夏の終わりに、君と手をつないで   作:time passage

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3話

それからさらに2週間が過ぎた。

 

僕は伊地知さんと遊び続け、いつしか、互いの名前で呼ぶようになっていた。

 

僕は、少しづつ、孤独を感じることが少なくなっていった。

 

心の奥底に生まれた、何もない空洞の余白のようなものが、伊地知さん……虹夏ちゃんで満たされていく。

 

 

 

ある時、虹夏ちゃんが、僕に大きなイチジクの実を持ってきてくれた。

 

 

 

「お姉ちゃんがくれたんだ」

 

「例のちょっぴり怖いお姉さん?」

 

「うん」

 

「でも優しいね」

 

「そうなんだよねー」

 

 

 

胸を張って自慢げだ。

 

 

 

「あのね、ファンの人が田舎でとれたのをくれたんだって」

 

「ファン?」

 

「あ、言ってなかったかな。お姉ちゃん、バンドやってるの」

 

 

 

バンド。

 

ファンの人がプレゼントをくれるぐらい人気があるのか。

 

なんだか、すごそうだな。

 

 

 

「ね、一緒に食べよ?」

 

「うん」

 

 

 

でも、僕は実はイチジクを食べたことがなかった。

 

どうやって食べるんだろうこれ?

 

戸惑っていると。

 

 

 

「皮、剥いてあげる」

 

 

 

虹夏ちゃんが、イチジクの皮をむいてくれた。

 

そうか、そうやって食べるのか。

 

 

 

「はい、どーぞ」

 

 

 

楽しげに僕の口元に、実を突き出してくる。

 

こ、これじゃ食べさせてもらうような感じになっちゃうじゃないか。

 

僕は恥ずかしくて、奪い取るようにイチジクを自分の手でつかみなおした。

 

一口食べると、すごく美味しかった。

 

それは、甘くって、爽やかで、穏やかな優しさがある味で……虹夏ちゃんみたいな雰囲気のする味だなと思った。

 

って、僕は何を考えてるんだ。

 

自分の思考を隠すように僕は言った。

 

 

 

「お、おいしいね、これ」

 

「ほんと?」

 

「う、うん」

 

「あのね、家にもっとあるよ。持って帰る?」

 

「え、いいの?」

 

「うん。智也くんにだったら、もっとたくさんあげる。それに、お母さんも喜ぶかもしれないし」

 

「お母さん、うちの?」

 

「うん」

 

 

 

なぜ僕の母親を気遣うのか、よくわからないけど、虹夏ちゃんが僕に何かをくれるということがすごくうれしい。

 

プレゼント……ってわけじゃないけど、なんだかドキドキする。

 

僕は、イチジクをもっともらうことにした。

 

 

 

「じゃ、わたしんちいこ? こっちだよー!」

 

 

 

虹夏ちゃんが手をひいてくれる。

 

僕は、頬が少し熱くなった。

 

女の子の……虹夏ちゃんの家に行くんだ。

 

 

 

雑木林から15分ほど歩いて、駅の方に近くなったあたりに虹夏ちゃんの住んでいるマンションがあった。

 

 

 

「とうちゃーく! ここだよっ」

 

 

 

虹夏ちゃんが、マンションの3階の部屋の前で立ち止まる。

 

呼び鈴を押した。

 

すると。

 

 

 

「ん? 虹夏か? お帰り」

 

 

 

すごく美人なお姉さんが出てきた。

 

キリッとしていて、少し雰囲気は怖いけど。

 

 

 

「って誰? こいつ」

 

「あの、友達の深沢智也くん」

 

「あぁ~」

 

 

 

急にお姉さんがニヤニヤした。

 

 

 

「例の男の子のお友達かぁ」

 

「わっ、へ、変なこと言うな―///」

 

 

 

虹夏ちゃんがお姉さんにぽかぽか攻撃する。

 

 

 

「全然痛くねーW で、どうしたの? 家で遊ぶん?」

 

「あ、違って」

 

「ん?」

 

「ほら、イチジク。あれ、智也くんにあげようと思って」

 

「あぁ、いいよ、取ってこようか」

 

「い、いい。わたしが取ってきたい!」

 

「あっそ」

 

 

 

虹夏ちゃんが部屋の中に入っていった。

 

 

 

「あいつ、自分で手渡したいんだぜ、きっと」

 

 

 

お姉さんがまたニヤニヤする。

 

 

 

「ま、中に入りなよ、少年」

 

「は、はい」

 

 

 

お姉さん……星歌さんが、僕をリビングに案内してくれた。

 

すごく清潔な掃除の行き届いた部屋だ。

 

和風の古いボロ家のウチとは大違いだった。

 

 

 

「ほら、ジュース」

 

「あ、ありがとうございます」

 

 

 

星歌さんが、『良い子のリンゴジュース』ってパックジュースを渡してくれた。

 

結構優しいんだな。

 

ってか、っこれって幼児向けでは? 

 

めっちゃ子ども扱いされてる? 

 

と思ったら、星歌さんもそれを飲んでる。

 

す、好きなのかな? 

 

いや、僕が気を遣わないためにわざわざ自分も同じのを飲んでくれてるんだろうか?

 

きっとそうだよな。

 

こんな奇麗なお姉さんが良い子のリンゴジュース(子供用パック)を愛飲しているはずがない。

 

僕が勝手にうなづいていると、星歌さんが言った。

 

 

 

「あの、智也くんだっけ? ……その、ありがとな」

 

「え?」

 

「この夏、虹夏と一緒に遊んでくれてさ」

 

「あ、いえ」

 

 

 

お礼を言いたいのは僕の方だ。

 

 

 

「アイツさ、母さん亡くしてから、ずっと暗かったから」

 

 

 

は? 

 

急に、目の前が真っ白になった。

 

なくした? 

 

無くした? 

 

亡くした? 

 

 

 

 

 

頭の中で、言葉の意味がぐるぐると変形し、ようやく一つの意味が脳内にしみ込んできたころに、星歌さんが言葉をつなげた。

 

 

 

 

 

「あれから、ずっと。無理して笑ってるようでさ。家にもあまりいたがらなくって。いろいろ思い出しちゃうのかな、思い出の詰まったこの部屋にいると。でもさ、君と遊ぶようになってから、明るくなったから。ほんとに感謝してるよ」

 

 

 

星歌さんが、すごく優しく微笑みながら、僕に礼を言った。

 

その微笑が、嘘偽りがなくて、慈愛に満ちていたからこそ、僕は心の奥底に重い鉛玉が沈みこむような気分を味わった。

 

動悸が激しくなった。

 

冷や汗のようなものが、皮膚からせりあがってくる。

 

僕は、ゆっくりと、部屋を見渡した。

 

その、清潔で幸福そうな部屋の柔らかな薄クリーム色のカーテンのそばに、写真たてがあった。

 

一目見て、虹夏ちゃんの母親だとわかった。

 

彼女に似た優しい微笑の女性が映っている。

 

それは一見、自然体の素敵な日常のスナップだったが。

 

おそらく遺影代わりだった。

 

木製のナチュラルなフォトフレームの中で柔らかにほほ笑んでいるその女性は、かつてその瞬間生きていて、そして今はもう失われてしまった生命の記憶なのだ。

 

 

 

僕は、立ち上がった。

 

 

 

「ん? ど、どうした?」

 

「あ、あの、僕、用事を思い出したので……」

 

 

 

その時、虹夏ちゃんが、ビニール袋いっぱいのイチジクをもって現れた。

 

 

 

「ごめん、遅くなっちゃって」

 

「……ありがとう」

 

 

 

僕は、静かにそれを受け取り、そのままマンションを出た。

 

虹夏ちゃんが後ろから何か言葉をかけてくれたような気がするけど、耳に入ってこなかった。

 

外に出ると、空が暗くなり始めていた。

 

僕は、薄暗闇の中を一人で歩いた。

 

夕刻には、虹夏ちゃんに手を引かれてこの道を歩いたのが、遠い過去のようだ。

 

祖父の家に着くと、僕は、そのまま自室へと向かった。

 

畳の床に、虹夏ちゃんがくれたイチジクのビニール袋を無造作に置き、押し入れの中に入った。

 

ラジオをつける気にならなかった。

 

だって僕は本当は、世界で一番孤独な少年ではなかったからだ。

 

滑稽だった。

 

自分が。

 

 

 

「なにが、僕は孤独、だよ」

 

 

 

僕は、自問自答した。

 

頭の奥底に、懺悔とも怒りともつかない気持ちが沸き上がっては、ぐちゃぐちゃになっていく。

 

本当に孤独だったのは、虹夏ちゃんの方だった。

 

彼女は、僕よりももっとつらい体験をしていたのだ。

 

離婚なんてレベルじゃなかったんだ。

 

親が本当にこの世からいなくなってしまい、しかもその後も、ずっと、記憶が残ったあの部屋で、暮らし続けていたのだ。

 

 

 

「なんだよ、なにが、世界の果てだよ、こんなものっ!」

 

 

 

自分の幼稚さが、腹立たしかった。

 

僕は、鉱石ラジオを壁にたたきつけた。

 

それは、ひしゃげたような音を立てて、壊れてしまった。

 

 

 

僕は、自己憐憫で自分を擁護していた子供に過ぎなかったんだ。

 

なのに、僕は、もっと大きな寂しさを抱えて、そのことを一言も言わなかった女の子に向かって、自分がさも孤独の王様であるかのように、ふるまっていた。

 

僕は、今自分を支配している気持ちの正体に気づいた。

 

それは、情けなさだった。

 

僕は愚かだった。

 

あまりにも愚かだった。

 

虹夏ちゃんだって、内心では僕を、情けない奴だと思っていたのかもしれない。

 

そんなことはないとわかっていても、そんな後悔の気持ちが、頭にこびりついて離れなかった。

 

 

そのまま、いつの間にか眠ってしまったようだ。

 

押し入れからのそのそと這い出ると、障子窓越しに、朝の光が射しこんでいた。

 

狭い和室の部屋に、甘く優しい匂いがほのかに満ちていた。

 

それは、虹夏ちゃんが昨日くれたいちじくの香りだった。

 

昨日、無造作に床に置いたからだろうか。

 

ビニール袋から、いちじくがいくつか零れ落ちていた。

 

と、果物に交じって、小さな手紙のようなものが見えた。

 

クラスの女子がたまに使っているような、可愛らしい模様の手紙の封筒。

 

思わず僕はそれを拾い上げる。

 

開いてみると、カラフルな色のペンで、可愛らしい文字が書かれていた。

 

 

 

〝智也くん いつもあそんでくれて ありがとう これからもたくさんあそぼうね!〟

 

 

 

虹夏ちゃんからのメッセージだった。

 

これを書いていたから、少し時間がかかっていたのか。

 

そのメッセージは、鉱石ラジオが送ってくる不思議な言葉のメッセージよりも、ずっと深く僕の心に響いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その日の夜、母親が帰ってきて、「お母さん、就職先が決まったわ!」と言った。

 

祖父は、顔には出さないが喜んでいるようだ。

 

いつものサバの煮つけではなく、鱧の湯引きが食卓に並んでいた。

 

母親はそれを酢味噌で食べながら、美味い美味いと言い、ビールを飲んだ。

 

そしてこう言った。

 

 

 

「お仕事、千葉に決まったから。引っ越しね」

 

「え」

 

「だってここからじゃ遠いもの。智也だって、学校始まる前の方がいいでしょ」

 

 

 

祖父はちらりと僕を見たが、何も言わなかった。

 

ただ、いつものように顎髭を撫でただけだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

引っ越しの段取りはすぐに始まってしまった。

 

僕は、かなり悩んだが、どうしても、虹夏ちゃんに、そのことを伝えることができなかった。

 

今考えてみたら、些細なことだが、その時の僕は、自分のことが恥ずかしくてならなかった。

 

自分よりもひどい体験をした虹夏ちゃん。

 

そのことも知らずに、自分だけが悲劇のヒーローみたいにふるまっていた自分があまりにも恥ずかしくて。

 

合わせる顔がなかったのだ。

 

 

 

僕は結局、その日以降一度も、待ち合わせの雑木林には行くことができず、そのまま千葉へと引っ越してしまった。

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