あれから、俺はクランバトル倶楽部の運営を一時的にブラックキャット先生へと任せブラックマーケットから離れていた。
休めと言った本人が、こうして俺が離れる間を任せられると思っていなかったのか最初は困惑していたが、納得してくれた。
ケイには説明できずホルスとレイサ、ミユにハウンズやクランバトル倶楽部のみんなには一時的なドクターストップで少しの間、クランバトル倶楽部での仕事に関わらないこと。
そしてゲヘナにいる温泉開発部が手掛けたという旅館らしき建物に一時的に暫くは宿泊することを伝えてきた。
ブラックキャット先生曰く、クランバトル倶楽部のことやらなんやらを完全に忘れて過ごした方が良いとのことで、レイサやケイ達は一緒に来ていない。
こうして、ブラックマーケットから離れゲヘナへと来た訳だが正直にいえば道は不安だしあの日のように不良に絡まれないか不安だ。
歩き出して暫く、左側の腕に軽い衝撃があった。
反射的に足を止め、遅れてから顔を上げる。
取りあえず丁寧に対応すれば、即座に銃で撃たれるなんて事はない筈だ。
幸い、相手の声色からして激しく激昂している様子はないし。
「……あ」
視界の左側が曖昧なまま、右目で相手を捉え直す。
小柄な少女だ、一瞬脳裏に浮かんだのはイブキの姿だった。
だが髪型も、持つ雰囲気も立ち姿も、決定的に違った。
見覚えのある特徴的なそのふわふわとした長い髪と頭に着けられた帽子。
「前を見ていませんでした、その……すみません」
そう言いながら軽く頭を下げた彼女は、ゲヘナ学園のパンデモニウム・ソサエティーに所属している生徒、棗イロハだった。
「……こ、こちらこそぶつかってしまい申し訳ない。こちらが……」
前が見えてなかったばかりに、そう言いかけて、言葉を切る。
こんなことをは初対面の人間に話すような内容じゃない。
何故、彼女がここに……いやここはゲヘナ。ならこうして彼女が歩いていても違和感はない。
この状況をどう乗り越えるか、どうふれば怪しまれない方法は、シャーレの先生へと話が伝わらない方法は………。
彼女は、ほんの一瞬だけ目を細めた。
怒りでも心配でもない、ただ確認するための視線。
気だるげに垂れた瞼の奥から、こちらを値踏みするような目が向けられる。
その視線が、俺の顔ではなく左目と、歩幅にだけ落ちたのが分かった。
俺は、動けなかった。
よく、見られて身動きが出来ないことを、まるで蛇に睨まれた蛙と表現することがある。
でも、いまの状況を言い表すのならまるで深淵を覗き、逆に深淵にこちらが観られているような不思議な感覚だった。
どうにか彼女から離れなければ、そう思っていた時だ。
「……怪我をしていますね」
彼女はめんどくさそうな眼を一瞬だが浮かべ、そう口を開いた。
まるで俺が怪我しているのを知っているかのように。流石の観察能力だ。
パンデモニウム・ソサエティーの議長であるマコトがシャーレの先生を篭絡するために送り込むのも納得だった。
「左目、歩幅と視線のズレが不自然ですね。あまり、見えていないのですか?」
言い当てられて、言葉に詰まる。
注意というより、事実を述べている感じだった。改めて思えば、どうして俺は到着するまでの間だけでも護衛を頼まなかったのだろうか。
本当に、Alternative Protocolを使ってあの状況を乗り越えてから、何処か自分の抜けている所が多いような気がする。
「はぁ……めんどくさいですね」
全く、こんなんじゃ俺はシャーレの先生に勝てないのも納得だ、こんな俺がみんなを背負うことなんて──。
「目的地はどこですか?」
「え?」
棗イロハの一言に先程までの思考が吹き飛んでしまう。
目的地、そんなのを聞いて何を……?
「この辺りは不良も多いです、見たところ銃すら所持していませんし視界不良と……事故率が高すぎます。はぁ……ぶつかってしまった失礼もありますし、貴方を目的地までお送りします」
「いえ、そこまでして貰う訳には……」
「では私が離れて、不良にカツアゲされて抵抗できますか?」
「それは……」
「無理ならば、いまここにいる貴方を送ると善意で話している私を利用した方が楽だと思いますが」
「ゲヘナにある、温泉開発部が管理している宿と聞いている。場所はここ、らしい」
そう言いながら、鬼怒川カスミの教えてきた場所を移したスマホを見せる。すると彼女は、何を考えているのか分からない、感情の感じられない言葉で口を開いた。
「……私も、そちら方面に用があります」
ニヤリとも感じられる笑みでそう話す彼女の言葉、本当に行き先が同じなのか、分からない。
ただ彼女がいつものようにサボるための理由が出来たと思っていると考えたいな。
「そう、なのか」
「えぇ、そうです」
名も、所属も、聞かれなかった。
少女は自然と、俺の左側に立つ。
まるで最初から決めていたかのように、その動きは計算か、無意識かは分からない。
長すぎるコートの裾が揺れ、だらしなく緩んだネクタイが揺れる。
だが、その立ち位置だけは異様なほど正確だった。
「段差があったら言います……めんどくさいですけど」
だが、その位置は確実に、俺の死角を補うように塞いでいた。
「行きましょう」
それだけ言って、彼女は歩き出した。
そんな彼女の後ろを歩く、何度も不良やスケバンといった生徒とすれ違うが、誰も俺に対して絡んでくる奴はいなった。
それどころか俺を見て頭を下げたりする、不思議に思いながら歩いていた時だった。
「え!会長じゃん!?なんでここにいるんすか?」
紙袋を幾つか抱えた不良生徒が声をかけてきた。
「ウチ、クランバトル倶楽部で『グランド☆ローラー』ってチームで参加させてもらった丸藤 カナっす!」
「あ、あぁ……あの時の」
「前に多く稼がせて貰ったんで、これ差し入れっす!」
そう言って、紙袋を差し出してくる。
「いいのか?貰っても」
「いいんすよいいんすよ、大したもんじゃないっすけど。怪我してるって噂、聞いたんで」
中身は、栄養ゼリーと安価なエナジードリンク。
実用一点張りの内容だった。
「今度は助けられたウチが助ける番!なんちって、それじゃ!今度また行くんで、ウチらに
かけて下さいよ!」
「悪いが、俺は賭けない。応援はするがな」
「うっす!」
右手で紙袋を抱える、そこまで重くはないし着くまでなら大丈夫だろう。
そう思いながら一歩を踏み出したときだった。
「いた、本当だったんだ……」
「マジでいたんだ……!」
ゲヘナにいるには、違和感を感じるトリニティ制服の少女とマスクを着けていないスケバンの子が並んで走ってきた。
記憶が追いつく前に、片方が紙袋を突き出してきた。
「カイッチョ!これ受け取って!」
「会長さんだよ……その、勝っていつもより多く稼げたので、お礼を……」
中身はカップ麺と菓子パン。
恐らくは彼女たちにとって、高いもの。
最大限の差し入れだと、即座に理解できた。
「貰っていいのか?」
「大丈夫!私達の最高のバディなら次も勝てるから大丈夫!」
「その、貰って下さい……私たちが出会えたきっかけも、会長さんのおかげだから」
「そうか………悪いな、二人とも。ありがたく貰うよ」
そう言いながら二人の差し出した袋を左手で受け取る。すると、二人は満足そうに笑いながらまた行きますからとトリニティ制服の子が走っていき、スケバンの子が慌てて彼女の背を追いかけていった。
そういえば、あの二人……確かワンワンズはかなり空間把握能力に長けたバディだったな。
お互いの体を台にしてジャンプしたり乗り越えたり、壁を蹴るなど立体的な動きをしながら相手を撃つのが特徴的な戦い方だった。
そんなことを思い出しながら、イロハの方を見れば何処か驚いたような表情を浮かべていた。
だが、直ぐに俺が持っている紙袋の片方……左手で抱えていた方に触れると、紙袋をオレの左手から自分の腕へと移した。
「そちらが見えないのに、そちらで持ってどうするんですか」
何処か呆れたような様子でそう話すイロハに、謝罪の言葉を口にしながら目的の場所へも歩く。
それからもさまざまなスケバンや不良の生徒から差し入れを貰った。
どうやら、俺は少しは彼女達の居場所を作ることが出来ていたらしい。
………ちなみにあれから差し入れが多く渡されイロハと俺が抱えて持つ事になり、イロハはめんどくさそうな顔を隠すことがなくなったのは別の話だ。
そうして、温泉開発部の指定する場所へ着くと向かってくるのが見えていたのか宿らしき建物から鬼怒川カスミが出てきた。
「はーはっはっは!よく来たな会長殿!ってえぇぇぇぇぇぇぇええ!!?な、何故パンデモニウム・ソサエティーの戦車長がここに!?」
ようこそと両手を広げるカスミだが、俺のとなりにいるイロハへと視線が向かい、驚き焦った様子の声をあげた。
「色々あってな、送ってもらったんだ。悪いが早速部屋へ案内して貰っても良いか?これらの荷物を置きたくてな」
「あ、あぁ……今、案内させよう会長殿」
カスミが背後の宿へ声をかけると、中から下倉メグが走って駆け寄ってきた。
「アハハ!久しぶりだね会長さん!ようこそ温泉へ!早速温泉にいっちゃう?」
「メグ、まずは会長殿を部屋へ案内してくれ。あとここの案内は荷物を置いた後だ。」
「わかったよ部長!」
そう言いながらじゃあ荷物を貰うね!と俺とイロハが持つ紙袋を持つメグ。
「はぁ……お二人とも、その人はいま左目がほぼ見えていないようなのでそこら辺も気をつけて案内して下さいね」
「うぇぇぇええー!?嘘だろ会長殿?!以前にあった時からこの短期間で一体何があったというんだ!?」
「その、大丈夫会長さん?温泉入る?」
「あー、まぁそうだな。あと目は今は見えてないだけだからな。暫くは休めば回復していく、らしい。ドクターストップをくらってな、ここで暫くは休ませて貰う予定だ」
「ドクターストップによる静養に……温泉!!しかも百鬼夜行や他の温泉施設を置いて私達、温泉開発部に連絡してくれるとはな!!その信頼に、是非とも温泉開発部は答えなければならないな!!メグ!早速案内を!」
そう言うと下倉メグが俺の左手を引き、温泉宿へと導いていった。
メグが会長殿の宿へ連れていったのを確認しカスミは、改めてクランバトル倶楽部会長と共に来た彼女へと目を向ける。
パンデモニウムソサエティー、その戦車長を任されている少女……棗イロハ。
何故、彼女が会長殿に?
パンデモニウムソサエティーの議長、羽沼マコトがクランバトル倶楽部に対して何らかを企んでいる?
「改めて、何故パンデモニウムソサエティーの戦車長がこちらへ?」
「何故って、温泉が目的ですよ。それ以外にここに来る理由はありますか?」
「そ、そうか……」
嘘をついているとは思えないハッキリとした物言いに、カスミは取りあえずその言葉を……温泉に入るという言葉を信じることにした。
「なら、私たちが振り当て整備した温泉を存分に楽しんでいってくれ!温泉開発において私たちの右に出る物はいないからな!はーはっはっは!ちなみに、対価として少し風紀委員の動きを押さえて頂くと言うのは」
「無理ですね、知っての通りマコト議長は風紀委員長を敵視していますから」
「はーはっはっは………デスヨネー」
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