あるサブトレーナーがトレーナになるまでの話。   作:七篠トレーナー

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6-夜風に当たる。

「今年、ルドルフは凱旋門を目指す――」

 

 その一言に、桐野と白椿はぎょっとして目を見合わせた。

 慌てて個室の障子から顔を出して左右を確認する。なにせ桐野ですら知らされていなかった情報だ。どこぞの“ウマの耳”にでも入れば一大事である。そんな内容を、よりにもよって居酒屋の一室で発するなど。流石の白椿も顔を強張らせ、桐野が「大丈夫そうだ」と言わんばかりの表情で安堵する。本当に個室でよかった。

 どうやら霧原は、ビール三杯ほどでかなり酔いが回っているようだ。

 

「原っち先輩、それはマズいっす。マジで」

 

 白椿が低く鋭い声で牽制する。

 二人は無言で頷き合い、霧原が伝票を手に取った。

 

「くそ、先輩に奢ってもらおうと思ってたのに、台無しだぜ」

 

 桐野が先に会計へ向かい、支払いを済ませる。まだ初任給すら受け取っていないというのに、財布は軽くなる一方だ。

 個室へ戻って上着を羽織ると、千鳥足まではいかない霧原の肩を支えて歩き出す。

 それにしても、完全に酔っ払いだ――と、桐野はげんなりした顔で霧原を見上げる。自分より背が高く、威圧感もある男だが、今はただの酔いどれである。酔っ払いというものは、時代も場所も問わず、似たようなものなのかもしれない。

 タクシーを拾い、三人でトレセン学園へ向かう。

 

「先輩、水飲んでください」

 

 居酒屋前の自販機で買ったペットボトルの水を霧原に手渡す。

 相手が女の子ならともかく、男相手にここまで世話を焼くのは正直やりたくなかったが“この人、何をしでかすかわからない”という認識は、桐野と白椿の間で共有されていた。

 二人は心の中で、今後はあまり酒を飲ませすぎないようにしようと誓い合う。同時に、今日の会話は互いの胸に秘めることも、まるでお持ち帰りされた女子大生のような彼を見てに誓った。

 ウマ娘が未成年だらけの集団でよかった、と心底思う。女性トレーナーが混ざっていたら洒落にならない。

 

「ああ、悪い」

 

 霧原はぼそりと謝り、水を受け取って飲み始める。その様子を横目に、桐野はため息を吐いた。

 トレーナー寮暮らしでよかったなと、少し他人事のように考える。

 

 この霧原という男は、きっと自制心が強いがゆえに、いろんなものを抱え込んでいるのだろう。発散するには、今日の酒は少し強すぎた。

 年齢の近い桐野や白椿からすれば、霧原は少し遠くにいる人間だ。嫌われてはいないが、霧原の同世代からするには仲良くなるには壁がある。

 

「オレと椿なら、いつでも付き合いますから。まあ、飲みすぎないのが一番ですけど」

 

 成人したばかりの桐野と、少し年上の白椿。意外にも、彼らの方がこういう経験には慣れているのかもしれない。

 自分の酒量を知らない者には、見張る人間が必要だ。

 競バで例えるなら、逃げのつもりが後ろの後輩に釣られてペースを乱し、バテたようなものだ。

 

 大抵の人間は、何度か失敗して「もう飲みたくねぇ……」と思いながらもまた飲みに行く。そして、自分の体とアルコールの距離感に折り合いをつけていくのだ。

 

 そんなことを考えているうちに、トレセン学園の関係者用通用口に到着する。

 この時間帯、正門は閉まっているため、出入りはこちら側となる。

 常駐している警備員にトレーナーパスを提示して中へ入ると、警備員は霧原の様子に少し驚いた顔をした。

 

 ――あの霧原トレーナー、新人に酔い潰される!?

 

 頭の中にそんなゴシップ記事が浮かび、桐野は苦笑した。

 

 酔ってうわ言のように「ああでもない、こうでもない」と呟く霧原を無事に寮まで送り届けると、桐野と白椿は、言葉を交わさずとも示し合わせたように夜風に当たるように歩き出す。酒気を飛ばすように、静かに。

 

 昼間は何かしら騒がしく、太陽の熱以外の熱気も相まってか、いつも息苦しいくらいの空間だ。しかし夜になると見回りの人が歩いている以外に、人の気配はほとんどない。

 ウマ娘たちには門限があり出歩く者はいないし、トレーナー室も一部を除いて明かりが消えている。残業を頑張っているのだろう。彼らが日付をまたがないことだけ願いたいところだ。

 たいていは警備員に見つかって帰宅を命じられ、翌日には、駿川たづな――笑顔の絶えない恐怖――にお小言をもらう。残業自体はかろうじて黙認されているが、日をまたぐと何故かばれて、笑っていない笑顔で迎えられる。

 

「俺も何回か注意されたわ。あの人パソコンぐらい正確だよな」

「わかるわー。相当書類あるはずなのにちゃんと全部読み込んでるんだろうな」

「専門の事務員とかもっと良いと思うけど、個人情報多すぎるしな」

「まあ、思うけど難しいんだろうね」 

 

 トレーナーの数が足りていないのは誰の目にも明らかだが、中央のトレーナー職は最難関といっても過言ではない。質が何より重視される。

 なにせ、学園にいる男性は全員成人済み――もちろん女性トレーナーも多数在籍しているが――生徒はみなウマ娘。

 それも中等部から高等部までの中高一貫校で、思春期真っ只中の子どもたちだ。Collegesの名があるからには大学相当の棟もあるのかもしれないが、大半は未成年で占められている。

 考えれば考えるほど、なぜ女性だけの種族なのだろうと不思議に思う。――が、向こう(前世)の世界にも女性だけの種族、男性だけの種族がいた。そういうものだと納得して、深く考えるのはやめた。

 ともかく、悪意ある大人から守るのは大前提。そのうえでこの学園は成り立っている。どれほど人間より身体的に強かろうと、子どもは子どもだ。

 大人とは、本来子どもを導く立場にある存在であり、その責務を負う。精神的に余裕のある大人が子どもを守るための――一種の箱庭。そう考えれば当然の話だ。

 

 夜風に当たりながら歩いていると、たまたま寮に帰るウマ娘とすれ違った。

 こんな時間まで出歩いているのはおそらく自主トレーニングの帰りなのだろう。軽く会釈したらウマ娘は気まずそうにしていた。

「夜道、気をつけてね。寒いし、暗いし」

 思わず声をかけてしまった。彼女は少し首をかしげてから笑い、「はい、ありがとうございます」と駆けていった。

 酒の匂いしてないかと不安になりつつその見送る。

 

「正直ビビったね、原っち先輩」

「オレもびっくりした。そんな話ミリも聞いてなかったわ」

 

 お茶を買ってベンチに男二人で腰掛ける。それからようやく、思い出したように二人で笑い合う。額にお茶のペットボトルを当てて涼んでいるうちに、ぽつぽつと話が始まった。

 

「早急に晴がサブトレーナーに組み込まれたのって、それを想定してたんじゃないか?」

「まあ、確かに……。あの理事長なら、そういうことも織り込み済みな気がする」

 

 頭に浮かぶのは扇子を持った帽子の幼女。あれで理事長というのだから驚きだ。

 妹と年が変わらないくらいに見えるが、女性の成長というのはイメージしにくい。

 毎回開くたびに文字が変わるあの扇子の仕組みが気になったが、考える間もなくその思考は霧散した。

 

「あんまり口にしないでおこう。実際に発表されてから考えることにする」

「それがいい。ないとは思うけど、ここでも誰かに聞かれる可能性はあるし」

 

 近々発表はあるだろう。仕事量もきっと増える。と、予想して思わず舌を出す。

 

「とりあえず明日、原っち先輩にはこのレシートの代金を払ってもらおうと思ってる」

「そういや、晴が払ってたな。俺もてっきり、先輩に奢ってもらえると思ってたわ」

 

 二人でカラカラと笑い合う。

 意外と気が合うのではないかと桐野は思った。周囲が女性ばかりの中、男同士の気安い関係はありがたい。実のところ、同期との友人づくりには失敗していた。

 最初は仲良くなろうとしていた同期たちが、霧原のサブトレーナーになると決まった途端、急によそよそしくなった。霧原のいる場では口にしづらい話だったが、そもそも話題にすらならなかった。実際にチームメイトと顔を合わせた時、その理由には納得がいった。

 

 それからも、ぽつぽつと他愛もない話をしているうちに、時間は過ぎていく。

 久しぶりに業務外での談笑が思いのほか楽しかったのか、互いに話が弾んでいた。

 

「……考えてみたら、()()()()()()()()()って言ってたのも、これを見越してかー」

「確かに。仕事量の加減や、晴の育成のためかと思ってたけど、裏があったな」

「いや、それが分かるわけないっしょ」

「だな」

 

 妙だなとは思っていたが、ちゃんと理由があった。

 目まぐるしい話の流れに、頭が少し重くなる。

 

「よし、酔いも冷めたし、寝るわ」

 

 ちょうど会話が途切れ、時間もいい頃合いになった。白椿が先に立ち上がる。

 「お前は?」と視線を桐野へ向けた。

 

「オレはもうちょい夜風にあたってるわ。ちょうど気持ちいいし」

 

 ゆっくりと歩く白椿を見送りながら、桐野はベンチの背もたれに身を預けた。両腕を広げて背もたれにかけ、少し呼吸をつく。飲み会帰りだったからネクタイはしていない。ワイシャツのボタンも一つ外している。

 

 見上げれば、星空が広がっていた。トレセン学園は広く、そして夜は暗い。周囲の明かりが控えめなおかげで、空は意外とよく見える。田舎ほどではないが、そこそこに見晴らしのいい空だった。

 

「おや、そこにいるのは桐野くんか」

 

 そんなことをぼんやり考えていたところで、声をかけられた。振り向くと、少し驚いたような表情をしたシンボリルドルフがそこにいた。

 

「やあ、ルドルフくん。いい夜だね」

 

 桐野は空に視線を戻しながら、軽く言う。酒の匂いはもうだいぶ引いていると思うが、相手はウマ娘だ。きっとまだ残っているのだろう。

 

「こんな時間に見回りか。生徒会長は大変だね」

 

 へらりと笑いながらそう言った。酔っ払った姿を生徒に見られるのは気が引ける。先に寮へ戻っておくべきだったと、少し後悔する。

 

「ああ。この時期は新入生がいるからね。スカウトされていない子が夜間に抜け出して自主トレしていることもある。志は立派だが、規則を守ることも学んでほしいからね。何事も発端肝要――というわけで、生徒会で定期的に見回りをしている」

 

「それはもっともだね。さっき見かけたよ……まあ、飲み会明けの俺は、生徒の模範には程遠いかもな」

 

 片手をひらひらと上げて、冗談めかしながら謝る。これも、日本人的な反射のようなものだ。ルドルフはそれに対し、構わないよとでも言うように、静かに首を横に振った。

 

「今日の選抜レースの話、聞かせてもらったよ」

 

 ……やはりあの件か、と思い、少しくすぐったい気持ちになる。

 

「いやあ、ウマ娘を担いで走るなんて、さすがにやりすぎだったよ。猛省してる」

 

 思い返すと、あれは明らかにやりすぎだった。本人の意思を無視して抱きかかえたのは、下手をすればセクハラになりかねない。緊急時とはいえ、ターフ内で治療を受けさせれば済む話だった。治療自体は()()()()()()()()()が、専門のスタッフに任せたほうが確実なのだ。

 

「ふふ。でも――ウマ娘からは評判がいいみたいだよ。そういう話も耳に入ってきた」

 

 ルドルフの柔らかな笑みに、桐野はほっと胸をなで下ろす。訴えられる心配はなさそうだ。

 

「原っち先輩と、そのとき一緒に飛び出したトレーナーと三人でさ。そのあと話が盛り上がって、自然と飲み会の流れになって」

「……珍しいね。聞いてはいたけど、君が飲み会に参加するなんて」

「そうだろう? ……先輩、あんなに酒弱いとは思わなかったよ。楽しかったし、まあいいか。面白い話も聞けたし、学ぶことも多かった。……まだトレーニングに参加してないけど、担当を持ったら、俺もあんな気持ちになるのかなって思った」

 

 手うちわで首元に風を送る。逆上せた体もだいぶ落ち着いてきた。ルドルフに目を向けると、今夜の彼女は、少し年相応に見えた。

 

「それで――どういう話をしたんだい?」

 

 当然の疑問だ。ほんの少し前のめりになっているその様子に、桐野は自然と笑みをこぼす。

 

「興味ある?」

「んん。それなりには。私もトレーナー諸君がどんな話をするのか気になるよ」

「そうだよねー」

 

 ルドルフはわざとらしく咳払いをしながら、片目を閉じてみせた。存分に興味があるようだ。桐野は座っている位置を少しずらし、隣を示す。横にどうぞ、という意味でハンカチを出そうとしたが――思い出す。あれは怪我をしたウマ娘に渡したままだった。

 

 ……あの、名前も知らぬウマ娘が、無事に復帰し、どうかこれからも頑張ってくれますように。

 

「では、失礼しよう」

 

 ベンチの反対側に、ルドルフが静かに腰を下ろす。二人の間には、もう一人が座れそうなほどの空間がある。詰まりすぎず、離れすぎずお互いにとって、ちょうどいい距離感だった。

 

「秘密を一つ。これは明日にでも原っち先輩に聞かないといけないから、今は言えない話だ」

「――」

 

 その言葉に、夜気が少し冷えたような感覚が走った。わずかにピリつく空気。桐野は、霧原が独断で決めるような人間でないことを知っている。だからこそ、ルドルフにもその内容が察せられたのだろう。

 この冷ややかさは嫌いではない。桐野はむしろこういう剣呑な空気感を好んでいた。かすかに胸の奥に残る、向こう(前世)の世界での高揚感を思い起こさせる。霧原の視線を思い出し、彼とその愛バの性質はどこか似通っているのかもしれないと考える。

 

「あとはそうだね。ルドルフくんのことを、めちゃくちゃ褒めてたよ。もう惚気かっていうくらい。羨ましいぐらいにね」

 

 ルドルフの耳がピクリと動き、尻尾が忙しなく揺れ始めた。

 普段なら意識して抑えているだろうその動きが、今は自制なく表に出ている。

 

「ど、どんな風にだ?」

 

 両手をベンチの座面に置き、ぐい、と身を乗り出してくる。近い、と桐野は片手で制した。

 

「これは内緒。原っち先輩にも怒られるし、チームメイトにも良くないことだからね。

 普段は絶対に言わないし、多分あの場だから漏れ出たくらいの話だと思って聞いてほしい。

 『僕のルドルフの偉業』って感じでさ。どれくらい凄くて、どれだけ輝いているか……十分は語ってたね」

 

 桐野がにこりと笑みを浮かべながら答えると、シンボリルドルフの顔はみるみる赤くなっていった。いつもの凛々しいウマ娘の姿はそこにはなく、月灯りに照らされるのは一人の恋する女学生の表情だった。

 ああ、これが青春か。桐野は心の中でそう思った。

 

 思えば、前世の自分は生きるのに必死で、こうした話には縁遠かった。今の自分もまた、こういう事柄に興味を抱けないことを自覚している。トレーナーとしての試験勉強ばかりで、それ以外の感情を()()()()()()()のだ。

 

「そうかな……僕のルドルフ……」

 

 桐野の言葉を、ルドルフはうわ言のように繰り返し、少しだけ体をよじった。

 これが“皇帝”の姿か、と桐野は内心で思う。その反応は予想以上に大きく、もしかすると失言だったかもしれないと感じる。

 

 ルドルフの好意はもちろん明白だ。そして、霧原にとってもルドルフは()()ではなかったとしても、()()であることは間違いないだろう。

 それでも、ここまでの反応は少々過剰に思えてならない。

 

 ……まあ? 将来的には自分も独立してトレーナーになる。その頃には、この話も含めて責任を取るのは原っち先輩で、自分ではない。

 桐野は心の中で、ひそやかに責任を転嫁しておいた。

 

 もっとも、当の霧原という男は、普段はそのあたりの立ち回りをきちんとこなしていると、この二週間近く一緒に過ごして桐野は感じていた。

 チームメンバーの誰かを贔屓することなく、常に満遍なく振る舞っているのだ。

 

「ルドルフくん、そろそろ表情が崩れてきているよ?」

 

 夜風に汗が冷え、桐野はそろそろ帰りたい気分になってきた。

 ルドルフはしばし反芻して満足したのか、両手で頬を押さえ、表情を整えようとしている。

 その様子を見ない程度には桐野にも容赦はあった。自然と空へと視線が向く。

 

「お互い、今夜あったことは秘密にしよう。酔っ払って外を歩いていたなんて外聞が悪すぎるし、

 他の同期にまた睨まれるのもごめんだし、ウマ娘の情操教育にも良くない」

 

 この夜空を見上げると、桐野はいつも思う。――自分がいた前の世界(前世)とは、まったく違う空だと。

 

 チーム〈アルファルド〉の「アルファルド」が星の名前だと聞いたとき、強くそれを意識した。星の名をチームに冠するのは義務ではないらしいが、慣例として定着しているらしい。

 

 以前の世界にも、()()()でいう「極天」や「北極星」のような目印になる星はあった。だが星座という概念はなかったし、空の表情もまったく異なるものだった。星空に関しては、正直、向こう(前世)の世界のほうが綺麗だった。

 

 とはいえ懐かしむほどの思い出は少ない。記憶も少しずつ薄れてきている。未練も、もうあまりない。このまま忘れていっても、たぶん後悔はしないだろう。

 

「……ってわけで、ここは一つ。お互い見なかったことに」

 

 桐野は、改めて深く頭を下げた。

 しばらくして平静を取り戻したシンボリルドルフが、こくりと頷いた。




改めて確認すると寮は併設されている様子。
ちょっと熱が引いたらこのあたりは修正します。
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