越後の軍神と気取り屋マスター   作:元ジャミトフの狗

23 / 39
第二十三話

 

 赤のライダー──その真名はアキレウス──は、自らの不死身が剥ぎ取られたことをまざまざと悟った。これまであらゆる攻撃を弾き返してきた肉体は、今や神性の有無を問わず刃を受け入れてしまう。神足と讃えられた健脚も、しばらくは力を七割方失ってしまうだろう。

 

「大英雄アキレウス。これでお前の不死性は損なわれた」

 

 梶田悠斗は淡々と言い放った。額に冷や汗を滲ませながらも、その宣言はどこか厳かな響きを帯びていた。

 

「……聞かせろ。貴様の名を何という、黒のマスターよ」

「言う訳ないだろう。お前のマスターに呪われては敵わない」

「ふん、陰気なことだ。楽園(エリュシオン)でもそんな調子でいるつもりか?」

「悪いが俺は地獄(タルタロス)行きだ」

 

 言葉の応酬は思いのほか軽やかだった。だが、両者とも一切の油断はない。赤のライダーはこの状況をどう打破するか、悠斗は赤のライダーをいかに討ち倒すか、それぞれ思考を巡らせていた。

 

「ランサー」

「はい」

「これ以上は俺が死ぬ」

 

 悠斗が導き出した演算の結果は、自らの死だった。赤のライダーをここで仕留めることは不可能ではない。だが、その対価は悠斗の命である。確率にして九割五分。残りの五分は景虎の死だ。どんな状況でも、赤のライダーは悠斗か景虎の命を奪いにくる――それだけは、決して認められない。

 

「私が全力で守りに徹しても、ですか?」

「……ああ。その場合はお前が死ぬ可能性が出てくる」

「ふむ。これだけ追い詰めても、まだそれほどの力を有しているのですね」

 

 赤のライダーは必ず誰かを道連れにする。少なくとも一人、最悪の場合は全滅。ギリシャ神話最強の英雄の名は伊達ではないということか。

 

「ここらが潮時だな」

「何だ。もう終わりか? まだ戦いは始まったばかりだろう」

「赤のライダー、俺たちは最大の成果を導き出した。前哨戦で脱落するのはお前の本意でもあるまい」

「……いいだろう。気に入らないが、お前の口車に乗ってやる」

 

 赤のライダーが槍を納める。それを見て、悠斗も固有結界の展開を解いた。世界は元の暗き森へと戻る。そして同時に――

 

「――せいっ!」

 

 そんな気の抜けた声とともに、景虎が悠斗に向かいくる何かをはじいた。――矢だ。恐ろしく正確な射撃である。もし景虎が対処しなければ、危うく悠斗は絶命していたことだろう。

 

「……赤のアーチャーだな。それともアサシンか?」

「マスター、下がって」

 

 景虎が悠斗の前に立つ。敵は森の奥深くにいる。気配すら感じさせない。まるで木々と同化しているかのようだ。微かに感じるのは獣の匂いだ。

 

「……姐さんか」

 

 赤のライダーが呟き、手振りで攻撃の中止を伝える。それを見て、悠斗が意外そうに問う。

 

「いいのか?」

「ほざけ。貴様が何の手立ても用意していないはずがないだろう。貴様を見ているとトロイアのおっさんを思い出す」

「……それは、随分と過分な評価だ」

 

 悠斗は口では否定したが、事実として赤のライダーの指摘どおりだった。すでに黒のアーチャー――ケイローン――による援護の手はずは整っている。四対二。どちらが有利かは明白だ。

 

 その形勢が読めない赤のライダーではない。彼は短く指笛を鳴らす。次の瞬間、梢を震わせて上空から三頭の巨馬が現れ、戦車を曳いて森の空隙に滑り込んだ。赤のライダーはひらりと御者台に跳び乗り、陽に灼けた腕で手綱を高く掲げて高らかに叫ぶ。

 

「黒のマスターよ! この恥辱は受け入れてやる! だが――ゆめ忘れるな。貴様に敗北をもたらすのは、この俺だ!」

 

 鞭ではなく、鋭い口笛一つ。巨馬が一斉に地を蹴る。鉄輪が土を抉り、落葉が渦を巻いて舞い上がった。森の闇に車軸の軋みが吸い込まれ、鬣が風を裂く。戦車は矢のように加速し、木々の間を縫うように駆け抜けていく。

 

 景虎は追わない。森の奥からほんの微かにあった気配もまた、静かに遠ざかった。残されたのは抉られた土の双条と、樹脂の匂い、そして一拍遅れて落ちてくる葉擦れの音だけ。

 

 赤のライダーは振り返らない。巨馬の蹄音が次第に細り、やがて森の深みに溶けゆく。誇りと哄笑だけを背中に残し、彼は撤いた。次に相まみえる時こそ決着――そう告げるように。

 

「何とか、なったか」

 

 悠斗は大きく息を吐いた。大魔術の展開によって魔術回路は著しく疲弊し、何よりも脳への負荷が重かった。閉じた世界とはいえ、何万通りものシミュレーションを並列に走らせたのだ。彼の脳は焼き切れる寸前だった。

 

「お疲れ様でした。肩を貸しましょうか?」

「……ああ、悪いが頼む」

 

 景虎は肩口にそっと腕を差し入れ、悠斗の体重を受け止めた。甲冑越しの金属は冷ややかだが、支える手つきは驚くほど柔らかい。

 

「歩幅は合わせます。無理はなさらずに」

「助かる……視界が少し、揺れるな」

 

 口の中に鉄の味。耳の奥で、並列演算の残滓がまだざわついている。虚数の潮鳴りは消えたはずなのに、時折、虹色の微光が網膜の裏で瞬いた。

 

「今回は何度死にましたか」

「6512回。アキレス腱に固執しなければ、その百分の一で済んだだろう」

「藤原秀郷殿の時より桁が違いますね」

「実力そのものに大差はないと思う。ただ宝具は規格外だった。だから、よくやってくれたよ」

「複雑な気分です。どうやら私は幾度となく、そなたを守りきれなかったようですから」

 

 固有結界・虚数回廊の真骨頂は正にそこに尽きる。

 

 閉じた世界という特性を利用し、演算に基づく可能性を観測し、選び取ることを可能にする。可能性さえあれば、その計算結果を確実に現実へと収束させるのだ。

 そして彼が亜種聖杯戦争で五体満足のまま勝利し、欠陥ゆえ魔力暴走を起こした聖杯を改造し、猶予一秒もない局面で景虎の受肉という最適解を導き出せたのも、すべてこの固有結界の所産である。

 

「……すまない」

「分かりませんね。何故そなたが謝るのです?」

「いや。それは」

 

 二人が言葉を交わしていると、黒のセイバーが申し訳なさそうに歩み寄ってきた。

 

「どうしましたか、セイバー」

「……」

 

 景虎の問いかけにも、黒のセイバーは沈黙を保つ。主の命で口を開けないゆえ、こうした場面では意思疎通がひどく不便だ。

 

「――ゴルド・ムジークに呼ばれているのか?」

 

 悠斗の言葉に、黒のセイバーは静かに頷く。「なら、行くといい」と続けると、彼は一礼して霊体化し、姿を消した。ちなみに、黒のバーサーカーはすでにその場を去っている。

 

「マスター」

「何だ」

「少しお休みください。ダーニックとランサー・ヴラド三世への報告は、私がいたします」

「それは助かる。――なら、少しだけ仮眠を」

 

 そうして悠斗の意識は、静かに夢の底へ沈んでいった。景虎はしばし、その寝顔を見つめる。暗く澱んだ瞳で、じっと見つめる。

 

「……よくぞ励みました。そなたの功、値千金と申せよう」

 

 小さく吐息をこぼし、景虎は自らの外套をそっと彼の肩にかけた。冷えを払うように布の皺を整えると、己の掌に残る温度を確かめた。

 

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。