腹凹毒蟲【Q】   作:アンディライリーのうさぎ

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二十一話 爆発、大炎上。

 櫻は呪術師に復帰した。一時的に設けていた縛りも解いた。時折伏黒家にお邪魔して家事を手伝ったり、宿題を見たりする。お風呂に三人で入って湯船で十秒数える…ことはできなくなった。まだ小学生の恵が反抗期になってしまったのだ。

 

 お風呂に入ろうとしても顔を真っ赤にして、「絶対にイヤだ!」と言う。仕方なく櫻は津美紀と入った。姉は「恵はおませさんになったんだよ」と話していた。

 

 

 そんな二十代半ばになったある時の任務帰り。車中で櫻はスマホに進化した携帯をいじっていた。ガラケーは側面にストラップを付ける穴があったが、スマホにはない。そのためスマホカバーに付けている。

 

 ホットドッグマンは長年の体罰で体がボロボロ。それでも家に大切に飾っておくのは彼女の性分に合わない。常に一緒にいたい。これが今は『ナナミン』の代わりだ。

 

 

「新人ちゃん、お腹空いたからどこかいいお店探して」

 

 

 時刻はお昼。腹凹(はらペコ)の虫が栄養を捧げよと申しておる。「はひぃ〜!」な感じで新人補助監督はスマホを使い近くの店を調べ始め、いい場所を見つけた。

 

 店の店内に入ると小麦のふんわりとした匂いが漂ってくる。蜜に誘われて、千鳥足ならぬ千鳥飛びで近寄る蜂の気持ちがわかった気がする。全種類一個ずつ買った櫻は新人ちゃんの分も買い車に戻った。が、途中で電話が鳴り、大量の紙袋のうち半分を補助監督に渡す。

 

 特級ともなれば忙しい。現地の状況が記された資料に目を通して、呪霊をぶっ潰したと思ったらまた移動中に書類に目を通して。このまま過重労働(ブラック)で異世界転生しそうなくらいには日夜動き回っている。電話はやはり追加のお仕事の件だった。

 

「恵くんと津美紀ちゃんに会いたいなぁ…」

 

 電話を閉じた彼女に、後ろから声がかかる。

 

「安倍さん?」

 

 振り返った先にいたのは、随分とくたびれた印象を受けるスーツ姿の男だった。

 

 

「七海、くん……?」

 

 

 

 

 


 

 

 七海は大学卒業後、証券会社に就職したらしい。目の下にはくまがあり、頬も痩けている。元々老け顔だった顔はさらに老け、とても新社会人とは思えない。明らかに子持ちで、家のローンの返済と妻の育児疲れから来るヒステリーに苦しむ限界社会人十年目に見える。櫻の第一印象がまさにそれだった。

 

 流れで公園で食事を共にすることになった二人は、ベンチに一人分の隙間を空けて座る。補助監督ちゃんは車の中で待機中だ。

 

「パン、いただいてしまってすみません」

 

「だ、大丈夫だよ! いくらでも食べて…!」

 

 もそもそと食べる七海の横顔を櫻は凝視する。スーツ下の肉体は顔に対しかなりがっしりしている。呪術師ではないが、最低限は鍛えているのかもしれない。裾からのぞく腕の血管の隆起。幾重に分かれるその先をたどるとパンを持つ手にたどり着いた。

 

「食べますか?」

 

「えっ? あ…その、ほしいから見てたわけじゃなくて……そのっ…」

 

「……あなたは全く変わりませんね」

 

「そう…かな? 確かに身長はもう伸びてないけど…」

 

 七海は何か言いかけたけれど、口を噤んでしまう。静寂の中で水浴びの音が聞こえた。水道の下で鳩ぽっぽたちが遊んでいる。キョロキョロと偵察。すると一羽がお宝を見つけた。

 

 一羽が飛べば、お友達も飛び出す。お宝はベンチのニンゲン二人が持っている。彼らにはしかしハンターの素質がないから、愛嬌を振りまいて地面で首振りダンスを踊った。へいユーたち、オレらのパッションを見ているかい? ニンゲン二人はダンサーの存在に気づいてすらいなかった。

 

 

「な、七海くんはすごく渋くなったね。分け目が変わってるし、髪も短くなった。……ちゃんと眠れてる?」

 

「日常生活に支障がない程度には眠れています」

 

「そ、そっか……」

 

 櫻は紙袋からパンを取り出し、同じようにもそもそと頬張る。あんなにお腹が空いていたのに、食欲はどこかへ消えてしまった。

 

 言いたいことはたくさんあるはずなのに、上手く言葉で表現できない。「着拒してごめんね」とか、「七海くんの辛い時期に何もしれあげられなくてごめんね」とか、夏油の離反は否定しないけど、彼や灰原にも思うことはある。

 

 特に夏油は精神的に病んでいると気づいていたのだから、無理やりにでも休ませて呪術界から距離を置かせてもよかったのかもしれない。それこそ五条が櫻にしたように。

 

 呑気に海外で七海のメガネを探していた彼女は本当に、何もしていなかった。今更後悔したって、どうにもならないのに。握られた彼女の手が真っ白になる。

 

 

「五条さんから一時期呪術師を休んでいたと聞いていたんですが…今は大丈夫ですか?」

 

「うん、大丈夫だよ。(休んでいた一時期に)家族が二人できて、元気をもらえたから」

 

「……………えっ?」

 

「上の子は津美紀ちゃんって言って、下の子は恵くんって言うの。恵くんはまだ小さいのに反抗期になっちゃったんだ」

 

「………二人、ということは父親は?」

 

「いないよ?」

 

 まぁたまにサトゥルヌスも混ざるけどね、と櫻は続ける。サトゥルヌスについても聞かれた彼女は「悟の坊ちゃんだよ」と答えた。

 

 これでもかというほど眉間に皺が寄っている七海。説明しなくてもわかるだろう。今彼は“存在しない”想像をしている。妻に子どもを押し付けて仕事ばかりで家に帰ってこない悟パッパ。対して子ども二人の育児に明け暮れる櫻マッマ。「どうしておとうさんはおうちにいないの?」と娘に聞かれ、マッマは涙を流して言う。「あの人は私たちのことなんてどうでもいいのよ…」と。

 

 ちなみに七海の今日の睡眠時間は三時間である。

 

 

「……あ、ごめん。そろそろ行かなきゃ」

 

 

 スマホを見た櫻が立ち上がる。まだだいぶ残っているパンは「職場の人に配っていいよ!」と紙袋ごと七海に渡した。立ちあがろうとした彼女の手を、七海の手がつかむ。あの巨大ハンマーを振り回すとは思えない細い腕。七海は胸の奥から何か競り上がってくるのを感じた。これは胃酸ではない。だったら、この感情は何なのだろう。

 

 話すことはお互いいっぱいあるはずなのに。一つの大きな感情が、エアーズ・ロックのように他の感情の前に立ち塞がっている。

 

「…ストラップ、まだ付けていたんですね」

 

「七海くんとの思い出だからね」

 

「……櫻さん」

 

 向き合うと、ほんの少しだけ櫻の方が背が高かった。結局抜かせなかったのかと、七海は内心苦笑した。甘い匂いはけれど変わらない。でもダメだ。相手にはちゃらんぽらんのパッパと子どもが二人いる。だからそっと手を離し、七海は別れを告げた。

 

 

「子育て、頑張ってくださいね」

 

「…………えっ?」

 

 

 二人の誤解は、この後すぐに解けた。

 

 

 

 

 

 そして七海もまたストラップを持っていることを知った櫻は、愛の人間魚雷に乗り込んで目標に向かって想いを話そうとする。しかしその前に唇を塞がれて、七海の方から切り出した。

 

 

「結婚を前提に、私とお付き合いしてください」

 

 

 魚雷は爆発し、空にピンクのハート雲を作り上げた。

 

 

 

 

 

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