腹凹毒蟲【Q】 作:アンディライリーのうさぎ
両面宿儺のセルフキルアプレイ(心臓抜き)によって死んだはずの虎杖悠仁は、現在死亡扱いでピンピンしていた。事のあらましを詳細に話すと長くなるため、手短に話そう。
宿儺と縛りを結んだ記憶を忘れる前提でいくつか決めごとをし、虎杖は生き返った。それから始まった五条の厳しい修行の日々。
映画を見たり、ぬいぐるみにDVを受けて「や、やめてくださいあなた…!!(存在しない記憶)」となったり。
草むらから現れたほのおタイプの特級呪霊はポケモンマスターサトルによって致命傷を受けたが、惜しくも逃げられてしまった。
その後、虎杖はある人物と男子校生変死事件について調べることになった。
五条が連れて来たのはザ・大人の印象を受ける一級術師の七海という男。歳下の虎杖にも丁寧な対応で接する。ツンドラボーイの伏黒に遺憾なく発揮された虎杖のコミュニケーション能力は折り紙つき。あっという間に七海の懐に潜り込んだ。
「よろしくお願いします、虎杖君」
「オッス、よろしくお願いします!」
任務自体は順調に進んだ。ショッキングであったのは、人間が敵の手によって改造され、利用されていたことだろう。
虎杖は愚直すぎるほどまっすぐな少年だ。夏空の下で遮るものがないような眩しい笑顔を見せる。そんな彼は暗闇を直視することになった。人間の命がオモチャのように弄ばれている事実は、到底許せるものではない。
怒りを露わにする少年の姿は、七海に虎杖の優しさを感じさせると同時に、危うさも感じさせた。ゆえにその態度が少々露骨に出てしまったのかもしれない。
「あのさ! うーんと……」
「何ですか?」
「こう、なんて言えばいいのかなぁ…」
あぁでもない。こうでもない。上手い例えが見つからない。虎杖はミステリードラマの主役になったように考え、「あっ!」と人差し指を立てた。
イメージは公園で泣いている子供。はしゃぎ過ぎて転んでしまったのだ。膝からは擦りむけた部分から血が出ている。見るだけでも痛そうな傷だ。でも子供は泣き止む。頭に大きな手が触れて、わしゃわしゃと撫でられたからだ。
「七海先生って、父ちゃんっぽい!」
場がシンとした。実際七海は目を丸くしているのだが、メガネ(またはゴーグルか、サングラスか)のせいで虎杖には見えていない。
名推理に鼻息をフンフンさせていた少年もだんだんと肩を小さくさせてしまう。その様子に気づいた七海が取り繕う。「私はあなたの父親ではありませんよ」と。
「そりゃそうなんだけど、抱擁力がある感じがスゲェ父親っぽいんだよなぁ」
「…そうですか」
どうやら態度に出てしまったらしいと、七海はメガネに手を当てた。
「………まぁ、子供がいますからね」
「えっ、マジ!!?」
虎杖の食いつきは良かった。目が発光して、自分の推理の得心がいったように頷いている。
このシチュエーションは学校に実習生が来た時に似ている。熱烈な生徒の好奇心と、その渦中に立たされる実習生。それが今の七海と虎杖の図だ。
「七海先生の子供の写真見てみてぇ! 奥さんの写真も!!」
「………思っていたのですが、私は教職ではないので「先生」はやめてください」
「えっ? あぁ……じゃあナナミン、写真見せて!」
また静寂が訪れた。今度は虎杖の目に七海のメガネの奥が見えた。何か七海は言おうとしたようだが、開けた口を一度閉じる。「なぜナナミンなんですか?」と彼が虎杖に尋ねると、虎杖は「語呂がかわいいから!」と答えた。
ハァー……と、長いため息とともに七海はスマホを取り出す。待ってましたと言わんばかりに虎杖は身を乗り出す。家族写真にほっこりした直後、虎杖は重大なことに気がついた。
「奥さんの胸………デカくね?」
本音を発語してしまった虎杖少年は、お叱りのげんこつをもらった。
真人は呪霊だ。人が人を恐れて、憎んで。そうして生まれ落ちた呪いだ。まだ赤子同然とも言っていい彼は、子供のように好奇心旺盛である。人に興味はあるけれど、嫌いだ。対して呪霊は好きだ。
「君に魂が見えると言うのなら、人間の感情といったものも分かるのかい?」
額に縫い目のある人物は真人にそう尋ねた。真人は魂が見えるため、人間の感情の動きから生じる魂の揺らぎはわかる。
ただ相手が何をどう思っているかまではわからない。むしろ人間の感情というものは魂の代謝物に過ぎないと思っている。消しゴムで消した時に出るカスのように、命に重みや価値はない。それが真人の考えだ。
彼の答えを聞くと、相手は「そうか」と笑って言った。
吉野順平という少年は真人にとっての自由研究である。
順平は自分をいじめていた奴らを殺した真人に憧憬を抱いた。この出会いを機に、真人に力を願った少年は終の道を進むことになる。
真人が人間の少年で遊ぶ中、エモノは彼の残穢をたどり誘い出されるようにしてやって来た。
現れたのは呪いの王の器ではなく、メガネをかけたサラリーマン風の呪術師。向こうが真人の変えた元人間を倒す際に使っていた武器は鉈。動きを見て、なかなか良い実験材料が来たと彼は思った。
戦いは互角……いや、真人の優勢だ。向こうが一級術師でこちらが特級呪霊ということも理由にあるかもしれないが、何より真人の変幻自在の肉体が相手の七対三の比率点に強制的に弱点を作り出す力にとって相性が悪い。
仮に真人は傷を負っても魂に直接干渉されない限りは、肉体を再生し続けることができる。もちろんこれは呪力ありきの回復だ。
ただ、流れが変わった。ちょうど相手の──七海がネクタイを緩めたタイミングで。
真人との相性が最悪な以上、はかいこうせんを連発できるような五条でもない七海では倒す手立てがない。しかしこのままでは真人は逃げる隙を与えないだろう。
「フゥー……」
七海はネクタイを手に巻いた。次に鉈を背中のホルダーに戻す。武器を仕舞った彼に真人は眉を寄せ、「アンタどういうつもりなの?」と話した。
「ここからは時間外労働です」
その瞬間、七海の呪力量が上がった。ネクタイの巻かれた拳がギチリと音を立てる。
(呪力が増えていく? ………! そうか、これは時間による“縛り”……!!)
真人の見立ては当たりだ。七海は縛りを設けることで普段の呪力を制限する代わりに、彼が決めた時間外を超えると呪力が増していく。
思わず真人の笑みがこぼれた。うんうん、そうでなくては面白くないと。正直途中から彼の能力を警戒し、七海は回避する一方で退屈になって来ていたのだ。一級術師はまだまだ噛みごたえがありそうである。
「────えっ?」
相手が消えた、と思ったその時はすでに真人の頬に衝撃があった。体が吹っ飛び、壁にぶつかる。勢いのあまり首が百八十度曲がって、ちぎれそうになっている。自分の頭を手で元の位置に戻した、真人は再度「え?」と呟いた。
七海の呪力の増加が止まらない。四肢に張り巡らされたそれは大砲に当たってもびくともしないような均一で、それでいて強固に纏われている。人間ギリシャ彫刻だ。
(祓う方法がない以上、撤退する他ない……)
背後から狙われないように、しっかりと相手の動きを止めてから逃げる必要がある。懐に手を伸ばしながら、七海は一歩踏み込む。その衝撃で地面が凹んだ。
「どうなってんだコイツの縛り?」と、真人は思った。呪霊の生存本能が告げている。今は逃げるべきだと。相手の力量は一級術師ではない。この力は確実に特級相当だ。
「がっ!」
何かが真人の顔にかかった。片目を開けて見ると下に割れた小瓶のカケラらしきものが落ちている。手でそれを摘もうとする前に、強烈な痛みが襲う。
肉体から何かが染み込んでくる。酸が満ちたドラム缶に手足を縛られて徐々に溶かされていくような、そんな激痛。それが魂にまで及ぼうとしていると自覚した真人は、瞬時に無事な肉体の部位を切り離した。
──が、追い打ちとばかりに崩壊した壁や天井が降りかかる。相手の呪術師はすでに撤退していた。
その顔を、真人はしっかりと記憶した。