あるサブトレーナーがトレーナになるまでの話。   作:七篠トレーナー

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1-自己紹介をする。

 春の夕暮れ、桐野家のダイニングには、香ばしい珈琲の匂いとカップが触れ合う軽い音が満ちていた。

 四人掛けのテーブルに座っているのは、兄の桐野怜(きりのれい)と妹の桐野恵(きりのけい)、そして(はれ)。母の形見であるカップに注がれた琥珀色の液体が、窓から差し込む西陽にきらめいている。

 

「お兄ちゃん、本当に……これ、本物なの?」

 

 妹の恵が目を丸くして、テーブルに置かれた小さな金属のバッジを覗き込んだ。

 トレセン学園の公式トレーナーバッジ。中央トレーナーの証であり、最難関とされる試験を突破した者だけが手にできる輝きだ。

 

「そうだよ。これがトレセン学園のトレーナーバッジ。俺、合格したんだ」

 

 桐野晴(きりのはれ)は、少し得意げに胸を張った。

 指先でそっとバッジをつまみ、部屋の灯りにかざしてみる。光が反射して小さな輝きを作った。

 

「わぁ……! おめでとう、お兄ちゃんっ!」

 

 恵はパッと顔を明るくして拍手する。

 ついでにそのまま飛びつくように抱きつき、晴は受け止めて少しよろめいた。

 

「おっと。はは、ありがとう」

 

 カウンター越しに、その様子を見ていた兄の桐野怜(きりのれい)が、ゆったりと笑った。

 彼は両手をタオルで拭いながら言う。

 

「いやぁ。本当にやったな、晴。お前が受かるとは思ってたけど、実際にバッジを見ると実感が湧くな」

「受かると思ってたって……信じてなかっただろ、兄さん」

「はは、まぁな。試験が難しいって聞いてたからな。でもよくやった」

 

 怜は晴の肩をポンと叩く。喫茶店〈風月〉の店内は、もう閉店後の静けさに包まれていた。

 昼間は近所の学生や会社員で賑わう店も、夜はこうして家族だけの空間になる。

 

「せっかくだし、ちょっとだけお祝いするか」

 

 怜がカウンターの下から、炭酸の瓶とグラスを取り出した。

 晴にはジンジャーエール、恵にはオレンジジュース。怜は缶ビールを開ける。

 

「じゃあ――晴のトレーナー合格を祝って、かんぱーい!」

 

 三人のグラスが軽やかにぶつかる。

 ジンジャーエールの泡が、喉を通るときに心地よく弾けた。

 

「はぁ、なんか、夢みたいだな」

「試験、やっぱり大変だったの?」と恵が首をかしげる。

「そりゃあもうめちゃくちゃ。筆記も実技もギリギリだよ。特に実技は、最後の模擬指導で失敗しかけたし。最終面談はなんか、上手いこと行ったんだよね。それのお陰かも」

 

 晴は笑いながら頭をかく。

 怜はその横顔を見て、目を細める。

 

「でも乗り越えたんだな。ほんと、よくやったよ」

「まだスタートラインに立っただけだよ。これからが本番」

 

 店内の明かりは少し落とされていて、キャンドルライトのような柔らかい光だけが漂う。

 外はもう夜。ガラス窓には街灯の淡い光が反射している。

 

「お兄ちゃん、これからは学園の寮に住むんでしょ?」

「うん。チームに配属されるからね。……新生活だな」

「さみしくなるねぇ……」

「はは、大丈夫だよ。すぐ顔出すって電車で一本だぞ」

 

 晴はグラスを傾けながら笑う。

 こうして家族に囲まれて祝ってもらえる時間が、たまらなく心地よかった。

 

 

 

 トレセン学園のトレーナー室。

 書類の山と、整然と並ぶ机。窓から差し込む春の光が、少し眩しい。

 

 その中央で、桐野晴(きりのはれ)は背筋を伸ばして立つ。

 

「今日からサブトレーナーとしてこのチームで働かせてもらいます。桐野晴と申します」

 

 トレセン学園の一室――トレーナー室。

 今季、トレーナーの資格を手にし、真新しいトレーナーバッジを付けた桐野晴が深くお辞儀をした。まばらに、ゆったりとした拍手が聞こえてくる。

 

 やや癖毛の黒い髪は少しだけ長く、後ろで束ねられている。

 少しツリ目の明るい茶色の目が、ウマ娘や先輩たちの様子を伺っていた。

 頭を上げると、チームメンバー全員がゆるく拍手をして迎えてくれているのが見えた。

 

「というわけだ。こちらこそよろしく、桐野君」

 

 桐野の少し前に立つのは、上背のある男――霧原悠希(きりはらゆうき)

 彼は桐野よりたっぷり10cmは背が高いだろう。

 桐野は中肉中背。トレーナーになるために体を鍛えているので、一般と比べればかなりしっかりしている。だが霧原は、客観的に見ても桐野より見栄えが良い。

 ストレートのやや短髪の髪、濃い茶色の穏やかな目が印象的だった。年齢は聞いていないが、二十代後半だろう。

 二十一になったばかりの桐野と比べると、"大人"としての落ち着きや風格が強く感じられた。

 子どもの頃は「大人とは、子どもより高いところにいる存在」程度の認識だったが、さまざまな大人と接していくうちに、その中でもさらに差があるのだと桐野は思い知っていた。

 

 霧原は柔らかく笑みを浮かべ、軽く会釈を返した。

 

「じゃあ軽く抱負などあれば、みんなに一言聞かせてやってくれないか」

 

 霧原の手の動きを追い、その先を見ると、ソファーと別に用意した椅子に座っている四人のウマ娘の視線が一斉に桐野に向けられていた。

チーム<アルファルド>は、新進気鋭のチームとして知られており、いずれも実力者揃いだという。

 

 本来なら五人で構成されるはずのチームだが、現在は例外的に四人編成となっている。チームを組むと利便性が向上するため、その恩恵を限定的ながら享受している状態らしい。サブトレーナーの配置は義務ではないが、必要性が高いことから桐野が招かれた、という経緯である。

 

「ええ。では、僭越ながら」

 

 改めて一礼をし、桐野は口を開いた。

 

「私は、すべてのウマ娘が楽しく走れる世界であることを願っています。

 そのためにトレーナーになりました。

 走るのが苦しくても、たとえ一着が一人だけであっても、

 それでも走る姿を見るのが、私は好きなんです。

 喜ぶときは共に喜び、挫折するなら支え、悔しいときには寄り添う。

 そんなトレーナーを目指して、全力で取り組んでいきたいと思います。

 まだ大人になったばかりの新米ではありますが、

 皆さんの力になれるよう努めますので、ご指導ご鞭撻のほど、よろしくお願いいたします」

 

 最後にもう一度深々と頭を下げ、ひとつ息を吐く。

 すると、先ほどよりややテンポの早い拍手が聞こえてきた。

 

 ゆっくりと顔を上げた桐野は、再び四人のウマ娘たちの顔を見渡した。

 シンボリルドルフ、シリウスシンボリ、オグリキャップ、メジロマックイーン。

 ただ立っているだけで空気が引き締まる。

 

「シンボリルドルフだ。よい演説であったよ。初心貫徹。しっかりとトレーナー君のもとで学ぶと良い」

 

 そう声をかけてきたのはシンボリルドルフ。無敗三冠、G1を六つ制覇している。

 流石に有名すぎてトレセン学園の外でもよくその顔を見かけるウマ娘だ。

 座っている姿が既に凛としていて、それでいて無駄な力が入っていない自然体に近い。

 カリスマ性を備え持っているというのも実際を見てみれば納得のものだ。

 

「……シリウスシンボリだ。まぁ、ちゃんとついてこられたらの話だがな」

 

 次に声をかけてきたのは、シリウスシンボリ。

 外から聞こえる言葉は「気性難」だ。たしかに口が悪い。ソファーのアームに片肘をついている。態度も悪いが所作自体は恐ろしく似合っている。明らかに機嫌が悪そうに見える。それは見下しているというより、自信に裏打ちされた態度なのだろう、と桐野は受け取った。雰囲気は明らかにシンボリルドルフを意識している。同じチーム内だが良いライバル関係を築いているのかもしれない。

 

「私はオグリキャップ。期待している。ところで料理は好きか?」

 

 次は芦毛の髪をしたウマ娘オグリキャップ。このウマ娘もちょっと戦績がおかしい。

 詳しい話はさておいて、地方ウマ娘が引き抜かれて中央で活躍をした。という話が概ねの流れだ。昨年度の有記念は制覇したことで一躍トップウマ娘となる。順調なまま今年度は出れたらいいところまで取れたのではないかとは言われている。

 話は聞いているように見えるが、ちらちらと茶請けのお菓子に意識を取られかけている。

 

「ま、まあ実家が喫茶店だから少しはできるよ」

 

 他のウマ娘含めて、耳をピクピクと動かす。年頃の娘たちだ。甘いものには目がないのだろう。

 そんなことを考えていたら嬉しそうにオグリキャップは言う。

 

「では、いずれ伺わせていただこう」

 

 よだれが。と思ったが流石によだれを垂らすことはなくキリッとした表情で桐野に頷いた。

 まあ、兄には一報を入れておいた方がよさそうだ――そんな考えが、桐野の頭をよぎった。そして残りの一人に視線を向ける。この時点でこのチームだけで八つのG1を制覇している。それは当然の格付けである。

 

「次は私ですわね。メジロマックイーンと申します。どうぞよしなに」

 

 お嬢様然としたウマ娘。背筋が伸びていて姿勢が良く柔らかい笑みを浮かべている。今年クラシック級だ。目標は天皇賞の楯を欲するのはメジロ家の既定路線と言った所。噂ではステイヤーだと聞いていて、三冠ではなく菊花賞を目標にするのではないかと言われていて、現時点でも着実に勝利を重ねている。

 名門メジロのお嬢様なので、お嬢様然というより本物のお嬢様なのだ。

 

「私もお邪魔してもよろしくて?」

 

 少し間が空いた。どうやらオグリキャップの話の続きのようだ。

 年頃の娘だからか。やはり甘味とかそういうのは気になるのだろう。

 

「ああうん。いずれ案内させてもらうよ。ウマ娘が来ると言ったら兄も喜ぶだろうし。

 ただ、ウマ娘に食べてもらうにはカロリーやら量やら考えなきゃいけないし、少し時間はもらうかもしれない」

 

 と答えれば満足したように頷いた。

 ウマ娘達はその表情より耳や尻尾のほうがよく反応するようだ。

 四人四様の個性。その存在感に、桐野は改めて息を整えた。

 

 

 

 

「じゃあ次に自己紹介してもらおうかな。

 桐野くんには彼女たちのデータは渡してあるが、彼女たちは桐野くんを全然知らないからね。

 このタイミングでしか聞けないことってのもあるだろうから、質問があればどうぞ」

 

 いざ自己紹介。と言われても言いづらいことと言いやすいことがある。

 どうしようかな。と少し考えれば、二度、三度と頷いてから両手を広げる。

 

「先ほど言いました通り、オレは桐野晴で、今年二十一になったばかりの新人トレーナーです。正確にはサブトレーナーです。

 実家は喫茶店をやっていて、両親がいないので兄が奥さんと一緒に経営している。オレも手伝いをしながらトレーナーの勉強をして現在に至ります」

 

 言いながらスマホを操作し始める。自己紹介中に行儀が悪いとは思うが続ける。兄と妹と3人で撮った写真を見せる。

 

「妹もいて、まだ妹は14歳なので、キミ達よりちょっと上かちょっと下です。

 なので女の子特有の相談もまあまあ受けてるのでそういう話もできなくはないし、必要だったら妹に相談してみてもいいかも? トレセン学園外の女の子と話すのもいい機会だと思うので、もしそういう事があれば言ってほしい。妹もまあまあウマ娘が好きなので、喜ぶと思う」

 

 物珍しそうにスマホの写真を見る三人のウマ娘。シリウスシンボリは興味なさそうにはしつつも、視線だけ向けている。こういうのが新鮮だ。というような雰囲気だ。

 

 両親は数年前に事故で他界しているが、うちの家族は既に乗り越えていて、振り切っている。我ながら心の強い兄妹だと思う。

 ちょっとだけしんみりした雰囲気になりそうなのを打ち消すように言い切った。

 

「仲いいんだよね。兄弟仲とかで困ったら相談してね!」

 

  話を聞いた感じだと、トレセン学園は全寮制であるため、一般的な外の世界については疎いことが多いと聞いた。

 もちろんファッションや様々なトレンドの情報は常にやり取りされていて、外からではなくここが発祥になる流行りもそれなりにある。

 レースがあるから日本全国どこにでも飛ぶし、全く持って外界から隔離されているというわけではない。トレセン学園の近所には商店街だってあるし、デートスポットもそこそこある。

 

「似てませんわね」

 

 メジロマックイーンがぽつりとそういった。

 実際に似ていないのだからしかたない。

 

「兄と妹は父親似で、オレは母親似なんだよね。ちょっとだけ疎外感感じるよね」

 

 妹も兄もそこそこ顔がいい。自分は少し劣るぐらいだが、悪くはない程度には見れる面構えをしている。それは亡き両親に感謝する他ない。まあウマ娘は総じて大いに可愛いや綺麗のど真ん中だ。あんまり気にしない。

 

「ああいえ、そういう意味ではないのですが」

 

 桐野の言葉に少しだけバツが悪いといった顔をして頭を下げる。

 桐野は気にしてないよ。と軽く手を振って返す。

 

「まあいい。それでなにか得意なことは? 趣味とか特技とか、まさかとは思うが『トレーナー業以外何も知りません』なんてつまらないことは言うなよ?」

 

 シリウスシンボリが声をかけてくる。趣味や特技。というのは話の話題としてはいいのだが、実際に聞かれると困るものの筆頭だと桐野は思う。

 これがヒト同士だったりするとそれなりに話が通じるのだが、ウマ娘は別だ。

 なにせ、運動系の特技は大体ウマ娘に勝てないのだ。

 尻尾と耳の有無以外に隔絶とした能力差がそこに顕在する。

 

「うーん。そうだなあ。趣味は釣りとか筋トレとかだけど、あとちょっと変わった趣味があるとすれば――」

 

 と、言いながら両手を広げて見せる。

 

 す、と視線がこちらに集まるのがわかる。

 手首をスナップして、戻すと、そこに先程までなかったはずのトランプが出てくる。

 誰からかはわからなかったが「おお」という感嘆の声が聞こえてくる。

 

「――こういうことぐらいかな」

 

 その状態で両手を胸元まで持ってきてもう一度手を振る。そうすればトランプが消えて行く。

 消えたと思ったら手を開いてみせるとそこには今度は花が四本出てくる。

 そしてその花を一輪ずつウマ娘に渡していく。

 

「やるじゃないか。フジみたいだな」

 

 オグリキャップが花を受け取り、その花の香を確かめるように鼻を動かしながら言う。

 

「まだまだ、こっからが本番だよ」

 

 その言葉にトレーナー含めた五人がハッと桐野の手に視線を集中させる。

 右手を少しだけ前に向け、手の甲を内側にして、左手を口元に添える。

 

 瞬間。手の内側に炎が浮かび上がる。

 シンボリルドルフは少し目を見開いて感嘆している。シリウスシンボリは「ふん」と。鼻を鳴らすだけ。メジロマックイーンは「まあ」と両手を合わせていた。オグリキャップは我慢しきれずにお菓子を食べていた。

 

 強めに右手を振るとその火は消える。そして何も仕込んでいないのを見せびらかすかのように両手のひらをみんなに向けて、終わりだと示すように頭を下げた。

 

 その瞬間頭をクリップボードで叩かれた。

 

「いったあ!」

 

「手品でも火を使うのは良くないね。火災検知器が反応したらどうするんだ」

 

 と霧原に怒られてしまう。しかし、その顔は感心した様子であって怒っている様子はなかった。

 そのあとに自己紹介のときとは違って純粋な拍手がおきた。

 

(一芸に助けられる。掴みは良かったかな)

 

 ただ、()()()()()()()()()()()。と桐野は笑顔を浮かべた。

 

「ご好評でなにより。オレは()()使()()なんだ」

 

 冗談交じりにそういえば、もう一度見せて! と誰かが言ってきた。

 ()()()()()()()()()()()()()()。そう、桐野晴は、――()()()()()使()()だった。

 胸の奥に溜めていた息を吐き出すように、桐野は静かに笑った。

 ――ここから、自分の新しい日々が始まる。

 春の風が、窓の外で静かに揺れていた。

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