トリニティ総合学園の奥深く、秘密基地と呼ばれる隠された空間がある。藍染と月島が作り上げたその場所は、まるで現実から切り離された異世界だ。
古びた本棚に並ぶ紙の本が、時折ペラペラと捲られる音だけが、静寂を破る。部屋の空気は重く、しかしどこか安堵に満ちていた。
そこにいるのは、浦和ハナコと月島の二人。互いに顔見知りではあるが、深い交流はない。
友達の友達――そんな微妙な距離感が、二人の間に漂う。ハナコはソファに座り、考え事に沈む。月島は本を手に、気怠げにページをめくる。
トリニティの重圧から逃れたこの空間は、彼女にとって一時の避難所だ。だが、静けさは長く続かない。月島がふと口を開く。
「トリニティって、組織への帰属意識みたいなの強いと思わない?」
「そうですね……確かにシスターフッドや正義実現委員会のような組織も、あくまでティーパーティー傘下というかトリニティ全体を考える必要がある場合は、上の命令に従う場面も多いでしょう」
「逆にゲヘナは組織の体裁を成しているけど、個人が強すぎてたまたま組織になっている感強いよね。武力ではなく、カリスマ的な意味でも」
「風紀委員の空崎ヒナさんなどは有名ですし……ゲヘナは上と下の開きが大きい気がします」
「それはわかるね。中堅層が分厚いけど上振れしないトリニティと、中堅層がいない代わりに上振れ下振れが激しいゲヘナ、みたいな表現が最適かな」
会話が途切れ、部屋に静寂が戻る。本のページをめくる音だけが、まるで時間の流れを刻むように響く。ハナコはふと、月島の言葉の裏に何かを感じ、問いかける。
「月島さんはどうして、そんなことを?」
「うん? ああいや、ヒナちゃんとアコちゃんとモモトーク交換したんだけど、忙しそうで遊ぶ暇が無いんだよね。万魔殿からの嫌がらせもあるんだろうけど、それにしたって業務の遂行量が多すぎるんだと思う」
「ゲヘナの上位層とモモトークを?」
ハナコの声に驚きが滲む。トリニティとゲヘナは、まるで水と油。犬猿の仲として知られる両者が、モモトークで繋がるなど、まるで異次元の出来事だ。
「何があったらそんななことが起きるんですか?」
「単純にヒナちゃんの手助けをしたんだよ。もし困ったことがあったら手を貸すよって。単純に彼女とは昔馴染みでもあったからね」
「なるほど。確かにそれなら」
「そもそも僕の所属はトリニティではなくミレニアムだし。トリニティとゲヘナのいざこざはあまり関係ない」
「ミレニアム!? じゃあなぜここに」
「藍染に誘われてね。彼女とは友達だし、目的を共有する仲間でもあるし」
ハナコの心に、藍染の名が響く。彼女が知る藍染は、どこか掴みどころのない存在だ。月島の口から語られる藍染は、まるで別の顔を持つように思える。ハナコは好奇心を抑えきれず、問う。
「お二人の目的は?」
「世界平和」
月島の答えは、あまりにも簡潔で、あまりにも壮大だ。彼女は本を閉じ、軽い足取りで扉に向かう。
「そろそろ時間だ。君もついてくるかい?」
「何があるんですか?」
「エデン条約調印式……前の交流会」
「それ、私いります?」
「無いね。まぁ、君も気負わず適当に過ごしなよ。ここは見つからないようにしてあるし、ストレス溜まれば逃げてきても良い。じゃあね」
と言い残し、月島は部屋を後にする。扉が閉まる音が、静寂の中に響く。ハナコは一人、秘密基地に残される。
彼女の心は、ざわめく。月島の言葉、藍染の存在、そしてトリニティという巨大な檻。彼女は考える。自分の行動、自分の未来。
藍染の計らいで得たこの安全な時間は、確かに心地よい。だが、いつまでもその甘さに縋っていてはいけない。自分の足で立ち、動くべき時が来ている。
「面倒臭い……ですけど、やらなくちゃなりませんね。そうしないと藍染さんの面子を潰すことにも繋がりますし」
ハナコの呟きは、まるで自分自身を鼓舞する呪文だ。藍染に「無能」と評価されるわけにはいかない。彼女の体は重く、気分は沈み、モチベーションは底を這う。
全てが面倒で、投げ出したくなる。だが、立ち止まることは許されない。トリニティの政治という戦場が、彼女を待っている。
「さぁ、いつも通りの私で、いつも通り政治をしましょう♪」
ハナコは微笑みを浮かべ、立ち上がる。その笑顔は、まるで仮面のように完璧だ。だが、その奥に潜むのは、疲れと決意が交錯する少女の心だ。
秘密基地の扉を開け、彼女は再びトリニティの迷宮へと足を踏み入れる。
◆
百鬼夜行連合学園、その百花繚乱紛争調停委員会の委員長、七稜アヤメは死にかけていた。
胸の穴と、巨大な仮面。
それは俗に怪異と呼ばれるものだった。
巨大な怪異が5体。
それに対する七稜アヤメは、怪異に特効効果のある古銃『百連』を使えない。
『百連』は文字通り資格があるものしか使えない。そして七稜アヤメは、自分に百連を扱える資格がないのを、今知ったのだ。
何故ならば、これまで怪異なんて発生しなかったのだから、使用する機会は無かった。だから知らなかった。自分に『百連』を扱う資格がなく、それは百花繚乱調停委員会委員長の資格すらも無い、と。
殴られ、蹴られ、叩きつけられて、七稜アヤメは心が折れた。
自分だけが貧乏籤を引かされて、こうやって痛めつけれて、最後は死ぬ。
「どいつもこいつも、ぶっ壊れてしまえ」
自嘲混じりの憎まれ口は、怪異に通じない。
七稜アヤメは死ぬ。
その直前。
「縛道の八十一、断空」
七稜アヤメと、怪異を遮る光の壁があった。そして、一人の少女が、七稜アヤメを守るように立っている。
「七稜アヤメ、安心すると良い。君はもう傷つくことはない。私がいる限り、君に指一つ触れさせないと誓おう」
「誰?」
地面には不気味な霧が漂う。
その中心に、藍染惣右介が静かに立つ。白い制服が夜風に揺れ、彼女の微笑みは、まるで闇そのものを嘲笑うように冷たく鋭い。
背後には、七稜アヤメが影のように佇む。彼女の瞳は、藍染の動きを静かに見守り、まるで舞台の観客のように無言でその結末を待つ。
目の前には、異形の群れ――百鬼夜行の名に相応しい、複数の怪異が蠢く。触手を振り回す黒い霧の怪物、鋭い爪で地面を裂く獣、闇を切り裂く速度で動く影、炎を吐く巨獣、そして無数の目を持つ不定形の恐怖。
それぞれが、百鬼夜行連合学園の闇から生まれ、常人ならば一瞥で正気を失うほどの脅威だ。だが、藍染の瞳には、退屈と軽い好奇心しか浮かんでいない。
「ほう、これが噂の百鬼夜行連合学園に登場する怪異か。キヴォトスも、なかなか趣深いものを生み出すものだ」
藍染の声は静かだが、空間そのものを支配するような重みを帯びる。
「だが、所詮は雑音に過ぎない。僕の前に立つには、あまりにも頼りない」
触手の怪異が、咆哮と共に藍染へ突進する。だが、彼は一歩も動かず、右手を軽く掲げる。
「破道の一衝」
と囁くその瞬間、無色のエネルギーが怪異を包み込む。空間が歪み、轟音と共に怪物は跡形もなく消滅する。残る怪異たちが一斉に動くが、藍染の周囲に漂う神秘圧は、まるで絶対の障壁だ。
獣の爪が振り下ろされ、影が突進し、炎が空間を焼き尽くそうとする。だが、藍染は微笑み、受け止める。
「遅いな」
彼女の視線が炎の巨獣に注がれる。巨獣が灼熱の炎を吐き出すが、藍染は左手を軽く振る。炎は触れる前に霧散し、まるで存在しなかったかのように消える。
「破道の七十八 斬華輪」
と囁く声と共に、怪異たちの動きが一瞬止まる。次の瞬間、藍染の背後から無数の光刃が現れ、巨獣を瞬時に切り刻む。
断末魔の叫びすら上げられず、灰と化す。無数の目を持つ不定形の怪異が、空間を埋め尽くす棘を放つ。だが、藍染の結界が全てを弾き返す。
「破道の四 白雷」
と一言。指先から放たれる光が、怪異を貫き、粉砕する。速い影が背後から襲い掛かるが、藍染の姿はすでに揺らぎ、幻のように消える。
影の中心を一閃。神秘圧の波動が、影を飲み込み、消滅させる。最後に残った爪の獣が、絶望的な咆哮を上げて突進する。だが、藍染の神秘圧が一気に膨れ上がり、獣が触れる前にその身体を押し潰す。
「君達ごときでは、低級の虚という評価すらできまい。しかしこの見た目……知っている者がいると考えたほうが良さそうだね」
彼が一歩踏み出すと、獣はまるで紙のように潰れ、消滅する。戦いは一瞬だった。百鬼夜行の怪異たちは、藍染の圧倒的な神秘と武力の前に、まるで塵のように掃滅された。
静寂が戻る。月光だけが、冷たく地面を照らす。七稜アヤメが一歩踏み出し、藍染の背中に静かに語りかける。
「七稜アヤメ」
「は、はい」
「そんな怯えた顔をしないでほしい。君を傷つけるためにここにいるわけではないのだから」
「ご、ごめんなさい」
「アヤメ、僕と友達に、なってはもらえないだろうか? 君の隣に立つ対等な者として。互いに助け、助けられるような、背中を預けるそんな存在に、僕はなりたいんだ」
七稜アヤメは、未来を変える運命の夜と出会った。
トリニティの圧力で爆発したハナコ
仮面を被って押し潰された結果、レボリューションするアヤメ
二人はとても仲良くなれる気がしますね