腹凹毒蟲【Q】   作:アンディライリーのうさぎ

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二十六話 とぐろ巻き

 歌姫は舞い上がっていた。遅ればせながら最近親交を深めた一つ下の後輩と、なんと今日カラオケに遊びに行く予定なのだ。長身な後輩は白のブラウスにデニムのジーパンで、スニーカーの出立ちだった。長い黒髪をハーフアップにしている。

 

「じゃあ行きましょうか!」

 

「はい、歌姫先輩」

 

 色々とでかい後輩は一歩外に出ると目立つ。身長もそうだが胸も尻もでかい。大浴場に一緒に入っているときに下着をどうしているのか聞いたこともあるが、合うサイズが中々ないので海外から取り寄せることが多いらしい。肩はやはり凝りやすいとのこと。

 

 

 店に着くとフリータイムで予約した。櫻は来たことがないようで、終始歌姫におんぶに抱っこである。周囲を物珍しそうにキョロキョロしていた。

 

 ドリンクを持ってきてつまめるものを頼んだ後、歌姫は手際良く予約していく。採点機能もあると知った櫻は「ほぉあー」と間抜けな声を出した。

 

「あなた中学時代に何してたの? プリクラも撮ったことがないって言ってたし…」

 

「人と戦ってました」

 

「えっ?」

 

「武道を嗜んでました」

 

「ビックリした。とんでもない戦闘狂が目の前にいるかと思ったじゃない」

 

 歌い始めた歌姫を見ながら、櫻は来た注文を食べていく。流行りの歌などさっぱりなため、雰囲気で楽しんだ。

 

「ふぅ…次は櫻の番よ。予約してあげるから、何か歌いたい曲はある?」

 

「それなら今日のためにいくつか曲をピックアップしてきました」

 

「本当? どれどれ…」

 

 メモ帳には英語表記の多い歌が並んでいる。どうやら後輩は洋楽はそれなりに聞くらしい。英語と格闘しながら歌姫は入力し終え、タンバリンを持った。ドラムの音が流れ、ギターが始まる。マイクを離して喉の調子を確かめた後、櫻は靴を履き飛ばし片足をソファーに乗せた。

 

 目つきが変わる。普段は仮面に隠されている戦闘時の目だ。「あら?」と歌姫が思った次の瞬間、うなり出したロックなリズムに合わせて地響きのような声が響き渡る。空気がビリビリと振動した。

 

 タンバリンは合いの手を忘れ、髪を振り乱す女の独壇場になる。歌姫の顔は呆然としている。まるで白昼夢を見ているようだ。

 

 普段はゆるっとした声から、どうしてこんなデスボイスが生まれるのだろう。もしかして声帯を二つ持ってお生まれになった? 

 

 

 狐に摘まれたような時間が終わり、次の曲に移る。色々と歌姫は言いたかったが、次第に彼女はロックでヘビーな熱狂の渦に呑まれていった。

 

 この魂まで震えるような感覚。タンバリンを鳴らす手が止まらない。今この部屋全体が地獄を作り出している。聞いた者を全員焦がすような灼熱のビートッ! 

 

 歌が終わった頃には、二人とも息を切らしていた。櫻はヘドバンのし過ぎで髪がボサボサになっている。

 

「あなたって激しいのが好きだったのね…盛り上がっちゃったわ」

 

「ホラー映画を見てたらいつの間にかハマっちゃって」

 

 ジュースを飲み、一旦二人は休憩してから再度カラオケを楽しみ始めた。

 

 

 

 

 


 

 

 七海が安倍と付き合ってそれなりに経った。休みに部屋を行き来することもよくある。付き合っているのだから当然性的な接触はあるわけだ。手を繋いだり、ハグをしたり。

 

 しかしまだキスはしていなかった。向こうがハグで大満足な顔をするのでそう気を急くものではないと思っていたし、異性にトラウマがあるとのことなので、殊更慎重に付き合っていこうと思っていた。こちらが強く出て怯えさせてしまったら元も子もない。

 

「七海くん!」

 

 お昼。相変わらずの七重弁当を持って一年の教室に来た櫻は、机にどっしりと載せてから七海に抱きついた。ハグを要求する前は手をガバッと開けるので、彼も少し手を広げる。

 

 隣でイチャイチャを見せつけられる灰原はすでに慣れてしまったので、顔を「(´ω`)(このように)」させながらおにぎりを頬張る。

 

「七海くん…」

 

「あの、もういいですか?」

 

「もう少しだけ〜〜」

 

 甘えるように背中に回る手がさらに七海と彼女の距離を密着させる。安倍は身長も去ることながら、胸や尻もでかい。本人は起立する時に何度も椅子を吹っ飛ばしたことのある尻や、シャツのボタンをしょっちゅう飛ばす胸がコンプレックスのようだ。ただ男子諸君からすると、ぐっ…となる代物なのだ。特級案件なのだ。

 

 そんな特級が自分の体に押し付けられている七海は、今まさに思春期のリピドーに翻弄されている。顔に熱が上ってしまうのはもはや仕方ないことだ。にしても柔らかい。

 

(灰原……)

 

 視線で七海は友人に助けを求めたが、「(´ω`)」の顔でもくもくと飯を食べていやがる。もう一度離れるよう頼むと、上目遣い…いや、下目遣いで櫻はそろそろと離れた。名残惜しげに腕の裾を掴むのがまたあざとかった。

 

 

 

 やがて七海は時期を見て、キスを申し出た。場所は櫻の部屋で、薄暗くした中で映画を見ている最中だった。指先が触れて手が絡み合ううちに、そういう雰囲気になった。甘くて、ドロドロとした欲望だ。七海は一度それを飲み込み、話した。キスしてもいいですか、と。

 

「いいよ」

 

 テレビの光を受ける横顔は場面が変わるごとに顔の印象を変える。青だったり赤だったり、カラフルな水中のようだ。その色が灰色になったタイミングで、顔を寄せた。

 

 はじめての経験でないにも関わらず、心臓がやけにうるさかった。近づくうちに目を閉じて柔らかい感触が触れた。肩甲骨の後ろ辺りから背骨に沿ってビリビリとした感覚が流れる。鳥肌が少したった。

 ぼんやりとした頭でお互いもう一度唇を重ね、また重ねる。その段階で理性のアクセルをかけるべきだったが、若き性欲が理性もろとも轢き殺そうとする。理性と煩悩の猿かに合戦が始まった。…かに思えた。

 

「えっ?」

 

 七海の背後にはベッド。上には目を細めて微笑する恋人。例えるならヘビの目だった。

 

 

「七海くん……だいすき」

 

 

 のしかかられ、キスの雨が降る。密着しきった状態で、唇や頬や耳──と、止まらない。

 

 コイツはまずいぞ、と逆に七海の頭は冷静になった。ドロドロに溶けた相手の「すき、すき」という声や、甘い匂い。耳元で息を吹き込まれるように囁かれるといよいよまずい。

 

「灰原ァ──!!!」と脳内で七海は助けを求めたが、当然ヒーローのように友人が現れるはずもなく。

 

「安倍、先ぱっ……」

 

「すき。すーきっ、だいすき」

 

「安倍さん!!」

 

 死闘はそれから続いた。勝ったのは七海だったが、色々とボロボロになった。

 

 

 

 

 


 

 

 飲まなきゃやってらんねぇ! ──そんな歌姫の魂の叫びにより、女たちで飲み会を行うことになった。彼女は東堂がいる京都高の教師。その日頃のストレスたるや中々のものである。酒好きの家入からはすぐにOKが出て、櫻や冥冥も参加することになった。

 

 しかしどこから話を聞きつけたのか、五条が「僕も交ぜてよ歌姫〜」と横から入り、またこの男が他の参加者を集めたことで規模はさらに広がった。

 

 最終的に店を一つ貸し切り飲み会が始まった。主催者の歌姫は「聞いてよ! うちの生徒(東堂)ったら…」と愚痴をこぼし、酒が回ってくると「でもぉ! みんなぁ! いい子たちなのよぉ!!」と話し始め、酒癖の悪さをみせ始めた。

 

 歌姫以上に酒を飲んでいる家入はシラフで、適当な相槌を打っている。冥冥も時折笑いながらアルコールを嗜んでいた。

 

 飲み会の席とは言っても、女は女で、男は男でと自然と席が離れた。男たちの方は号泣している伊地知の背を励ますように叩いている猪尾だったり、ジュースを飲みながらその話を爆笑して聞いている五条の姿が見られる。

 

 

 

 時間が経つにつれ、酔いつぶれる者や顔色ひとつ変えず飲み続ける者。暴れ始める者など混沌を極めてくる。

 

 五条への愚痴が止まらなくなっている歌姫の横で、家入に「はいどうぞ、先輩〜」と酒を注がれていた櫻はだんだんと口数が少なくなってくる。目が溶けて、顔が真っ赤になり、ぼんやりとした表情だ。ふふ、と吐息をこぼす様は色っぽい。おつまみの枝豆を皮ごと食べながら櫻は話す。

 

 

「七海くんはねぇ」

 

 

 ガタッ、と実際に音は鳴っていないが、家入と冥冥が体を寄せる。彼女らにとって飲み会の楽しみは酒を飲んだり愚痴を言うことであるが、同時に歌姫の痴態を見たり、恋愛話を聞くのも楽しいのである。

 

 そう。櫻は酔うと旦那への惚れ気が止まらなくなる。質問すると攻めた内容でも答えてくれるため、聞いている側は非常に楽しい。ゆえに家入と冥冥はわざとどんどん飲ませる。

 

 ちなみに七海は子守でいないので遠慮なく聞ける。

 

「櫻先輩、もっと旦那とのエピソード聞かせてくださいよ」

 

「うん、いいよぉ」

 

 高専時代はハグをしただけで顔を赤くしていたのが、今はハグをしても微笑むだけで顔を赤くしない。あの頃の七海くんは可愛かったのに! ──と、櫻は力説する。

 

「分かるわぁん。あの頃の七海くぅんは可愛かったもの」

 

「うん。すっごくかわいかったの」

 

「あたしがパァンを盗んだ時の必死の形相なんか、まさに小動物みたいだったわぁ!」

 

「死ねぇい! 五条ぉ!!」

 

 いつの間にか女装をして女性陣の中に紛れ込んでいた男に、酒瓶を握りしめた歌姫が襲いかかる。キャーッ、と野太い裏声が店内に響いたが、誰もそちらを見なかった。

 

 夫にDVを受ける五条()と、妻に日頃のストレスをぶちまける歌姫()。いよいよ飲み会も終盤に差しかかってきた。

 

 

「ハァ…でも、この女たちの中で結婚してるのって一人だけかぁ…」

 

 歌姫はため息をつき、その分の幸せを逃す。呪術師の中には独身の者も多い。それは死と隣り合わせな仕事なのも理由にある。死ぬ時に家族へ思い残すことがあれば、それは彼らへの呪いになってしまう。

 

「歌姫先輩もぉ、七海くんみたいないい人がきっと見つかりますよ」

 

「七海みたいな男はそもそも一般社会にもそういないわよ…」

 

「え? ここにいるじゃん」

 

「白雪姫の魔法の鏡に同じ言葉をそっくりそのまま言ってみなさい、五条」

 

 そして時間的に、そろそろお開きのタイミングになった。二次会メンバーは別の店に移り、そのほかは帰宅だったり、いきなり入った仕事に膝から崩れ落ちることになる。大丈夫か、伊地知くん。

 

 フラフラの櫻は家入たちにタクシーに押し込んでもらい帰宅した。育児の毎日でここまでハメを外して飲んだのは久しぶりだ。緑のアイコンをタップして『いま、かええいます』と送ると、そのまま夢の世界に旅立った。

 

 

 

 それからタクシーが家の前に着き、運転手に起こされる。千鳥足で外の段差に転びそうになりながら歩く。鉄のリングに無数についた鍵でガチャガチャ音を立てていると、扉が開いた。

 

 前髪が降りている、オフな旦那。部屋の明るさではない眩しさに一瞬目を閉じた櫻は、手を広げて抱きついた。かなり思いきり衝突したつもりだが、相手の軸は一切ブレない。

 

「やはりかなり飲んでいますね」

 

「私は来世でも七海くんと結婚するからぁ」

 

「そうですか」

 

「七海くんも私と結婚したいよね?」

 

「しますよ」

 

「あぁ! 昔の七海くんだったらもっと照れたのにぃ!!」

 

「面倒くさい酔い方してますね、あなた」

 

 コアラな嫁を腕に抱えたまま、靴を脱がす七海。ふいに首元にリップ音がした。酒の席ですっかり薄れた口紅の痕がかすかにつく。ヘビのような目が、緩やかな弧を描いて彼を見ている。

 

「ハァー………」

 

「あっ、今かわいい顔した!」

 

 今晩はどうしてくれようか、と七海は思った。

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