腹凹毒蟲【Q】 作:アンディライリーのうさぎ
冬である。夏の一件から回復した五条に対し、夏油は少しずつ疲労の色が溜まっていた。ずっと目に隈があるのだ。
病んでんなー、と察した櫻は五条によくケアするように言った。あまり接点のない先輩に励まされるよりは、夏油も親友に励まされた方がいいだろう。
そのため最近五条が櫻のそばにいることは少なく、しょっちゅう夏油とつるんでいる。この間は窓ガラスを割ってしまったらしく、二人して頭にたんこぶを作った写真を家入が送ってきた。背後に映る夜蛾は仁王立ちで、ちりとりとほうきをもつ男二人を睨んでいた。
フリーな櫻は一年の教室に入り浸っている。七海は歩くWi-Fiのようなもので、そこにいるだけで櫻はエネルギーが充電される。灰原も交ざってストーブのように手をかざされる七海は勘弁してほしいと思っている。
そして寒い日と言えば温かいものが飲みたくなるもの。ホッカイロを装備しても、芯から凍てついた時は内側から温めねばならない。
しかしなぜ自販機が外にしかないのだろうか? 中でさえ教室を出ればクソ寒いというのに、外に出たら花京院のような悲鳴をあげたくなる。
櫻は寒さに震えるチンパンジーのように腕をさすりながらコンポタとお汁粉、それとココアを二個ずつ買った。ポケットにそれぞれ突っ込み、うち一つを持って両手を温める。
スチール缶のお汁粉をズズッと飲むと、和風なえぐい甘さが喉奥を伝って胸に広がった。ハァ、と思わず息を吐く。
もう一度飲んで、ハァー……と息を吐いた。今とても生きている。
「長い黒髪に赤い眼──君が安倍櫻くんかな?」
「はぁー………い?」
ライダースーツを着こなす女性が、彼女の後ろで腰に手を当てて立っている。色素の薄い長髪がさらさらと揺れた。
「どなたですか?」
「おっと、その前に。君はどんな男が
「七海くん」
「……あれ? 確か君は五条くんのフィアンセって話を聞いてたんだけど」
「七海建人くんです」
「そ、そうなんだね……」
一つ咳払いをし、女──特級術師、九十九由基は名を名乗った。二人しかいない特級術師のうちの一人である。高専の依頼を受けないことで有名なお姉さんだった。
「九十九女史が私に何のようで?」
「“女史”なんて堅苦しい呼び方はよしてくれ」
「…では九十九さんで」
側のベンチに促され、櫻は座った。早く中に戻りたいが仕方あるまい。現状が異常なのはわかっている。特級術師がしがない準一級術師にこうして一緒にお話をしましょうだなんて、きな臭さしかない。
九十九はまず、端的に自分の理想とその理想がゆえに高専と折り合いが悪いことを話す。
次に海外で偶然手に入れた『百蟲毒蟲様』の話と、その百蟲毒蟲様の逸話と非常に似た内容の、とある宗教団体が崇めていた『アオムシ様』の話をした。赤い目は温度を宿さず、九十九を見つめる。
「君へたどり着いたのは、数年前に五条家が『アオムシ様』を調べていたと知ったからだ。五条くんをたどると、術式が『
「私にあなたのための実験体になれと?」
「そんな物騒なことは考えていないよ。いや…まぁ、人体については色々と調べてみたいとは思っているが……。あくまで君の倫理が許す範囲までにするよ。もちろんタダというわけじゃない。それ相応の対価は支払おう」
それに、と九十九は続けた。
「自分が何者なのか、安倍くんは知りたくないかい?」
何も映さなかった赤い目が、その時はじめて九十九をとらえた。
蠱毒から生まれた呪霊なのか人間なのか、ひどく曖昧な自分。ふとした瞬間にその終わらない迷路に彼女は迷い込んでいる。
「ちょうど君はもうすぐ一年間のモラトリアム期間がある。“自由”に過ごせるんだよ」
「………あなたとつるむと高専から省られそうなんですが」
「大丈夫だ。君は後ろに怖い彼氏がいるから、私と一緒にランデブーと洒落込んでもせいぜい小言を言われるだけだろうさ」
「そうすると九十九さんが五条くんに後ろを狙われるのでは?」
「はは。無理やり連れて行ったら本当に狙われてしまうかもね」
う〜ん、と櫻は悩んだ。最初はアオムシ様の話を持ち出してきただけで九十九の好感度が最低になったが、今は普通に戻った。九十九は己の大義にために利用できるかもしれないと、櫻を訪ねて来ただけだ。
五条家でも得られなかった宗教団体のピースをつかんだ点。その独自の情報網は折り紙つきだろう。彼女に協力すれば、櫻は自分のルーツを知れる可能性がある。
「はい…と言いたいですけど、少し考える時間をいただけませんか?」
「もちろんだよ。返事がどちらにせよ、気持ちが決まったら私に教えてくれ。メアドと電話番号はすでに登録しておいたから」
「わかっ………え?」
携帯を確認したら、本当に九十九の番号が登録されていた。おかしい。今話していた間に人の携帯を勝手に取って操作したというのか? マジで何も気づかなかった。
「良い返事が来ることを期待しているよ。ではまたね、安倍くん」
「さ、さようなら……」
嵐のように現れた九十九由基は、関東の平野部に降る雪のようにあっという間に消えていった。
九十九と会ったことを櫻は五条に話した。何もされていないか聞かれたが、本当にただ話をしただけだ。
彼女は自分の存在に白黒つけられるなら、九十九由基について行きたいと考えている。しばらく唸っていた五条は、「まぁいいんじゃね?」と話した。
「いいんですか?」
「だって自分のこと知りたいんだろ?」
「知りたいですけど…もし私が呪霊だったらどうするんですか?」
「安心しろ。お前は宇宙人だ」
「……はぁ」
まぁ、サトッピがゴーサインを出したのだ。遠慮なく櫻は九十九とランデブーすることにした。
海外には日本ほどではないが呪霊が存在し、呪霊がいれば当然呪術師もいる。アジアの某国に訪れた櫻は様々な珍味を食していた。ゲテモノを平然と食す彼女に九十九はさすがに引いている。
道中呪霊を発見したので捕獲し、安倍は実際に口で食してみせる。手で呪霊をつかみ、肉を噛みちぎって咀嚼する。また生み出した蟲でも呪霊を食らわせてみせた。
「さながら女王アリのようだね。働きアリがせっせと餌を運んでくる」
「蟲どもは私の血液と比例した数しか出せないので、効率は悪いですよ。だったら直接自分で食らった方が早いです」
「けれど上層部に目をつけられることを恐れ、今まではこっそりと捕食するしかなかったんだろう?」
「そりゃあ、まぁ…」
櫻の本来の能力を知っているのは五条と九十九だ。もれなく特級二人にバレている。
呪霊を食べたあとの体の状態についても調べられた。人間の機能と何ら変わらない。ただ呪力を使って起きる異常再生は呪霊と同じ性質を持っている。
精神的なものでも、単なるカニバリストと言ってはそれまでだが、櫻は人間を“食えるもの”として認識している。
「人を美味しそうか否かで判断するなら、私はどうかな?」
「野菜と一緒に食べたいです」
「肉っぽいってことか。これまで一番美味しそうだと思った人間はまさか、「七海くん」だったり?」
「七海くんは食べられないですよ!! 夏油くんですね、三年の」
「へぇー、彼が一番美味しそうなのか。…いや、そう言えば彼は呪霊操術の使い手だったな。呪霊を取り込んでいることが味の評価につながっているのか……?」
他にできることはないかも調べた。櫻自身これまで蟲を索敵や呪霊を捕食する(または、呪霊に毒を注入して殺す)道具にしか使ってこなかったが、試せば別の利用価値も見つかった。
生きた動物に蟲を仕込ませ、操ることができた。対象は肉体は生きたまま死んだ状態になる。ただしこの場合、定期的に櫻が呪力を送る必要がある。
人間ならばわざわざ呪力を与えずとも、その人間から呪力を吸い取って活動することも可能だろうと推測できた。その気になれば蟲人形の軍団を作ることができるわけだ。まぁ術師相手だったら肉体に入っても、その者の呪力で蟲が脳幹に到達する前に対処されてしまうだろう。
「呪詛師ならすぐにでも特級としてやっていけそうだね、安倍くん」
「HAHAHA」
「領域展開……はさすがにできないか」
「全然ッスね」
「なら、自分の生得領域のイメージは持っているかい?」
「……それなら」
果てしなく続く血の海と、その海に毒づくように息づく百蟲ども。天上には闇が沈んでいる。そこに浮かぶ包帯に巻かれた物体。巨大で、強大で、
それには『百虫毒蟲』と書かれており、時折彼女はその世界に佇んでいる。浮かぶ者は赤子の声で泣く。すると血の海が波打って、バシャバシャと蟲どもが騒ぎ出す。そのうち彼女は目を覚まし、朝を迎える。
「包帯を巻かれた赤ん坊だって?」
「それと多分、手足がないです」
「……なるほど」
なぜ宗教団体が『アオムシ様』と呼んでいたのか、九十九の中で繋がった。人間に手足がなかったら、確かに青虫の姿に似る。
おぼろげにしかないアオムシ様時代の記憶を語った櫻の証言にも、四肢を拘束し目隠しをされ、何も聞こえない状態で呪霊を食べた記憶があると言っていた。
「もしかしたら、百虫毒蟲様には元々手足がなかったのかもしれない」
「トイレとか大変そうですね」
「…思ったが、君ってかなりズレているね」
それから時間をかけ辺境の地へ赴いた二人は、百虫毒蟲の信仰が残る場所にたどり着いた。どれほどの昔の話なのかはわからないが、その言い伝えは信仰心とともに子々孫々と語り継がれてきたのだ。
とは言ってもここに電気が通り文明の利器が普及していけば、古くさい信仰は消えていくだろう。
「川の水で行水かぁ……」
「そんなことを言う君はガンジス川で沐浴は絶対にできないだろうね」
日本のような風呂はなく、川の横に作られた石や岩で囲まれた場所で二人は水浴びしている。周りに柵などないため櫻は渋った。しかし水でもいいから体は洗っておきたい。
九十九はさすが慣れている。服を脱ぎ捨てると水の中にダイブした。源流に近いため、川自体は透明で綺麗だ。
「なに、邪な考えをした奴がのぞいてきた時は
「………」
「仕方ない。なら帳を下ろそう」
その手があったか、と櫻は気づいた。空が暗くなったところで服を脱いだ。上を脱ぐと九十九お姉さんに口笛を吹かれる。
水は足を入れると冷たかったが、プールと同じでだんだんと慣れてくる。九十九が肩をつけるよにしてススス、と近づいてきた。
「私も大きい自負はあるけれど、それ以上に大きいねぇ」
「なぜ手をワキワキとさせているんです?」
「少ーし触ってみてもいいよね?」
「まぁいいですけど…」
櫻の背後に回った九十九は下から持ち上げるようにして胸に触れた。なるほど、柔らかい。そして全体の重さが手首にずっしりとのしかかってくる。これは肩こりがひどそうだ。
「彼氏くんには揉ませているのかい?」
「揉ませてはないですが、突っ込ませてます」
「いくら最強といえど、この特級には敵わなかったわけだね…」
「あの、ナチュラルに揉まないでください」
「おっと、失礼」
両手を挙げて九十九は離れる。櫻の顔は少し赤くなっていた。
「ちなみに二人はどこまで進んでるんだい?」
「………」
「ホホォ〜」
ニヤニヤする九十九に櫻は虫をけしかけてやろうとかと思った。
それから二人はしばらくその地域を調べた。しかし百虫毒蟲のさらなる情報は得られなかった。
九十九は頭を悩ませていたが、一方で櫻は困惑していた。出張中だったイマジナリーフレンドナナミンが、例の場所を訪れたタイミングで再び現れるようになったのだ。
今までのナナミンとは違う。姿はナナミンであるけれど、日を追うごとに表情や行動が変化していく。
人を見ていることもあるし、景色を眺めていることもある。天上に飛ぶ鳥を目を細めて見ていることもある。櫻に語りかけてくることはない。彼女の方を見ることも一切ない。
そしてある日、ナナミンが歩き始めた。彼女を置いて歩いていく。九十九が離れていた間にその後を櫻は追った。まるで取り憑かれたように何日も歩き続けた。
服や髪が乱れようとも、腹が減ろうとも歩き続けた。そうしなければならないと本能が言っていた。普通の人間であればとっくに死んでいる期間が過ぎても、普通の人間ではない彼女は死ななかった。
着いたのは骨董市で、ごった返した細道を歩いた。彼女の姿は歩くゾンビのようになっていた。彼女に親切に声をかけるものはいない。見ても大概目を逸らされる。そんな連中のことも櫻の眼中にはない。
今にも潰れそうな店の中に入っていったナナミンに櫻も続く。奥にいた老人は彼女を見るなり驚いた。身なりはボロボロで、クスリをやっている人間にしか見えない。元は美しい容貌も、痩せこけた顔とボサボサの髪のせいでバケモノのようになっている。
老人はほうきを持ち、叩いて彼女を追い払おうとする。ナナミンが立ち止まったのは奥の棚の前だ。物がごちゃごちゃと置かれ、どれもほこりをかぶっている。その一つを彼は指した。
叩かれながら、櫻は品物に手を伸ばす。老人はそこで「もしかしてコイツは客か?」と気づき、態度を改めた。
客ならば別だ。古い木箱をじっと見つめる彼女に話しかける。言葉は中国語だったが。
「『そいつは二十年ほど前、知人の骨董屋が店をやめるってんで、譲り受けたもんの一つだ。お客さんお目が高いよ。そいつは開かずの箱でね。俺も他の客も、その知人も開けられたことがね………え?』」
パカ、と箱が開いた。その内側にはびっしりと呪文のような文字が書かれている。老人は途端に泡を吹いて倒れる。手足がピクピクと痙攣した。
何重にも中の物には札が巻かれてある。それを外していくごとに禍々しい呪力が増していく。最後に古びた包帯を外し、中身にたどり着く。ボコボコとした、歪な形の黒い塊。透かしてもそれは一切の光を反射しない。櫻は口を開け、導かれるままに飲み込んだ。
『私を、見つけてくれたんだね』
声のした方に立っていたのはナナミンではなかった。白い髪の、赤い目をした人間だった。