話はエネドラとチクルスが盗賊に襲撃される少し前の時点に遡ります。
「よく聞きなさい。
商人は利に聡くなければならない。損得勘定もできずに行動するのは愚か者だからだ。
商人は世の中の流れに敏感でなければならない。世の中を知らずには何も判断できないからだ。
商人は強くなければならない。強くなければ自分の信念を貫くことができないからだ。
商人は弱者に寄り添わなければならない。弱い者を助けなければ世の中が良くならないからだ。
この四つのことが守れるのなら、お前はきっと立派な商人になれるだろう」
・・・・・・
最近は、お爺様の夢を見るのが増えた気がする。
今の私がお爺様のおっしゃっていた商人の在り方と程遠いからなのかもしれない。
子供の頃から何度も聞かされ、覚えてしまった言葉。
お爺様が亡くなり、私が商人のジョブを得て実家を離れ、今の家に妾として来てから夢で見るようになった。
実家から離れたのは、そこにいてもお爺様の語った立派な商人にはなれないと思ったから。
女が商人として活躍できる機会はそう多くない。
妾でもなんでも・・・・・・そう思って飛び出してみたものの、現実は厳しかった。
裏方の事務作業をこなすばかりで、客との取引に私の居場所はない。
昼間に事務作業をしながら、お爺様の言葉を思い出すことも多い。
お爺様は街でも一目置かれる商人で、私の憧れの存在だった。
あの言葉を何度も聞きながら、自分も立派な商人になりたいと思っていた子供の頃の私。
私はその立派な商人に近づくことが本当にできるのだろうか。
お爺様はかなり前に突然亡くなってしまった。
自宅が不慮の火災で焼失した時に、焼け死んだのだと両親から聞かされた。
お爺様はお婆様を助けに戻り、そのまま亡くなったのだと父が言っていた。
お婆様が死んでも、お爺様が生き残っていれば楽ができたはずだと、父は亡くなったお爺様に怨嗟の声を上げていた。
馬鹿なことをしてくれたものだと愚痴を繰り返す父。
でも、それは違うと思っている。
お爺様は自分の強さを信じて、お婆様を助けに戻ったのかもしれない。
お爺様は弱き者に寄りそうために、火事の真っただ中に飛び込んだかもしれない。
この時だけは損得勘定を度外視して、お婆様を助けたかっただけなのかもしれない。
亡くなってしまったお爺様に真相は確認できない。
でも、それがお爺様の求める『立派な商人』の姿だったのかもしれない。
・・・・・・
野営地に止めた馬車の近くの地面に横たわって寝ただけなので、目が覚めると体の節々が強張っている。
武器を買い付けるだけなら、馬車など使わずに冒険者に頼んで街を移動すれば良い。
今回はドブローの絨毯を仕入れる取引をしたので、こうして野営をしながら次の街や村に移動することになってしまった。
ドブローの絨毯は私達の住む街では確かに高く売れる。
せっかくドブローに行くのなら、絨毯を仕入れるという選択は悪くない。
自分がその選択をして取引をできるのならば・・・・・・胸が小さく痛むのを感じる。
チクルスちゃんは馬車の移動が物珍しく、初めは喜んでいたけれど今は退屈な馬車での移動と疲労でげんなりしている。
二、三日前から不機嫌というか、元気があまりない。
私が声をかけても、曖昧な返事が戻ってくるだけ。
今の私は妾ではなく、正妻の立場になっている。
前妻が離縁され、繰り上がっただけなのだが。
チクルスちゃんは前妻ではなく、もう一つ前の妻の子供だと聞いている。
実の母親と死別し、三人目の母と言われても多感な時期の娘が納得できるはずもない。
私が彼女の立場でもきっと同じだっただろう。
馬車の旅で少しでも彼女のわだかまりを無くせたらと思っていたが、現実は甘くない。
前妻から苛められていた彼女を庇ったのは、お爺様の言葉が私の心の中にまだ残っていたからかもしれない。
でも今の私はどうだろう。
夫の言葉に流され、チクルスちゃんの顔色を見て右往左往している弱い存在。
今の私をお爺様が見たら、きっとがっがりするだろう。
チクルスちゃんにも失望されているだけなのかもしれない。
・・・・・・
夕方遅くに到着したこの村で一泊すれば、明日には宿のある街に着くらしい。
この村には宿がないので、広場で野営するしかない。
それでも街道の傍らで野営するよりは全然マシだ。
お金を出せば食料を分けてもらえるし、井戸もある。
今晩我慢すれば、明日はベッドの上で眠れるだろう。
不意に目が覚めた。
打ち鳴らされる半鐘の音と村人達の喧騒の声を耳にし、良くないことが起きていると感じた。
一軒の民家では火の手が上がっている。
火事?・・・・・・いや、盗賊の襲撃かもしれない。
私よりも早く目を覚ました夫は馬車の中から武器を取り出している。
私にできることは・・・・・・。
「チクルスちゃん、起きて。どこかに身を隠すのよ!」
ぐっすり眠ったままの彼女を揺さぶった。
「エネドラさん、どうしたの?」
寝ぼけまなこの彼女を無理やり立たせて、身を隠せる場所が周囲にないか探す。
馬車に走り寄って、顔を少し出して周囲を見るが、村人が走り回っている姿しか確認できない。
いや、よく見ると武器を持った人相の悪い者が村人に駆け寄っている。あれが盗賊なのか。
盗賊がどこから来たのか、村人達が今どのように立ち向かおうとしているのか分からない。
自分の家族と雇った護衛の一人が周囲にいることだけが分かる。
盗賊達はどこにいるのか・・・・・・。
夫は武器を持ったまま、護衛の者に何か言っているが、よく聞き取れない。
「がっ・・・・・・」
突然、護衛の者が夫にかぶさるように倒れた。背後から盗賊らしき者の姿が見える。
地面に転がった武器に手を伸ばそうとした夫の背中に剣らしきものが突き立てられた。
震えながら伸ばす手から力が抜け・・・・・・動かなくなった。
私の夫が死んだのか・・・・・・現実とは思えないフワフワした状態だ。
「お父様!」
チクルスちゃん、いけない。声を出しては。
二人を葬り去った盗賊の一人が彼女の方に目を向けた。
彼女の方は躯となった父親に視線を向けたまま震えている。
馬車の荷物の中にあった短刀が目に入った。
装備品ではないけど、何もないよりマシだ。
咄嗟に短刀を右手に持って、彼女に近づこうとした盗賊の背中に無我夢中で突き刺した。
どこを刺したのか、致命傷を与えられているのか分からないまま、盗賊の背中にしがみついた。
「ふざ・・・・・・けるなぁ・・・・・・」
目を血走らせた盗賊が血の付いた剣を振りまわした。
躱そうと体を捻ったが、背中が熱い・・・・・・斬られたのかもしれない。
「エネドラさん!」
彼女の悲鳴に思わず身を屈めてしまった。
熱さは感じても痛みなのかどうかは、もうよく分からない。
顔上げて見回すと、盗賊は私ではなく彼女の方に近づいていく。
させない・・・・・・もう一度・・・・・・。
力を振り絞って、もう一度盗賊の背中に短刀を突き立てた。
足がもつれて盗賊とチクルスちゃん共々転倒した。
「チクルスちゃん、逃げて!」
盗賊が彼女に馬乗りになって剣を振り上げるのが見えた。
とにかく割って入らないと。
咄嗟に身を乗り出して右手に持った短刀と左手を滅茶苦茶に振り回す。
左手が熱いけど、気にしてられない。
無我夢中で暴れるように短刀を盗賊に向けて突き出した。
「グゥッ・・・・・・」
くぐもった声が聞こえても構わず突き刺す。
体の力が抜ける・・・・・・踏ん張り切れずに地面に背中が当たったが、背中も熱くて感覚がない。
「エネドラさん!」
血と涙に濡れた彼女の顔が見えた。
首に血の筋が見えるようだけど、あれは返り血だろうか。
目がかすんできたけど、彼女の強いまなざしが少しだけ見えた。
あれなら彼女は助かったのではないだろうか。
盗賊がもう来なければだけど・・・・・・でも、もう体に力が入らない。
まだ自分にできることは何かないだろうか。
「左手が・・・・・・出血を止めますから、動かないで・・・・・・」
彼女の声が遠く聞こえる。
「エネドラさん、しっかりして!」
これは、もう私は助からないかもしれない・・・・・・。
チクルスちゃんは・・・・・・最期まで私の呼び名は『エネドラさん』のままだったな・・・・・・。
『お母さま』と呼ばせてみたかったのだけど・・・・・・。
盗賊に殺されて終わる生涯・・・・・・お爺様、結局、私は強くはなれませんでした・・・・・・。
でも、この娘を一時とはいえ守ることができたのかもしれません。
お爺様もお婆様を助けにいった時はこのように感じたのでしょうか。
私は立派な商人になれませんでした・・・・・・お爺様、ごめんなさい・・・・・・。
「騎士様!ここに怪我人がいます。助けて下さい!早くこちらに・・・・・・」
遠くで誰かが何かをしゃべっている。でもよく聞こえない・・・・・・。
・・・・・・
見たことのない部屋で目を覚ますと、私の傍らにチクルスちゃんの寝顔が見えた。
記憶が途切れてるのだけど体中に痛みを感じて、血に汚れた包帯をした彼女を見たら、どうやら私達が生き延びたことがおぼろげながら理解できた。
それにしても頭も痛いし、背中も痛い。
彼女に手を伸ばそうとして、激痛が走った。
目を向けると、私の左腕が短くなっている・・・・・・どうやら、私は左腕の先を失ったようだ。
ぼんやりと短くなった左手を見ても、生き残った実感がまだ湧いてこない。
でもアチコチに痛みがあるのだから、私は生きているのだろう。
彼女は私のベッドに横たわってるのではなく、しがみつくように覆いかぶさっている。
多分、彼女の怪我は私よりも軽いのだろう。
良かった。彼女も私も助かったのだ。ようやく生きている実感が湧いてきた。
だが、夫と雇った護衛が死んだのは、きっと夢ではないはず。
これから待ち受けている将来は明るくはないのだと思った。
将来のことを思うと力が抜けてきた。
体にブルッと痙攣が走る。
もう眠い・・・・・・眠ってしまいたい。
彼女が目を覚ましたようだが、私は逆に睡魔に見舞われている。
「お母さま・・・・・・」
遠くで彼女の声が聞こえた気がする。
私を呼んだのか、亡くなった母親に何かを語りかけたのかは分からない・・・・・・。
・・・・・・
ベイルの奴隷商館に来てかなりの日が経った。
私とチクルスちゃん・・・・・・いや、チクルスの二人は体に重傷痕があるので、面談に出ても選ばれる気配が全くない。
せめて、チクルスだけでも環境の良い主人の所に送り出したい。
可能なら二人一緒に・・・・・・今はそんな甘い考えは捨てなければならないと思っている。
アラン様はやり手の奴隷商人のようで、数名の奴隷を除けば次々に購入先が決まって同僚がいなくなっていく。
その数名の中には私達母娘も入っている。
数名の中に入っていたドワーフ族のアミルさんが身請けが決まったと先程教えてくれた。
「何か怖い顔の人なのですけど、言葉だけは・・・・・・優しくて、
でも、お話しされていることが分からなくて・・・・・・やっていけるのか不安です」
「アミルさん、奴隷は主人の言うことに逆らってはいけませんよ。
特に大商人や貴族に近い方の場合には従順でなければいけません」
彼女のブラヒム語はまだまだ拙い点があるけど、努力してここまで上達してきた。
ブラヒム語よりも新しい主人に対する作法の方が心配だ。
「だから、納得がいかないことがあっても、
反射的にご主人様の言葉に肯定の返事をするように心がけた方が良いです。
それが結果として、アミルさんの身を助けることになります」
この商館を出てしまったら、私が助言することはできなくなってしまう。
同じ不遇な身の上同士、その将来が少しでもマシなものであってほしい。
顔が怖くて年齢が若いのに丁寧な口調で話をする・・・・・・この娘の身請け先は大商人か貴族の係累なのだろうか。
それにしても、この娘は私達のような体に傷こそないが探索者としての経験も少ないので、そのような主人に身請けされるとは思っていなかった。
お金持ちや身分の高い者というのは、それなりに実力ある奴隷を購入するはずなのだから。
お爺様の言葉が頭に思い浮かぶ。
もしそうなら・・・・・・チクルスの身請け先になってもらえないだろうか。
彼女に伝える言葉を考えていたら、アラン様が入室してきた。
彼女の主人となる者が買物に連れ出したいということらしい。
私との話を切り上げて、彼女は外出の準備をするために部屋を出ていった。
今のうちに考えをまとめて、夜になったら相談してみよう。
・・・・・・
主人に連れ出されて帰ってきた彼女は非常に落ち込んでいた。
「立派な家に連れていかれたのですが、奴隷が一人もいなくて・・・・・・
すごく明るいカンテラが天井から照らしていて・・・・・・
お風呂があって・・・・・・貴族の関係者かもしれません。
優しい言葉をかけてくれるのですけど・・・・・・顔が怖くて、
言ってることもよく分からなくて・・・・・・、
ドワーフの言葉もブラヒム語も流暢に話されているようですけど、
何か私に隠しているようでした」
彼女は混乱しているのか、話している内容は支離滅裂に思えた。
ただ、複数の言葉を流暢に話すということは特別な人間だ。
大商人か貴族の関係者であることは間違いないかもしれない。
賭けかもしれないが・・・・・・私達母娘には残された選択肢は少ない。
「アミルさんにお願いがあります・・・・・・」
・・・・・・
アミルさんが身請けされた日の翌日、私達母娘はアラン様に呼び出された。
彼女の主であるタケダ様がいらっしゃって、私達母娘に面談を求めていると。
私達の願いを彼女は果たしてくれたようだ。
アラン様は私達をタケダ様に推薦していないはずだ。
つまり私達とアミルさんの間でやりとりがあって、面談になったことは理解されているだろう。
それでも何もおっしゃらない。
だが、この後の面談でタケダ様が私達を身請けされないと決めたら、私達の環境はより厳しくなるかもしれない。
今まで必死になって考えてきたことをタケダ様にぶつけるしかない。
それで何とかチクルスだけでも身請けしてもらえるように・・・・・・。
アミルさんを連れたタケダ様の座るテーブルの前に二人で並ばされた。
アラン様は退室され、私達母娘とタケダ様、アミルさんの四人だけになった。
私達母娘を身請けするよう、タケダ様にお願いしてほしいとは彼女には頼んでいない。
奴隷から主人に提案するなんてとんでもないことだ。
面談の機会を設けてもらうようにお願いしたことが既にとんでもないことなのだ。
これ以上の無理を彼女にはお願いできない。
あとは自分達の力で何とかするだけだ。
「このような機会を与えていただき、ありがとうございます」
なるべくアミルさんの方を見ないように、二人に向かって頭を下げた。
「私達母娘は体に傷があり、私の左手はこのような状態ですが、
タケダ様のお役に立てると自負しております。
二人合わせても格安の金額で、
家事を分担してこなすお得な奴隷を手に入れることができます・・・・・・」
胸が張り裂けそうな緊張感を抑えながら、なるべく冷静に話をする。
「体調面に不安を感じられるかと思いますが、衣食住の良い環境は望んでおりません。
最低の環境でも質の良い労働力を提供できます・・・・・・」
昨日何度も頭の中で繰り返していた言葉を必死に紡ぐ。
「うーん」
タケダ様の反応は鈍い。
何か他のことで納得していただけることはあるだろうか。
胸が苦しい。何か他に・・・・・・。
「エネドラといったかな。
君はどこの街の商家で、商人としてはどのような仕事をしていたのだろうか?」
えっ、家事の話ではなく・・・・・・商人の話題?
必死になって、自分の生まれた街と実家での仕事、亡くなった夫のいた店でやっていた仕事の内容を説明した。
その後も、矢継ぎ早に私達二人のジョブに関する質問を投げかけられた。
:
:
「君達は商人ギルドや薬師ギルドに復帰することはできるのか?」
「はい。奴隷であっても恐らくは登録可能だと思います」
私達に商人や薬草採取士の仕事をしてもらいたいということなのだろうか。
それは・・・・・・失われた道の・・・・・・。
いや、焦ってはいけない。
今はチクルスだけでも身請けしてもらうために最善を尽くさないと。
「二人の怪我は治癒の見込みはあるのだろうか?
治療する場合の最善の方法は何か?」
「この傷は治療魔法での治癒は見込めません。
なので、私達の怪我についてお金をかける必要はございません」
私の回答が気に入らなかったのか、タケダ様は少し難しい顔をされた。
「あの・・・・・・部位欠損の治療をするには、エリクサーを使うしかないと思います」
私の隣にいたチクルスが事実を淡々と語ってしまった。
だが、それは余計な一言だ。
私のことは置いておいて、この娘だけでも送り出さなければ。
エリクサーなど奴隷の私に使うものではない。だから、この娘だけでも・・・・・・。
「前向きに検討させてもらう」
タケダ様はそう一言告げて、面談は終了となった。
もう私達にできることはなくなった。あとはタケダ様の判断に委ねるしかない。
せめて、この娘だけでも身請けしてもらいたい。
・・・・・・
半分脱力していると、アラン様が入室してきた。
「付いてくるように」
何も用件を告げずに?・・・・・・心臓の音が聞こえてきそうなくらい緊張する。
これから、厳しいお叱りを受けるのだろうか。
やはりタケダ様は私達を選ばなかったのだろうか?
アラン様の後に続くと、先程の面談した部屋に入ることに。
「タケダ様がお前たち二人を身請けされるそうだ。命拾いをしたな」
最後の一言は私達にだけ聞こえるように小声だった。
アラン様がおっしゃったことが一瞬理解できなかった。
けど・・・・・・二人とも身請けされる?・・・・・・チクルスと二人で?
アラン様の厳しい視線の前で喜びの表情を出すことはできない。
「分かりました」
絞り出せた言葉はそれだけだった。
「手続きを行うので、指示に従うように」
「承知しました」
ここからは、もう一つのミスも許されない。
手続きが終わってタケダ様の家に辿り着くまでは・・・・・・いや、それからだって失態を演じてタケダ様からの信頼を損なうと、ここに逆戻りする恐れがある。
舞い上がりそうなチクルスをこっそりと右肘で小突いて、冷静さを取り戻させる。
でも、表情が緩むのを止められないようだ。
私も嬉しい。
だけど、それ以上にこの幸運を手放さないように細心の注意が必要だと気を引き締める。
・・・・・・
手続きを無事終えたが、私達はすぐにタケダ様の家には向かわないようだ。
この商館に僧侶を呼んで治療魔法をかけるらしい。
正直、時間の無駄だと思ったが、アラン様とタケダ様の配慮を無視できない。
奴隷部屋に戻って二人だけしかいないことを確認した後、チクルスを抱きしめた。
左腕の先がないから、不格好な姿かもしれない。
それでも、この商館に来てから一番幸せだった瞬間かもしれない。
「お母さま・・・・・・」
「チクルス・・・・・・」
私を母と呼ぶ声に涙し、娘を呼ぶ私の声にチクルスが涙を流している。
将来のことは全く分からないが、私達には少しだけチャンスが与えられたようだ。
このまま奴隷商館で売れ残り続けたら、待ち受けている環境が過酷なことはアラン様から告げられていた。
彼の言葉通り、私達は『命拾いをした』のだ。
彼女が用足しに部屋を出て、今日の面談を振り返った。
タケダ様は、私達の話を聞いて損得の吟味をしているように見えた。
判断に必要な情報を得るため、次々に質問を投げかけていた。
アミルさん、チクルス、私・・・・・・正直、この商館では売れ残り組でハズレの奴隷だ。
もっとも弱い立場の奴隷である三人。彼は弱い者に寄り添う者なのだろうか。
穏やかな顔をしながら、時々厳しい目をされていたお爺様。
タケダ様は考え事をしている時はハッキリと分かるぐらいに怖い表情をされている。
お爺様の言葉にあった・・・・・・立派な商人に繋がるような方なのだろうか、それとも・・・・・・。
そして、タケダ様の下で私は商人の仕事をすることができるのだろうか。
お読みいただき、ありがとうございました。
1章で作成しようと思っていた閑話をようやく投稿できました。
プロットの作成から迷走して、まとめられる自信がなくて今の今までかかってしまいました。
冒頭のエネドラの祖父の言葉は、内容を少し変えてアミルが鍛冶師を目指した時のエピソードに利用しかようかと考えていた時期もあったのですが、こちらで使うことにしました。
もう少し、情熱的な志にしたかったのですが、表現力の限界でした。