越後の軍神と気取り屋マスター   作:元ジャミトフの狗

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第十八話

 

 夢を見た。まるで古い映写機のようにぼんやりとした誰かの記憶。いや、誰の記憶かなんて、分かりきってる。随分と、久しい現象だった。ただ俺は水に流されるように、その記憶に意識を委ねる。

 

 

 異様な光景だった。

 

 二十歳は超えているであろう男が、十にも満たない女児と木刀で打ち合っている。それも驚くべき事に、優勢なのは女児の方だった。

 

 女児の剣才は男を遥かに上回っている。樫の棒を振えば的確に急所に当て、自棄になった男の一撃も容易く受け流し、返す刀でまた当てる。

 

 そうして何合か打ち合った後、男はついに木刀から手を離す。心が折れたのだ。

 

「――あははははは!! 兄上大丈夫ですか!? 軽く叩いただけなのですが!!」

 

 少女は何がおかしいのか大声で笑っていた。しかしそこに嘲りの色は見られない。どうやら本気で心配している様子だった。

 

 感情、発言、態度。その何れも致命的なまでに一致していない。だからこんなにもちぐはぐな印象を受ける。

 

「……ち、父上。それがしはもう嫌です! 虎千代の相手はしとうございませんっ!!」

 

 大の男が泣き言をいう。気持ちは分かるし同情もする。それほどまでに、虎千代は強かった。

 虎千代、長尾景虎の幼名だ。そして対面する男は長尾晴景、彼女の兄だ。となれば晴景に父と呼ばれる男は長尾為景だろう。

 

「父上!! いかがでしたか!! 虎千代の腕前は!!」

「……下がれ虎千代。貴様の顔など見とうない」

 

 褒められることを期待する少女に対し、どこまでも冷めた目つきで侮蔑する父、為景。二人の間には致命的な溝があった。人が神の仕儀を理解できぬ様に、父は実の娘が何を考えているのか、まるで見当もつかなかったのである。

 

 故に虎千代の父は、長尾為景は拒絶の言葉を聞いてなお笑い続ける実の娘を殴りつけた。泣けば良し。それは己が知る人の子の姿である。しかし、やはり景虎は笑顔を絶やさなかった。口を弧を描き、ただただ理解が及ばぬと首を傾げる。

 

 その様を見て越後の梟雄、長尾為景は決心した。

 

「お前は叩こうが殴ろうが、何をしようと笑うばかりで得体が知れん。あろうことか実の兄を打ち据えて物笑いする始末。お前は人の目をしとらん。それは妖の目だ」

「あははははは!! 虎千代は妖ではございませぬ!!」

「……こやつを寺に預けよ。二度と儂の前に姿を見せるでない」

 

 為景はそうして娘を追放したのだった。対する虎千代、後の上杉謙信は理解できなかった。何故、兄上と父上は怯えているのか。何故、自らは何も分からないのか。だから笑う他にないのだ。だって人は()()()()()()はずなのだから。

 

 

 それから月日が経ち――

 

 

「……すまぬ。景虎、わしでは越後を治められぬ。わしに、国主たる器はなかったのだ」

「何を言うのです。兄上は越後のためご尽力なさいました」

 

 背丈の大きくなった長尾景虎は、病弱な兄の言葉に答える。世辞ではない。為景亡き後、少なくとも晴景はできるだけ穏健な政策をとり、戦乱絶えぬ越後の土豪らとの融和を図っていた。ただ時代に合わなかった、それだけのことである。

 

「……景虎、そなたに家督を譲ろう」

「はい。兄上、あとはこの景虎にお任せください」

 

 長尾景虎は無類の戦巧者である。そしてその天賦の才を以て、彼女は越後における数々の反乱を鎮めた。故に家臣の中にも豪傑な武者たる景虎を次期守護代として擁立する者は多く、兄である晴景もまた自らの器を良く理解していた。となれば、この結末も分かりきっていた。

 

「兄上、もうお休みくださいませ。景虎、あとは私に任せ下がりなさい」

 

 為景とその正室の娘、景虎から見て腹違いの姉となる綾御前が告げる。景虎の()()()()()()()に憐憫の情を抱き、人の世で間違いを起こさぬよう御仏を敬い五徳を積むこと景虎に教え込んだ人物である。

 

「承知いたしました。兄上、どうかご自愛くださいませ」

 

 姉の言葉に従い景虎は部屋を後にする。その立ち振る舞いは正しく国主に相応しい武者の代物であった。そしてそのまま景虎は兄から家督を継いだ旨を家臣に宣しようとした。

 

 故に――

 

「……わしはあやつが恐ろしい」

 

 ――兄の言葉が景虎の耳に届いたのは、全くの偶然だった。或いは、人間離れした景虎のなせる業ともいえるのかもしれない。

 

「寺に入り道理を学んだと言うが、幼少の頃より何一つ変わっておらぬ」

「何をおっしゃいますか。景虎は仏に帰依し、慎み深く礼に厚い若武者となりましたよ」

「……仏に帰依しただと? あやつは人とはかくあるべしという範をなぞっているだけにすぎぬ。でなければあんな目は――」

 

 兄の声は震えていた。心底恐ろしくてたまらないといった様子で、晴景は告白する。

 

「滅多なことをおっしゃらないで下さい。兄上は疲れているのです……。さぁ、今宵はもうお休みください」

「父がおっしゃっていた通り、あれは妖の目だ。化け物の、目だ。父が、恐れていたあの目が、わしは恐ろしいのだ」

 

 兄は酷く錯乱している。どうやら未だに景虎のことが怖いのだという。

 

 しかしやはりというべきか、彼女にはその理由に心当たりがなかった。何故なら兄は目が怖いというが、己の目玉は人のものと何ら変わりはないからだ。鶏のように小さくはないし、蟲のような複眼でもない。であるのなら、己と人に如何なる違いがあるというのか。

 

「あはは……」

 

 何も分からぬ。だから笑う。人とはかくあるべし。景虎は天室光育和尚の教えに忠実に従っている。その本質も意義も分からぬが、人の法には確かに沿っている筈だ。だというのに――

 

「あははははは!!」

 

 天に向かって高らかに笑う。分からぬ、分からぬ、分からぬ。何が分からないのか分からない己の無様が面白くて面白くって、喉が裂ける勢いで慟哭した。

 

 そうして終ぞ、長尾景虎は人が何たるかを知ることは無かった。ただその超然たる生き様は死後、彼女を軍神として神の座へと奉る事となる。

 

 

 

 目が覚める。酷い目覚めだ。

 すっかりルーティンとなった周囲の索敵を行う。異常がないことを確認した後、身体を起こして胸に手を当てる。魔術回路の動作にも問題はない。ただ少しだけ、心が参っていた。

 

「おはようございます」

 

 白い装いの女性が朗らかに微笑む。

 

「……ランサー、か」

 

 彼女の笑みを見た瞬間、夢の内容がフラッシュバックする。そのせいか、随分と挙動不審な朝の挨拶となってしまった。しかし景虎にとって、そんなことはどうでも良かったらしい。

 

「――何故、そなたは泣いているのですか?」

「え……?」

 

 彼女に指摘され目元を擦ってみると、確かに水滴がついていた。心当たりはあった。

 

「夢を見た」

「ふむ、夢ですか。その様子では、あまり面白いものではなかったようですね」

「どうだろう。偉人の過去を追体験する機会なんて、そうそうないから」

「……そうですか。これで3度目ですね」

 

 夢を通じて彼女の過去を盗人の如く覗き見たのは、これで三度目。魔力パスを通じて発生する副作用。ああ、本当に悪趣味だ。

 

「面白くない夢でしたか」

「ああ。実に、実に不愉快だった」

 

 長尾景虎の正体は、人ならざる何かだ。彼女の生まれには、確かに人外の因子があった。16世紀にして神性を宿した存在――それはきっと、人間の醜いエゴが生み落としたものに違いない。

 

 だからこそ、腹立たしい。彼女に同情を寄せた者がいた。仏の教えを説き、救いを与えようとした者もいた。忠義に篤く、共に戦場を駆けた家臣もいた。神に並び立つ彼女に拮抗し得る、虎の如き武将すら現れた。だが――誰一人として、彼女に寄り添うことはなかった。

 

 酷い話だ。まるで出来の悪い映画を延々と見せられている気分になる。そして何より許せないのは、その境遇を知りながら、彼女をただの駒として扱う者がいるという事実だ。それが本当に、何よりも腹立たしい。

 

「……本当に、自分が嫌になる」

「おや。それは異なことです。なぜそうなるのです」

「人の思考と言動、行動は必ずしも一致しないということだよ」

「なるほど。最近、私にもそれが分かるようになりました」

 

 それは結構なことだ。ここ数ヶ月の生活が彼女に良い影響を与えていることを祈るばかりだ。

 

「ところでマスター。ダーニックがお呼びでしたよ。サーヴァントを召喚する打ち合わせが何だとか」

「分かった。すぐに向かおう。ただその前にランサー」

「はい?」

「おはよう。いい朝だな」

 

 朝の挨拶を忘れていたことを思い出した。

 

 景虎は一瞬、目を瞬かせた。思わず言葉を失い、胸の奥に小さな戸惑いが広がる。だが次の瞬間、その何気なさが心を満たす。まるで戦のない世界にほんの一歩足を踏み入れたような感覚に、頬が自然と緩んでいた。

 

「――ええ、本当に良い朝です」

 

 言葉を返す彼女の声には、わずかに弾むような響きがあった。

 

 

 

 

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