スコットランドの荒野に、吸血鬼の亡魂は倒れていた。血と霧に塗れた廃墟の中心で、長尾景虎は刀を納め、静かに息を吐く。彼女の白い着物は返り血で汚れ、銀髪が夜風に揺れる。首元の雪の結晶ペンダントだけが、月光を浴びて無垢に輝く。戦いの昂揚が彼女の瞳に宿り、虎のような笑みが一瞬浮かぶが、すぐに聖人君子の仮面を被る。
「マスター。悪鬼を滅しました」
悠斗は、廃墟の端で魔術の残滓を確認しながら短く答える。
「ああ。任務完了だ」
彼の声はいつも通り無感情だが、内心では景虎の戦いぶりに舌を巻いていた。吸血鬼は強敵だったが、景虎の槍さばきはそれを圧倒した。彼女のバトルジャンキーとしての本性が、戦場で一層際立つ瞬間だった。
亜種聖杯戦争の勝利から数週間。悠斗が手に入れた聖杯は、模造品である以前に欠陥品だった。人の願いを叶えるどころか、魔力の暴走を抑えることすらできない粗悪な器。だが、悠斗は持ち得る魔術知識を総動員し、聖杯を改造した――結果、サーヴァントである景虎を受肉させ、400年以上前の戦国武将を肉体を持つ存在として現世に留めた。彼女はもはや霊体ではなく、血と肉を持つ「人間」としてここにいる。
二人は廃墟を後にし、霧深い森を抜けて車に戻ろうとする。だが、闇の中から複数の気配が迫る。悠斗の魔術師としての勘が、危険を告げる。
「マスター、敵です」
景虎の声は穏やかだが、すでに刀と槍を握り直している。彼女の瞳は、戦いの予感に輝く。
暗闇から現れたのは、黒ずくめの魔術師たち。時計塔の外縁に属する悪徳の徒だろうか。彼らは景虎の存在を知り、受肉したサーヴァントという「研究対象」を狙って襲撃してきた。リーダーの男が、歪んだ笑みを浮かべる。
「梶田悠斗、聖杯戦争の勝者か。だが、そのサーヴァントは我々に渡してもらう。
悠斗は無言で魔術回路を起動させ、防御結界を展開する。彼は戦闘者としての能力は二流だが、戦場での判断力は鋭い。
「景虎、やれ」
一言。それだけで、景虎の動きが爆発する。彼女の刀が月光を切り裂き、襲い来る魔術師の一人を瞬時に斬り伏せる。血飛沫が霧に溶ける。彼女の笑みは、戦場を愛する獣そのものだ。
「敵だ! 斬り殺せ! にゃー!」
彼女の声には、仏の教えも聖人君子の仮面も欠片もない。純粋な戦いの喜びだけが響く。うん、流石にはっちゃけ過ぎた。それでいいのか毘沙門天。いや、確か上杉謙信が信仰していた刀八毘沙門天は戦を司る神だったか。
魔術師たちも魔術で応戦する。炎の矢、影の触手、空間を歪める呪詛。だが、景虎の動きはそれを全て凌駕する。彼女は400年前の戦国を生き抜いた武将であり、ランサーとして聖杯戦争を制した戦鬼だ。人の心を理解できない彼女にとって、戦いは唯一の「生」の証明。敵の悲鳴も、血の匂いも、彼女にはただの背景に過ぎない。
悠斗は後方で援護し、魔術師たちの攻撃を結界で防ぎながら、景虎の動きを冷静に観察する。彼女の受肉は、彼にとっても未知の領域だ。サーヴァントが肉体を得たことで、彼女の戦闘能力は霊体時と変わらず、しかしその精神性は際立っている。人の感情を「知識」としてしか知らない彼女は、敵の恐怖や憎しみに動じない。それは魔術師にとって、恐ろしくも魅力的な研究素材だった。
戦いは数分で終わる。魔術師たちは全員倒れ、霧の中に沈む。景虎は刀を振り、血を払う。彼女の着物はさらに汚れているが、彼女自身は傷一つない。
「マスター、敵は全て滅しました。これも正しきことですか?」
彼女の問いは、やはりというべきかいつものように仏の道を準えようとする。
「何度も言わせるな。正しいかどうかは知らん。お前のおかげで俺は生き延びた。それでいい」
悠斗の答えに、景虎は小さく笑う。その笑みは、戦場の獣そのものだが、首元のペンダントが月光を反射する瞬間、ほんのわずかに人間らしい柔らかさを帯びる。
「生き延びた。マスターの言葉は簡単だ。嫌いではありませんが、どうにも浅慮では」
「ならいちいち聞いてくるな。仏だの神だの、そういうのは神学者に問うといい」
「ふむふむ。確かにそれもそうですね」
二人は車に戻り、霧の森を後にする。景虎の存在は、魔術師たちの欲望を掻き立てる。受肉したサーヴァントという奇跡は、時計塔の闇に新たな波紋を広げるだろう。だが、悠斗はそんな未来を考えるよりも、目の前の景虎を見つめる。彼女の非人間的な心に、いつか人の感情が芽生えるのか――それとも、彼女は永遠に戦いの獣として生きるのか。
車は夜の闇を切り裂き、遠くの地平へ走る。景虎は窓の外を見ながら、ペンダントを指で弄ぶ。
「マスター。次は、どんな敵を葬るのですか?」
彼女の声には、戦いを求める純粋な喜びが宿る。悠斗は短く答える。
「さあな。だが襲い来る者に慈悲はいらないだろう」
景虎の笑みが、霧の中で輝く。それは、人の心を知らぬ彼女の、唯一の「人間らしい」表情だった。