越後の軍神と気取り屋マスター   作:元ジャミトフの狗

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第二十二話

 

 梶田悠斗。

 

 十代続く名門梶田家の次男坊。属性は虚、特性は結界。時計塔における階位は祭位(フェス)。結界魔術を得意とする。

 

 さて、では結界魔術とは何か。結界とは術者やその財貨を守る代物だ。土地に魔力で編んだ網を張り、術者はその内部に手を加える。地形魔術の一種と言えるだろう。

 

 利点は汎用性。効果は千差万別である。万能と言い換えても良い。ただし昨今の結界は術者の保護を目的としたものが多い。

 

 欠点は魔力を体内で循環させている者には間接的にしか通用しない、つまり攻撃性に乏しいということ。土地自体にかける魔術であるため、土地内部の人間には大した魔力干渉を起こせないのだ。川の流れが大海の流れに影響を与えられない様に、弱きは強きに屈する。自明の理だ。

 

 悠斗の操る結界魔術も例に漏れず、一つの閉じられた世界を操作する魔術だ。人払いから防護、吸引といったありとあらゆる結界を悠斗は行使することができる。ただその中でも一際異彩を放つ結界が存在する。

 

 固有結界。

 

 個と世界、空想と現実、内と外を入れ替え、現実世界を心の在り方で塗りつぶす。即ち、術者の心象風景を現実に具現化させる魔術の秘奥である。

 

「こりゃあ驚いた」

 

 赤のライダーが呟く。不敵に笑うも動揺を隠すことはできなかったのだ。

 

 それは虹の海だった。薄暗い空間の中に、七色の光が流れるのを目にする。そこに満ちているものは潮のように寄せては返す虚数の波。或いは、人が虚数という概念を観測可能とするために海という形をとっているのかもしれない。

 

 これが人間の心象風景なのか。光と波以外は何もない。ただただ、静かな空間が広がっていた。

 

 「これで俺を閉じ込めたつもりか? 黒のマスターよ。だが、その判断はあまりにも無謀だ。なぜか分かるか?」

 

 数的不利を微塵も感じさせない口ぶりで、赤のライダーが言葉を紡ぐ。

 

「なぜなら貴様らでは俺を殺すことができないからだ。ただし、たった三騎で俺に挑もうとする気概は認めてやる」

 

 不敵な笑み、傲岸不遜な言葉──何をとってもライダーは自信に満ちている。英雄とは概して強い自尊心を持つものだが、この男はその極みだ。

 

「だからこそ、やりやすい」

 

 赤のライダーは疑いようもなく英雄だ。となれば真正面から、真っ当にぶつかってくれる。で、あるのなら。

 

「俺は演算に集中する。ランサー、セイバー、バーサーカー。手筈通り頼む」

 

 悠斗の言葉に三騎のサーヴァントが頷く。

 

「さあ仕切り直しだ。かかってこい、黒のサーヴァントたちよ!」

 

 三騎は一斉に飛び出した。

 

 景虎は虹色の水面を滑るように駆け、長槍の穂先で先陣を切る。虚数の波間を蹴るたび、さざなみのような光が立ち上がり彼女の足跡を消し去った。セイバーはその後を追い、重厚な剣を引き絞るように構える。あまりにも静謐なこの海において、鋼が風を裂く音だけがひどく現実的だった。バーサーカーの咆哮が遅れて響き、雷鳴のごとき重い一撃が赤のライダーの側面を叩いた。

 

「ほう、面白い」

 

 赤のライダーは軽く身を捻り、バーサーカーの攻撃を受け流すと同時に長槍を跳ね上げる。刃が月虹を照り返し、瞬間、彼の背後に影が揺らいだ。いかにこの空間が現実の世界から切り離されていようとも、英雄の伝説は容易く屈しない。しかし虹の海は彼の走りを鈍らせた。歩を進めるたび、無限の可能性が干渉し合うかのように、潮の満ち引きが彼の足元を吸い寄せる。速度を誇る英雄の脚が虚数の波に絡め取られ、ほんのわずかだが動きが遅れる。

 

 悠斗は結界の中心で瞳を閉じ、魔術回路に意識を集中させていた。海原のうねり、虹光の流れ、敵の魔力の揺らぎ——すべてを演算し、次の瞬間に生じる波形を計算する。固有結界は心象を現実に投影する魔術。その支配者たる悠斗の精神が乱れれば、海もまた乱れる。赤のライダーの槍が一閃し、彼の固有結界に亀裂を走らせようとするたびに、悠斗は虚数の潮を操り、波を高めてそれを呑み込んだ。

 

「ちっ……!」

 

 僅かな苛立ちが赤のライダーの顔に浮かぶ。数の劣勢など意に介さない英雄も、この虚ろな海に潜む干渉には戸惑いを覚えざるを得ない。彼は再び踏み込み、槍を旋回させて三騎の連携を断とうとするが、虹の波は絡みつくように彼の足元を引き留め、ランサーの突きが肩口を掠めた。そう、()()()()()()だ。

 

「よそ見は禁物ですよ。赤のライダーよ」

 

 次にセイバーの一撃が赤のライダーの武器と火花を散らし、バーサーカーの拳が続けざまに襲いかかる。虚数の海は静かに、その攻防を映し出していた。粛然とした空間の中で、戦いの音だけが遠く反響し、まるで別の世界から聞こえてくるかのようだった。

 

「……っ!」

 

 赤のライダーは震えた。恥辱ではない。歓喜に打ち震えたのだ。この聖杯大戦で自らに傷をつける存在がいたことに、心底から安堵する。

 

 ランサー、長尾景虎は越後の軍神として神性を宿す。それは生まれに由来するものなのか、それとも超然たる生き様を見た人々の信仰によるものなのか。兎も角、この場において、ただ長尾景虎のみが赤のライダーの守護を穿ち得る。

 

 技量も十分だった。ランサーでありながら刀を始めとした八つの武具を操る様は正に軍神そのもの。ステータス上では赤のライダーの方が優位ではあるが、それを感じさせない槍捌きと足捌き、そして明らかに常軌を逸した戦術的直感力。単なる技量のみで、景虎は赤のライダーの速度と技巧に追従していた。

 

 とはいえ、それでも一対一の勝負であれば、赤のライダーに軍配が上がったことだろう。しかしここには他にも二騎のサーヴァントが存在する。頑強にして精強なセイバー、やや格で劣るものの破壊力が際立つバーサーカー。特にセイバーは景虎の攻撃が有効であると判断するや否や、自らが盾となり彼女の援護に専念し始めた。またいかなる理屈によってか、悠斗が操る虚数属性を帯びた波は、ライダーの脚に僅かな鈍りをもたらす。

 

 たがしかし。それでなお、赤のライダーは優勢だった。視界に映る全てが射程範囲の彼にとって、突進と離脱は同義。相手が数で勝ろうが、相手が有利な戦場であろうが、英雄は怯まない。

 

 ()()()()()()()

 

(何だ。この違和感は)

 

 赤のライダーにある疑問が芽生える。彼の保有する宝具、彗星走法(ドロメウス・コメーテース)はフィールド上にいかなる障害物があっても速度は鈍らないという代物だ。しかし事実として、赤のライダーは虚数の波によってほんの僅かだが動きのキレが落ちている。

 

 逆に先ほどまで鈍かった黒のバーサーカーの動きが目に見えて良くなっている。陣営で最も戦闘力が低いはずの彼女が、どういうわけかこの激戦に食らいついているのだ。

 

(何かがおかしい)

 

 思考を深める暇はない。だが考えを放棄することは、この場において致命的だと、英雄としての直感が言っている。故に思案する。

 そして気づく。魔術に精通する赤のライダーだからこそ、その答えに辿り着く。

 

「黒のマスター! 貴様か!」

 

 赤のライダーの動きが鈍っているのではない。黒のバーサーカーが急に巧くなったわけでもない。すべては梶田悠斗の固有結界〈虚数回廊〉の効果だ。

 

 虚数とは何か。魔術的には「あり得るが物質界には存在しないもの」と定義され、時間から完全に独立した概念である。一方、数学的には「実数ではない複素数」とされ、自然界や工学の現象を記述し理解するために欠かせない数だ。

 

 虚数回廊の効果は、そうした目には見えない概念を掬い上げ、掌の上で弄ぶかのように自在に操ることにある。この場では、悠斗が掘り起こしたのは赤のライダーの記憶であり、その記憶の糸で動かしたのはこの場にいる全てのサーヴァントの意識だった。

 

 彼は奪い取った記憶を材料にライダーの次の行動を予測し、その演算結果を三騎の黒のサーヴァントに伝える。そのうえで結果を確固たるものにするため、ライダーの心にほんの僅かな偏りを刻み付けた。赤のライダーの動きが鈍く見えたのは、虚数の波に触れてしまったからだ。その波が彼の記憶をさらい、ついでとばかりに意識に干渉したという寸法である。

 

「貴様が最大の脅威かっ!!」

 

 戦闘能力は言うまでもなく、戦場での頭脳も一級品。素晴らしい英雄だ。まさに一騎当千の英傑にふさわしい。誰を狙うべきかを即座に見極めたライダーは、ためらうことなく悠斗へ突撃する。音さえ追いつけないほどの速さで槍を突き出し、その動きは人の認識を超えていた。

 

 ——だが、その判断すら誘導されたものだったとしたら。記憶を抜き取られた時点で、自らの真名までも把握されていることに気づいていたなら——。

 

「隙あり」

 

 運は天に在り、手柄は足に在り。どちらも長尾景虎が有するAランクの固有スキルだ。前者は戦場にて行うあらゆる行動に有利な判定を受けるスキルで、後者のスキルは戦において日本無双と謳われた景虎の戦術的直感能力。

 

 その上で、梶田悠斗による演算結果を共有されたのであれば。例えば、アキレス腱くらいは、一太刀くらいは入れられるのではないか。

 

 彼の敗因は英雄特有の誇りと驕りだった。

 

 

 

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