夏の終わりに、君と手をつないで 作:time passage
その年の夏に、僕の親は離婚した。
僕はまだ子供だったから、よくわからなかったけど、父親の不倫と、会社の倒産が原因だったみたいだ。
でも、崩壊するまでにとっくに水面下では二人の心は離れていたのだろう。
静かな川の奥底で、はげしい濁流が生まれていたのだ。
離婚が決まると、父親は僕に冷たくなった。
もはや他人という雰囲気だった。
僕は、激しく動揺した。
父親が好きだったからだ。
父は、よく僕を釣りに連れて行ってくれた。
近場の磯まで車に乗せてくれ、釣りをしている間、父はいろんな話をしてくれた。
青春のこと、音楽のこと、自然のこと、仕事のこと、趣味の日曜大工とオーディオ作りの事。
父は僕にとって、年上の親友のような存在でもあった。
人生の未知を教えてくれる存在。
そのはずだったのに。
急に、冷たくなってしまうだなんて。
僕を、他人みたいに扱うだなんて。
僕は、裏切られ、心にぽっかりと空洞ができてしまったようだった。
僕を引き取ったのは、母だった。
早くからそう決めていたらしい。
もしかしたら、いつのまにか父にとって僕は、母の象徴的シンボルになってしまっていたのかもしれない。
だから、冷たくなってしまったのかもしれない。
母さんは、僕の手をひいて「はやく行きましょう」と言った。
僕は、父さんとの思い出の釣り具をもって出るかどうか、悩んだ。
すごく悩んだ結果、全部捨てた。
生まれた町を離れ、僕は、母さんの実家の街へと引っ越した。
それは東京の世田谷区にあった。
僕が見たことなかった都会の街。
僕は、戸惑った。
「あぁ、もぅ、仕事を探さなくちゃ」
当てが外れたように母さんが舌打ちをする。
母さんは、実家に戻ればしばらくは親が面倒を見てくれると思っていたようだ。
しかし、離婚して戻ってきた娘に、祖父母は厳しかった。
自営業をしている祖父は、「甘えるな、自立しろ。どこへなと働き口を探せ」と母を叱責した。
母は苦汁をなめたような表情になり、「探すわよ、探せばいいんでしょ」と、毎朝早くに家を出ていくようになった。
「智也、爺ちゃんと遊ぶか?」
僕には妙に優しく接する祖父が、逆に気味が悪くて、首を振った。
「いい。適当に一人で遊ぶ」
僕はそう言って、押し入れに閉じこもった。
僕は誰とも一緒にいたくない気分だった。
孤独だったし、孤独になりたかった。
僕は、世界で一番孤独な子供なんだ、きっと。
そんなことを考えていた。
父さんと暮らしていた家からは、ひとつだけ持ってきたものがあった。
それは小さな鉱石ラジオだった。
去年、父さんと作ったのだ。
父さんの顔が思い浮かぶと、腹が立つけれど、それは僕の宝物だった。
チューニングすると、音が聞こえてくる。
とぎれ途切れの音は、僕にはまるで未知の世界の未知の言葉に聞こえた。
ドキドキする。
と、ダイヤルを回していると、どこの言葉かわからない不思議な言語が流れてきた。
フランス語?
イタリア語?
ギリシア語?
ロシア語?
アラブ語?
僕にはわからない。
どこか遠い国の言語が会話をしたのち、音楽が流れ出した。
日本のものではない、どこかの国のロック。
僕は、それを押し入れの中で一人で聴いた。
目を閉じると、どこか遠い世界の果てから僕へと誰かがメッセージを送ってくれているような気分になった。
誰よりも孤独な僕に、世界の果てからメッセージが届く。
その言葉はわからないけれど、僕はその瞬間、ひとりぼっちじゃばいんだ。
「おい、智也、そんなところで何をやっているんだ!」
がらっと祖父が、押し入れの障子を開けた。
僕は、世界を壊されたような気分になり、ラジオをもってその場を逃げ出した。
どこをどう走ったのか、よく覚えていない。
気が付いたら、裏山のような場所に入り込んでしまった。
都会だと思っていたけれど、いくつか路地を抜けていくと、雑木林のようなエリアがあったのだ。
少し怖かったけれど、どこか落ち着きもした。
コンクリートだらけの都会よりも、生まれ育った町に近いゆったりした雰囲気を感じた。
雑木林を奥へと進む。
やがて、朽ちた東屋のようなものを見つけた。
古びて色あせたベンチがあったので、僕はそこに腰かけて、息をついた。
暑い。
夏休みの時期だ。
雑木林の中とはいえ、熱を感じる。
僕は、東屋の木の椅子にラジオを置く。
もう一度ダイヤルを回す。
さっきの、不思議な国の音楽が再び流れ出した。
その時だ。
「音楽?」
女の子の声がした。
驚いて振り返ると、僕と同い年ぐらいの女の子が立っていた。
すごく可愛らしい顔立ちの女の子だ。
僕は一瞬、森の妖精か何かが現れたのかと思った。
でも、彼女は現実だった。
「ね、それってラジオ?」
すごくフランクに問いかけてくる。
僕は焦りながら、「そ、そうだよ」と答える。
「家にあるラジオと全然形が違う」
「これは、その、鉱石ラジオっていって、僕が作ったんだ」
「え! 君が発明したの!?」
「そ、そうじゃないよ、その、組み立てたってだけ」
「それでもすごいよ。ラジオって作れるんだ!?」
「ま、まぁね」
明るくて、ぐいぐい話しかけてくる女の子。
でも、不思議と嫌な感じはしなかった。
いつの間にか、僕の隣に座っていた女の子が問いかけてくる。
「ね、キミって転校生?」
「ど、どうして?」
「だって少しイントネーションが方言っぽいから」
「そ、そうかな」
僕は恥ずかしくなって、口を押さえた。
でも、女の子はとびっきりの笑顔でこう言った。
「なんか、かっこいい!」
え。
笑われるのかと思った。
都会の、東京の女の子だから。
「ね、ね、方言教えてよ」
「う、うん」
僕と女の子は、こうやって仲良くなった。
「そうだ!自己紹介するの忘れてた! あたし、伊地知虹夏! 小学4年生だよ」
「じゃあ同い年だね。僕は深沢智也。小学4年生」
「夏休みが終わったら、ここの小学校に通うの?」
「うん。多分そうなると思う」
「じゃあ学校でも遊べるね。クラス一緒になるといいなー」
「そ、そうかな。僕と一緒に遊んでもつまらないと思うけど……。伊地知さん、友達多そうだし」
つい悪い癖が出て、いじけたことを言ってしまった僕に彼女は言った。
「そんなことないよ。深沢君、面白いよ! 方言も面白いし、ラジオも作れるし! 私の知らないこといっぱい知ってる! 学校始まっても絶対一緒に遊びたいな!」
「あ、ありがとう」
そんな風に好意を向けられたことはこれまでなかったので、僕は赤くなった。
それもこんなに可愛い女の子に。
きっと誰にでも優しいんだと思うけど、ドキドキしてしまう。
「あー! もうこんな時間だ!」
伊地知さんが立ち上がった。
「帰らなきゃお姉ちゃんに怒られちゃう!」
「伊地知さん、お姉さんがいるの?」
「うん! すっごく怖いんだよー!」
口をとがらせて、頭の上に角を生やすポーズ。
「でも、結構優しい!」
「そっか」
手を振って、伊地知さんが帰っていく。
途中で振り向いて大きな声で言った。
「明日もここに来るー?」
「え」
「明日も一緒に遊ぼ!」
「わ、わかった!」
僕は、こくこくとうなづいた。
その日、家に帰ると、母さんはぐたっと倒れこむようにリビングに寝ていた。
暑い中、ハローワークに行って疲れ果てたらしい。
爺ちゃんが僕をにらんだ。
「智也、どこに行ってたんだ」
「……別に」
僕がつぶやくと一瞬心配そうな表情をしたので、僕は仕方なく、「公園。雑木林の」と言った。
「一人でか?」
「いや、えっと」
頭の中に、伊地知さんの顔が浮かぶ。
「と、友達ができた」
「ほぉ」
祖父があごひげを撫でた。
「それはよかったな」
その友達が女の子だということは、なんだか気恥ずかしくて言えなかった。
その日の晩御飯は、サバの煮つけだった。
祖父母と母さんと4人で囲む食卓は不思議な感じがした。
母さんは、机にぐてっとへばりつき、ハローワークの愚痴を言った。
この家に帰ると、母親が子供のようになる。
そのことが僕には少し不思議な感じがした。
風呂に入り、部屋に戻ると、また押し入れに入った。
ラジオのダイヤルを入れる。
不思議な国の声が聞こえてきた。
僕はその、見知らぬ言語を口真似して、つぶやいてみた。
上手く発音を出来はいなかったけれど、なんだか、遠い国と交信しているような気分になった。
目を閉じると、伊地知さんの顔がぼんやりと頭に浮かんだ。
いつの間にか、僕は眠りに落ちていた。