越後の軍神と気取り屋マスター   作:元ジャミトフの狗

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第九話

 霧に沈む廃工場。

 戦いの熱が抜けた空気は、皮肉なほど澄んでいて、破壊と死の痕跡をかえって際立たせていた。床に散らばる礼装の破片は、すでに役目を失って力を失い、もはや瓦礫と見分けがつかない有様である。

 破れた窓から吹き込む冷たい風が、鉄の匂いを運ぶ。血と錆が混ざり合い、冬の夜気に溶ける。悠斗はその中で、魔力の残滓がまだ漂っていないかを確かめていた。

 背後には、返り血を浴びた長尾景虎。衣服のあちこちに赤が散り、銀の髪は戦闘でほどけ、月明かりを柔らかく反射していた。

 

「……終わったか」

 

 低く、いつも通りの声。だが、そこにはごくわずかな安堵が混じっている。

 

「はい。敵は全滅しました、マスター」

 

 景虎は刀を納めると、静かに視線を落とした。表情に起伏はないが、その瞳の奥には、まだ戦いの残光がかすかに揺れている。

 

 悠斗はふと足を止め、耳を澄ます。

 

 ――空気が、震えた。

 

 天井の破れ目から黒い羽根が舞い降りる。

 一枚、また一枚。床に触れる直前、それらは鳥の形をした小柄な使い魔だった。

 

『……ほう。噂以上だな』

 

 響いた声は、直接耳に届くものではなかった。

 使い魔を媒介に遠くから流れ込む、低く抑えられた声。冷たいが、響きに妙な重みがある。

 悠斗は眉をわずかにひそめた。この口調、この声色――聞き覚えがあった。

 

「……ダーニック・プレストーン・ユグドミレニアだな」

 

 名を口にすると、使い魔の口元がかすかに動く。人でなくとも、それが笑みを浮かべているのだと分かった。

 

『私をご存じか。なら話が早い』

 

 知識と企みの色が濃い空気。

 ダーニック・プレストーン・ユグドミレニア。

 その通り名は『八枚舌』。二級講師にして階位は『王冠』。没落した魔術師の受け皿として名高いユグドミレニアの長である。

 

『まずは労をねぎらおう。君の手際は見事だ。サーヴァントを率いているとはいえ、要塞化された拠点の構造を見抜き、なおかつ迅速に制圧する。君の結界に対する造詣は時計塔でも指折りだろう』

「……お世辞を言いに来たわけじゃないだろう」

 

 悠斗は淡々と返す。だがその内心は、相手の意図を量りながら、同時にわずかに身構えていた。

 

『率直に言おう。君を、我が陣営――ユグドミレニアに迎え入れたい。来るべき大戦のために』

 

 景虎の視線がわずかに動く。「大戦」という響きに反応したのだ。悠斗は表情を変えず、ただ沈黙をもって続きを促す。

 

『君は梶田家の次男坊。魔術回路は家系と相性が悪く、幼い頃から冷遇されていた。長男に何かあったときのための予備――それが君の立場だったのではないか?』

 

 悠斗の眼差しが僅かに細まる。否定はしない。事実だった。

 

『だが、君には結界術に関して天賦の才があった。ロード・バリュエレータがそれを見抜き、拾い上げた。もっとも、その代償として君は私兵として戦場に駆り出され、己の研鑽を制限されたまま過ごしている』

 

 ダーニックの声は淡々としているが、その実、相手の胸中を抉るための言葉を的確に選んでいた。

 

『私の下に来れば違う。自由な研究、蔵書、実験の場……そしてその受肉したサーヴァントを存分に活かせる環境を保証しよう』

 

 景虎が首を傾げ、悠斗の横顔をうかがう。

 その瞳は、戦場でしか輝かないはずの彼女にしては珍しく、わずかな興味の色を帯びていた。

 

「……悪くない条件だな」

『そうだろう?』

「とはいえ、今答えを出す気にはなれない。分かるな?」

『勿論だとも』

 

 ダーニックは薄く笑う。

 悠斗の胸中では、理屈と感情が静かにせめぎ合っていた。

 制約だらけの時計塔。しかしその場に立てているのは、ロード・バリュエレータが拾ったからだ。彼女の恩を切り捨てるほど、悠斗は利得だけで動く人間ではない。

 

『ふむ……ではこうしよう』

 

 ぱちんと指を弾く音。使い魔の瞳が赤く輝き、わずかに空気が重くなった。

 

『この使い魔に君の魔力を記録させた。決断の時が来たら、魔力を流し込むだけで私に届く。それでは、梶田悠斗。君の返事を楽しみにさせてもらおうではないか』

 

 次の瞬間、使い魔の輪郭が歪み、黒い羽根となって舞い散り、霧の中に消えた。

 再び訪れる静寂。瓦礫を踏む景虎の足音だけが響く。

 

「マスター」

「……すまない。少し、一人にさせてくれ」

 

 景虎はしばしその横顔を見つめ、やがて静かに頷いた。彼女には彼の忠義や恩義の重さなどわからない。ただ、その短い言葉に、なぜか切り捨てられない何かが含まれていることだけは、肌で感じ取れた気がした。

 

 

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