腹凹毒蟲【Q】   作:アンディライリーのうさぎ

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君はサモエド

 空き教室で家入と七重弁当を食べていた安倍の姿を発見した灰原ボーイは、ときめきを胸に抱え七海を呼びに行った。

 

 耳を澄ませばバックグラウンドで『ロマンスの神様』が聞こえてくるだろう。櫻の心臓が高鳴る。ドキドキと、その音に合わせて頬が熱くなっていく。

 

 金髪の、青緑の目。最近すっかり現れなくなったイマジナリーフレンドナナミンが、『七海建人』として現れた。

 

(これが………恋なのか!!)

 

 七海に告白した彼女は、「あっ、そうだ。婚約者がいたんだった」と思い出し、猛ダッシュで消えた。灰原や七海はポカンとしていたし、家入も「え、婚約者ってドユコト?」と思った。彼女は慌てて櫻の後を追った。

 

 

 二年の扉を吹き飛ばして現れた櫻は、頭に疑問符を浮かべる五条の前に立った。夏油はパックのジュースをズズッ…と飲みながら、自分の机ごと避難する。

 

「坊ちゃん!!」

 

 机がバンと叩かれた。五条の肩が跳ねる。座る五条に櫻が視線を合わせるように近づくと、自然と胸が突き出される形になる。今五条は拳銃を頭に突きつけられた状態と同じだ。視線は安倍の顔じゃなく、凶器の方に向いてしまう。

 

「何…スか?」

 

「婚約者の件、反故にしてください!!」

 

「ハァ? 何で」

 

「私に好きな人ができたからです!!!!!」

 

「うるっせ………ハァ!!?」

 

「悟の坊ちゃんは私のこと好きじゃないんですし、将来好きじゃない女と跡継ぎを残すより、自分が好きになった女性と結婚した方が坊ちゃんも私も、将来の奥方も幸せになれると思います!! なので約束を反故にしろッ!!!」

 

 あーあ、という顔で一部始終を見守る夏油。教室に着いた家入も事態を把握したようで、頭を押さえ「バカだなアイツ…」と呟く。

 

「さぁ早く反故にしなさい」

 

「……誰のこと、好きになったんだよ」

 

「一年の七海建人くんです」

 

「………」

 

「大丈夫ですよ。これしきのことで私たちの友情は壊れませんから。さぁさ、早く」

 

「………やだ」

 

「ハ?」

 

「嫌だ」

 

 五条は視線を逸らして唇を尖らす。膝の上に置かれた手の指を机の下でこすり合わせる。

 

「理由を言ってもらわないと困ります」

 

「………」

 

「五条ぉー、いい加減腹をくくれー」

 

「そうだぞ悟、ここが最後のボーダーラインだぞ〜」

 

 外野二人は茶化しながらも彼の背を押してくれている。勝手にしろ、と今にでも五条は叫びたい。宇宙人が恋をするはずがないのだ。なのに今日、いきなり突然恋に落ちただって? そんな話信じられるわけがない。いや──。

 

(信じたく……ねぇのか、俺が)

 

 ハァ、と息を吐いた五条は眉間に皺を寄せている相手の顔を見た。机にヒビを入れたその白い両手を引きはがし、自分の両手に乗せるようにして重ねる。握り合う形になった。

 

「マジで一回しか言わねぇから」

 

 ずれたサングラスから白い縁取りに覆われた青い目がのぞく。何度か上下のまつ毛がついたり離れたりする。

 

 

「安倍センパイが、俺は好き」

 

 

 そう言った五条に、「知ってますよ」と櫻は返す。硬直した五条だが、すぐに「友人としてじゃねぇからな?」と話すと、長い沈黙の後、「えええぇぇっ!!?」と櫻の驚きの声が上がった。

 

 

 

 

 


 

 

 結果として付き合い始めたのは七海と櫻ではなく、五条と櫻だった。

 

 五条自身、自分の感情が恋なのかどうかわかっていない。ただ“好き”ではあるのだ。親友や家族に抱くものとは別の感情である。

 

 悟の坊がそこまで言うなら安倍も無視できないし、七海にも「婚約者がいるなら…」と断られてしまった。軽く死にたくなったが、「友人としてなら構いませんよ」ということで、毎日のように二年の教室を通り過ぎて一年の教室に向かっている。

 

「おい待て、人を素通りしてどこ行くんだテメェ」

 

「七海くーん!!」

 

「彼ピは俺だろうが!!」

 

「七海くぅーん!!」

 

 櫻は弁当ごと五条に引きずられて消えて行った。夏油も家入も手を振って見送った。

 

 

 

 はじめは人の弁当を盗む五条を親の仇の目で見ていた櫻も、昼は自分の分以外にもう一つ弁当を用意するようになった。五条は甘い卵焼きが好きらしい。いつも入っていると小学生のように喜ぶ。

 

 人が美味しそうに自分の作った料理を食べるのは悪くない。思わず口が綻ぶと、それに気づいた五条が眉を上げる。

 

「坊ちゃんって図体は大きくなったのに、精神は昔のままですよね」

 

「ケンカ売ってんの?」

 

「可愛いっていうか。こう、抱きしめて甘やかしてあげたくなるっていうか」

 

「それは……俺のことが好きってことか?」

 

「恋の好きとは違います。うーん………母性か愛玩?」

 

「母性か愛玩…?」

 

「えぇ。ちょっと失礼」

 

 櫻は手を広げ五条を抱きしめた。ちょうど相手の顔が胸元にくるようにする。箸と弁当で両手が塞がっている五条は硬直する。まだ口の中に食い物が残っているんだが? 

 

 カチャ、と音を立てたサングラスが外され、テーブルに置かれた。撫でても撫でてもエンドレスで髪が跳ねてくる。これはまさしくグレート・ピレニーズサイズのサモエドだ。

 

「抱きしめられると結構落ち着くでしょう? 子供の頃、こうやって院長先生に抱きしめてもらったんですよ」

 

「………」

 

「その院長には施設の子供を抱きしめる時、男の子なら小学校低学年までって言われたんですけど…」

 

「………」

 

「まぁ坊ちゃんは心が永遠の八歳ですもんね。……あれ、坊ちゃん?」

 

 腹筋と背筋を使ってヘッドロックから脱した五条は、無言のままパクパクと飯を食べる。櫻がサングラスをかけ直しても無反応で、食べ終わったら綺麗な所作で手を合わせ、片付けた弁当を差し出して教室を出て行った。

 

「坊ちゃんってば、母君が恋しくなっちゃたのかな……」

 

 その日、五条は一日中おとなしかった。

 

 

 

 

 


 

 

 恋人になったんだから恋人らしいことをするぞ! ──ということで、二人はデートにきた。

 

 異性と出かけたことがない櫻に対し、五条もデートを知らない。お見合いなら散々とやってきたが、恋人なるものがどこかへ出かけた時、何をするかは漫画やテレビでのふわっとした知識しか知らない。

 

 教えを仰いだ夏油師匠は最初「干物屋に行けばいいんだよ」と言ったので殴ろうとしたが、謝られた後は真っ当なアドバイスをくれた。

 

 櫻は当日の服を適当に済ませようとしたが、家入と歌姫に誘拐されて買いに行った。選んだのはTシャツに黒のキャミワンピース。靴はロングブーツである。

 

 

 そしてデート初日。黒シャツにジーンズの五条の前に現れたのは、赤いバイクに乗る彼女だった。黒いヘルメットを投げられる。

 

「…お前免許持ってたの?」

 

「モチ。ちなみにこれはレンタルね。ほらさっさと後ろに乗りな、アンちゃん」

 

「納得がいかねぇ…!!」

 

 とは言いつつ後ろに乗る五条の坊。こういうのは普通彼氏が彼女を後ろに乗せるもんじゃないのか? あいにく五条は免許を持っていないが。

 

 長い黒髪は今日は三つ編みに縛られ、長いしっぽがシャツの中に入っている。首に腕を回すとヘッドロックになりそうだし、どこを掴めばいいのかと大きな手がさまよう。

 

「いいですか、坊ちゃん。腰を掴んで、ついでにその無駄に長い足で私の体を挟むようにしてください」

 

「腰……?」

 

「早くしろ」

 

「お前さ、俺の扱い方雑になってない?」

 

 仕方なく五条は手で前の腰をつかんで、膝で彼女の体を挟むようにした。なんかちょっと……なんかちょっとな体勢である。腰は細いしうなじは見えるし、あの甘い匂いもする。新品の服の香りもした。ドクドクと流れる血の音が触れている部分から相手に伝わっていないか気が気でない。

 

「アムロ、行っきまーす!!」

 

「色的にはシャアだろ」

 

 走り出したバイクが風を一身に受ける。後ろは前ほど風を受けないが、自転車で坂道を爆走するよりもよっぽど速い。

 

 次々と移り変わる景色に、だんだんと五条のテンションも上がっていた。後ろから楽しそうな声を聞いた櫻は笑った。

 

 

 

 午前中はホラーものの映画を観て、昼は回転寿司を食べた。その後ショッピングに行き、夕方になってきた頃、五条が建物の隙間から見えた小さな観覧車を発見した。

 

 時間的にそろそろ帰らないとまずい時間だったが、二人はテーマパークに向かった。両者来るのははじめてである。

 

 コーヒーカップを乗り回し、ジェットコースターに乗って、最後は閉園ギリギリに観覧車に乗った。周囲はすっかり暗くなっている。すでに寮の門限には間に合わない。

 櫻はしかし四年生組。一年から三年のお子様たちとは違って門限が長い。これが本来なら高校生と大学生の年の差だ。

 

「はぁ〜すっげぇ楽しかった」

 

「帰りのバイクで寝こけないでくださいね」

 

「寝ねぇよ。ガキじゃあるまいし」

 

「十六歳はまだ子供ですよ」

 

「ふ〜ん?」

 

 観覧車の頂上に至った。遠くの夜景が建物の隙間から見える。人々の営みが夜の世界に息づいている。櫻はそこでドサッと隣からした音に気づいた。正面に座っていた坊が移動している。ピッタリ互いの左足と右足をくっつけるようにして、横に並んでいる。

 

「これがデートってこと、覚えてるよね?」

 

「覚えてますよ」

 

 櫻は悟の坊に恋心を抱いていないし、五条も自分の感情の答えを出せていない。そんな曖昧な関係の恋人同士。五条はなぜ櫻がこの関係を受け入れたのか疑問だった。

 

「坊ちゃんなら私を惚れさせてくれるかなぁ、って」

 

「……っ」

 

 五条の手が伸びた。感情が一気にぐっ、となった。腹の底から上がってくるような熱。動物の本能のように、衝動が襲う。

 

 肩をつかんだが抵抗はない。距離を縮めた至近距離に人形のような顔がある。遠方の景色を眺めていた瞳が五条をとらえた。

 

 

「あと、あなたは眩しすぎるから」

 

 

 いつかそのまま消えてしまいそう──と、櫻は言う。二人の顔は目と鼻の先だ。

 

「俺最強だから、誰にもやられねぇよ」

 

「物理的な強さじゃなくて、もっと見えない方のことっていうか…。最強だけど、弱い? みたいな」

 

「何だそれ」

 

「だから一緒にいてあげないとな、って。七海くんはほら、私じゃなくても一緒にいてくれる人が五万人は見つかるから」

 

「………今、ほかの男の話、すんな」

 

 五条は覆いかぶさり、おあずけを食らった続きをする。最初に口づけると、「でかいサモエド」と言われた。そのままキスを続けているとすぐに地上に着いた。扉を開けた女性の係員が顔を真っ赤にしている。櫻は落ちた肩紐を戻し、服の裾をつかんでくる大きなサモエドの手を握り直して寮に帰った。

 

 ちなみに戻った時、口紅の痕がまだしっかりと残っていた。

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