第十三話
ミレニア城の一角、幽閉されたように静かな書庫で悠斗は机に肘を付き、指先でタバコのフィルターを転がしていた。ここに来て一日が経過した。ユグドミレニアの者たちは彼と景虎を必要以上に警戒していない。食堂でちらりと好奇の視線を送られる程度で、監視の気配も薄い。それが逆に落ち着かなかった。
(受肉したサーヴァントを連れた時計塔の魔術師を、このまま放置するほどダーニックは甘くないはずだ——)
悠斗は思考を巡らせる。すでにダーニックは自分のサーヴァントを召喚しているか、あるいはもっと陰湿な手段で二人を無力化する準備を整えている。どちらにせよ、こちらの腹を見せない限り真意を図るのは難しい。
悠斗が抱えている真意は、誰かに仕えることではなかった。時計塔にもユグドミレニアにも染まらず、生き延びるために両者を利用する。というか、少なくともあの老婆は悠斗が
「早い訪問だ。それも一人で。まだ城の案内も済んでいないというのに」
椅子に座るダーニックは書類を置き、薄く笑った。対する悠斗も苦笑いを浮かべる。
「貴方が俺たちを受け入れた理由を測りたかった。用心深い男が、時計塔の魔術師と受肉したサーヴァントをノーガードで招き入れるはずがない。なら早いうちにこちらの腹も先に見せておくべきだと思ってね」
「……ほう?」
「俺はロード・バリュエレータから送られたスパイだ。だがそうだな、あのお婆さんの私兵として使われるのにはもう飽きた。とはいえ俺は時計塔もユグドミレニアも信じちゃいない。生き残るために、両方を裏切る算段でここへ来た」
ダーニックの目が愉快そうに細まる。
「それは大胆な宣言だ。君がスパイであることは予想していたが、ここまであけすけに言うとは」
「"八枚舌"の貴方に諜報ごっこなんて通じないだろう。だったら最初から白状してしまった方が話が早い。俺の興味は魔術の探究だ。ここにある膨大な魔術礼装や蔵書を利用して、自分の魔術を極めたい。それが方便と取られても構わない」
本心と嘘を織り交ぜた言葉を投げ、悠斗はダーニックの反応を伺った。完全に腹を割るつもりはない。その魂胆はダーニックにも悟られていることだろう。しかし自ら手の内を晒すことで、一定の信用を得る必要はある。
ダーニックは暖炉の炎を見ながら笑みを深めた。
「いいだろう。その誠意は評価しよう。君が何者であるかは、この際どうでもいい。重要なのは、君がどれだけ役に立つかだ。ああそれと、スパイは続けてもらって構わない。時計塔への報告は私が検閲し、こちらの意図通りに調整する。それが条件だ」
「こちらとしても、それが一番動きやすい。命を賭けた程度で時計塔の連中を出し抜けるとは思っていないが、最善を尽くさない理由にはならないからな」
「……ふむ。いいな。君は実にいい」
二人の視線が交錯する。悠斗は自分が人生の岐路に立っていることを自覚していた。だが、意外と気分は悪くない。どちらにも属さず、両陣営を揺さぶる。それが危険であっても、彼にとっては唯一の生存への道だった。
会談を終えて廊下に出ると、景虎が背を預けて待っていた。
「部屋で待ってろと言った筈だが」
「話は終わったのですか?」
「無視かよ。……ああ。俺たちは三つの顔を持つことになった。時計塔とユグドミレニア、そして……俺たち自身のための」
「左様ですか。では今までと何も変わりませんね」
どこか楽しそうに告げる景虎。この状況を喜べるのは彼女が戦国武将だからか。大したものである。
悠斗と景虎が廊下を進んでいると、豪奢な衣装の男が行く手を塞いだ。油断のない目つきとどこか卑屈な笑み。錬金術の名門――かつてはアインツベルンに匹敵したとされるムジーク家の当主、ゴルド・ムジーク・ユグドミレニアだった。
「やはり貴様が梶田悠斗か。亜種とはいえ聖杯戦争で勝ち残り、自らのサーヴァントを受肉させたそうだが、随分と運が良かったみたいだな」
ゴルドは嘲るように言うと、鼻を鳴らした。
「我がムジーク家の錬金術は、かつてアインツベルンにも劣らぬ栄光を誇った。それに私は既に、最強のサーヴァントを召喚するための聖遺物を手に入れている。真名を口にするつもりはないが、貴様のような東洋の田舎魔術師にあれを扱えるはずもないからな」
悠斗は肩を竦める。侮辱が目的ではないらしい。嫉妬を埋め合わせるような恣意行為。かつての栄華に縋りたくなるのは、理解できなくもない話だ。
「それは結構なことだ。良いサーヴァントが来るといいな。俺がサーヴァントを召喚する事になるかどうかはわからないが、少なくとも直近はダーニックから任された仕事と研究に専念したいと思っている」
当たり障りのない返答に、ゴルドの眉がつり上がる。
「はっ。研究だと? ダーニックに認められたといっても、所詮は何代か続いただけの家の次男坊だろう。ムジークの錬金術とは格が違う。聖杯戦争が始まれば、私がこの城で栄光を掴む」
「それならなおさら、期待しているよ」
悠斗は微笑を崩さない。面白くなさそうに舌打ちしたゴルドは、今度は悠斗の隣に控える景虎に視線を向けた。
「……その女が貴様のサーヴァントか? ずいぶん気の抜けた顔をしているな。ダーニックはよほど余裕があるらしい」
殺気立った空気が一瞬流れたが、景虎は無表情のまま軽く首を傾げただけだった。「そうですか?」と淡々と答え、相手の挑発を無視する。
悠斗は内心に怒気が芽生えるのを自覚した。自らのサーヴァントを侮辱するのは見過ごせない。しかし、隣で動じない景虎の横顔を見て、頭の中が冷える。挑発に乗るのはいかにもつまらない。そう結論づけると、悠斗は一歩進み出て腰を下げた。
「貴方の武勲に期待するよ、ゴルド・ムジーク」
その一言だけを残し、悠斗は景虎を伴って歩き出す。
二人がすれ違う刹那、景虎の目が一瞬だけ鋭い光を放った。戦国の修羅場をくぐり抜けた軍神の殺意を込めた一瞥。それにゴルドはぎょっとして後ずさり、背後の壁に肩をぶつけてしまう。
背中を丸めるゴルドを尻目に、悠斗と景虎は何事もなかったかのように歩き去った。悠斗は視線を前に向けながら、心の中で苦笑いする。波風を立てないつもりが、あれほど分かりやすい挑発を受ければ苛立ちも覚える。しかし景虎の淡々とした態度と一瞬の牽制で状況は収まった。
「余計な騒ぎにならなくて良かったな」
悠斗が小声で言うと、景虎は肩を竦めた。
「主が取り乱さなかったことが何よりです。それに……あの男は自分の器を理解していない。いずれ他の戦士に思い知らされるでしょう。そういう意味で言えば、今のやりとりは彼にとって良い知見になり得る」
「いい性格をしてるな、お前」
「異なことです。主君を愚弄されて憤らない家臣はいません。今なら
「誰だよ。うさみん」
実は日本の武将は有名どころも怪しい悠斗だった。
ユグドミレニアの内部にもさまざまな思惑がうごめいている。今はまだ嵐の前の静けさだが、それぞれの思惑がどこかでぶつかり合うことを感じさせる出会いだった。