夏の終わりに、君と手をつないで 作:time passage
それ以来、僕は夏休み中、伊地知さんと一緒に遊ぶようになった。
待ち合わせはいつも、雑木林の東屋。
伊地知さんは、活発な女の子で、僕をいろんなところに連れて行ってくれた。
僕はこの街に来て間もなかったから何を見ても新鮮だったし、伊地知さんはそんな僕の反応が面白かったみたいだ。
大きな犬を軒先で買っている家に案内してくれたり、隣町の公園を教えてくれたり。
100円握りしめて、駄菓子屋さんでいくつお菓子を買えるか競争したり、駅前の本屋さんで立ち読みをして怒られたり。
知らない街なので、僕が迷わないようにという気遣いだと思うけど、伊地知さんは時々、僕の手を握ってくれた。
「ほら、深沢君いこ?」
「う、うん」
伊地知さんの手のひらは、柔らかくて、暖かくて、なめらかで、僕は心の奥底に熱いものを感じた。
その瞬間だけ、僕は誰かとつながり、独りぼっちじゃなかった。
僕は、いつまでも伊地知さんと手をつないでいたいと思うけど、目的地に着くと、その手は離されてしまう。
その瞬間、言いようのない寂しさや悲しさを感じた。
でも、そのことを口に出せなかった。
僕は、女の子にそんなことを言う勇気なんて持っていなかった。
ある時、僕は伊地知さんと雑木林の中を探検していて、不意に足がふらついてしまった。
「深沢君、大丈夫?」
伊地知さんが心配そうに僕をのぞき込む。
どうやら、軽い熱中症だったらしい。
その日は、この夏で一番暑い日だった。
朝のテレビ番組は、日本各地で記録的な猛暑と予報していた。
でも、それだけじゃなかったかも知れない。
この街にやってきて、もう2週間が過ぎていた。
母さんの仕事は決まらず、家では愚痴と、祖父の叱責の声が増えていた。
そんな状況に、どこか僕もやられていたのかもしれない。
「東屋が木陰になってるから、そこで休も?」
伊地知さんの優しい声が聞こえる。
彼女の柔らかい小さな身体が、僕の身体を支えてくれた。
僕は、少しぼんやりとしながら、守られているような安心感を感じていた。
伊地知さんは、僕を東屋の木陰のベンチに座らせてくれた。
木陰の涼しさを感じると、かなり気分が楽になった。
「もう大丈夫だよ、伊地知さん。ありがとう」
僕が言うと、伊地知さんはめっというようなしぐさで言った。
「ダメ、そのまま少し休まなきゃ」
同い年なのに、なんだか頼りになるお姉ちゃんみたいで、僕は少し笑った。
「冷えてるお茶、飲んで?」
伊地知さんが、いつも肩にかけていた子供用水筒を開けて、麦茶を注ぎ、僕に手渡してくれる。
すごくうれしい。
僕はそれを飲み干してから、ふと気が付いた。
この水筒って、確か、少し前に伊地知さんも飲んでいたよね?
そ、それって、間接キスなんじゃ?
一気にぼんやりしていた頭が冴えてきた!
って、ていうか、確実に間接キスだ。
僕、今、伊地知さんと同じコップの口をつけちゃったよ!
心臓の高鳴りを感じながら、伊地知さんを見る。
思わず、目線が唇に行ってしまう。
「どうしたの? ……あっ///」
僕の目線の意味に気づいたみたいだ。
伊地知さんが、頬を赤くした。
「さ、さっきのは緊急事態っていうか、そ、そういうの気にしてる場合じゃなかったからっ」
恥ずかしがりながら、早口で言う。
「っていうか、深沢君のエッチっ、そういうこと考えるの禁止っ!」
ぺちっと叩かれた。
全然痛くなかったけど。
その日は、伊地知さんが僕の体調を心配するので、どこへも行かず東屋でおしゃべりすることになった。
僕はリュックサックに入れてきた、鉱石ラジオをつける。
「もー、それを持ってくるんだったらお水も持ってきなよー」
伊地知さんが苦笑いした。
でも、彼女は僕の隣で、一緒にラジオに耳を傾けてくれる。
ラジオは、今日も、知らない国の知らない音楽を流してくれた。
「まるで宇宙から届いている音みたいだね」
伊地知さんがつぶやく。
雑木林の、人があまり立ち入らない奥にあるからだろう。
夕暮れ時の東屋の周辺には誰もいない。
僕と伊地知さんの二人きり。
まるで世界から断絶されていて、僕は目を閉じると、彼女と二人きりで宇宙に浮かんでいるような気持ちになる。
僕たちは、大きな孤独の中で互いに一人ぼっちで、でも、なぜか繋がっている。
そんな気がする。
音楽が終わり、またディスクジョッキーが意味の分からない言語で話を始めた。
僕は言った。
「時々、この言葉を聞いているとさ。宇宙っていうか、どこか、世界の果てで話しているような気がするんだ」
「世界の果て?」
「うん。それがどんな場所かわからないけど、すごく遠くて、寂しくて、暗い場所。きっと、冷たい氷の壁に閉ざされているんじゃないかな。そこに、通信機が一つだけあって、その人が、僕だけにメッセージを送っているんだ」
「深沢君だけに?」
「うん。だって、僕はきっと、世界で一番孤独な存在だから。世界の果てにいる人は、その人も孤独だから、僕にメッセージを送っているんだ。でも、残念だけど、その言語は僕には伝わらないんだ」
僕は首を振った。
熱中症の余韻で頭がまだぼんやりとしていたのだろうか。
僕は、言うつもりのなかった言葉、心の中の空想を語っていた。
「僕は、誰からも愛されていなくて、独りぼっちなんだ。親を失って、家を追い出されて。どこにも居場所がなくて、独りぼっちなんだ。だから、そんな僕にきっと、このラジオは……伊地知さん?」
「あ、えと、その」
伊地知さんの様子が、少しおかしい。
しまった、一人語りが過ぎただろうか?
き、キモがられちゃった?
僕は内心、わたわたと焦った。
でも、想像と違う言葉を、伊地知さんは問いかけてきた。
「深沢君、その。ご両親が、亡くなってるの?」
「え?」
伊地知さんの顔が、どこか青ざめている。
「だ、だって。その、失ったって……」
「あ、そ、そっか、ごめん」
僕は慌てて訂正した。
「失ったってのは、その、死んだってわけじゃなくて。離婚したんだ。それで、母さんの実家に引っ越してきたんだ」
「な、なんだそういうことかぁ」
ホッとしたように伊地知さんがため息をついた。
「あ、で、でもなんだぁってことじゃないよね、ごめんっ!」
いつものフランクな感じで頭を下げる。
「だ、大丈夫だよ。別に気にしてないから」
「よかったぁ」
伊地知さんが、つぶやいた。
「ほんとによかった。死んじゃったんじゃなくて」
「あ、でも、離婚ってのも結構大変なんだよ? 母さん、家で愚痴ばっかりだしさぁ」
僕が冗談っぽく言うと、伊地知さんもちょっと笑ってくれた。
「ね、深沢君」
「ん?」
「さっきの世界の果てのお話」
「うん」
「きっと、生きていたらさ、どんな果てからでも、いつか、会いに来ることができるよ。わたしだったら、どこにいたって直接会いに行っちゃうな。会えたら、言葉が違っていてもきっと伝わると思う」
だから、いつか君は孤独じゃなくなるよ、きっと。
そう言いたげな瞳で、伊地知さんが、僕の手をそっと優しく握った。
僕は、今でも、その時の手のぬくもりを、鮮明に思い出すことができる。