越後の軍神と気取り屋マスター   作:元ジャミトフの狗

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第七話

 

 ロンドンの裏街、霧に閉ざされた闇医者の病院。薄暗い病室は消毒液の匂いが漂い、蛍光灯の冷たい光が古びた壁を照らす。窓の外では、霧がテムズ川の流れを隠し、街の喧騒を遠ざける。梶田悠斗はベッドに横たわり、包帯に覆われた身体をわずかに動かす。殺し屋の襲撃で受けた呪詛の槍の傷は、闇医者の魔術で命を繋いだが、完治には程遠い。青白い顔に、研究肌の魔術師らしい鋭い目が宿る。

 

「マスター、動かないでください。傷が開きます。」

 

 景虎の声は丁寧だが、命令めいている。彼女はトレイからグラスを取り、悠斗の唇にそっと近づける。戦時下のように無駄のない動きだが、世話の不慣れさが滲む。悠斗は眉をひそめ、手を振る。

 

「自分で飲める。置いておけ」

「だめです。マスターは今、弱っています。私が世話をします」

 

 彼女の瞳は凍てついた湖のようだが、執着が宿る。悠斗は彼女の美貌に目を奪われ、内心でまんざらでもないと感じる。

 

「やりすぎだ。死にはしない」

 

 悠斗の声はそっけないが、口元に笑みが浮かぶ。景虎はペンダントを弄び、首を傾げる。

 

「この前の襲撃は私の失敗です。買い物なんて、そなたの護衛より優先することではなかった」

 

 彼女はリンゴを取り、卓越した手捌きでナイフで薄切りにする。そしてその一切れをフォークに刺し、悠斗の口元へ。

 

「マスター、食べてください。医者が栄養が必要と言いました」

 

 悠斗はため息をつき、仕方なく食べる。

 

「お前、戦場じゃあんなに苛烈な癖に、今日はなんだか別人みたいだ」

「いいえ。戦場も世話も同じです。マスターを守るのが私の役目でしょう」

 

 彼女の声は丁寧だが真剣そのもの。悠斗は彼女の横顔を盗み見る。聖人君子の仮面を被った戦鬼の美貌は、病室で際立つ。彼女の甲斐甲斐しさは不器用だが純粋で、悠斗の心を温める。

 

「で、こんな世話、どこで覚えたんだ?」

 

 悠斗がリンゴを噛みながら問う。景虎はペンダントを弄ぶ。

 

「本で見ました。人は病人にこうするのでしょう?」

「そうか。そういえば上杉謙信公は文化に明るい偉人だったな。普段のウォーモンガーっぷりを見てると忘れそうになる」

「失礼な話です。元より学ぶことは嫌いではありませんよ、私は」

 

 彼女の声には、知識人としての静かな誇りが滲む。越後で仏教を学び、和歌を詠み、公正な法を制定した彼女の過去は、現代のこの病室でも、彼女の行動に知的な重みを加える。悠斗は彼女の言葉に小さく笑う。

 

「知識人か。なら、俺の看病もその一環か?」

「マスターを守るためなら、どんな知識も活かします。幸いなことに現界に際して、簡単な看病の知識を聖杯から与えられました」

 

 彼女の瞳には、戦鬼の鋭さと、知性を感じさせる光が交錯する。

 

 景虎は悠斗の包帯をそっと整える。彼女の指先は、戦場での槍さばきを思わせる精密さで包帯を調整するが、その動きにはわずかなためらいがある。悠斗の傷を見つめる彼女の瞳には、戦いを求める輝きはない。代わりに、悠斗を失うかもしれない恐怖が、微かに揺れていた。彼女の知識人としての側面は、彼女に「守る」ことの重さを深く刻んでいる。だが、悠斗への執着は、知識を超えた何かだ。それは、彼女がまだ名付けられない、感情に似た波紋だった。

 

「マスター、傷の具合はどうですか? まだ痛みますか?」

「おかげさまで大分良くなった。だからそんなに世話もいらないんだが」

「だめです。マスターが完全に回復するまでは、私が見ます」

 

 彼女の声は頑なで、過保護な執着が滲む。悠斗は彼女の真剣な瞳を認めながら、話題を変える。

 

「景虎、襲ってきた連中のことを考えていた」

「お聞きしましょう」

「奴らは時計塔の外縁の魔術師だ。雇われた殺し屋って感じだったが、ただの傭兵じゃない。俺たちの動きをピンポイントで狙ってきた。裏に誰かいる」

 

 悠斗の声は冷静だが、研究者としての分析力が滲む。彼は襲撃の夜を思い出す――霧の中から現れた黒ずくめの魔術師たち、炎と呪詛の連携、悠斗を仕留めるための執拗な攻撃。あれは、単なる金目当ての襲撃ではなかった。

 景虎はペンダントを握り、静かに頷く。

 

「裏にいる者……その敵を斬ればいいのですね」

 

 彼女の声は丁寧だが、戦鬼の昂揚が滲む。悠斗は小さく笑う。

 

「斬るのはいいが、待ちの姿勢じゃまたやられる。俺が動けるようになったら、先に動く。奴らのアジトを叩く」

 

 景虎の瞳が輝く。戦場を求める彼女にとって、先制攻撃は心を昂らせる提案だ。

 

「いいですね。運は天にあり、鎧は胸にあり、手柄は足にあり。何時も敵を我が掌中に入れて合戦すべし。考えても仕方がないので、出来ることをする。賢明と言えるでしょう。では今すぐにでも行きますか?」

「おいおい、俺はまだこんな状態だぞ。せめて包帯が取れるまで待て」

「ふむ。ではマスターが弱っている間は、私がお守りしましょう」

 

 それは正しく天啓だったのだろう。自らが口にした言葉は、果たして長尾景虎の行動指針を決定づけた。

 

「ーーああ、それがいいです。マスターは安全な場所にいてください。私は敵をすべて斬ります。」

 

 彼女の声には、戦いを求める喜びが滲む。悠斗は彼女の瞳を見つめ、言う。

 

「敵を斬るのはいいが、俺を置いて突っ走るなよ。相棒だろ、俺たちは」

 

 景虎は一瞬、目を瞬かせる。「相棒」という言葉は、彼女の知識にも経験にもない響きだったからだ。

 

「相棒。それは何ですか?」

「今まで一緒に戦ってきただろう。ならそれは相棒だ」

 

 景虎はペンダントを握る。しかし悠斗の言葉に頷きもせず、また言葉を返すこともなかった。

 

 

 

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