浦和ハナコと七稜アヤメは、少し仲が深まっていた。
「私は、百花繚乱調停委員会の委員長だった。誰からも頼られ、だからも尊敬され、だからも羨望される。そんな存在だったのだと思う」
「噂は聞いてますよ、性格も、武力も、能力も、神秘も良い完璧超人。百花繚乱の委員長なら七稜アヤメしかいない」
「その通り。私は完璧を演じていた」
アヤメの顔色は暗くなる。
「多くを救い、多くを助け、多くを与えた。最初は感謝された。多くの人から頼られた。そしてそれが当たり前になった。誰もが、助けられるのが当たり前になった」
最強無敵の委員長は、その優秀さと奉仕体質な性格ゆえに尽くすことを強いられた。
雑用から何から何でもだ。百花繚乱調停委員会は、紛争を調停する委員会だ。なんでそんな委員長に雑用を頼むのだ。おかしいだろ。身の程を知れ。
「私は私で、嫌と言えなかった。寄せられる期待に応え続けて、後に引けなくなっていった。失敗できるほど無能でも無かった。完璧の自分と、本来の私の境界線が曖昧になっていった」
「外行きの顔と、心の感情は違うものです。私も同じでした。有能だからと多くの人間に頼られ、敵意を向けられ、そして面倒になっていった」
「ああ……そうだ。私も、そうでした」
気分が悪い。
吐き気がする。
視界がぼやけ、グラグラする。
立っているのがやっとで、まるで大地震でも起きているかのようだった。
私はちゃんとできていた。
私は完璧にできていた。
私は努力を怠らなかった。
私は誠実に生きていた。
なのに何だこの有様は。
ふざけるな、断じて許さん認めて良いはずがない。
こんな劣等な血の混じる猿が満足するような苦しみを感じなければならない。
ヘラヘラと笑う猿が疎ましかった。
恥ずかしげなく、人を頼る猿どもに愕然とした。
凄い、流石、貴方にしかできない! そんな訳があるか現実を見ろ。お前はどの程度努力したというのだ。
これほど人のために時間を使い、労力を費やし、その見返りに得られる報酬はなんと少ないことか。
私の力を借りて成す成功が誇らしいか?
私の威光を傘に着て成す秩序が誇らしいか?
私の血を啜り、生み出す自由が楽しいか?
死んでしまえ。
壊れてしまえ。
呪われろ。
お前たちなんぞに渡すものなど一片もない。
私はお前たちを蔑如する。
できる努力を放棄し、蓄えられる知識を学ばず、ただ漫然と世界が当たり前にあるように振る舞う者たち。
どいつもこいつもぶっ壊れちまえ。
「アヤメさん、アヤメさん」
「あっ……私」
ハナコの声は柔らかく、まるで夜風のように優しくアヤメを包んだ。
彼女は迷わずアヤメの肩に手を置き、ゆっくりとその小さな背中を引き寄せた。
ハナコの掌は温かく、まるで凍えたアヤメの心を解かすように、そっと円を描く。アヤメは顔を上げず、膝に顔を埋めたまま震えていたが、ハナコの温もりにわずかに身体を預けた。
ハナコは言葉を急がず、ただアヤメの髪をそっと撫でた。彼女の指先は、アヤメの乱れた髪を一本一本丁寧に整えるように動く。その仕草は、まるで壊れ物を扱うような慎重さで、しかし確かな愛情に満ちていた
「大丈夫です、アヤメさん。私達は藍染さんに見出されました。救われたわけではありません。しかし、猶予を得ることができました。一緒に、探していきましょう」
「ああ……っ」
ハナコは小さく頷き、アヤメの頬に残る涙を親指でそっと拭った。その指先は少し冷たかったが、アヤメにはそれすら温かく感じられた。
「アヤメさん、この部屋では誰もアヤメをジャッジしません。ここでは、泣いても、叫んでも、ダメな自分を見せてもいいんです。私には、アヤメさんがどんなでも関係ない。アヤメさんはアヤメさんだから」
その言葉が、アヤメの心の奥に突き刺さった。ハナコの優しい声、穏やかな眼差し、彼女の手の温もり――それらが一気にアヤメの抑えていた感情の堤防を崩した。
「うっ……うぁ……!」
アヤメは声を上げ、堰を切ったように大号泣した。彼女の嗚咽は部屋中に響き、まるで今までの全ての重圧、期待、孤独が一気に溢れ出すようだった。
彼女はハナコの胸に顔を埋め、両手でハナコの服をぎゅっと握りしめた。ハナコの胸元はアヤメの涙でみるみる濡れていくが、彼女は気にせず、ただ強く、温かくアヤメを抱きしめた。
「いいゆです、アヤメさん。全部出していい。泣きたいだけ泣いていいんです」
ハナコは囁くように続け、アヤメの髪を撫で、背中に腕を回し、彼女の震える身体を全身で受け止めた。彼女の声は優しく、しかしどこか確固とした力強さがあった。
アヤメの大号泣は止まらず、彼女の声は嗚咽と混ざり、言葉にならない感情の奔流だった。ハナコはただ、黙ってその背中を撫で続け、時折アヤメの額に自分の額を寄せ、彼女の存在を全身で感じた。
ハナコの髪がアヤメの頬に触れ、その柔らかさがアヤメの心に小さな安堵を刻む。ハナコの腕はアヤメを包み込み、まるで世界の全ての重圧から彼女を守るように、しっかりと、しかし優しく抱きしめていた。
部屋の中は、二人だけの時間が流れていた。そして、浦和ハナコはその隣で、静かに、しかし確かに、彼女を包み込むように寄り添い続けていた。