なりそこないと、壊れた生徒   作:クレナイハルハ

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あなたのなかに、わたしはいますか?

 

花壇に沢山の花が咲いていた。

 

人々は皆、花壇に咲く手入れされた大きな花を愛でる。

 

綺麗だと、美しいと。

 

そんな花壇の近くにある小さな木陰に、小さな花が咲いていた。

 

誰もが大きな花に目を奪われる。

 

誰もが整えられた、花壇の花に注目する。

 

だからこそ、目を向けない。

 

そこにあることすら気付かない。

 

人々は木陰に咲いた小さな花の存在を知らない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

トリニティ総合学園の廊下の端を、黒い制服を着た正義実現委員会の少女が俯きながら歩いていた。

私だ。

今年、正義実現委員会に入った一年生。

だけど──私はあまり役に立てていない。

同期の一年生たちは、もう立派に任務をこなしている。

それに比べて私は、失敗ばかりで。

気付けば、いつも廊下の端を歩いていた。

みんながキラキラと自信に満ちているのに、私だけが違うみたいで。

廊下の曲がり角を曲がったときだった。

 

少し先に、人影が見える。

 

「――お疲れ様っす、先生」

 

仲正イチカ先輩の声。

そして、その隣に立っているのは白い制服を着た大人。

シャーレの先生。

慌てて私は来た道を戻り、曲がり角からそっと顔を出す。

二人に見つからないように、こっそりと。

シャーレの先生、あの人はとても頼りになる大人。

どんな問題も解決してしまうし、みんなが困ったとき、必ず現れて必ず助けてくれる人。

 

そんな人を、私は好きだった。

 

そのきっかけになった出来事を、私は今でも覚えている。

先生にとっては当たり前で、覚えていないかもしれない。

あれは私が雑用で重い荷物が入った箱を運んでいた時だ。

廊下を歩いていた私は突如として吹いた風と共に飛んできた虫に驚いて身を引いた。

瞬間、落とさないようギュッと抱き締めた箱の重みが身体にかかる。

私の身体が仰向けに倒れていく瞬間、衝撃と来るであろう痛みへの恐怖から目を瞑った。

目を瞑って少ししたが、やってこない身体への衝撃と痛みに疑問を感じて目を開く。

 

「"大丈夫?"」

 

目の前に映る優しそうな顔、シャーレの先生が私の身体を支えてくれていたのだと、そのとき初めて気付いた。

 

「せ、先生?」

 

「"怪我はない?転びそうになってたから急いで支えたんだけど"」

 

「あ、ありがとうございます。大丈夫でした、私なんかのためにありがとうございました!」

 

「"困ってる生徒を助けるのが、先生の……大人の役目だからね。じゃあね"」

 

そう言って微笑み手を振りながら去っていく先生に私も手を振って見送った。

あのときの胸がドキドキする感じは、忘れられない。

先生の事を考えるだけで、胸が苦しくて顔が熱くて……助けてもらったときの事を思い出すだけで幸せになれる。

私にとっては一生の思い出と言えるような、そんな出来事だった。

あの人を少しでも支えられるように、なりたい。

そんな思いから努力した、努力して努力して努力した。

 

でも──。

 

「"ハスミにツルギいつもお疲れ様、差し入れ持ってきたから良ければ食べてね"」

 

「ありがとうございます、先生。ではさっそく1つ」

 

「ハスミ、一昨日の分も含めたらかなりカロリーを摂取している。また太るぞ」

 

先生は、いつも私ではなくて──。

 

「先生!今日はみんなでDU地区のモモフレンズグッズを見に行くんですけど、一緒にどうですか?」

 

「先生が一緒ならコハルもハナコも喜ぶ」

 

「"ふふ、ご一緒しても良いなら"」

 

先生は忙しい人だからと自分を納得させて、がんばる。正義実現委員会として、みんなのために頑張る。

 

「先生、今日は私達とスイーツ巡りに行く約束だよね?」

 

「ふふふ、先生ともスイーツが持つロマンについて語り合う時が来たようだ。待ち望んでいたよ」

 

今日も、先生は私をみてくれない。

 

「先生!ナギちゃんが呼んでるよ!一緒に行こー!」

 

「"ミカ、その少し距離が近くないかな!?"」

 

ティーパーティーに呼ばれたという先生を案内するという理由で久しぶりに先生と一緒にいられた。

でもミカ様が後の案内は行うとのことで、私は元の持ち場へと戻された。

ティーパーティーとのお話が終わったのか、少し疲れた様子の先生と帰り道にすれ違った。

 

先生は、私を見ていなかった。

 

……どうして?私だって、ここにいるのに。

 

先生の周りには、いつも周りから浮いてしまう程に強い個性を持つ、誰かがいる。

正義実現委員会の委員長ツルギ先輩に、副委員長であるハスミ先輩。

ティーパーティーのミカ様。

放課後スイーツ部に補習授業部のみんな、みんな、強くて。

みんな、私と比べて見た目に沢山の違いがあって、個性があって、みんな──特別だ。

 

それに比べて、私は何もない。

 

ツルギ委員長のような強さも。

 

ハスミ先輩のような女性として理想とも言えるようなスタイルも。

 

ミカ様のような可愛さも。

 

そして先生と良く一緒にいることが多い生徒達のような目立った髪色も。

 

着崩す、もしくは自分らしくした制服も。

 

翼も、獣耳も、長い耳も。

 

尻尾も、目立った趣味もない。

 

ふと、私は思い出す。

 

先生が楽しそうに話している人達のことを。

 

ツルギ先輩は、誰よりも強くて少し怖いけど、優しい。

ハスミ先輩は、厳しくて完璧で、どこか近寄り難いほど綺麗だ。

ミカ様は、誰よりも自由で、誰よりも人の視線を集める。

補習授業部のみんなだってそうだ。

好きなものがあって、やりたいことがあって、

みんな、それぞれの色を持っている。

私は、気付いた。

先生が楽しそうに話しているのは、偶然同じ人達じゃない。

先生が見ているのは、強い人でも、偉い人でもなくて特出して《個》を持っている人達なんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

正義実現委員会での仕事があり、遅くまで残ってしまっていた私は学園を出ていつもより暗く、静かな雰囲気の帰路をトボトボと帰っていた。

私の心は、正義実現委員会での活動による疲労のせいか弱くなっていた。

ずっと、暗い感情が身体を支配する。

足元を見て歩いていた私は、ふと整備された通学路の端に目を向けた。

整備されたアスファルトから外れた場所に植えられた木、その下に生えた小さな花を。

どうしてか分からない、身体がフラフラとそんな花の近くへと向かっていった。

花の近くでしゃがみ、咲いた花を見つめる。

トリニティ総合学園を探せば、きっと花壇や花瓶に生けられた沢山の花も綺麗な花畑と見える。

でも私は何故かそんな花よりも、この木陰に咲いた小さな一輪の花に近い何かを感じていた。

私もこの花のように、誰にも……見向きもされないような存在だ。

 

私が気付くまで、私が気付かないときっと誰にも見られなかった花。

 

この子のように、私は先生に見て貰えるような物を、《個》を何も持っていない。

 

「どうすれば、先生に私を見て貰えるのかな…」

 

小さな一輪の花に触れながら、そんな言葉が私の口から漏れていた。

 

その時だった。

 

「───先生は、大きな花に目を向ける。」

 

不意に、背後から声がした。

静かな夜道のはずなのに、いつからそこにいたのか分からない。

 

「え……?」

 

振り向くと、街灯の影の中に一人の人物が立っていた。

黒いスーツを着ている、先生のような大人に見えるその存在は、どこか、現実から浮いているような佇まいをしていた。

その人物は、此方へと向かって歩いてくる、その異形の容姿に気付けば私は片手で銃の持ち手を掴んでいた。

例えるなら、チューリップだろうか。少し萎れたようなチューリップのような頭で目が何処にあるのかも分からないそんな異形の姿。

ソイツは私の目の前でしゃがみ、木陰に咲く小さな花へと視線を落としながら、ゆっくりと続けた。

 

「人は花を愛でる」

 

ソイツは小さな一輪の花に軽く振れる、折らないように傷つけないように優しく、丁寧に。

 

「手入れされた花壇の花、色鮮やかな花に人の目を引く花………だが、それは()()()()()だけだ」

 

その所作から、植物に対しての優しさが伝わってくるような気がした。

 

「このような小さな花に視線を向ける人は、少ない。レディ、君はどうしてこの花を見た?」

 

「え?」

 

「何故、君はこの花を見つけることが出来た?何故、この花を愛でることを選んだ?」

 

あれ、考えてみれば私はどうしてこの花を見ていたんだろう?

たまたま目に留まったから?それなら花が咲いていると感じて、きっと通りすぎる筈なのにどうして?

 

「単純に目に留まったならばそこまで、だが見つけこうして近くへと歩みより、この小さな花を愛でるのは何故だ?」

 

小さな花、そして対するように思い出したトリニティ総合学園に咲いていた花壇の花を思い出す。

 

「私に、似てる気がして……」

 

「ほう?」

 

気付けば私は、そう言葉を紡いでいた。

 

「自分がこの花みたいだって、花壇の花は先生がいつも話している個を持っている先輩達やクラスメイトみたいに感じて私は……」

 

紡がれた言葉に、私は納得した。

そうだ、私はこの花に自分を重ねていたんだ。 誰にも見向きもされない花が可哀想だという、自分勝手なエゴで私はこの花に寄り添った。

 

「自分を花に例えるとは………興味深い」

 

そう口にすると、ソイツは顔?をあげ恐らくは私をじっと見つめてくる。

 

「花壇の花は美しい。色も形も整えられ、人の視線を集める。」

 

そして、再び足元に咲いている小さな花を見る。

 

「だがこの花にはそれがない、目立つ色もなく誰かに育てられているわけでもない。」

 

少しだけ間が空く。

 

「それでも、君はこの花を見つけた。愛でることを選んだ。」

 

その異形の頭が、ゆっくり傾く。

 

「実に、興味深いな。君は………“個”を見つけたわけだ」

 

不思議だ、どうして先程まで握っていた筈の銃の持ち手から手が離れている。

警戒から、困惑へと認識が変わっていた。

 

「レディ、君は先程言っていたね。どうすれば"シャーレの先生"に自分を見て貰えるのかと」

 

胸がドキっと大きな音を立てる。

 

「どうして…」

 

あんなにも離れていたのに、聞こえていた?呟くような小さな声だった筈なのに?

 

「安心するといい。それは、とても自然な欲求だ。」

 

ソイツは立ち上がる、街灯の光がソイツの歪んだ頭を照らした。

 

「人は誰しも、“個”を持つ。だが──持たない者もいる。いや正確にはそれを他者に認識されるとは限らない。」

 

私はソイツの言葉に息を飲む。

まるで、私の胸の奥をそのまま言い当てられたようだった。

個を持つもの、その言葉に最近気付いた一連の事が浮かぶ。

 

「多くの者は、そのまま埋もれていく。花壇の花に隠れ、誰にも気付かれないまま。」

 

個を持つ、先生と良く一緒に行動していて……先生に声を掛けられるような学園の人達を。

個を持たない、先生に見て貰えない私を。

 

「だが───」

 

ソイツの紡ぐ声は月の光のように優しいのに。

 

「安心するといい……“個”は、作ることもできる」

 

どこか夜風のように冷たく感じた。

 

「先生は大きな花へ目を向け、君という小さな花に対し見向きもしない。さて……君は小さな花のままで、いいのか」

 

「わたしは……」

 

私は、いまの自分が嫌いだ。

個を持たない、先生に目を向けて貰えない、個を持たない自分が嫌いだ。

 

「誰にも知られず、先生にも気付かれない小さな花のままで……君はいいのかい?」

 

嫌だ……嫌だ嫌だ嫌だ!

もっと、もっと先生に私を見て欲しい。

先生とお話ししたい、個に溢れたあの人達と同じように、私も先生と───。

 

「もし君が望むならば───」

 

一陣の風が吹き、私の長い黒髪が揺れる。

 

「君を、()()()()()()()()にしてあげよう」

 

私が、誰よりも目立つ花に?

 

なれるの?

 

個を持たない私でも?

 

「わた、しは……」

 

震える声が、自分でもはっきりと聞こえた。

 

「これは提案であり、契約への誘いだレディ。契約するならば、私は君に与えよう。誰からも目を向けられるであろう、圧倒的な"個"を」

 

ソイツは静かに、続けた。

 

「そして私は、それを観測しよう。君という存在が、“個”を得る瞬間を」

 

私は、手を伸ばした。

もう、引き返せない気がした。

でも、それでも私は手を伸ばしてしまった。

欲しかった、圧倒的な"個"が。

 

その人が差し出した手を取っていた。

 

私は、この人に圧倒的な個を与えて貰うことを選んだ。

月の光が、ゆっくりと雲に遮られていく。雲に月が覆われるそんな瞬間、ソイツは口を開いた。

 

「私はゲマトリアに所属する者で名はインディヴィドゥム。《個》を観測する者だ。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ゲマトリアのインディヴィドゥム。

そう名乗ったあの人に私は連れられ、ある地下施設へとやって来た。

キヴォトスの端っこにある寂れた病院の地下に、そこはあった。

インディヴィドゥムさんの拠点らしきここで、私はあの人に個を与えて貰うための手術をする事になった。

トリニティの制服から簡素なワンピース姿となった私は手術台のような物に乗せられた。

 

インディヴィドゥムさんはタブレットを操作すると、私へと見せてきた。

モニターに、私の身体のデータらしき物が表示されているがミレニアムの生徒のように科学に詳しくない私にはよく分からなかった。

 

「レディ、君はこれから普通の生徒ではなくなり"個"を持つ()()()()()になる」

 

「特別な、存在」

 

その言葉に、胸が高鳴るのを感じた。

 

「君を唯一の存在にするために、何度もこうして手術を行う。何、麻酔をかける。目が覚めたとき君は生まれ変わる」

 

インディヴィドゥムさんが注射針を片手に近付き、何故か先程記入した契約書を挟んだバインダーを私へと向ける。

 

「繰り返すが、一度手術を始めたならば止めることは出来ない長期的な物だ。レディ、本当に良いのか」

 

「お願い、します」

 

「……そうか、では眠れ」

 

そう言いながらインディヴィドゥムさんはバインダーをしまうと、私の腕に注射針を刺す。

チクリと身体に走る痛み、正義実現委員会として活動する中でも銃弾があたる痛みと比べると弱いものだ。

でも、怖かった。

痛みはある、怖さもある。

 

それでも……先生が見てくれるなら、それだけでよかった。

 

注射した麻酔?は凄く良い薬なのか、即座に目蓋が重くなり始める。

 

「さて……様々な神秘を混ぜ合わせた生徒は、どのような存在となるのか。」

 

インディヴィドゥムさんの言葉は、私の耳に届くことなく意識が暗闇へと落ちていった。

 

「観測するのが楽しみだ」

 

その後目を覚ました私に、変化は何もなかった。

困惑する私へ、インディヴィドゥムさんは言った。

 

「手術は長期に亘って行われる、変化はまだ先だ。まずはゆっくりと君の身体を新たな個に適応する形へと改良していく。レディ、焦ることも心配する必要もない、契約は必ず守るとも」

 

最初の手術は、三時間だった。

 

二度目は、七時間。

 

三度目は──。

 

その頃には、もう時間の感覚が曖昧になっていた。

地下で生活する私は、やがて昼と夜の違いも分からなくなっていった。

 

何度も手術台に乗せられ、薬を打たれる。

 

意識が遠のく、暫くして目を覚ます。

 

その繰り返し。

 

ある日、いつものように手術を終えると身体に変な感覚があった。

なんだろう、耳が前より聞こえやすい?

 

遠くの機械音、天井の換気装置の振動。

インディヴィドゥムさんがタブレットを操作する微かな音。

今まで聞こえなかった音まで、はっきりと聞こえる。

 

「レディ」

 

インディヴィドゥムさんが、手術後の私に向けて手鏡を渡してきた。

不思議に思いながらも、鏡で自分の顔を観た時私は目を見開いた。

 

「あっ」

 

いつも観ていた私の両耳が消えていた、代わりにあったのは横に延びた耳。テレビで観る連邦生徒会の首席行政官や財務室長のような耳を生やした私が、そこにいた。

恐る恐る、耳は触れてみる。

前のときのように耳に振れる私の指の感覚。

私は鏡を握る手を震わせる。

自分の身体の変化が、目の前に映っている事実が少し怖い。

だけど、そんな恐怖の感情を覆うようにそれ以上の感情が胸の奥から込み上げてきた。

 

「これが……私の、()

 

「祝福しようレディ、君は圧倒的な()への一歩を進んだのだ。」

 

そう言いながら拍手するインディヴィドゥムさんに、私は呆然としたままありがとうございますと告げた。

 

「さぁ、圧倒的な個への道はこれからだ。そんな小さな()では、まだ足りないだろう」

 

そうしてまた私は手術し眠る事を繰り返した、どれ程の時間が過ぎたのか分からない。

いつしか、実験後に手渡される手鏡に映る髪に白い筋が混ざっていた。

最初は一本だけだった、でも次の手術の後には、さらに増えていく。

やがて私は、元が黒髪だと思えない程に真っ白な髪になった。

それから、どれくらい時間が経ったのだろう。

また手術が終わり、ぼんやりとした意識のまま目を覚ましたときだった。

 

音が、うるさい。

 

「……っ」

 

思わず耳を押さえる。

遠くの機械音、配管の中を流れる水の音。

地下のどこかで鳴っている金属音。

それらが一斉に耳へと流れ込んでくる。

今まで聞こえていた音とは、明らかに違う。

前は周りの音がより聞こえやすくなった、でも今回は違う遠くの音もより大きく聞こえるようになっている?

 

「どうした、レディ」

 

インディヴィドゥムさんの声が聞こえる。

けれど、その声さえも頭の中で反響するように響いていた。

 

「耳が……」

 

言葉を発した瞬間だった、右側の頭に鋭い痛みが走る。

 

「──っ!?」

 

ズキリ、と頭の奥が裂けるように痛む。

耳の奥が、焼けるように熱い。

 

「レディ、少し深呼吸するんだ。少しずつ()()()んだ」

 

痛みはすぐに引いた。

代わりに、妙な違和感が残る。

頭の右側が、軽い。

顔に風が当たる感覚が、さっきまで少し違う。

インディヴィドゥムさんが、また手鏡を差し出した。

 

「確認するといい」

 

恐る恐る手鏡を覗き、息を止めた。

 

「……え?」

 

左側には、前に手術して出来た細長いエルフの耳、右側にもあった筈のそれが無かった。

代わりにあったのは、黒い毛に覆われた、小さな()()()

ぴくり、とそれが動いた。

私が触れる前に、音に反応するように。

 

「レディ?」

 

体が震えるそれは、恐怖からではない。

それは胸の奥からからだ全体へと波のように広がる歓喜。

 

「……これも」

 

私は鏡の中の自分に触れ恍惚した笑みを浮かべながら呟いた。

 

「私の、()……」

 

鏡の中で、白い髪の少女が笑っている。

片方は横に伸びた長い耳、もう片方は獣の耳。

 

私は、確信した。

 

私は今、確実に先生に見てもらえる圧倒的な個を持つ存在へと近づいている。

 

その頃からだろうか?

 

だんだん、()()がおかしくなっていった。

 

名前。

 

自分の名前を思い出そうとすると、ぼやける。

 

わたし、わたしの名前……何だっけ?

 

思い出せない

 

でも先生の顔は覚えている。

 

先生の声、先生の笑顔。

 

先生と話したいという気持ち。

 

先生に私を見て欲しいと言う気持ち。

 

それだけは、消えない。

 

なのに──

 

なんでだろ?自分の名前だけが、思い出せない。

 

思い出せない。

 

そして自分がどんな学園に通っていたのか、友達は誰だったのかも薄れていく。

私は恐怖を覚え、身体を震わせる。

でも、すぐに恐怖は霧散する。

先生が見てくれるなら、それでいい。

そのために、私はあの人の手を取ったのだから。

 

実験はさらに続いた。

 

私は手鏡ではなく、大きな姿見で自分を見た。

白い髪。

左には横に長く伸びた耳、右には黒い犬の耳。

背中には──黒い片翼。

そして腰の後ろで、ゆっくりと揺れる狐のような尻尾。

そこにいたのは圧倒的な()を得た私だった。

 

「…おめでとうレディ、君は今は生まれ変わった……圧倒的な個を持つ、誰よりも目立つ花を咲かせたのだ。レディ、圧倒的な個を得た君を、まずは祝福しよう」

 

「……」

 

きっと、これなら先生は見てくれる。

 

そう思った。

 

暫くは身体に宿った神秘?というのを安定させるため投薬で状態を観るらしくベッドへ座った私ははぼんやり天井を見ていた。

無意識に揺れる尻尾、意識を向けた瞬間に僅かに動く片翼。

 

頭が重い、意識が少し遠くなっていく。

 

私は誰?

 

私は……。

 

名前。

 

学園。

 

友達。

 

思い出そうとしても、何も浮かばない。

 

私は自分のことを、何も覚えていなかった。

 

でも一つだけ。

 

たった一つだけ、覚えている。

 

先生に見てもらう。

 

そのために、わたしは───。

 

「……わたし」

 

「これで、私とレディの間に交わされた契約は完了した。その翼で……渡り鳥の翼で何処まで翔んで行くのか見せ──」

 

インディヴィドゥムの言葉が途切れる。

施設が揺れる、犬耳が遠くでの爆発音を聞いた。

 

「一体何が?ゲマトリアとの通信が繋がらない、それにこの映像は……空が、赤い?」

 

何かが壊れていく音がする。

 

何が壊れている音なのか、わたしには分からなかった。

 

でも、どうでもよかった。

 

その瞬間だった。

背中の翼が、ひとりでに広がる。

 

「……レディ?」

 

黒い羽が、淡く光っていた。

翼から溢れ出した神秘が、私の周りの空間を歪ませる。

そんな状況になっても私の意識はどこかぼんやりしていて体が動かなかった。

 

「なるほど……」

 

インディヴィドゥムが静かに呟いた。

 

「渡り鳥の神秘……渡る範囲には世界も含まれると伝えられていましたね」

 

体から、ごっそりと何かが抜けていく感覚がした次の瞬間、視界が白く染まる。

 

先生。

 

その言葉が、単語が頭の奥で浮かぶ。

 

誰?

 

分からない。

 

分からない。

 

分からない。

 

そうして、その世界から少女は消えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

目が覚めた少女は、元いた場所とは違う埃や瓦礫の溢れた廃墟に横たわっていた。

崩れた建物、割れたガラス、錆びた鉄骨。

さっきまでいた場所とは、まるで違う場所。

少女はゆっくりと体を起こす。

白い髪が肩から落ち、黒い翼が瓦礫に触れる。

 

「ここは……」

 

声が少し掠れていた。

 

「わたしは……」

 

言葉が止まる。

思い出そうとしても何も浮かばない。

名前も。過去も。

ここに来る前のことも。

分からない。

分かったことは、それだけだった。

 

暫く呆然としていた。

 

そこから動いたのは空腹がきっかけだった。

 

一人が嫌だった。

 

寂しかった。

 

一人で歩いた。

 

どこへ向かっているのかも分からないまま廃墟を抜け、瓦礫の街を越え……人の気配を追いかけるように歩いた。

 

そうして辿り着いたのが、ブラックマーケットと呼ばれる場所だった。

 

そこで私は、一つの路地裏へと行き着いた。

こんな場所で路地裏なんて特に珍しくない、そんな場所で私はあの人達と出会った。

 

そこには、私と同じような人達がいた。

 

名前のない人達。

 

居場所のない人達。

 

生きるために集まった人達。

 

私は、その中の一つの路地裏であの人達と出会った。

 

彼女たちは、元々それぞれ別のヘルメット団にいたらしい。

 

でも今は違う、みんながそれぞれ理由でここにいた。そしてみんなが、生きるために四人で協力依頼を受けるため、ワンワンヘルメット団を作ったらしい。

そして私は、耳を持つ理由からワンワンヘルメット団にいれて貰える事になった。

理由は単純だった。

私にも、犬耳があったから。

それだけだった。

でも、それだけでよかった。

初めて──拒まれなかったから。

このとき、私は初めて自分の身体に感謝した。

ブラックマーケットへと流れる中で向けられた私への視線は各々だった。

 

興奮、驚愕、恐怖、忌避。

 

避けられ、無視され時には気持ち悪いと飲み物をぶつけられたこともあった。

 

でも私は何をすれば生きられるのか知らなかった。

 

ワンワンヘルメット団のみんなは、傭兵としての報酬額の相場が分からず結局はみんなが騙され、安いお金で働かされた。

武器も装備も失っていき、気がつけば食べるものがないまま、何日も過ごしていた。

私は、求めていた。

私という存在を見てくれる誰かを。

 

みんなが探していた、自分の意味を。

 

私と言う存在の意味を理解し、次の行動を指示を示してくれる………そんな存在を。

 

指示をしてくれる人がいれば……何をすればいいのか、教えてくれる人がいれば。

 

そうすればきっと、生きていけるのに。

 

そのときだ。路地裏の入り口から足音が聞こえた。

静かな、ゆっくりとした足音。

その場にいた全員が、反射のように視線だけを向けた。

 

そこに立っていたのは、一人の大人だった。

 

真っ白なスーツ、夜のブラックマーケットでは場違いなほど綺麗な服。

胸元の青いネクタイが、風に揺れていた。

不思議だった、私も……誰も銃を向けなかった。

警戒しないと、銃を向けるべきだと分かっているのに、体が動かなかった。

その人から目を離せなかった。

ゆっくりと、こちらへ歩いてくる。

瓦礫を踏む音が、妙に大きく聞こえた。

私たちは何日もまともに食べていない。

銃も売り払い、残っているのは空腹と疲労だけ。

逃げる力も、警戒する余裕もなかった。

その人は、私たちの前で立ち止まった。

少しだけ、私たちを見渡す。

 

まるで品定めでもするように。

 

「お前らは……居場所がないのか」

 

男の人の言葉に誰も答えなかった、答えられなかった。

声を出す力すら残っていなかった。

どうせ、この人もすぐにいなくなる。

今まで見てきた大人たちと同じだ、少しだけ見て、興味を失って、通り過ぎていく。

 

私たちのような小さな花なんか、誰も気にしない。

 

「お前に────」

 

この人の記憶からもきっとすぐに消えていく。

 

()()を与えてやる」

 

不思議なくらい、はっきりと聞こえた。

 

回りのうるさい音には慣れていたが、それでもやはりうるさくは感じるのに、この人の声だけが聞こえて来た。

 

───ドクン───

 

心臓が、ゆっくりと早く鼓動する。

 

意味。

 

その言葉を、私は知らないはずだった。

 

目の前の大人をまっすぐ見つめる、その人は私を観ていた。

 

こんな端に、花壇どころか、庭にすら咲いているのか怪しい

そんな () を──見てくれる?

 

胸の奥が……強く揺れた。

 

意味……この人は私に、意味を。

 

その瞬間だった。

 

胸の奥で、何かがはっきりした。

 

あ、ああ!

 

この人だ……この人が私を見てくれる!

 

生き方を、教えてくれる!

 

全てを教えてくれる、どうすべきか教えてくれる。

 

こうして私は、クランバトル倶楽部の特殊部隊ハウンズのイヴとなった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

夜。

営業が終わり、従業員も帰ったクランバトル倶楽部。

静かなはずの一室だけが、少し賑やかだった。

テーブルの上には、巨釜で炊かれた白米。

少し焦げている肉料理とスープが置かれている。

なりそこない、そう名乗る会長の作ったご飯。

それは、ここにいるみんなにとって一日三回の楽しみだった。

会長と長い付き合いのケイさん、レイサさん、ホルスさん。

そしてイブキさんやミユさん。

私たちハウンズにとっても。

会長は少し焦げた肉料理に対して微妙な顔をしてておりそんな会長に対してケイさんは「いつまで気にしているんですか」と呆れ、レイサさんは苦笑しながらスープを口にする。

イブキは会長の膝に座りあーんによる食事をねだり、ホルスさんが賑やかな様子に優しい笑みを浮かべる。

 

その光景を、イヴはぼんやりと眺めていた。

 

ここに来る前のことは、何も覚えていない。

それでも今ここが、自分の居場所だということだけは分かっていた。

 

そして、向かい側に座る会長を見つめる。

 

自分を拾ってくれた人。

 

名前をくれた人。

 

居場所をくれた人。

 

胸の奥で、何かが静かに温かくなる。

 

イヴは小さく微笑みながら料理を口に運ぶ。

 

私の中に、あなたがいます。

 

名前も、意味も…全部を与えてくれて。

 

見てくれている。

 

会長、あなたのなかに私はいますか?

 

私は、何も言わずに会長を見つめていた。

会長は気付かないまま、焦げた肉を皿に取り分けていた。

 

 




パンドラの箱、情報更新。

─あなたの中に、私はいますか?─イヴ
 先生と過ごした(ToSchool~君が側にいる日常~)が発生しなかった世界線の正義実現委員会モブ。
先生に見て貰いたい、その一心で目立つ個性を持つ存在になるため、ゲマトリアの手術を受け圧倒的な個性を得たが、記憶喪失となった。
ゲマトリアにより身体に混ぜられた一つの神秘により、先生が失敗し崩落する世界からこの世界に渡ってきた。

前回のあとがきの答え合わせですね。
クランバトル倶楽部の特殊部隊ハウンズの事にいる、オリジナルキャラクターではない子。
正解は元正義実現委員会モブ、イヴちゃんです。

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