越後の軍神と気取り屋マスター   作:元ジャミトフの狗

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第十九話

 

 ミレニア城砦の一室に、静かな駒音が響いていた。魔術工房の奥に設えられたサロンでは、豪奢なシャンデリアが柔らかな光を落とし、アンティークのチェス盤の上を駒が移動するたび、淡い影がゆらめいた。

 

 霧が立ち込める城の外とは裏腹に、室内は不思議な静けさに包まれている。壁の棚には古い魔導書や歴史書が並び、窓の外では城壁を巡回するホムンクルスの足音がかすかに聞こえる。盤面の前にはダーニック・プレストーン・ユグドミレニアと梶田悠斗が座り、互いに次の一手を考えていた。

 

 ダーニックは髪を撫で付け、赤い瞳を伏せて白いビショップを指先でつまんだ。悠斗は黒いコートの袖を捲り、無表情で相手の動きを読み取っている。二人の間には、チェスの駒と同じく、数々の策と計算が積み重なっていた。

 

 悠斗が口を開く。

 

「サーヴァントは全員召喚した訳だが、セイバーのマスターは自らのサーヴァントに召喚直後から口をつぐませたようだ。ゴルド・ムジーク……あの男が打ち合わせを反故にしたせいで、周囲の反感を買っているらしい。それだけの価値があればいいんだが」

 

 本来なら、ユグドミレニア内部でサーヴァントの真名を共有することが申し合わせてあった。それは仲間の能力を把握し、戦力配分を調整するためだ。しかしゴルドはセイバーに沈黙を命じ、名を明かそうとしなかった。

 悠斗は、その行動の意図を理解していた。英霊の真名が露見すれば、弱点を突かれる危険がある。それでも、信頼を裏切ってまで隠す理由があるのか疑わしかった。或いは、外様たる悠斗を警戒しての行動か。

 

 ダーニックはゆっくりとビショップを動かし、ナイトを取った。盤面から駒を取り上げながら、落ち着いた口調で答える。

 

「ゴルドの浅慮は理解している。だが彼なりにユグドミレニアの勝利に貢献したいのだろう。真名の秘匿は大切だ。それに、あのセイバーは間違いなく上級の英霊だ。私が保証しよう」

 

 悠斗は眉をわずかに上げる。

 

「そうか、貴方はセイバーの真名を知っているのか。俺の知る真名は五騎。ランサー・ヴラド三世、アーチャー・ケイローン、ライダー・アストルフォ、キャスター・アヴィケブロン、バーサーカー・フランケンシュタイン。アサシンはどうなっている?」

「ジャック・ザ・リッパー。およそ百年前、英国を震え上がらせた連続殺人鬼だ」

「……それはまた。時計塔の魔術師にとっては確かに有効に働きそうだ」

「アサシンは君の故郷で召喚される手筈だ」

「霊地の問題か?」

「ご明察。かの英霊を召喚するのであれば、ロンドンで召喚するのが望ましいのだが」

「今の我々にとって英国は敵地だからな。仕方ない」

 

 英国で最も悪名高き連続殺人鬼が、英雄として顕現するとは――いや、むしろ反英雄と呼ぶべき存在だろう。そのような者をも駒として使い、勝利を目指すのだから、恐ろしい話である。

 

 思えば、英雄十四騎を互いに相争わせる聖杯大戦という仕組みへと誘導したダーニックの手腕は見事というほかない。根源への到達と一族の再興、その二つを同時に叶えるために、彼は百年もの歳月を費やした。正に執念と呼ぶべき所業であった。

 

「ところで君は我が陣営の戦力をどう思う」

 

 ダーニックは指でルークを弾き、悠斗のクイーンに迫る。

 

「ユグドミレニアの戦力は戦闘用のホムンクルス五百、ゴーレムが一千、数個の魔力炉と工房、そして七騎の英霊。正直これだけの規模で神秘を備えるのは、現代でも例を見ない。ヴラド公を中心にするのであれば、基本的にはこの城砦で防衛戦を行うのが吉だろう。だがそうだな、守ってばかりでは芸がない」

「……遊撃かね」

「ああ。そして俺はともかくとして、景虎はそういうのが大変得意だ。俺としては、セイバーとバーサーカー、景虎の三騎で暴れたいところだが」

「検討に値するな。公に伝えておこう」

「頼む。ああ、それと前に話した英霊の動きを模倣させたゴーレムの件だが、かなりのコストを要するが採算は合いそうだ。ゴーレム一騎でセイバーと二十合打ち合った」

「ほう。それは望外な成果だ。量産は可能かな」

「アヴィケブロンが言うには、あと十機は製造可能だと」

「資金と物資については気にするなとキャスターに伝えたまえ」

 

 悠斗とダーニックは淡々と会話を続けながら、盤面の角に置かれた自分のナイトをダーニックのルークにぶつけた。駒が倒れる乾いた音が、石造りの部屋に小さく響く。その音はどこか、血の滴る戦場の断末魔を思わせた。

 

「しかし良いのか、ダーニック。俺にここまでの裁量を認めて」

 

 悠斗の声は静かだが、目は盤面を離さない。駒の配置を見極めるその眼差しは、まるで敵陣を見透かす軍師のようだった。

 

「構わないとも。君と私は似ている。我々は勝利のために最善を尽くす。どんな手段を用いても。私は君のその姿勢を評価しているのだよ」

 

 ダーニックは口元に薄笑みを浮かべつつ、白い指先で駒を滑らせた。彼の仕草は優雅であると同時に、獲物を追い詰める蛇のように冷ややかだった。

 

「……過分な評価恐れ入る。しかし俺はスパイだと伝えたつもりだが」

 

 盤面を挟んだ沈黙。王の護りに潜む罠のように、互いの言葉の裏を探り合う。

 

「二重スパイだろう? 君はそれで良い。一枚岩でないのは向こうも同じだ」

 

 ルークを指先で軽く叩きながら、ダーニックは視線を上げる。その赤い瞳が悠斗を射抜いた。まるで「この一手で全てを賭けろ」とでも言うように。

 

「そうかい。で、戦力の再配置、結界の構築、ホムンクルスの運用……どこまで俺に任せるつもりだ?」

 

 悠斗は肩をすくめたが、その声に漂う硬さは隠せなかった。チェス盤上で駒が狭間を縫うように、彼の言葉もまた境界を探る。

 

「必要なことはすべてだよ」

 

 ダーニックは即答した。

 

「君は戦場において冷静な判断力を示してきた。長尾景虎殿の力は言うまでもない。君の目と耳は、我々にとって貴重な情報源となる。外様でありながら信頼を置く理由はそこにある」

 

 悠斗は静かに息を吐いた。盤面を指で撫で、次の一手を熟考する。

 

「だが俺はユグドミレニアの人間ではない。将としての指揮を執るのは貴方とヴラド三世だ。俺は力の穴を埋める補佐役に過ぎない」

「それで構わん」

 

 ダーニックは軽く頷く。

 

「戦は駒で勝つのではない。盤面を読み、駒の動きを活かす者が勝つ。セイバーの真名を公開しないことで不満が生じても、それを制御し、戦果に繋げるのが我々の役目だ」

「それだ。ゴルドはどうにも功を焦っている。真名の件はいい。だが足並みを揃えられなければ、ただでさえ個々の実力で劣る我々の勝ち筋が薄くなる」

 

 その言葉に重ねるように、隣室の扉が軋み、長い外套が揺れた。槍の如き視線を持つ男──ランサー・ヴラド三世が姿を現す。彼はダーニックの背後に立ち、静かに盤面を覗き込んだ。

 

「話は聞こえていた。ゴルドの愚行は余も知るところだが、セイバーの剣技は見事だった。真名を知らずとも、あの宝具の刃がいかに強靭かは理解できる。心配するな、梶田。いざ戦となれば、我が槍で前線を押し上げてみせる」

 

 ヴラド三世の声は低く抑えられていたが、その内に熱い信念が燃えているのが感じられた。ルーマニアの守護者たる彼は、既に城砦を己の「領地」と化している。彼がいる限り、この陣地での防衛戦は揺るがない。

 悠斗はヴラドの視線を受け止め、短く頷いた。

 

「そこは疑っていない。俺が気にしているのは、内部の綻びだ。戦力の無駄遣いを避けたい。」

 

 ダーニックは指を組み、盤面から顔を上げた。

 

「綻びは常に生じる。それを繕うのが統率者の務めだ。セイバーの真名についても、時が来れば明かす。君も焦るな。盤面を読み、次の一手を置くのだ」

 

 悠斗は笑みもなく、手元のクイーンを動かす。そして静かに呟く。

 

「──チェックメイトだ」

 

 ダーニックは驚いたように盤面を見つめ、やがて苦笑した。

 

「なるほど、見事だ。まさかこの局面で君が仕掛けてくるとは思わなかった」

 

 ヴラド三世も、かすかに口角を上げた。

 

「いい腕だ。戦場でもその読みが冴えることを期待している」

 

 チェスの勝敗がついたところで、夜空には遠雷のように低い音が轟き、城砦の結界が波打った。報復の刃が近づいている証だった。ダーニックは盤面の駒を片付けながら立ち上がり、二人に視線を向けた。

 

「各々の仕事に戻ろう。時計塔の連中も動き出す頃合いだろう。君の役目はこれからだ」

 

 悠斗は椅子から立ち、黒いコートの裾を払った。

 

「了解」

 

 ダーニックは満足げに頷く。チェス盤の上に残された白と黒の駒たちは、次の戦いの前触れのように静かに並んでいた。

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