腹凹毒蟲【Q】 作:アンディライリーのうさぎ
プロローグ
呪術廻戦。呪い渦巻く世界。
前世で人気を博した漫画世界に彼女は転生した。死因は果たして何だったか。ブラック勤めで、最後にうっすら記憶にあるのはふらついてそのままホームの下へ落ちる我が身。スマホでちょうど週刊誌の最新号を読んでいる最中だった。
そして目覚めれば赤ん坊からのリスタート。あからさまに呪いみたいなのがふわふわ漂っていた。ガッテム。
彼女がいるのは身寄りのない子供が集められた特殊な施設。もうこの時点できな臭い。
さぁどうするか。そこが問題だ。施設から逃げるのはまぁ無理だろう。仮に自分に強い呪力や術式があったとして、逃げた先で強い力を持つ者に待つのは暗澹たる未来だ。
クラウチングスタートで大ゴケかました状態だが、ここから巻き返させてくれ神様仏様。
今世は過労死しない程々で平穏な生活を送りたい。心の底からそう思う。だが喉から手が出るほど渇望するその願いに反して、腹のうちでは別の感情が渦巻く。
推しを救いたい。
そう、推しを救いたいのだ。百発百中で彼女が好きになると死んでいった推しの骸は無数。もはや何かの呪いかと思いたくなるほどに。
助けたい。生きて、そして幸せな人生を歩んでほしい。この世界でその望みを叶えるのは難易度が鬼過ぎる。でも彼女には原作の知識というデカいアドバンテージがある。それを生かし、それこそ
だから、彼女は決めた。
────七海建人を救おうと。
施設で育った彼女には名前がない。代わりにあるのは腕に彫られた番号だ。そこを切り取れば異質であるが生活は至って普通で、子供たちは絵本を読んだり遊んだりして過ごす。何とも平穏な日常。施設の大人も子供に優しく、いつもニコニコしている。子供達にとっては彼らが親代わりで、慈しむように頭を撫でられ、健康的な食事に温かいお布団でぐっすり眠ると、ここのきな臭さが太陽のふんわりした匂いに変わってしまうような気がした。彼女は枕に顔を埋める。太陽の出所はここからだった。
そんな穏やかな毎日が続けば、彼女の野良猫のような精神もすっかり絆されてしまった。時折血を取られ健康状態をチェックされるが、それもただの病気がないか調べるためではないか。診察に来る者たちも普通の医者や看護婦の格好をしている。
テレビでVHSのアニメだって見れる。子供たちもすくすく育って、親目線で彼女もそれに混ざった。箱庭みたいな場所。毎日残業だったあの頃の方がよっぽど地獄だったと、彼女はふと思った。
幸せの味はキャンディーみたいに甘い。
口の中いっぱいに広がって、唾液とともに飲み込まれてドロドロとした甘いそれが体内に染み渡っていく。
疑問の裏で、その幸せの味は毒だった。
施設の人間は言っていた。ここが孤児院という場所で、親のいないみんなを育てるための場所だと。ニコニコ笑って言う。
恐怖の蛇は彼女の足元からもう首元まで迫っていて、彼女はその感情が漏れ出てしまわないように必死に蓋をした。
逃げなければ逃げなければ逃げなければ。しかししっかりと管理されたこの箱庭で、彼女が逃げる余地はなかった。
夜にぎゅっと目を瞑り、推しの死の今際を思い出す。推しは必ず死ぬ。嫌だ死ぬなよと思ったが死んだ。本人は思い残すことはないみたいな綺麗な顔をして逝きやがった。そんなの許さないし絶対に死なさない。彼女は布団の中で丸くなって、神に祈るみたいに強く強く手を握る。こうやって毎日一人で儀式をするのだ。目の前の恐怖に打ち勝てるように、自分の目的を明確にして体が震えないようにする。
でなければ生きられない。怖い。
そうして朝が、こんにちは、と彼女に挨拶をする。
【19××年 ×月×日
──────『蠱毒』開始】
子供たちは「最後に残った一人のみが助かる」と受けた命令に最初は理解できなかった。
閉じ込められた真っ白な部屋の中で、彼ら彼女らはやがて空腹になった。「おなかすいたねぇ」と声が上がった。「そうだね」と声が続いた。
ここで突然だが、ペットの多頭飼いで餌も与えられなかった猫が他の猫の死骸を食ってました、なんて話があるのをご存知だろうか。
究極の飢えの中で、それを人間に置き換えたらどうなるのか。対象はしかもまだ倫理観が育っていない幼子だ。
きっと、ムカデ人間に心奪われてしまった青年マーティンだったら心の底からニッコリできる光景が生まれるに違いない。
血生臭い。
この世の地獄だと、彼女は思った。片腕と片足はすでに食われてなくなり、その痛みがずっと消えない。悍ましいほどの血や肉片やその他色々、この真っ白な箱を汚しに汚している。
最初は緩やかな地獄だった。それが一人が他の子供を食った段階で油に引火した火みたいに地獄が加速した。
昨日まで友達だった子供を殺す。“視える”側の彼女には、視えざる者たちには見えない呪いが見えている。濃くて吐きそうなほどの重苦しい空気。涙と鼻水で顔はぐしゃぐしゃだ。
無様に壁の隅へ隅へ逃げる。這って、死にたくないと願う。その感情がまた呪いへ転じる。
あ、と声が漏れた。彼女の足を誰かが掴んだ。痛みがさらに広がっていく。意識が遠のいていく。瞼が降りていって、這いずっていた彼女の進みは完全に止まった。悲鳴も途絶える。生を失い、彼女を死が迎え入れる。
死体になった彼女の側ではいつの間にいたのか、一匹の黒い小さな芋虫がにょきにょき這っていた。
芋虫はパクパクムシャムシャ、自分の肉体より大きな呪いを食べていく。また死んだ子供の皮も肉も骨も血も、すべて食べていく。どんどん肥え太る芋虫は最後、一人残った子供も食らい、赤黒く染まった部屋を綺麗に掃除するように丸ごと舐め尽くし動きを止めた。
ヒーローでいう変身タイムだ。
繭を作って、さなぎは眠りに入る。それから時が経ち、さなぎがもぞもぞと動いた。
そして生まれる。呪いの子が、産声を上げた。
【19××年 ×月×日
────『蠱毒』完了】
古き良き日本家屋。これまた古くから続くとある宗教お抱えの建物であるここで、一人の幼女が縁側で転がっていた。
烏羽の如き長い黒髪に真っ赤な目。ぐぅ、と腹の虫が鳴る。
「わたし、おなかがすいた」
側に控えていた女中に幼女はもの申す。三時間前普通の人間が見れば引くほど大食いをして埋まった胃の中はすでにカラ。この幼女の胃はブラックホールだった。
「では櫻さま、三時のおやつと致しましょう」
「わーい!!」
白い頬を真っ赤にして幼女ははしゃいだ。
穏やかな午後だった。