エデン条約がやってくる。
敵対していたトリニティとゲヘナが手を結び、平和を望むことを刻む調印式。
それにはいくつのもの困難がある。
それぞれの学園の差別意識や優劣感情。
三大マンモス校の二つが手を結ぶことによる勢力図の大きな変化。
権力の在り処や、指揮命令系統の混乱。
そして外敵。
当日。
藍染とハナコは、桐藤ナギサと聖園ミカが調印式の古聖堂へ行っている間に、ティーパーティーより一つ階級は下がるものの、トリニティの命令系統の管理を行う内政管理室へ足を運んでいた。
その中のひとりが、藍染の顔を見て近寄ってくる。
「藍染さん!」
「やぁ、久しぶりだね。テラー個体の制御は順調かい?」
「半々、といったところでしょうか。ハイリスクハイリターンなのは変わりません。神秘覚醒は第四段階まで可能です。会得には本人の努力次第ではありますが」
「そうか。ならば今回は神秘覚醒した者達を出撃させるべきだろうね。テラー個体は、文字通り切り札だ。初手に全力は嫌いではないけど、あまりに前衛的だ」
「了解しました。トラブルのあとは藍染さんが指揮を?」
「そうだね。私ならば広範囲での伝達が可能だし、私のしようとしていることを見せたい人がいるんだ」
藍染が話していた少女は、ちらり、と浦和ハナコを見る。
「彼女が、例の?」
「いいや、そういうのではない。だけど、経験しておいて損は無いと思ってね」
「なるほど。了解しました。では、トラブルまでここでお待ち下さい」
「ありがとう、助かるよ」
用意された椅子に座りながら、浦和ハナコは藍染に問いかける。
「これから何をされるんですか?」
「これから外部の敵対者によって、トラブルが発生する。最小の被害では巡航ミサイルだが、最大ではヘイロー殺しや、テラー化を会得した生徒たちが強襲をかけてくる筈だ」
「ヘイロー殺しに、テラー?」
「簡単に言えば、僕たちを殺せる火力を持った敵が攻撃を仕掛けてくると考えてくれて良い」
「目的は?」
「エデン条約の乗っ取り、時間稼ぎしている間にロイヤル・ブラッドを生贄に捧げて色彩を召喚。そして色彩を召喚して目指すのは自己強化だろう」
「なるほど……それは、大変な事態になりますね。先手を打って止めることは?」
浦和ハナコの問いかけに、藍染は首を振る。
「それは不可能だ。性能的にも、策略としても、勝つ自信はある……だが、それは不可能なんだ。これは原作の『特異点』に該当する。『エデン条約の調印式は襲撃される』という概念は、我々がどのような手段を用いても変えることが出来ない」
「ですが……それこそナギサさんを行動不能にしてしまえば可能なのでは?」
「代理がやるだろう。他に関しても『特異点』前後や、『特異点』の条件を変える事は出来ても、阻止には至らない」
「だから、藍染さんは暗躍されていたのですね。この『特異点』に対して何かしらのフォローをするために」
「聡明だな、浦和ハナコ。多くの人が傷つき、嘆くエデン条約の調印式の襲撃。防ぐことは出来ない。だが、最小の犠牲で収めることは出来る」
「藍染さんははこの世界の法則に対して、どうしてそこまで」
「私は常に、私を支配しようとするものの敵だよ」
「それが、運命だとしても?」
「我々に運命などない。ただ無知と恐怖にのまれた者だけが、その濁流の中に堕ちていく」
「持つべきは……勇気、ですか」
アラートが鳴る。
「来たか」
空は灰色の膜に覆われ、まるで世界そのものが息を潜めているかのようだった。
キヴォトス上空を切り裂くように、赤い軌跡が無機質に進む。
解析されたデータは、敵性巡航ミサイル――神秘破砕型戦略機動四型――の存在を冷たく告げていた。
地上では、迎撃システムの砲台群が、まるで神経細胞のシナプスが発火するように、一斉に反応を開始する。
無数のミサイルコンテナが開き、迎撃弾が火を噴く。空気が震え、金属と爆音が交錯する戦場のオーケストラが始まった。
「目標は調印式会場の3000メートルまで到達」
「目標内部に高エネルギー反応」
「まさか!」
オペレーターたちの声は、指揮室の硬質なコンソールに反響し、まるで機械の心臓が鼓動するかのように響く。だが、その瞬間、巡航ミサイルの表面から無数の光点が炸裂した。レーザービーム――まるで神の裁きの矢のように、正確無比に砲台を貫く。
爆炎が上がり、鋼鉄が溶け、迎撃システムは一瞬にして無力化されていく。人間の反応速度では追いつかない速度で、戦場は赤い敵性の支配下に塗り替えられていた。
「デコイを展開」
「砲撃手の安全を最優先、防護アーマーを展開」
オペレーターの叫びは、しかし、どこか空虚に響く。キヴォトスが誇る最新鋭の迎撃装置――その設計図には、技術者の汗と、科学の粋が詰まっていたはずだ。だが、敵はそれを嘲笑うかのように、先制攻撃で破壊していく。
レーダースクリーンには、青い味方陣営のシンボルが次々と消滅し、赤い敵性シグナルが無感情に点滅する。戦場の論理は、冷酷で、効率的だった。
藍染は、内政管理室の中央で、まるで舞台の演出家のように悠然と佇む。その瞳は、戦場の混乱を映しながらも、どこか遠くを見据えているようだった。
「なるほど、こちらが苦労して用意した迎撃装置も、使う前に壊されてしまっては意味がない。巡航ミサイルからの先制攻撃とは面白い考えだベアトリーチェ」
彼女の声は、まるで紅茶の香りを愛でるように軽やかだった。だが、その背後で、戦場はさらに苛烈さを増す。レーダースクリーンには、青い味方陣営の損失が、まるで細胞が壊死していくかのように広がっていく。人間の感情では抗えない、機械の論理が支配する戦場。そこでは、希望も絶望も等しく数値に還元される。
「巡航ミサイルからのエネルギー攻撃、停止」
「再度高エネルギー反応」
「超超高エネルギービーム掃射が発生」
「市街地域へ破壊被害増加」
「迎撃装置の7割が消滅」
「調印式古聖堂へ着弾まであと……」
「巡航ミサイル、着弾」
爆音が世界を飲み込み、調印式古聖堂は一瞬にして炎と瓦礫の海に沈んだ。空気は熱と金属の匂いで満たされ、まるで文明そのものが焼却されるかのようだった。
オペレーターたちの声は途切れ、指揮室は一瞬の静寂に包まれる。だが、その静寂は、まるで嵐の前の予兆のように不気味だった。
藍染は、ゆっくりと手を叩く。
まるで、予定調和の舞台の幕が下りたことを祝うかのように。
「さて、諸君。襲撃だ。まずは紅茶でも淹れようか」
その言葉は、戦場の残響を背景に、どこか不条理な余裕を漂わせていた。世界が燃え、システムが崩壊し、人間の意志が無力化される中で、藍染の微笑みだけが、まるで別の次元から戦場を見下ろしているかのようだった。紅茶の湯気が立ち上るイメージは、まるでこの破滅に、皮肉な一節を添えるかのようだった