越後の軍神と気取り屋マスター   作:元ジャミトフの狗

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プロローグ
第一話


 

 聖杯戦争の終結から数日。焼け焦げた戦場の記憶はまだ生々しく、しかし新宿のデパートはまるでそんな戦いなど存在しなかったかのように賑わっていた。教会の仕事が速く丁寧な証左だった。

 人々の笑い声、色とりどりの商品、キラキラと輝く照明。ランサー、長尾景虎は白い着物に身を包み、長い銀髪を揺らしながらガラス張りのショーウィンドウをじっと見つめていた。彼女の瞳は、まるで凍てついた湖のよう――美しく、だがどこか底知れぬ冷たさを湛えている。

 

「マスター、何故人はこれほど多くの物を欲するのでしょう?」

 

 景虎が振り返り、隣に立つ男――彼女のマスターである梶田悠斗に問う。悠斗は黒いコートに身を包んだ、30歳前後の無骨な男だ。魔術師としては歴史の浅い家系の出だが、戦場での冷静な判断力と最低限の言葉で的確に指示を出す能力によって、景虎と共に聖杯戦争の勝利を掴み取った。彼は手に持った紙袋を軽く揺らし、短く答える。

 

「必要だから。生きるため、楽しむため。なんとでも言えるが、この場合そもそも聞く相手を間違えている」

 

 景虎は首を傾げ、長い髪がさらりと揺れる。

 

「必要……楽しむ……。ふむ。仏の教えでは、欲は苦しみの元と説きます。なのに皆、欲に溺れている。この矛盾は、理解が難しい」

 

 彼女の声は穏やかだが、どこか機械的だ。人の心を理解できない彼女にとって、このデパートの喧騒は、まるで異国の言語のようだった。

 

 悠斗は一瞬、彼女の横顔を見つめる。景虎の美しさは非人間的で、まるで雪山の頂に咲く一輪の花のようだ。だが、その瞳の奥に宿る「何か」の欠落を、彼は戦場を通じて知っていた。彼女は正しい行いを求め、悪を拒む。だが、それは心からではなく、教えられた「正しさ」をなぞる行為に過ぎない。 或いは正しさを口実に槍を振いたいだけなのかもしれない。

 

「欲しいものはあるか?」

 

 悠斗が唐突に問う。対する景虎は目を瞬かせた。

 

「ふむ。私に欲しいものなどありません。マスターこそ何かご所望だったのではないですか?」

「すでに買った」

 

 彼の答えはそっけないが、景虎はそれに不満を抱かない。彼女にとって、悠斗の寡黙さはむしろ心地よかった。無駄な感情や言葉を排した彼の態度は、彼女の理解しやすい「枠」の中に収まっていた。

 

 二人は婦人服売り場を抜け、エスカレーターで上の階へ向かう。景虎がふと立ち止まり、ガラスケースの中の小さなアクセサリーに目を留める。それは小さな銀のペンダントで、雪の結晶を模した繊細な作りだった。

 

「これ、綺麗ですね」

 

 彼女の声には、ほんのわずかな揺らぎがあった。悠斗は彼女の視線を追う。

 

「欲しいのか」

「いいえ、これはただ……美しいと思っただけです」

 

 景虎はそう言うが、彼女の指先が無意識にガラスケースに触れている。悠斗はしばらく黙って彼女を見ていたが、やがて店員を呼び、ペンダントを取るよう指示した。

 

「マスター、これは……?」

 

 景虎が驚いたように彼を見上げる。悠斗は無表情のまま、ペンダントを彼女の手に握らせる。

 

「戦の礼だ。受け取れ」

「礼……。しかし、私はサーヴァントとして当然のことをしたまでです」

「いいから」

 

 彼の声には、いつものように余計な感情が含まれていない。だが、景虎はその短い言葉に何かを感じた――いや、感じた「はず」だ。彼女にはそれが何なのか、理解できなかった。

 

 二人はデパートの屋上庭園に出る。冬の空は澄み切り、遠くに東京のビル群が夕陽に染まっていた。景虎はペンダントを手に、じっとそれを見つめる。

 

「マスター。人は、なぜ贈り物をするのですか?」

 

 悠斗は手すりに凭れ、空を見ながら答える。

 

「相手を想うから。喜んでほしいから」

「喜ぶ……。私がこれを受け取って喜ぶと、マスターは感じたのですか?」

「さてな。お前はどう思う? お前はどう感じた?」

 

 景虎はしばらく考え込む。彼女の心は、人の喜びや悲しみを映す鏡を持たない。だが、悠斗の言葉は、彼女の内に小さな波紋を広げていた。

 

「私は……このペンダントが美しいと思う。それをマスターが私にくれた。ならば、これは正しきことなのでしょう」

 

 彼女はそう呟き、ペンダントを首にかける。銀の雪の結晶が、彼女の白い着物に映えて輝く。悠斗はそれを見て、ほんのわずかに口元を緩めた――彼にしては珍しい、微かな笑みだった。

 

「正しいかどうかはわからん。ただ、お前がそれをつけてるのは、悪くない」

 

 景虎は彼の言葉を反芻し、初めて「理解できない何か」に触れた気がした。それは仏の教えでも、戦場の論理でもない。彼女の知らない、人の心の欠片だった。

 

 夕陽が沈む中、二人は肩を並べて歩き出す。聖杯戦争の勝利は、二人に束の間の平穏を与えた。景虎の胸に輝く小さな雪の結晶は、彼女の内に芽生え始めた「何か」を、そっと映し出していた。

 

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