が終わり、静かに会計へと向かう。

 

 

 

その時、リサが小さく息を吐きながら、不意に口を開いた。

 

 

 

「……自分で出すからいいぜ」

 

 

 

そう言って、ポケットから小ぶりな革袋を取り出す。

 

 

 

どうやら本気で自分の分を支払うつもりらしい。

 

妙なところで律儀な奴だな――思わず、内心で小さく苦笑する。

 

 

 

「気にするな」

 

 

 

静かに、しかしきっぱりと断る。

 

 

 

高級店とはいえ、所詮は昼のランチだ。大した金額でもない。

 

それに、この店を選んだのは俺のほうだ。こういう時に金を惜しむのは、貴族としても依頼主としても、筋が通らない。

 

 

 

リサは少しだけ眉をひそめ、唇を尖らせた。

 

 

 

「……男にださせるなんて、私の世間体を悪くするつもりかよ」

 

 

 

不満げな声音だったが、目元にはほんの僅かに笑みの気配が浮かんでいる。

 

こういう軽口を叩いている時のリサは、妙に歳相応というか、どこか人懐っこい印象さえある。

 

 

 

「そうだ」

 

 

 

おどけた調子で返す。どうせなら、たまにはこういうふざけたやりとりも悪くない。

 

 

 

「んな、とんでもない貴族様だぜ」

 

 

 

リサは肩をすくめ、わざとらしくため息をついてみせる。

 

 

 

心地いいリズムだ。

 

肩の力が抜けた、他愛もないやりとり――だが、だからこそ妙に居心地がいい。

 

 

 

やがて会計を済ませる。

 

革袋の中のコインが転がる、かすかな金属音が耳に残る。

 

 

 

店を出ると、昼下がりの柔らかな陽射しが俺たちを包み込んだ。

 

昼食の余韻を残したまま、俺たちは石畳の通りを歩き出す。

 

 

 

「見て回るか」

 

 

 

俺がそう言うと、隣のリサがちらりと横目を向ける。

 

 

 

「……で、買うものは考えてきたのか?」

 

 

 

リサの問いはもっともだ。

 

だが、俺は静かに首を横に振る。

 

 

 

「何も思いつかなかった」

 

 

 

率直な言葉に、リサはあからさまなため息をつき、大げさに肩をすくめてみせた。

 

 

 

「おいおい……騎士への褒美だろ? 剣か、小道具でも渡しておけばいいんじゃねえのか?」

 

 

 

口調は軽いが、内容は的を射ているとも思う。

 

だが、俺はわずかに首を横に振った。

 

 

 

「それは、難しい。剣も小道具も、使用感やこだわりがあるかもしれん。贈る以上は、きちんと気に入ってもらいたい」

 

 

 

ただ渡せばいい、というわけにはいかない。

 

それが貴族の名のもとに贈るものであれば、なおさらだ。受け取る側の立場や好み――それを考えなければ、逆に礼を欠くことになる。

 

今回は誰に渡すかわからない。誰でも喜べるものを探す。

 

 

 

リサはニヤリと口の端を吊り上げた。

 

 

 

「いい上司だこと。だったらさ、頭でも撫でてやれよ。女なんてのは、男に触れてもらえるだけで大抵は喜ぶもんだぜ?」

 

 

 

肩をすくめ、悪びれもせず、冗談半分の声色でそう言う。

 

俺は小さく眉をひそめた。

 

 

 

「いや、そうは思えん」

 

 

 

俺は屋敷で働いている者から嫌われているからな。

 

嫌われ者が誰かの頭でも撫でてみろ、想像しただけで鳥肌が立つ。

 

 

 

「……何言ってんだか」

 

 

 

リサは呆れたように言い、軽く首を振った。

 

 

 

たぶん、俺が何か的外れなことを言っていると思っているんだろう。

 

それも無理はない。こいつは知らないのだ、前の俺の性格をな。

 

 

 

「……とりあえず、見て回るしかない」

 

 

 

歩き出しながらそう言うと、リサも何も言わず、足を揃えた。

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