腹凹毒蟲【Q】 作:アンディライリーのうさぎ
猫はこたつで丸くなって、犬は喜び庭を駆け回ると言うけれど、シベリアンハスキーだってこたつに潜り「ここがぼくの生まれ故郷、シベリアだ!」と主張したっていいだろう。
櫻は来年をどうするか悩んでいた。歌姫のようにモラトリアムの一年を最大限に謳歌するか。それとも冥冥のようにすぐに呪術師として働き始めるか。五年生まであったら七海ともう一年同じ学舎にいられたのに、という気持ちもある。寮を出る以上、今後会う機会は減るだろう。
彼女は悩んだ末に、海外へ旅行に行くことにした。この決定は歌姫の「この一年は宝の地図を持って大望を抱き潮風を胸いっぱいに吸い込むような、そんなかけがえのない時間なのよ!」という説得と、七海の「ただでさえブラックに働かされてるんですから…」という説得を受けたことが大きい。
どうせ自由なら、でかいことをやりたいと思うだろう。さすがにワンピースを見つけようとは思っていないけれど。絶対にデンマークには行く。そこで七海のデンマーク遺伝子を勉強する。予定に書き込まれたこのメモを七海が見たら、すべった芸人に向く観客のような視線を注ぐことだろう。
異性への恐怖は彼ピにベタベタしていたおかげでほとんど完治した。
アタッシュケースは何色がいいだろう。バックパックもね。
寒さも北風とともにどこかへ飛んで行った。こたつに籠城していたシベリアンハスキーも、芽吹く草花の匂いにつられて飼い主へアタックする。「早くぼくをお外に連れて行け!」と。
開いたメールには、桜の季節ですね、とあった。なんとびっくり、最後にサクラの絵文字もついていた。
誕生日はすでに祝った。桜が満開になる頃には彼女は日本を脱出しているから。
後輩にお土産をねだられながら別れ、櫻は海外へ旅たった。
彼女はついでに、「七海くんのメガネを絶対に見つけてやる!」と意気込んでいた。
サクラが散って、それから。呪術高専は新入生が入り五条たちは三年に、七海と灰原は二年になった。軽薄が制服を着て歩く五条に一年たちが洗礼を受けつつ、日常が続く。
五条は単独任務で学校にいることが少なく、夏油は一級から特級術師になった。二人は任務で顔を合わせる機会がさらに減った。ニコチンが友達の家入はニコチンを吸って、またニコチンを吸っている。七海は灰原とともに術師の力を順調に伸ばしていた。一年は一年で、たまに襲ってくるゴジョー台風にビクビクしながら過ごしている。
五条は変わらず「俺たち最強」と思いながら、後ろに誰もいないことに気づかず前を突っ走っている。
夏油は増える任務の合間で自分の行いの意味を悩み続けていた。自分は呪霊を倒している。けれどその意味は何だろうかと。拍手のメロディーは未だ彼の斜め後ろから流れている。
家入はたとえ内臓がぶちまけられた死体を見ても、何も感じなくなった。でも絶対にタバコだけは外せない。外したら、彼女は。
七海は時折携帯を見て、鍛錬に励んでいる。追いつきたい背中があるから、努力を惜しまない。
灰原の笑顔は相変わらず太陽だった。
まさかここに季節外れのユキが来るなんて、誰も思っていなかっただろう。
夏油傑は特級呪術師の九十九由基と出会った。九十九は呪いのない世界を作るため、海外を放浪しながら研究している。呪霊を祓うだけの高専と、呪霊そのものが発生しないようにと考えている彼女は上層部との関係が最悪だった。
夏油が九十九と出会ったのは、一つの運命だったのかもしれない。
人間はみな呪力を持ち、その漏れ出た呪力から呪霊が生まれる。しかし術師の場合、非術師と違ってその漏れ出る呪力をコントロールできるため、術師からは呪霊が生まれない。
だからこそ呪霊の生まれない世界を作るなら、非術師を皆殺しにすればいい。
それが夏油の出した答えで、九十九はそれを否定せず、その葛藤の上でどの道を選ぶかは夏油であると尊重した。九十九は夏油がどれほどギリギリだったかは知らなかったのだ。
賽は、投げられた。
「しかし君の先輩に会いたかったんだが、彼女がまさか私と入れ違いで海外に渡航してしまったとはね」
「……先、輩?」
「安倍櫻という人物だ。いやはや、タイミングが悪かったと言うべきか」
九十九は上層部と接触しないよう独立して行動している。そのため彼女独自の情報網が、それこそ世界規模で存在する。特級呪術師という肩書きは“繋がり”を作る上で非常に役立つ。
目的のため研究を続ける彼女は、海外の電気も通っていないような辺境の地で老婆から彼らが崇める神の存在を偶然聞いた。
『百虫様』と、現地の言葉で老婆は言った。大昔に異形を食らい、人々を守ったという百虫様。その存在は死した後も人々に崇拝され、異形から守り続けた。
口頭で伝えられてきた伝承のため、定かではない。興味深い話の一つとして九十九はその時思っただけだった。しかしその後また各地を回る中である宗教団体の存在を知った。すでに潰れたその団体は『アオムシ様』という存在を崇めていた。百虫様。アオムシ様。ただの偶然かもしれない。ただ少し気になり、宗教団体をさらに深掘りしてかろうじて団体が「蠱毒」を行っていた件や、アオムシ様の力を知った。
呪霊を食らい、人々をお救いになる。『百虫様』と類似した内容だった。
蠱毒が行われた場所の情報や資料はすでに証拠隠滅されたのか見つからず、団体に所属していたという人間も見つからなかった。『アオムシ様』も同様だ。
百虫様────あの老婆が教えた『
しかし九十九は見つけた。もしかしたら手掛かりになるかもしれない存在を。
五条家がその宗教団体を調べていると知り、こっそりと様子を窺っている中、術式が『
実際に「有望な生徒を教えろコラァァン!」とチェックしたが、書類に書かれた能力は九十九が想定していたものとは違かった。
知的好奇心をリュックサックにいっぱい詰めた彼女は、夏油に置き土産という名の闇落ちチケットを残して去る。
その前に、夏油は待ったをかけた。なぜ九十九が安倍と会おうとしているのか、その理由がまったく分からんのだ。
「私は彼女に興味がある。私の目的のためにその力が有用になるかもしれないからね」
「安倍先輩の力…?」
「彼女が後輩の君にも伏せている以上、私からは話せない。だがもし知りたいというなら、五条君を当たるといい。彼はおそらく知っているだろうからね」
じゃあね、と九十九は片手を上げ去って行った。
一人その場に残された夏油はふと、安倍が前に語っていた「人間が嫌い」という言葉を思い出した。
そして夏油は自分が九十九に語った「非術師は皆殺しにすればいい」という部分は伏せ、九十九由基が安倍に会おうとしていたことを五条に話した。
何か悟は隠しているのか。それは親友の自分にも言えないことなのか。そう夏油に迫られてしまえば、五条としては話さざるを得なかった。
五条は安倍家で起こった呪術界の胸くそ案件は話さず、というかあの件はあまりにも彼女にとっての地雷なので話せず、その前の件を話した。蠱毒やアオムシ様の件を話したのは、五条が夏油を
「蠱毒に、特殊な術式を持って生まれた子供…?」
「傑の術式にはじゃんけんで言う“グーとチョキ”な相性だ。…つーか、本当にあの女が安倍パイセンに会おうとしてたのか?」
「……あぁ、そうみたいだ」
また厄介そうな話だ、と五条は眉間の皺を指でほぐした。夏油の中では一つの疑問が渦を巻いている。その宗教団体は、まさか。
「術師もいたかもしれないが、非術師が作った団体だろうな」
力がないからこそ、力のあるものに縋る。そうして『アオムシ様』は人間にとっての都合のいい神として崇められた。
「………そうか。わかったよ、悟」
俯いた夏油に、五条はうまくかける言葉が見つからず背を叩いた。安倍に許可を取らず夏油に話してよかっただろうか。だが彼女は死神の鎌を五条に任せているので、問題はないだろうと彼は判断した。いざという時に安倍が、彼女の事情を知った上で頼れる人間が多い方がいいだろう、とも。
「…黙ってたこと、怒ってるか?」
「怒ってないよ。悟にも、先輩にも。むしろ話してくれてありがとう」
夏油は五条に顔を向けないまま、自分の部屋に戻った。