腹凹毒蟲【Q】 作:アンディライリーのうさぎ
七海建人はデンマークの血が入ったクウォーターだ。見た目はしかし日本人離れしている。金髪に緑がかった青い目と、彫りの深い顔。体型もすらっとしており、キツ目の容姿だが女子に人気があった。人並みに恋愛経験もしている。
彼が重要視するのは自分との相性で、容姿の美醜はあまり問わない。美人でも、いや美人だからこそ、
恋愛の面倒くささは中学の時に十分経験した。だから当面は距離を置こうと思ったが、そうもいかなくなった。
「少し…か、考える時間をください」
そう言い逃げるように去り、七海は教室に戻った。この時彼の脳内では机に突っ伏して「はぁ……」とたそがれる灰原を前にし、いろんな考えがよぎった。
断れば今後の先輩との付き合いに軋轢が生まれるかもしれない。受け入れたら受け入れたで、灰原との関係が悪化する。この件があの尊敬できない先輩にバレたら絶対に茶化されるだろうし、そもそもこの学校の人数が少ないせいで、人間関係一つをとっても気を遣わなければいけない。
グルグルと思考が回り立ち尽くす七海に気づき、灰原が「どしたん?」と声をかけた。七海は何を言うべきか迷い固まって、言った。
「……けっ、結婚を前提に告白されたんだが、どうすればいい?」
彼は非常に混乱していた。
第一次七灰戦争の勃発である。戦いの狼煙が上がった。しょっちゅう喧嘩になる五条や夏油と違い、この二人は喧嘩したことがない。七海の発言を受け、彼が「しまった」と思った時はすでに遅く、フリーズした灰原が「七海の裏切り者ォォ!!!」と教室から逃げて行った。
待ってほしい。告白してきたのは向こうなのだ。七海だってクエスチョンマークがマリオのコインぐらいに湧いて出ている。
灰原が向かったのは尊敬する夏油の元で、この件が二年生ズにも伝わることになった。「え、嘘だろ? ナイナイ」みたいな反応をしていた五条と家入は、事実確認に向かいそれがマジであることを知った。
唯一夏油は「私のことが好きじゃなかったんだ。よかった…」と胸を撫で下ろしている。よく安倍から熱い視線(おまえ、うまそうだな)を受けていたので、勘違いをしていた。あの先輩は軽いトラウマなので苦手だ。
七海は相手の気持ちを考慮し、一か月間の“お試し”期間を設けることにした。お互いまったく知らない状況なのだ。どんな人間性か知って、その上で七海は付き合うかどうかを判断したい。家入は「どこかの二人と全然違うわ…」と言っていた。
灰原もしばらくしてから立ち直り、二人は仲直りして第一次七灰戦争は幕を閉じる。第二次は灰原が七海のカスクートを「一口ちょうだい!」と言って、日本でいう北海道から関東地方を奪ったことで勃発する。
櫻は果たして七海が「ナナミン」だから好きなのか、そもそもこの感情の正体が恋で合っているのか分からなかった。
イマジナリーフレンドナナミンは最近また出張に行っていていないから、彼に聞くこともできない。なぜ幻想の存在が現実の、しかも一回りも若い姿で現れているのだろう? 生贄の誰かの記憶が自分に混じって、そうしてできあがったのがナナミンだと思っていたのに。その考えは違かったのかもしれない。
例えば
イマジナリーフレンドナナミンもそういった、人間の常識では説明不可能なものではないのかと彼女は思った。
まぁつまり、七海建人は「ナナミン」なのだろう。
恋愛経験がない彼女は、七海の「まだお互いのこともよく知りませんし、まず一か月のお試し期間を設けませんか?」という話に乗った。結婚前提のお付き合いは却下されてしまったけれど。それでも断られたらどうしよう、と後輩の家入に涙目になっていた心配は一旦免れた。すっかり乙女になっている彼女を男二人は狐につままれたような顔で見ていた。紅い目がこう、とろけているのだ。
こういう時頼れるのは先輩の歌姫と冥冥である。
あらあらまぁまぁ、あなたにもそんな時期が来たのね。先輩二人はメールや電話で恋愛のハウツーを教えてくれた。冥冥には“授業料”を取られたが。
しかしこういう時に限って任務が連続で入る。気づけばすでに仮のお付き合いから二週間経っていて、その間七海と携帯でのやり取りしかしていない櫻は焦った。あと二週間しかない? この後も任務は入れられるだろう。先輩から学んだ流行りのメイクや服の知識を使うことなく終わってしまうのか。ストレスが呪霊にぶつけられる。殺意を着飾って殺しに来る仮面の女(任務中はつける)は怖かった。
『休日空いていると伺いましたので、デートに行きませんか?』
任務後車の中でその文面を見た櫻は、思わず横に転がった。その拍子にシートベルトが胸に食い込み、「ゔっ」と声が上がった。
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どんなに相手のことが好きでも、“小さな嫌い”が生まれる。付き合うならばまず、お互いの趣味や嗜好を尊重したい。一方的な押し付けはのちに重大な欠陥となるだろう。
鏡を見て、長い前髪を七・三に整える。灰原は「そんなに長くて邪魔じゃないの?」と言っていた。
姿鏡で全体を見る。Tシャツの上に羽織った黒のパーカーとジーンズ。一通り見てからゴーサインを出し、財布と携帯を持って部屋を出た。
寮暮らしな都合上、相手とともに向かうこともできるが待ち合わせ集合にしている。何が問題かと言えば、周りがうるさい。特に五条さんが。部屋を出た後は知り合いとばったり出くわすこともなく、外に出ることができた。
それから電車に乗り、待ち合わせの場所に向かった。待ち合わせ時間は十時で、三十分前には予定通り着きそうだ。電車内はそれなりに混んでいて、吊り革を持ったまま掲示板をぼんやりと眺める。『そろそろ着きそうです』と相手に送ろうと思ったが、早く来るよう圧をかけたように見えるかもしれないと思いやめた。電車が止まる。
人混みの多い場所に行けば、黒いモヤのようなものがそこらかしこに見える。前は私に
「……あ」
相手はすでに来ていた。長身のためすぐにわかった。立ちながら腕を組むようにして携帯を操作している。サングラスか…。ゆとりのあるシャツにハイウエストパンツ。遠目で見ても威圧感がある。彼女の周りにはひと一人分の隙間を空けて誰もいない。しくじったか、と思えども携帯にはメールも電話も来ていない。
少し急ぎ「遅くなってすみません」と声をかけると、途端に表情が変わった。花が咲き綻ぶような笑みを見せ、あたふたと携帯を鞄にしまう。お転婆な動きで紅いヒールがコツコツと音を立てた。
「ぜ、全然待ってないから! 本当に! 全然!!」
「……まだ三十分前ですが」
「う、うん! 三十分前だね!」
どうやら彼女は集合時間の一時間前には着いていたようだ。
「少し予定より早くなりますが行きましょうか、安倍先輩」
「……ウ、ウン…!!」
五条さん曰く、この小動物のような彼女は普段の姿とまったく違うらしい。私の前では……と言っても実際に会って話した回数は少ないが、噛むこともよくある。
手を差し出すと、躊躇いがちに繋がれる。
「し、失敗だったかな…」
「何がですか?」
「え? あっ……スニーカーにすれば良かったなぁ、って…」
「ヒールも似合っていると思いますよ? 先輩の瞳と同じ色で素敵だと思います」
「………っ!!」
一瞬尋常じゃない握力が手に加わったがすぐに戻った。ここまであからさまに感情を出す人も珍しい。私のどこを好きになったのか、純粋に不思議だ。容姿だったら五条さんの方が比べるまでもなく優れている。
だから、気になっていた疑問を聞いた。
「七海くんだから好き…じゃだめかな? 私は七海くんの全部が好き。………大好き」
特大の砂糖の塊を溶かしたような、甘い声。手をそろそろと離した彼女は「ギュッとしてもいい?」と尋ねた。現実の時間は一瞬だったかもしれない。自分には果てしなく感じた時間の中で小さく頷く。
至近距離になったら、これまた甘い匂いがした。