腹凹毒蟲【Q】 作:アンディライリーのうさぎ
櫻は呪術高専の二年生になった。中学時代に武道にのめり込んだこともあり、ハンマーを振り回す二級術師として活動している。
術式は『毒蟲』で、血液から生成した蟲で呪霊を探索できる。力をつけるために蟲たちにちょいちょい呪霊の盗み食いもさせている。基本的にペアを組むのは歌姫が多い。
そんな彼女は数年ぶりに五条家に呼び出され、屋敷に訪れた。ちょうど正月のことである。坊と会うのは久しぶりだ。同じ東京校に通う話は聞いている。
当時小学五年生だった悟の坊は、あの一件以降彼女と会うことを拒んだ。やっぱり嫌われたか、と櫻は思った。ただ援助が切られることはなく、彼女が秘匿死刑になることもなかった。
悟の行動心理がわからなかった彼女は、中学時代に色々と考えた。しかし周囲に友達はいなかったので、聞ける人間がいない。そのため院長に相談した。
「よく遊んでいた子供が急に自分と会うことを拒むようになった」と。
院長は考え込むようにして、フッと笑った。院長は答えにたどり着いたけども、それをあえて教えなかった。
「年頃の男の子だから、一緒に遊ぶのが恥ずかしくなっちゃったのよ」
「そういうものなんですか?」
「ふふ。えぇ、多分ね」
「そうですか……」
思春期、というものなのだろう。一般家庭なら、「うっせぇババア!」となるあれだ。櫻は寂しさを覚えながら、その成長を喜ぶことにした。こうして坊は一歩ずつ大人になっていくのだろう。
同年代の友達と家で鬼ごっこやポケモンをやっている姿を想像して、微笑ましい気持ちになった。
だが一方で、彼女は青春とほど遠い中学時代を過ごした。基本的に昼ドラの連続だった。勘弁してほしい。
その点高専は過ごしやすかった。人は少ないし、友人もできた。
(ここに来るのも久しぶりだな)
でかい門をくぐり長い道を通って、これまた大きい屋敷に入る。服は桜柄の赤い着物を着てきた。
うわさで聞く限り、悟の坊はやんちゃに育っているそうだ。まず部屋でゴロゴロしているらしい坊に会いに行く。座った状態で声をかけ、作法に沿って襖を開ける。「お久しぶりでございます」と深々と頭を下げて、顔を上げた。向こうは背中を向けるようにして寝転がり、漫画を読んでいた。おー、と生返事が返される。
見た感じ、背はかなり伸びていた。少し前はピクミンのように小さかったのに。「成長したわね…」と櫻はウソの涙を流し、襖を閉じた。
次に当主と奥方に挨拶した。呼び出された用件を聞くと、「悟の許嫁になってはもらえないか?」というものだった。
曰く、見合いを行ってきたが、どの縁談もご令嬢と会う前に蹴っ飛ばしていると。気まぐれに会ってもディスりがひどく、泣かせることがしょっちゅうらしい。とんだクソガキに育ったようだ。
「しかしなぜ
当主は少し考えるようにして、息子が気に入っているから、と話す。「それはしかし、友人としてで…」と櫻が返すと、当主も奥方もニコニコと笑う。「だからこそいいのです」と、奥方は返した。
櫻の中は疑問符だらけだったが、「まぁいいか」で終わる。元々お見合いが成功していたら許嫁になっていたのだし、五条家に嫁げば美味いものが食える。奥方としての仕事は増えるだろうが、結局胃を満たせれば何でもいい。櫻は愛よりも食欲で生きている。今のところは。
そもそも散々お世話になってきた彼らに「NO」と言う選択肢はない。
改めてもう一度坊と会うことになった櫻は、ハニワのような悟の顔を見た。
「俺その話聞いてねぇけど!!!??」
漫画を投げ出した男は彼女の襟首をつかんで揺さぶる。「マジで!! 何もッ!! 聞いてねぇんだけど!!?」と叫ばれても、櫻だって今し方聞いたばかりだ。
悟は櫻の腕をつかみ、ドスドスと足を踏み鳴らして両親の元に行った。腹の底から「どういうことだってばよッッ!!!」と叫んでいる。櫻は耳を押さえた。
一方的に怒鳴る声が続いて、当主は「ならばこの話はなかったことにしよう」と言う。櫻もそれでいいか聞かれたので、「構いません」と返す。悟は櫻の顔を見て、父の顔を見て、また櫻の顔を見て──と忙しそうに頭を動かす。
「しかし櫻さんは本当にお綺麗になりましたね」
「? そうでしょうか………あっ、いえ、お褒めの言葉ありがとうございます、奥様」
「殿方に想いを寄せられた経験も多いのではなくて?」
「そ、そうでございますね……」
そうして奥方と会話していると、櫻は悟に部屋から追い出された。彼女は仕方なく移動し、客間で待つ。十分ほど経ってから、例のドスドス音が聞こえてきて、襖が開かれる。全力疾走でもしたかのように坊は汗をかいている。
「お話が終わったようですね。それにしても、坊ちゃんは随分と大きくなられましたねぇ」
「………なく」
「はい?」
「仕方なく、だ」
「仕方なく?」
「父親と母親が決めたことだから!! 仕方なくッ!! お前と婚約することにした……!!!」
「おっ、そうですか」
「もっと他に言うことはねぇのかよ!?」
「あぁ……婚約と言っても坊ちゃんはまだ十五歳ですので、あと三年は経たないと正式な結婚はでき」
「お前はどこまで行っても宇宙人だなぁ!!!」
櫻はまた襟首をつかまれ激しく揺すられた。なんてクソガキに育ってしまったんだ、本当に。しかしそんな激しく揺すられていれば、必然着物がはだける。
谷間があらわになり、それに気づいた悟が手を離した。
「大丈夫ですか? 顔が真っ赤ですけど」
「………」
天を仰いだ五条は、無言で部屋を退室した。「風邪か?」と櫻は思った。
櫻が三年になり、将来の婚約者様も入学してきた。最後に会ったのはあの正月きりで、向こうは「どうせ同じ学校に入るんだし、それまで会わなくていいだろ」と言っていた。
一応弁当は作った方がいいのだろうか? 寮住まいだから頼めば飯は出てくるが、料理以外の家事は自分でしなければならない。箱入り育ちの坊ちゃんがいきなり家事ができるわけがない。身の回りの世話をした方がいいか聞いてみたが、「自分でできるわ!」と却下された。
婚約者とは言ってもまだ先の話だし、俺が他の女を好きになったら話は無効になる。………そもそもお前のことなんて好きじゃねぇわデブ女!! ──とのお言葉ももらった。自分の体型がコンプレックスの櫻は落ち込んだ。
また婚約者の話題は出さないように言われ、高専では先輩と後輩の関係に徹するようにも言われた。注文の多い悟料理店だ。
それから昼になり、昼食の時間になった。歌姫は早速一年の後輩を連れてきたようで、三人でご飯を食べる。家入は七重弁当を頬張る櫻を唖然とした目で見ていた。
「すっごい食べるんですね、安倍先輩って…」
「この子最初はトイレで隠れるように食べてたのよ。孤独がいいからって」
「私は孤独が友達だったんです。中学の時」
「うわぁい、いきなり重い展開だ〜」
食べながら女子トークをし、互いに携帯の番号を交換した。開始五分で食べ終わった櫻はじっと二人の弁当を見つめる。家入は何かあげた方がいいのか迷ったが、情けは無用だと歌姫は止めた。一度餌づけしたら、毎回のようにキラキラした目で見られることになる。歌姫はそれを知っているのだ。
「っていうか、先輩って本当に胸が大きいですね」
「アッ、ウン……」
「何カップあるんですか?」
「マエニハカッタトキハ、Jカップ、ダッタ」
「ねぇ櫻、あなた何でロボットみたいに話してるの? ……えっ? というか私が最初に聞いたときはHカップって言ってなかった?」
「ワタシハデブナノ……」
机に突っ伏してしまった彼女に、歌姫が心配の声をかける。一方で家入の視線はつぶれた胸に向かった。確実に食べている分がすべてあの胸に吸い取られている。
「太ってないわよ! あなた私を敵に回すつもり?」
「でも、デブって言われたんです……」
「誰によ?」
「ぼっ………五条悟に」
歌姫は掃除用具入れからT字ほうきを取り出し、家入は黒板消しを二つ装備した。歴戦の勇者の如き後ろ姿を見せ、二人は並んで廊下を歩く。首を傾げた櫻はその後を追った。勇者二人が向かう先は一年の教室。中では男二人が駄弁りながら昼食を食べている。
教室の扉が開いた。歌姫が前から。家入が後ろから侵入する。「何だ何だ?」と夏油も五条も目を丸くする。
「我は呪術高専東京校四年、庵歌姫!!」
「同じく一年、家入硝子」
「「────女の敵を成敗しに参った(来た)!!」」
T字ほうきを竹刀のように振り下ろす歌姫。しかし五条に当たることはない。隣に座っていた夏油は状況を察し、自分の昼食を持って後ろに避難した。
「急に何だよマジで!」
「食らえ、爆散ホワイトパウダー」
「ちょっ待……飯に粉が入るだろうが!!」
一年の教室はたちまちチョークの煙で汚染されていく。いったい五条は何をやらかしたのか…とさらなる被害から逃れるべく廊下に移動した夏油は、口を開けて固まっている女生徒を発見する。その体型を見てピンと来た。五条はこの生徒に失言し、そしてその報いを今受けているのだろう。とりあえず目が合ったので、彼は会釈だけ返した。
この件で夜蛾は家入と歌姫を叱ったが、二人が安倍に「デブ」と言った五条を成敗しにきたのだと知ると、五条の脳天にゲンコツを落とした。
真っ昼間のホワイトアウト事件から一週間が経った。偶然廊下で安倍と出会した五条は、教科書を抱えたまま顔を逸らして隅っこに移動する相手に眉を寄せる。言葉にすると、面白くない。わざと前を遮るように移動すると、櫻は目を丸くした。避けて移動して、避けて移動して。ついに櫻はハァー…とため息をついた。
「そんなにため息をついてたら幸せが逃げてくぜ? パイセン」
「後輩に接するようで、でいいんだから…………どけよ、五条」
「……それが人にものを頼む態度かよ?」
「………」
面倒になった安倍は後ろに下がり、物理突破に挑む。左右に揺れて相手を翻弄し、タイミングを見計らって駆け出す。まぁ、無下限で止められてしまうのだが。
「これ以上いじめると泣きますよ?」
「泣けばぁ?」
「………ふえっ」
「おーおー、素晴らしい演技なことで」
「うっ、ぐすっ…」
「………」
「う゛ぅー……」
「……な、なぁ、おい。もういいって」
櫻はその場でうずくまり、とても嘘泣きとは思えぬ演技で泣き出す。最初は余裕ぶっていた五条も、次第に汗をかき、ついには取り乱す。背中に触れようとした手は思いきり叩かれ、涙で濡れた顔が持ち上がる。
赤い目は宝石をそのままはめ込んだような作りをしている。それが涙で煌めいて、ついと五条は見入った。
「坊ちゃんは、知ら゛っ、ないでしょうけど…私のこといじめてた人は、そうやっていつも楽しそうな顔してまじだよっ゛…!!」
五条が何か言う前に櫻は立ち上がり、爆速で駆け出した。
お昼時。二度目のホワイトアウト事件が起きるとは、まだこの時誰も知る由はなかった。
中学時代の安倍の三年間は女のやっかみや、しつこい男のストーカー行為で地獄だった。義兄の件で身につけようと始めた武道は、時に一線を越えてくる男を処理するのに役立った。
しかし女はそうもいかない。彼女らの武器は数と口と、陰湿さである。誰とも交ざれなかった彼女は孤独だった。いじめられる中で心は摩耗し、イマジナリーフレンドナナミンの存在が欠かせなかった。
正直言って、泣きながら院長の元に行ったことも何度もある。「もうやだ、学校行きたくない。人間こわい…」といった感じで。
院長は「だったらいつでもここにいらっしゃい」と言ってくれ、本当にいつでも歓迎した。子供たちも時折遊びにくるお姉さんに大興奮だった。特に少年たちが。
そのおかげもあり、櫻は中学校に通い続けることができた。
いじめられたトラウマはしかし残っている。孤独飯がその名残りだった。最初はグイグイくる歌姫に怯えていたが、いつの間にか友達になっていた。彼女が友達なら、冥冥は頼れる先輩である。
いじめっ子気質の五条とトラウマ持ちの櫻じゃ相性が悪かったわけで。五条は謝ろうにも避けられ続け、時間ばかりが流れた。もう夏である。
蒸し風呂の体育館で仰向けになっている男は、「あ゛ぁ…」と死にかけの声を出す。
「悟、アイス」
「センキュウ゛ゥ……」
顔にアイスの袋を落とされた五条は袋を開け、寝転がったまま棒状のアイスを食べる。夏油も壁に寄りかかるようにして座り、自分はスイカの形をしたアイスを食べ始めた。
バスケ対決ですっかり盛り上がった二人は疲れ果てている。放課後の一幕だった。開いた扉の外はまだまだ陽が高い。
「で、結局まだ先輩に謝れてないの?」
「ソーなんだわ…」
「悟ってさ、安倍先輩のこと好きだろ」
「はぁ? 別に好きじゃねぇし」
「ふぅん、そっか。じゃあ私が告は──」
アイスの棒が壁に突き刺さる。夏油の顔のギリギリ横で。
わかりやす過ぎるこの反応だ。家入たちも当然気付いている。歌姫はわからないが。
「ちゃんと言葉にして言わないと、あの先輩には永久に伝わらないと思うよ」
「ンなもん、俺が一番知ってるわ…!!」
「いつ好きになったんだい? というかどこを好きに?」
「………知らねぇ。マジでこの感情が
「胸じゃなくて?」
「………」
「その顔は好きって顔だな」
「仕方ねぇだろ!!」
むしろ嫌いな人間がいるのか? 五条だって知っている。あれはデブやブタじゃなく、ナイスバディなんだと。不二子みたいなスタイルの人間が本気でいるなんて信じられないだろ。昔はゼロだったくせになぜあそこまで成長しているんだ。イかれている。
「知らないよ、他の奴に取られても」
「それはゼッテーないから大丈夫」
「分からないよ? 白馬に乗った王子様がいつ現れるかなんて分からないでしょ」
「俺の許嫁だから」
「わぁ、ちょっと鳥肌立っちゃった」
「何でだよ」
それはもうメチャクチャ好きってことじゃないだろうか? おかんに言われなくたってわかるぞ。
どうも箱入り息子の五条の坊ちゃんは、世間とズレているところが多い。恋愛のハウツーも壊滅的にわかっていない。
「許嫁だとしても、人の恋心はわからないものだよ」
「恋心なんて知らねぇよ、アイツは。宇宙人だから」
五条以上に恋愛を知らないのだ。安倍櫻という女は。
だからこそ五条はゆっくりしているし、許嫁という立場もあるから、焦っていない。それに彼自身、本当に自分の感情が恋なのか、分かっていないのだから。
結局謝罪の件もあやふやのまま終わり、時が流れた。
そして、白馬の王子様がやってきた。