腹凹毒蟲【Q】 作:アンディライリーのうさぎ
穏やかな笑みを浮かべることができるようになった櫻の養親が決まった。着物を着た年配の夫婦だった。院長はそれはもう号泣で、厄介払いができたと顔に出す職員もいれば、軟化した櫻の態度を機に親しくなった子供や職員が惜別の言葉をかけた。
「私たちのことはぜひお父様お母様と呼んでね、櫻さん」
「はい!お父さま、お母さま!」
自分の手を包む大きな手に櫻が頬を赤らめると、義母は「ふふ」と目元を緩ませた。対して義父は無口でいかにも厳格そうな男だったが、家に帰るまで小さな手を離すことはしなかった。
家は日本家屋の屋敷だった。アオムシ様を神輿で担いでいたあの屋敷と比べればよっぽどこぢんまりとしている。義父母には歳を経ってからできた子供が一人いて、彼女と数歳違いの義兄もできた。兄の体はすくすく育つ彼女よりも数センチ低く、少し見上げることになった少年は彼女を睨んだ。彼が小さいわけではない。櫻が大きいだけだ。
それから櫻は料理や掃除、裁縫などを習いながら育った。母親から教えられた際に出来がいいと、「櫻さんはすごいわね」と頭を撫でられる。その手つきが彼女はとても好きだった。温くて甘い液体が心をいっぱいに満たす。この感情が長らくわからなかったけれど、院長に教えられて分かった。これは「愛」というらしい。院長に愛されると櫻は心がポカポカして、その陽だまりを他の子供や大人にも分けたくなった。そうすればその人も心がポカポカして、そのポカポカがさらに他の人へうつる。そうすれば一面のひまわり畑が出来上がる。
けれど、兄はいつまでも櫻を受け入れなかった。「よそ者は出てけ!!」と野良犬のように吠えるのだ。その絵面はしかしポメラニアンが一生懸命闘犬に吠えかかっているようなものだ。
きっと兄は嫉妬しているのだろう。彼にかまけて母親が櫻のことばかり気にかけているから。父親は基本的に子育てにはノータッチだから、頭を撫でられたりとか、目に見えた愛情を注がれたことは彼女もない。
また使用人の一人が言っているのを偶然聞いた。「××様(兄の名前)は呪力や術式に恵まれなかったから…」と。
小学生に上がる歳の頃には彼女は自分の力、すなわち術式を概ね理解した。
かつて『腹凹毒蟲』と名付けたこの力。呪霊を食えば食うほどそれを己が血肉にし、力を得る。これぞ「
彼女の力が優れていることを知れば、兄はきっと余計に嫉妬してしまうだろう。だから彼女は力を使うことはせず、周囲から呪力が多少ある子供程度に思われていた。児童養護施設にいた頃も小さな呪霊はちょくちょく食べていたから、アオムシ様時代よりはいくらが力が増している。
それから時は流れ、夫妻に引き取られてから数年経った。十歳になった櫻は学校に通わず、相変わらず花道など色々と習っている。メキメキ上達するその腕前に母親も嬉しそうだったが、唯一ニョキニョキ伸びる身長にだけは困っている様子。すでに百五十センチはある。「女は小さい方が愛らしく見えるのにねぇ…」と母親は言っていた。
これ以上伸びないように食事の量も減らされて、齢十歳の体に肋が浮く。常に飢えに見舞われることになった櫻は女中の柔らかそうな肌を見て「おまえ、うまそうだな」と思うまでになった。
「よく覚えておいてくださいね、櫻さん。女の幸せは嫁いで夫に尽くすことなのよ」
だから、いいところに嫁いでね。そう言って母は彼女の頭を撫でる。
はい、と櫻は微笑んで返した。
その頃から、イマジナリーフレンドナナミンがまた夢に現れるようになった。出張でもしていたのか。児童養護施設の途中からいつの間にか消えていたヘンテコメガネがまたその存在を主張する。でも彼女はそのメガネを見て、何だか嬉しくなった。夢の中だけどナナミンに抱きついて、それからゾンビが跋扈するカタストロフな世界でB級映画さながらなドラマを展開した。
ある日、彼女に縁談の話が回ってきた。お相手は二つ下の子供。有名な家の者で各所から少年に「うちの子どうですか…!!」な熱烈ラブコールが舞い込んでいるらしい。両親もそこに混ざって話を持ち込んでいたようで、ようやく面会の順番が回ってきた。
当日、化粧とともにめかし込まれた櫻は名前の通り桜柄の着物を着てお相手の屋敷に向かった。
「決して粗相のないようにしなさい。たとえ顔に唾を吐かれても笑顔を崩すな」
「はい、お父様」
お相手はこれまで数多くの縁談があったにも関わらず、ご破算になっている。少女側がことごとく断られてきたのだ。それも当然ではないか。何せ相手は二つ下なら八歳。しかも相当お家から甘やかされて育っている。イマジナリーフレンドナナミンも言っている。「相手は相当なクソガキでしょう」と。
背筋は常にピンと。女らしい歩幅や仕草、微笑み一つ教えられた通りに完璧に。広い庭で池の鯉を眺めながら、櫻はクソガキ(予想)を待った。現れた途端に背中へ飛び膝蹴りを食らわせてくるかもしれない。そうしたら「ヤンチャですのね」とでも言って、必殺「オホホ」を決めるのだ。
鯉が餌をねだってパクパク口を開く。水面がゆらゆら。手入れされた木の葉が一枚踊りながら水の上へ着地する。審査員は六点の評価を下した。葉っぱは乞食に攫われて水に沈み、また浮かんできた。それを何度も繰り返して、ようやく相手が来た。少年の隣には使用人が控えている。万が一の護衛も兼ねているのだろう。他にもどこかに隠れて様子を窺っているに違いない。
白髪のツンツン頭に蒼い目。柔らかそうなほっぺ。恐ろしく顔の整った少年は眉間に皺を寄せてあからさまに彼女を警戒している。
神に愛された寵児は呪術界御三家が一つ『五条家』の御子。無下限呪術と特殊な六眼を合わせ持ちこの世に生を授かった。
その美しい目に自分はどう映るのか。口元を緩ませて、まずは話題を切ろう。ここは無難に天気の話を持ち出して、少年の出方をうかがう。
「美味しそうな鯉ですね」
櫻はうっかり、本音を漏らしてしまった。