天草四郎時貞の頭が地に落ちる。
天草を殺害した黒のアサシン、ジャック・ザ・リッパーは悠斗に視線を送る。
「約束は守ってよね」
「ああ。必ず」
「そ。じゃあ、またね」
「断る。悪いがお前みたいな悪霊は安らかに眠るべきだ」
「ふふ、なにそれ。変なの」
夜霧の殺人鬼はナイフを自らの首に押し当てる。そして卓越した手捌きで見事、胴体と頭部を切断した。自害したのだ。それは契約の履行である。
アサシンと交わした契約は大まかに二点。一つは本来の彼女のマスター、六導玲霞の命を保証するということ。もう一つはサーヴァントを一騎、もしくはマスターを一名殺害した後、アサシンは即座に自害するということ。
悠斗に極めて有利な条件で契約を結ぶことができたのは、彼女の元マスターである六導の生殺与奪の権利を悠斗が握っているからだ。ロンドンの怨霊は、二度目の生を受けて良き出会いに恵まれたらしい。少なくともアサシンにとって六導は人質たり得たのだから。
今も悠斗がその気になれば、六導の体内に埋め込まれた結界を解放させることで彼女を殺すことが可能である。だがジャックが契約に従った以上、悠斗も契約に従う。彼女たちが成したことは決して許されることではないが、契約は契約。彼は短い詠唱の後、六導の結界を解除する。余談だが、六導玲霞はここ数週間の記憶を消去されている。後腐れは最小限に。それこそ契約の基本である。
黒のアサシンの消滅を確認した悠斗は、既に別の事項を思案する。天草四郎時貞とダーニック・プレストーン・ユグドミレニアについてだ。
両者には共通点がある。それは大いなる目的のために聖杯を求め、半世紀以上もの期間を準備に費やした点だ。尋常ではない執念。しかし結末はあっけないものだった。ダーニックは百年かけて築き上げた堅牢なる城を崩され、天草は勝利を目前に暗殺された。
本当にそうだろうか?
悠斗は冷静に考える。天草は死んだ。それは間違いない。では残りのサーヴァントはどうだ。カウレス曰く、赤のランサーは景虎とケイローンが抑えている。天草亡き後は魔力供給が途絶え、そのまま消滅するのがセオリーだ。少なくともあれだけの英雄が単独行動のスキルなしに長時間現界できるとは考え難い。残留した魔力で最後にひと暴れする可能性もあるが、そこはもう景虎を信じる他ないだろう。
となると目下の脅威はキャスターとセイバーだ。赤のセイバーはマスター共々この場にいない。その事実はある種の恐怖を帯びているが、今は考慮しない。存在しない敵に対して、思考のリソースを割くには2分という残り時間はあまりにも短いからだ。では赤のキャスターは?
今、凄まじい速度で筆を走らせ、何かを書いているこの男は何をしているのか。考える。そして動く。赤のキャスターは何かをしようとしている。その何かを知る必要はない。この状況で、何かができる余地があるという事実を悠斗は重視したのだ。
魔術による身体強化とかつて任務の関係で、中国で学んだ八極拳。それらが合わさることで、悠斗は接近戦において聖堂協会の代行者に匹敵する力を振るう。
対する赤のキャスターは魔術師ではない。いわば脚本家である。当然ながら武術の心得がある筈もなし。ましてや創作に夢中になっている彼に、悠斗の殺人拳に抗する手立てなど到底あり得ない。故に――
「なんて、無慈悲な。あなたは――」
赤のキャスター、シェイクスピアは胸を貫かれる。サーヴァントであるため耐久力は並の人間よりも高い。だがそれだけだ。悠斗はこの期に及んで何か言葉を紡ごうとするシェイクスピアの顎を砕き、そのまま首を圧し折る。それが致命傷になった様で、赤のキャスターは魔力の塵となり消えた。
「作家か、それに類するサーヴァントだったか。俺もつくづく運がいいな、どうにも」
もしこれが平均的なキャスターのサーヴァントだったら悠斗の命はなかった。それこそ相手がアヴィケブロンだったのなら、勝ち目がない。勇んで格闘戦に臨んだが、前提としてそもそも現代の魔術師がサーヴァントに優れる要素などない。だからこの結果は例外である。
「さて、残りは」
地上から響く轟音。どうやら赤のランサーとの決着も秒読みらしい。しかし脅威はまだ残っている。虎視眈々と勝利を狙う餓狼、否、獅子が如き魔術師とそのサーヴァントが。
「随分と早い到着だ。正直、タイミングとしてはこれ以上ないほど完璧だ」
「いや、そうでもねぇな。オタクがあの神父をやってくれなきゃあ、俺たちは最後まで蚊帳の外だった」
「良く言う」
獅子劫は見越していた。神代の猛毒に侵されようと梶田悠斗ならば全ての障害を乗り越えるだろうと。故に獅子劫は、悠斗の手札を使い切るその時を待っていた。そしてその時が来た。
「さあどうする。外典のマスターよ。令呪を使ってランサーを呼んでくれてもいいんだぜ? その前にオレが貴様を斬り伏せるが」
赤のセイバーが宣告する。事実、ハッタリではないのだろう。そう、この場にいるのが悠斗とカウレス、獅子劫と赤のセイバーだけなら。
「今だ! やれランサー!」
悠斗が吠える。彼の言葉に呼応して何者かが獅子劫に奇襲を仕掛ける。
下手人に最も早く反応したのは、やはりと言うべきか赤のセイバー、モードレッドだ。或いは彼女の持つ優れた直感がそうさせたのかもしれない。赤のセイバーは背後から現れた女性を模ったゴーレムが繰り出す斬撃を難なくいなす。そして延べ15合の剣戟を経て、ゴーレムが破壊される。
「クソが」
モードレッドは悪態をつく。悠斗の手札が残っていたからではない。彼のハッタリにまんまと乗せられた己に対する苛立ちだった。
いつの日か、悠斗がアヴィケブロンに依頼して作らせた長尾景虎の動きを学習させたゴーレム。セイバーが破壊したゴーレムは、その試作品だ。当然ながらその戦闘能力は景虎の完全な廉価品だ。二割の性能を再現できているか怪しい。しかし、相手がサーヴァントだったとしても数秒くらいの時間は稼げる。そして数秒もあれば、この場合は十分だった。
「全く。私のマスターは本当に人使いが荒いですね。ようやく赤のランサーと決着がついたと思ったら、今度はセイバーですか」
悠斗が保有する最後の令呪。かつて勝利した亜種聖杯戦争の戦利品。その一画をここで使用した。
距離を完全に無視した空間転移。限りなく魔法に近い芸当をもってして、悠斗は長尾景虎をこの場に呼び寄せた。
景虎の身なりはそれはもう酷い有様だった。甲冑は砕け、その下の袴も擦り切れ破れている。生傷絶えぬその姿から、赤のランサー・カルナとの戦いがどれほど壮絶を極めていたかを物語っている。
「悪いな、ランサー。まだ戦えるか?」
「ほほう。これはまた異なことを。私、一応これでも軍神の名で通っているんですけど」
「愚問だったか?」
「ええ。それはもう。一瞬バカにされてるのかと思ったくらいです」
「そうか、なら」
「はい。どうかもうお休みください。それ以上は死んでしまうのでしょう? それは、困ります」
既に悠斗の体は限界を迎えつつある。セミラミスの毒は彼の体を極限まで蝕み、ともすれば再び身体の凍結を行使しなければ彼の命はあと数十秒もない。
「……ああ、いつも、任せてばかりで、悪いな」
「全くです。だから次は、そうですね。平打ちの一つでも下賜しなさい。前回はネックレスでしたから」
それはどう言う意味だと問いかけるよりも先に、既に施していた魔術が悠斗を微睡へと誘う。随分と俗っぽいことを言うようになったなと、悠斗はなんとなしに思った。
完全に機能を停止させた自らの主人を見送った景虎は、赤のセイバーへと向き直る。
「……さて、お待たせしましたね」
「はん、良く言うぜ。気の抜けた会話をしながら、良くもまああれだけの殺意を放てるもんだ」
「常在戦場が戦国の習いなれば」
「……おいおい極東ってのはそんな野蛮な国なのか?
「そなたの『ぶりてん』も大概でしょう」
「違いねぇな」
軽口もほどほどに、両者は獲物を構える。互いが互いに、これが最後の戦いであることを理解していた。