王の間は、石の壁に沿って巨大なタペストリーが掛けられ、重い空気が漂っていた。長テーブルの奥にランサー・ヴラド三世が座し、その右手にはダーニックが立っている。
すでに黒の陣営のほとんどのマスターとサーヴァントが揃っていた。そこへ二つの影が入ってきた。桃色の髪を揺らすライダー・アストルフォと、背の高い弓使い──アーチャー・ケイローンである。
悠斗は彼らを見るなり、アストルフォが例のホムンクルス救出の際にケイローンに助力を求めたことを理解した。アストルフォの単独行動は危ういが、知者であるケイローンを頼ったのは懸命な判断だ。ケイローンはギリシャ神話でにおける教育者、ヘラクレスやアキレウスといった名だたる英雄たちの師として名高い。その上、実際に話してみても彼が人格者であることは疑いようもない。良い人選である。
ライダーとアーチャーが着席すると、アサシンとそのマスター以外の全員が揃ったことになる。ダーニックは指先で合図を送った。部屋の燭台が一斉に煌めき、正面の壁に設えられた鏡面が淡く光を帯びる。やがてミレニア城砦の外の景色がそこに浮かび上がった。
それは魔術によるスクリーンである。テレビをはじめとした文明の利器と比べればコストパフォーマンスの面で劣るが、科学技術を嫌悪する魔術師たちはどれだけ効率が悪かろうと魔術を誇りとして利用する。いや、そもそも魔術という技術体系が割の合わないものだったりするが、それは置いておくとしよう。
とはいえロード・バリュエレータのように最新のiPodでロックを聴くなどして、新しい物を積極的に受け入れる柔軟さを見せる魔術師もいないわけではない。ただその一方で、多くの魔術師は自分の体系に固執する。今回の投影装置もアヴィケブロンの飛行ゴーレムを中継点としたものであり、長距離の観測を可能にしたものだった。
スクリーンに映し出されたのは、鎧のごとき肉体を晒した大男が森を行進するという異様な光景だった。肩幅の広い背中、鉄板のような胸板。彼は森の木々をものともせず、まっすぐにミレニア城砦の方角へと歩き続けている。薄暗い森を無心に進む姿は、まるで戦場で壊れた機械のようだ。
沈黙を破るようにヴラド三世が口を開いた。
「諸君、このサーヴァントは昼夜問わず森を進行し、真っ直ぐにこのミレニア城砦に向かっている。来訪の理由は不明だが、この無謀な行動は並の理性を持つ者のものではあるまい」
一同は静まり返る。単騎で要塞に突撃するなど愚行でしかない。それを敢えてするようなクラスといえば──
「バーサーカーか」
誰かが呟いた。バーサーカーは狂化スキルによって意思疎通が困難で、常識的な戦略を採ることは少ない。フランケンシュタインのように狂化の度合いが低い場合を除けば、敵味方の区別すらつかないこともある。
ダーニックはあごに手を当てながら、「どうなさいますか? おじ様」と尋ねるフィオレに視線を向けた。
「無論、この機を逃す手はないだろう。しかしこれはチャンスでもある。この赤のバーサーカー、上手くやれば我らの手駒にできるやもしれぬ」
その言葉にヴラド三世が眉を上げる。
「具体案を聞かせてもらおうか」
「はい。我が
ダーニックは答える。彼の策は明瞭だった。まず、ライダーの宝具『
策士らしい発想だ、と悠斗は舌を巻いた。狂化によって指示を受け付けるかは疑問だが、理論的には不可能ではない。狡猾だが合理的な手である。
そしてダーニックはさらに命令を下した。
「マスター梶田悠斗、食客たる長尾景虎よ。セイバーおよびバーサーカーと共にこの赤のバーサーカーの背後に潜むサーヴァントを撃退せよ。表の敵は我々が引き受ける。貴公らは裏で暗躍する侵略者を狩れ」
名を呼ばれた者たちが無言で頷いた。唯一、ゴルド・ムジークが異を唱えた。しかし「貴方も暗い森の中で敵サーヴァントと相対するか?」と悠斗が返すと、既に赤のランサーとの戦闘を目撃していたゴルドは気勢を失った。そういう訳で、悠斗は三騎のサーヴァントを連れて森へ向かうことになった。
翌刻、彼らは城門を駆け抜け、深い森へと疾走した。月光の差さぬ樹海の中、軽やかな足音と槍の鉄片が風を切る音が響く。景虎に抱えられた悠斗は高速で移動しながら枝葉をかき分けて進む。自分の脚では追いつけない。少し屈辱を感じるが、ここは効率が最優先だ。
「揺れませんか?」
景虎が背中越しに問いかける。
「問題ない」
悠斗は視線を前方に向けた。結界は森全体に張り巡らされており、侵入者の動きはすべて感知できた。悠斗はこの森の空間を掌握している。
敵の影は三つ──巨大なバーサーカーの後ろに二つの魔力源が付き従っている。こちらの接近に勘づいたのか、二つのうち一つが大きく距離を取った。悠斗の脳裏にある推測が浮かぶ。遠距離戦闘を得意とするアーチャーか、直接戦闘を不得手とするアサシンかキャスターだろう。こちらに近づかないのは幸運である。
それに対し、もう一つの影はバーサーカーの後方に位置し、隙を見せない。真正面から挑めば地獄を見るだろう。悠斗は仲間の戦力を冷静に評価した。模擬戦を見た限りセイバーは高い耐久力を有し、バーサーカーは一撃の破壊力に優れる。景虎も瞬発力では並のサーヴァントを超える。その上で自分の役割は、戦場で臨機応変に戦力を再配置し、指示を送ることである。
走りながら、悠斗の脳裏に聖杯戦争におけるマスターの役割を再確認する。サーヴァントはマスターの存在を霊核の錨として現界しているため、両者は基本的に一蓮托生である。マスターには令呪という絶対命令権が与えられており、回数制限付きでサーヴァントに不可能を強いることができる。それはサーヴァントを自害させることすら可能な強力な権利であり、使い方次第では格上のサーヴァントを打ち破ることもできる。
さらにマスターとサーヴァントの距離が近いほど魔力パスが強固となり、魔力供給が安定する。場合によってはマスターが直接魔術を補助として使うこともあるだろう。ただしサーヴァントは基本的に魔術師を軽く凌駕する力を有するため、ほとんどのマスターは後方で待機し、必要とあらば令呪を使うというのが定石だ。
閑話休題。
森の闇が二人の視界を奪おうとする中、悠斗は視線を鋭くした。風が枝を揺らし、遠くで赤のバーサーカーの咆哮が轟いていた。やがて敵の気配が間近に迫る。覚悟を決めた悠斗は景虎の背中から跳び降り、静かに呼吸を整えた。
「もうすぐです」
景虎が囁く。セイバーとフランケンシュタインも準備を整える。鉄と魔力の匂いが混ざり合い、戦いの気配が濃くなった。
視界が開ける。そこには大層な美丈夫がいた。瞳は猛禽の如く。鍛え上げられた体躯は、恋焦がれるほど英雄に相応しい代物だった。
「
絶大な自信と莫大な闘志。ライダーでありながら、どうやら騎乗もせず戦うつもりらしい。「厄介なことだ」と悠斗は独りごちる。
「ランサー」
悠斗が呼びかけると、景虎が頷いた。
「ええ。断言しましょう。あの敵は、かの
悠斗はさらにセイバーとバーサーカーにも視線を向け、短く告げた。
「こいつは強い。油断するな。最初から全力であたれ」
悠斗の警告に両名は頷く。
亜種聖杯戦争の勝者である悠斗には理解できた。今目の前で槍を構えるライダーは、まず間違いなく大英雄に属するサーヴァントである。ともすれば、前哨戦にて黒のセイバーが戦った赤のランサーに匹敵している。
それはまずい。知名度補正を一身に受けるヴラド三世でさえ、互角に戦えたら御の字といったところ。それがニ騎いると言う事実が、何よりも不味い。
悠斗がその様に分析していると、彼の存在を認めたライダーが意外そうに目を細める。
「ほう? ウチのマスターと違って前線に出るか。良い心がけだ。戦士ではない様だが、相応の修羅場は潜っているとお見受けする」
「……どうも」
「はん。で、貴様らはセイバーとランサー、そしてバーサーカーであっているかね」
赤のライダーの問いかけに、景虎以外は頷いて肯定する。景虎は「いかにも」と声高らかに返答し、その端正な顔に歪な笑顔を貼り付けた。
「俺は赤のライダー。騎乗してないのは、たった三騎のサーヴァント相手に使うのが勿体無いからだ。どうせなら七騎揃ってなければ面白くもない」
大言壮語とはこのことを言うのであろう。ただ問題なのは、そのサーヴァントにはそれだけの力があるということ。ああ、これは骨が折れそうだ。
事実、赤のライダーの言葉を侮辱と受け取った黒のセイバーとバーサーカーは尋常ではない殺気を放つ。それが自分に向けられていないことに安堵しつつ、悠斗は準備を進める。いや、備えは既に終えていた。あとはタイミングだった。
「──来い。真の英雄、真の戦士というものをその身に刻んでやろう」
重圧。溢れんばかりの闘気が世界を支配する。英雄故に、相対する三騎のサーヴァントはその重圧を乗り越える。
だが梶田悠斗は違う。魔術師とは言え、肉体はただの人間。亜種聖杯戦争を経験していなければ、意識は刈り取られていたことだろう。
一触即発。拮抗した空気は、今にも張り裂けそうだ。戦いが始まる。その次の瞬間──
「──
さて、話を戻そう。
サーヴァント同士の戦闘におけるマスターの優位性についてだ。結論は二つ。一つは先に述べた通り、後方で待機して必要となれば令呪で自らのサーヴァントを援護する。これは定石である。
ではもう一方の結論はどうか。簡単な話だ。サーヴァントと肩を並べて戦うのであれば、サーヴァントに抗し得る宝具を所持するか、もしくは
そして梶田悠斗は後者の選択が取れる魔術師だった。
即ち、固有結界である。