ミレニア城のある日、午後に梶田悠斗はダーニックに呼び出された。部屋に足を踏み入れた瞬間、彼の視線を射抜いたのは、かつて見たことのないほどの威圧感を纏う男だった。椅子に腰掛けたその姿は堂々としており、鷹揚な所作の奥には圧倒的な王者の気配が潜んでいた。
――ダーニックが召喚したサーヴァント、ランサーのヴラド三世。ワラキア公の名を持つ伝説の君主だった。
彼がユグドミレニアにいるからこそ、悠斗と長尾景虎はミレニア城の門をくぐることを許されている。仮に悠斗が反旗を翻したとしても、ルーマニアの大英雄という圧倒的な知名度を背負うヴラド三世がいれば鎮圧は容易い――その事実が二人の立場を確かに縛っていた。
「噂以上の存在感だな」
悠斗が率直な感想を漏らすと、ヴラド三世は苦笑を浮かべ、肩を竦めた。
「我が名は悪名と共に広まっているからな」
その声音には自嘲が滲み、誇り高い顔には「ドラキュラ」の伝説への嫌悪からくるわずかな怒りが影を落としていた。
ダーニックは悠斗と景虎を向かい合わせに座らせ、厳かに口を開いた。
「本日は我らが誇りたる御方をお引き合わせいたします。こちらはワラキアの英雄にして真の守護者、ヴラド三世公。かつてはローマ教会すらその御名に畏れおののいた偉大なる君主でございます。以後はこの御方と共に、同じ陣営の旗の下に戦っていただきたい」
あまりに畏まった物言いに、悠斗は思わずダーニックへ視線を向けた。どうやら彼はヴラド三世を主君として扱うつもりらしい。それならば自分もそれに倣うべきだろうと、悠斗は恭しく一礼し名乗った。
「梶田悠斗と申します。魔術師です」
悠斗の隣に控える景虎も静かに頭を下げる。その瞳は鷹のように鋭く、それでいて不思議な穏やかさを宿していた。
「長尾景虎と申します。他の聖杯戦争ではランサーのクラスでマスターと共に戦場を駆けました」
そう名乗ると、ヴラド三世はわずかに目を細めた。
「……聞き及んでいる。極東の地にて越後の龍と称えられた戦神だな」
悠斗は心の中で頷く。景虎――上杉謙信の異名は確かに『越後の龍』だ。彼女は戦場で無敗を誇り、越後国の民を豊かにした名君でもある。その一方で、彼女は毘沙門天の化身と崇められ、軍神と呼ばれた。そしてヴラド三世の胸にも、祖国ワラキアのために戦った英雄としての誇りが秘められている。
「公と言うからには、貴方も領地を守り民を統べたのでしょう」
景虎が口を開くと、ヴラドは頷き、自らを正当化するように言葉を継いだ。
「余は民を守るために剣を取り、法を犯す者を罰した。串刺しにした罪人の話ばかりが語られるが、我が王国は秩序を保ち、敵からも恐れられた。残虐だったのではない。無法者が自ら招いた末路だ」
「民の声を聞き、秩序を立てられたのですね」
景虎が応じた。ヴラド三世は厳かに頷き、言葉を続けた。
「だが諸君のような一騎当千の英傑がいたのであれば、或いは別の道を選べたのやもしれぬな。惜しいことだ」
景虎はその言葉を静かに受け止めた。己もまた、戦に明け暮れる中で幾度となく「別の道」を思い描いたことがある。だが、為政者である限り選べぬ道があり、軍神としての宿命に従うしかなかった。ヴラドの声音には、支配者でありながら一人の人間として抱えた葛藤がにじんでいた。
「……我が越後も戦火が絶えず、飢饉や疫病に苦しむ民を支えることが第一でした。故に私は毘沙門天を信じ、出陣の前には必ず祈りを捧げ、越後に勝利を誓ったものです」
ヴラド三世は意外そうに目を見開いた。
「神に身を捧げた身か。奇しくも我らは似ているな。余は正教徒として神に祈り、ワラキアに迫るオスマン帝国から祖国を守る盾となった。だが余の名は吸血鬼に貶められている。人々の恐怖の中で『ドラキュラ』という怪物として語られることが耐え難い」
悠斗は二人の対話を聞きながら、内心で彼らの共通点を整理していた。どちらも神仏にすがり、国家を守ることを天命と捉えている。景虎は毘沙門天の加護を受けた軍神であり、ヴラド三世は正教の守護者。両者ともに正しさを貫き、ヴラド三世は「ドラキュラ」の名を拒絶し、景虎は「越後の龍」という称号以上に民を守った義の人として生きてきた。
存外、二人の相性は悪くないのかもしれない。あるいは、為政者という立場ゆえに、無用の諍いがいかに害を生むかを互いに理解しているのだろうか。ともかく、首脳が話の通じる人物だったことに安堵する。
「二人とも、誇り高き戦人だ」とダーニックが口を挟む。
「だからこそ、私の言葉もよく聞いてほしい。来たるべき大戦では敵は時計塔の魔術師だけではない。時計塔陣営にも並みいる英雄が集うだろう。君たちの協力が不可欠だ」
ヴラドは鋭い視線でダーニックを睨んだ。
「――だからと言って、余にあの怪物の力を使えと要求するつもりはないだろうな? ダーニック」
ダーニックは肩を竦める。
「まさか。貴方が吸血鬼の逸話を嫌悪するのは承知しております。私は貴方をヴラド三世として召喚した。ワラキアを守った大英雄であり、公正な統治者。必要なのは御身の知恵と護国の槍です」
ダーニックに続くように、景虎も口を挟む。
「主君たる者、名誉と正義に殉じるべきです。そして同時に、貴方が抱く誇りに傷が付くことはあってはならない。私も毘沙門天の名の下に戦い、敵に礼を尽くすことでしょう。共に戦うなら、その志を教えて下さい」
ヴラドは景虎の真摯な眼差しに頷いた。
「分かった。我が望みは自らの名誉の回復だ。そして、ワラキアの民と同じように、我が領地を守り抜く。君が毘沙門天の加護を信じるなら、余は正教の神のもとに誓おう」
二人の間に共通の理解が生まれた瞬間、悠斗は安堵を覚えた。歴史に名を刻んだ英雄たちがこの場で誇りと信仰を語り合い、ダーニックの思惑を超えた絆が芽生えつつある。だが、悠斗は決して浮かれなかった。彼にとって最優先事項は生き延びることだ。二重スパイとしての道を選んだ時から、彼はこの世界の全てを利用する覚悟を決めている。
会話はさらに続いた。ダーニックは悠斗に結界術を用いた霊地の改修案を求め、悠斗は無表情を保ちながら合理的な回答を返す。ヴラド三世はユグドミレニア陣営の戦力と陣容について説明し、景虎は戦場の地形と兵の士気の重要性を語った。互いが軍略と統治に卓越した存在であると実感させる議論だった。
やがて面談は終わり、三人は立ち上がった。ダーニックはほくそ笑み、「共に勝利を掴もう」と語る。ヴラド三世は悠斗と景虎に対して「諸君の戦いぶりを見せて欲しい。聖杯戦争勝者の手腕に期待する」と微笑みかける。景虎は静かに頷き、「ええ、戦働きは我が誇りなれば」と応じた。
部屋を後にする途中、悠斗はふと立ち止まった。廊下の窓から外を眺めると、夕暮れの光が庭園のバラ園を赤く染めていた。ヴラド三世の故郷、ワラキアの城壁もこのような夕陽に照らされていたのだろうか、と彼は思った。景虎は彼の横顔を見つめながら、「今日の話はどうでしたか?」と尋ねる。
「面白かったよ」
悠斗は珍しく笑みを浮かべた。甲斐の虎の後継者、大怪異殺し、剣術無双、鬼の副長と錚々たる英傑と矛を交えてきたが、轡を並べるのは初めての経験だったからだ。
「二人とも国を守り、神を信じる英雄だ。常識も価値観も違うのに、不思議と通じるものがある。……だからこそ、油断はできない」
景虎は頷き、聖書の頁を一枚めくる。なぜ唐突に聖書を持ち出してきたのかと思ったら、ヴラド公の理解を深めるためだったらしい。本当に勤勉な武将である。
「そうですね。敵も味方も、己の信念を持っています。その中で、そなたはどの道を選びますか?」
悠斗はほんのわずかに目を細めた。
「俺の道は、俺が決めるさ。毘沙門天も、神も、ドラキュラも関係ない。俺は俺自身のために、生きて勝ち残る。そのためにはランサー、お前が必要だ」
「毘沙門天の化身たるこの私に、全く不敬なことです。天罰が下されても文句は言えませんよ?」
その言葉とは裏腹に景虎は微かに笑い、再び頁に目を落とした。彼女の背中には戦神の影が重なって見える。悠斗はフィルターを指で転がしながら、これから始まる大戦の嵐の気配を肌で感じていた。
ふと、悠斗は幼少期の記憶が脳裏をかすめた。五代続く梶田家の次男として生まれ、長男の影で冷遇され続けた日々。結界術の天稟を磨きながらも、家の中では「スペア」に過ぎないと扱われた。居場所を求めて時計塔に身を投じ、亜種聖杯戦争でようやく自分の価値を証明した。それでも未だに「梶田の次男」という烙印は消えない。いや、それ自体は心底どうでも良い。
だが彼にとって景虎やヴラドのように故郷を持ち、民に慕われた英雄たちはあまりに眩し過ぎる存在だった。だからこそ、彼らの誇りと信仰を利用し、己の生存に結びつける。酷く無様だが、それが彼の戦い方であり、揺るがぬ信条なのだ。