腹凹毒蟲【Q】 作:アンディライリーのうさぎ
伏黒恵は窮地に立たされていた。毎年恒例の姉妹校交流会。その打ち合わせに本日京都校の学長が来る予定だった。先輩にパシられた伏黒と同級生の釘崎はそして、校長に付いてきた京都校の生徒二人に出会すことになった。
一方は御三家の禪院家の血を引く少女で、もう一人は力士のような髪型が特徴的な男。問題はこのマゲ男だった。
「どんな女が
マゲ男、東堂葵の好みは
だが、伏黒は東堂の性癖に共感できてしまっている。「その人に揺るがない信念があればそれ以上は何も求めない」と、そう答えたいのに、答えられない。なぜならその性癖が伏黒にとって本物であるからだ。
「ちょ、ちょっと! どうしたのよ伏黒!!」
釘崎が黙り込んだ伏黒の肩を叩く。「お前まさかマジでムッツリなのか?」と彼女は一瞬思ったが、ありえない。だって常に冷静で真面目な伏黒恵だぞ?
これは相当東堂の不躾な質問に気分を害したに違いない。ただでさえ虎杖が死に、二人は落ち込んでいるのだ。ここは私がどうにかしないと、と彼女は一歩前に出ようとする。しかしそれを伏黒の手が止めた。
「俺は、俺が好きになった女性がタイプだ」
釘崎と禪院家の少女の目が丸くなった。こちらが気恥ずかしくなるくらいの告白をしおった。東堂は「ホォ?」と言い、具体的なその例を述べるように言う。
「タッパがでかい、小さい。胸がでかい、小さい──色々とあるだろう。お前の答えは抽象的すぎる」
例えば過去に好きになった女の特徴を挙げていけば、自ずとそこに共通点が生まれるはずだ。それこそが伏黒でさえ気づいていない彼自身の性癖なのかもしれない。そんな風に東堂は力説し、さらに伏黒は追い込まれる。もういっそのこと殴りかかって来てくれた方がマシだ。
「どうした? 答えてみろ、伏黒」
「三年が一年をいじめてそんなに楽しいわけぇ?」
「あら、そう言うアナタが一番伏黒くんの答え、気になってるんじゃないの?」
頼む…静かに……。伏黒はライナーになった。
思い返せば、伏黒少年の初恋は小学生の時。隣に座った転校生の女の子……ではなく、家にちょくちょく遊びに来るひと回り以上も年上な、色々とでかいお姉さんだった。
あれで好きにならない方が無理だ。純粋無垢だったあの頃にはもう戻れない。「恵くぅん、久しぶりにお風呂一緒に入ろうよ」と、中坊になっても言ってきた時は玄関から飛び出して夜の街を走った。自分が人妻だということを忘れてないだろうか? 彼女にとって恵は“子供”でしかないのだ。
『人妻』『NTR』『巨乳』、その他諸々。それが思わず検索履歴に並んでしまった自分を許して欲しい。これが思春期のカルマだった。
顔を真っ赤にして「わァ……」となった伏黒に、三人ともハチワレくんの反応で返した。
恵が中学の時、姉の津美紀が原因不明の呪いによって寝たきりになってしまった。どうする方法も彼にはなかった。カーテンが吹き込んだ風に揺られて、その下で津美紀は目を閉じて眠っている。
名前を呼んでみたり、スマホのアラームを故意に鳴らしてみたり。悪ガキらしい悪あがきはした。そんな半グレの悪ガキを叱ってくれた姉は目覚めない。
恵の膝に置かれた手が真っ白になる。御三家の相伝たる術式を持っていたところで、自分は姉一人助けることができない。無力な己を恵は恨んだ。
「一つだけ、可能性がある」
心がボロボロになっていた恵に手を差し出したのは、かつて自分に一度救いの手を差し出した五条だった。ナンセンスな目隠しで半分も隠された顔は表情が読み取りにくい。五条は尊敬できない男だが、信頼はできる男だと恵は知っている。だから、藁にも縋る思いで頼んだ。
泣きそうなその表情はスカした少年を年相応に見せた。歳を取るごとに父親とさらに似てくる顔に内心引いていた五条も、拍子抜けした気持ちになった。
後日、五条が連れて来たのは、まさかの恵が性癖を拗らせることになった原因だった。
オッスオッス、と軽い挨拶で病室に入って来た櫻は静かに眠る津美紀を見るなり真剣な表情に変わる。五条の六眼で視認した呪いの状態を聞きながら、彼女が出した答えは「多分いける」というものだった。
「だが、今はできない」
「な、何でですか!?」
「だから、できないったらできないんだ。しばらく待ってもらわないと」
「津美紀が………ッ!!」
ガン、と壁を蹴った音が室内に響く。暴れ馬を落ち着かせるようにどうどうと、五条が間に入る。
恵の頭は沸騰寸前だった。なぜ安倍はそんな事を言うのだろう。仮にも家族同然のように過ごした時間があるというのに。津美紀は今でも母親と姉の中間のような感情を彼女に抱いているというのに。
聞けば準備が複雑というわけではない。やろうと思えばすぐにできる。ならば、ならばこそ、どうして。
「まず先に問うけれど、君はそんな甘っちょろい覚悟を今後も持っている気かい?」
恵が嫌がっている呪術師になれば、死は自分含めて誰にでもやって来る。例外なのは五条くらいだ。
「禪院家の相伝を持っている君とて死ぬ時は死ぬ。そうなったら残された津美紀ちゃんはどうなる?」
「だったら、俺が強くなれば……」
「ダメだダメだ、それじゃあ。答えを与えてもらうのは簡単だけれど、答えを見つけるのは難しい。若い恵くんに必要なのは、自力で自分だけの信念を見つけることだよ」
「………」
「まぁ、それを私が呪いを解呪するまでの課題にしておこう」
こうして恵は課題を与えられ、時折五条に修行を付けてもらいながら力をつけて行くと同時に、自分の信念を探した。
それから数か月後、解呪の前に恵の答えを聞いた櫻は満足そうに笑ってウニ頭を撫でた。
解呪の件は他言無用である。現場に立ち会おうとした恵は五条によって追い出され、病室の前で佇むことになった。その場でどれだけ待ったか、それは記憶にない。頭の中は不安や祈りでいっぱいだったからだ。
やがて病室の扉が開き、招かれて入った先にはなぜか顔を真っ赤にしている津美紀がいた。五条もわざとらしく咳払いをして誤魔化しているが、顔が赤い。唯一ケロッとしているのは安倍だけ。色々疑問に思った恵だが、今は人目を忘れて喜びを素直に表すことにした。
抱きしめると、おずおずといったように津美紀も抱き返す。姉弟の数か月ぶりの会話だった。津美紀の体は入院生活ですっかり細くなってしまった。恵の腕の中にすっぽりと収まってしまう。
「また背が伸びた?」と耳元で聞こえた声に、鼻の奥がつんとした。堪えたいけれど、涙腺の蛇口は止まってくれそうにない。
二人の様子を見守っていた五条は、隣で微笑む安倍の横腹を小突き「先に言っとけよ…」と小声で話した。
「家族水入らずのところに邪魔者二人がいちゃ悪いね。我々はお暇しようか、サトリン」
「まーた呼び方変わってら。まぁそんなわけで、僕たちは行くね。呪いの方はバッチリ解けたから安心しなよ」
「あ、ありがとうございます!! それと……前に失礼な事を言ってすみませんでした…」
「いいって、私と恵くんたちの仲だもの」
去ろうとした櫻の背後に、「待ってください!」と声がかかる。津美紀は口元に手を当て、視線をさまよわす。
「あのっ…ど、どうして櫻さんは私にキスしてたんですか………?」
恵に詰め寄られた櫻は「呪いはキスで解くって言うじゃん?」などと誤魔化す羽目になる。
伏黒姉弟はこうして新たな扉をこじ開けられていった。