ランサーからルーラーとして霊基再臨し、毘沙門天の化身としての側面を最大限に押し出された長尾景虎は、ステータス、武装、スキルの全てが強化されていた。ルーマニアにおける知名度の低さを加味しても、現時点での彼女はトップ・サーヴァントに追い縋るほどの力を有している。
問題は、すでに彼女が満身創痍の有様であるということだ。太陽神の血を引く、インド神話『マハーバーラタ』の大英雄カルナとの一戦は、彼女に多大なる消耗を強いた。だが事実として、景虎はカルナに勝利した。マスターを失った大英雄は最後に至上の宝具を発動し、そして魔力切れで消滅した。それは消極的な勝利だった。耐久に振り切った持久戦による勝ち逃げだった。
──あるいは、自らのマスターを信じた結果か。
とはいえ、共にカルナと戦ったケイローンは足を負傷し、戦闘不能の状態にある。現在、ケイローンは治療を受けているが、早急な復帰は見込めない。故に増援も見込めない。
一方、相対する敵は円卓の騎士たるモードレッド。かの叛逆の騎士と剣を交えるには、景虎のコンディションはあまりにも悪い。
だが、それでいい。
長尾景虎の人生において、前世、今世ともに不利な戦などいくらでもあった。川中島、臼井城。武田、北条。今生の亜種聖杯戦争では柳生の剣聖、そして平安最強の大怪異殺しと斬り結んだ。疲労困憊だったから負けた。そんな戯言、自らが主人と仰ぐ男に言えるものか。死力を尽くして次につなげてくれたあの男に、言えるわけがない。そんな情けない話などありえない。
それに、状況は悪いことばかりではない。
大聖杯を安置していたこの地下空間は、狭いが広い。故に大火力を擁する宝具の発動は困難だ。その一方で、槍を振るうに不足ない空間は用意されている。景虎が持つ槍の
「……ああ、そうだとも。悪いことばかり考えては、勝てるものも勝てませんから」
死闘の最中、景虎は独り言ちる。するとその次の瞬間には、剣が首筋を掠める。傷だらけの肉体に新しい傷が増えた。
痛い、苦しい、疲れた、そんな人らしい感情が芽生える。楽しい、面白い、清々しい、そんな戦鬼染みた感想が胸を高鳴らせる。なんて素晴らしいひと時。そしてなんて悍ましい生き物か。
己の在り様が嫌いで仕方がなかった。戦いに飢え、本当の意味で義を理解できない己が。理解できない概念を言われたままに振る舞う己が。ただ笑うことしかできない己が。
母も父も景虎を憎んだ。臣下も民も景虎を畏れ敬った。長尾景虎の異形を真正面から受け止めてくれたのは、生涯にたった一人だけ。
理解者など誰もいない。理解できたことも何もない。ただ言われるがままに、義を重んじる神の真似事しかしなかった。でもそんなことだから、そんな有様だから、誰にも看取られず、無様に厠で死んだのだ。
――しかし、他者と異なる価値観を持つことは、現代社会においては必ずしも排斥を肯定するに足る理由にはならない。
自由な社会では、意見の多様性は容認されるだけでなく、奨励されるのだ。誰かの意見に同意する必要はない。だが、自由な意見を述べる権利は死んでも守る。そんな世界があるのだと、景虎の主人は、梶田悠斗は言った。そして彼はそれを実践し、体現した。景虎の歪なあり方に理解を示し、他人の権利を侵害しない限りは、景虎の存在を肯定すると言った。
景虎が駆け抜けた戦国の世は、あらゆる価値観が許されるほどの余裕がなかった。ただ生きるということがとても難しくて、精一杯できることをしなければ、朝日を拝むことすら叶わない。そんな厳しい時代だった。
でもその時代の先に、こんな都合の良い世界がある。その事実を慈しむことができる程度には、人らしくなれたらしい。まったくもって、度し難い。それもこれも、全部、あの甘っちょろい気取り屋のせいだ。本当に、本当に、度し難い。
「笑ってやがる」
「ええ」
「楽しいのか?」
「もちろん」
「はん、この気狂いが」
その言葉とは裏腹に、モードレッドの口元も弧月に歪ませていた。モードレッドは生粋の暴力至上主義者だ。だから彼女は気に入らないものは殴って解決するし、気に入ったものは念入りに壊してしまう程度に凶暴だ。
戦いは嫌いではない。物事の優劣をつけるのに、これほど手っ取り早いものもない。だがそれが楽しいかと問われると、話は変わってくる。戦いの高揚とも違う。モードレッドは目の前の敵が、根本的に思考回路が違うということを感じ取っていた。それはある種、妖精に近い視点だ。
「あはっ」
景虎は笑う。楽しくて仕方がない。こんな素晴らしい戦いを、生の実感を得られる。何より、それが赦されている。楽しいと、面白いと、そう感じることを肯定してくれる存在がいる。ありのままの自分でいることが、こんなにも喜びに満ち溢れているなんて――
「思いもしなかった!!」
景虎が振るう槍捌きの冴えが鋭くなる。満身創痍とは思えないほど軽快に、まるで春を唄う少女のようにその足取りに迷いはない。
「この死にぞこないが!」
それに抗うようにモードレッドは攻勢を強める。体力も武具の質も膂力も、戦闘で重視される事象の過半数において有利なのはモードレッドだ。だというのに、戦況は互角。
なぜか。槍の間合いが広いから? 違う。 気持ちで負けている? それこそありえない。しかし何かが違う。なぜか拮抗している。
直感がなくとも状況はわかる。その異常な気配を獅子劫界離は感じ取っていた。
「セイバー!! 令呪を使うぞ!」
「応!!」
獅子劫に残された令呪は一画。一つは霊安室にセイバーを跳躍させるのに、一つは黒のバーサーカーの宝具を回避するのに。
本来、令呪をすべて使い切ることはあり得ない。もしサーヴァントが反旗を翻したとき、令呪はマスターを守る唯一の手段となる。令呪はサーヴァントに対する絶対命令権。故にそれをすべて消費することは自殺行為に等しい。
だがそれはマスターとそのサーヴァントが適切な関係を築けていない場合だ。
「令呪をもって命ずる。セイバー、眼前の敵を打ち倒せ!!」
獅子劫とモードレッドはすこぶる相性が良かった。叛逆の騎士と騎士王、どちらかに従えと問われたならば、獅子劫はモードレッドを選ぶ。それほどに強い信頼を寄せている。そしてそれは逆も然りだ。
令呪によって全ステータスを1段階上昇させ、更には直感スキルのランクも1段階向上した。故にモードレッドは未来視に匹敵するその勘の良さから、
「は、それは父上の」
心臓を貫かれる。長尾景虎が今まで使用したランサーとしての宝槍ではない。ルーラーの武装としての大槍。その先端に、モードレッドは見覚えがあった。知らないはずがない。叛逆の騎士である彼女ならば、当然知っている。
「世界の表と裏を繋ぎ止める光の柱。これはその影だそうです。またの名を――」
「なぜ、きさまが」
モードレッドは力なく問う。すでに霊核は破壊されている。当然だ。ロンの槍は彼女にとって死因そのものである。伝説によれば、騎士王アーサー・ペンドラゴンが持つその槍によって叛逆の騎士は討たれた。
伝説の再現。それはサーヴァントにとって抗えぬ運命となる。
「この聖遺物を用意したのはユグドミレニアです。我が主人、梶田悠斗がそなたの真名を突き止め、ダーニックが持てる全てを投じて
「……クソ、が。見誤った、ぜ」
すまねぇ、マスター。それが最後の言葉だった。
モードレッドが魔力の塵として霧散する。それを見送った景虎はぺたりと尻餅をつく。限界だった。これ以上はない。しかしまだ敵は残っている。
「赤のセイバーのマスターよ。そなたの戦意は?」
「……余韻に浸らせてくれないか?」
「残念ながら」
「そうかい。俺にはサーヴァントも令呪もない。悪いがこちらに戦闘を継続する余地がない。意思も、ない」
景虎の眼光が獅子劫を打ち抜く。睨まれた獅子劫は一瞬体が締め付けられるような感覚を覚えた。対する景虎は、聖杯大戦が終結したことを理解する。
獅子劫は口にくわえた煙草に火をつける。彼は一服を終えた後、景虎に問いかける。
「一つ、聞かせてくれないか」
「……なんでしょう」
「お前は戦いを楽しんでいたように見える」
「はい。否定はしません」
「そのお前がどうして、最後に
獅子劫はその言葉が全くの負け惜しみであることを自覚していた。だがロンゴミニアドさえなければ、勝利の天秤は叛逆の騎士モードレッドに傾いていたのも事実だ。
「私の悦びよりも、優先させることがあった。それだけです」
「……だろうよ。だがわからないな。なぜ最初からその槍を出さなかった?」
「そんなことをしても警戒されるだけです。正確にはあの槍を出したところで、私には己の勝ち筋が見えませんでした。そなたが令呪を使う、その時まで」
景虎の言葉を聞いた獅子劫は理解する。つまるところ――
「そうか。俺のせいか。判断を誤ったのは俺の方か」
令呪による直感スキルのブースト。それがモードレッドにあり得ざる未来を見せた。生前の死因を引き寄せてしまった。一方、令呪を使われた景虎は敗北を悟ると同時に勝機を見出した。故に切り札を出した。どちらの因果が先だったかはこの際重要ではない。ただ事実として、
「これは本当に負け惜しみなんだがな。随分とそちらに都合の良い結末だな」
「――ええ。私もそう思います」