腹凹毒蟲【Q】 作:アンディライリーのうさぎ
【マウント】(まだ結婚してない)
五条悟は史上最大級に拗ねていた。普段の理不尽さにも拍車がかかり、補助監督のみなさまのストレスが天元突破する。
それもこれも、五条が九十九からとある話を聞いたことから始まる。九十九は櫻と今も関わりがあり、そのつながりで五条とも稀に連絡のやり取りをする。
『そう言えば、安倍君のタイプは「七海君」という人らしいね』
「………は?」
ちょっとした雑談のつもりだった九十九の発言は見事にストライクを決め、坊のハートを粉々にした。
かくして五条は拗ねたわけである。
仕事の都合で櫻ともなかなか会えず、さらに感情は拗れていった。
「どうしたの? 何かぶすくれてるけど」
「別に」
久しぶりに五条と会った櫻は、腕を広げても抱きついてこない彼ピに首を傾げる。抱きしめにいくとなぜか逃げられた。いつもなら上機嫌に振られるしっぽが下に垂れ下がっている気がする。
「どうせ七海クンの方が好きなんだろ」
「五条くんの方が好きだよ……多分」
「………」
投げられたクッションが櫻の顔に当たる。五条はソファーで長い足を窮屈そうに折りたたみ、ジッと睨んでいる。
「どうしたら機嫌を直してくれる?」
「……僕の好きなトコ100個言ったらいいよ」
「100個かぁ…」
まず顔がいい。目が青空のようで綺麗だ。まつ毛も長くて、髪が手入れされた長毛種のワンコのようにモフモフしている。筋肉が分厚い。最強。足が長い。早漏。かわいくてカッコいい。たまに血統の良さを感じさせるお行儀の良さをみせる。
「あとは…」
「おい、途中」
「…ん? どこの部分?」
足が長くて、かわいくてカッコいいところの中間だ──と、五条は言う。とぼけた顔で櫻は笑い、「んー……わかんない。ちゃんと言ってくれないと」と返した。五条は口をモゴモゴさせて黙り込む。
「私だけ言わせるのもずるいから、五条くんも私の好きなところを言ってよ。…っあ!
交互に好きなところを言っていこうよ」
「宇宙人」
「…うん、私の番だね。情事中に甘えた声で──「うおわぁぁぁっ!!」……そんなカキョーインみたいに叫ばなくても」
ソファーに座った櫻は五条の肩に頭を乗せる。左手は五条の太ももに置かれ、右手は胸板に触れた。シャツの上の手のひらから脈が伝わる。スルスルと弄ばれる感覚がこそばゆい。頬だけでなく耳まで五条の顔は赤くなる。
「なぁ……俺とすけべしようや」
そのひと言で五条は一気に萎えた。
「何でそんなオッサン臭い言葉を吐くんだよ、お前…」
「結構私がノリで生きてるってこと知らないんですか?」
「時と場合を考えろ。今のはもっと可愛くおねだりするトコだろうが…!!」
「YOUの性癖を私に求められましても…」
今度は腕に細い手が絡みついた。ムニュゥ…とした感覚に坊の意識が全集中する。心臓がバクバクする中、耳元で囁かれた。軽いリップ音が、鼓膜を通って脳みそを煮えさせる。
「ねぇ、知ってる?」
某枝豆のCMの如きトーン。そのまま五条にのしかかった櫻は目をスッと細める。
「兎はね、年じゅう発情期なんだって」
白い毛並みの、紅い目をしたジャイアント兎は、そう言った。
【黒閃ネタ】
「僕最強だから」
「黒閃の連続記録は七海くんの方が上ですけどね」
「僕って超イケメンだし」
「七海くんは非の打ち所がない性格なんですよね。七海くんと任務を共にしたことのある補助監督の皆さんは、たいてい好意的な感情を抱きます」
「僕の方が身長高いし」
「私は恋愛に身長の価値観は持ち込まない主義です」
(とんでもなく拗ねて伊地知にパワハラした⑤)
「あの……五条さんが今日ずっと機嫌が悪かったんですけど、喧嘩されたんですか?」
「ん? ちょっといじめただけだよ」
「勘弁してください……!!」
「好きな子ほどいじめたくなるって言うじゃない」
「ちゃんとお好きなんですね…」
「空が綺麗ですね、って言うくらいにはね」
【呼び方】
最強の男が身を固めた話は瞬く間に広まった。結婚式はしかし小規模で、知り合いなどを招いた。大人数は櫻が気遅れするし、五条もお家のあれやそれが面倒だった。
七海を省こうとする新郎に新婦がキレたのは余談だ。
この結婚を一番感慨深く感じたのは夏油だ。「あの悟が…」と彼は子の成長を思う親目線で祝辞の手紙を読んだ。
そして新婚生活が始まる。二人は新婚なりにお互いの呼び方を考えた。この案は「五条」になった櫻が未だ悟を「五条くん」と呼ぶものだから、必然と生まれた。
まぁ、五条も櫻を名前呼びするのを気恥ずかしく思っている。どっちもどっちだった。
「『サモエドくん』なんてどう?」
「サモエドって犬種じゃん」
「五条くんもサモエドみたいに白くてふわふわしてて、かわいいから」
最強をカワイイ、なんて言えるのは彼女くらいだ。いやそもそも、五条は190センチを超える大漢なんだが。
「……じゃあお前は『宇宙人』で」
「と、見せかけて?」
「宇宙人」
「ねぇ、本当に宇宙人で行く気なの? ねぇ?」
グッドルッキングガイを「かわいい」と言う嫁なんぞ、宇宙人で十分だ。
なおも冗談だろうと詰め寄る櫻に、五条は思わず笑った。
【酔ってない but 酔っている】
歌姫が飲みたいということで、彼女が東京に来たタイミングで櫻と家入はバーに集まり飲むことになった。京都高の先生になった歌姫は色々と溜まっているようで、愚痴が止まらない。酒乱が発動した彼女は隣にいた櫻に抱きつき胸に顔を埋めた。
「何よこの胸は〜〜ッ!!」
白いセーターに突き出た二つの膨らみ。実にけしからん、とオッサン臭さ120パーセントで歌姫は胸を揉む。
櫻は笑って「歌姫ちゃんはいい子でちゅねぇ」とご乱心女の頭を撫で始めた。家入は最初は堪えていたが、幼稚園児扱いされる先輩の姿にとうとう爆笑する。
「私櫻ママの子になるわ……」
「五条くんがパパになりますけど」
「それは絶対にイヤァ……ッ!!!」
家入はこの光景を写真に収めた。遡れば以前の女子会で歌姫が暴れた写真も出てくる。ここで彼女の中にちょっとしたイタズラ心が生まれた。
早速写真付きでメールを五条に送信する。件名は『フリン現場』にした。送り終えてからグラスの酒を飲み干す。後でどうなるか楽しみだ。
「そう言えば五条って全然酒を飲まないわよね」
焼酎を煽った歌姫がそう話す。確かに五条は飲み会の席でも一切アルコールを飲まず、一人ジュースを飲んだり甘いものを食べている。
これは単純に五条の能力が脳に頼っているからだ。アルコールでこの動きが鈍ると、それが致命的な隙になる。ゆえに飲まないのは彼女らもわかっている。
「櫻、アンタは見たことないの? アイツが酔ってる姿」
「………ないですね。私も食べることは好きですけど、お酒を飲むことはあまりないですし、五条くんと飲むことはまずないです」
「フーン…」
歌姫は気になった。「僕下戸だから〜」と言っているあの生意気な後輩が本当に下戸なのか否か。これは家入も同様で、酔った場合どうなるか気になり出した。この好奇心は櫻にも伝播する。
三人の会話は「いかにして五条を酔わすか」に変わった。本人を来させるのは簡単だ。櫻が何かしら理由を作ればいい。任務があっても即行で終わらせ飛んでくるだろう。
飲ませる酒は『ロブ・ロイ』というカクテルに決まった。スコッチウイスキーとスイートベルモット、さらにアンゴスチュラビターズを使用したカクテルで、度数はかなり高い。だがスイートベルモットの甘みで飲みやすいカクテルでもある。
五条に迎えに来てもらう前に、櫻は家入の手を借りて酔ってる風なメイクをした。顔全体が赤らんでいて、その状態で突っ伏すと酔いつぶれているようにしか見えない。
迎えは酔いつぶれたリアリティを出すため、家入が代わりにメールを送った。そこで彼女は前に送ったメールの返信が来ていることに気づく。文面には『( ´ ` )』とだけあった。それを見た彼女の手が震える。これはノリなのか? それとも怒っているのか? 今送ったメールの返信はすぐに来た。
「………早速迎えに来るって、先輩」
「オッケー。じゃあプラン通りに行こう」
出されたロブ・ロイを少し飲んだ櫻は甘さの中にあるスコッチウイスキーの香りを感じながら、側にカクテルを置いた。
家入は平然とした顔でカクテルを飲んでいく。歌姫の方は途中から酔いが回り、寝てしまった。口を少し開けて小さな寝息を立てている。こりゃ私の家に泊まらすコースかな、と家入は歌姫の寝顔を撮りながら思った。
しばらくして客を知らせるチリンチリン、という音が鳴った。遊園地に紛れ込む黒の組織ばりに不審者姿な男が現れる。よっ、と手を挙げた五条に、家入もカクテルを飲みながら「おー」と返した。
「歌姫よだれ垂らしてんじゃんw」
「五条のことも愚痴ってたぞー」
家入がしたように五条も歌姫の寝顔を撮った。時間が経った歌姫は可愛らしい寝顔から、白目を剥いた姿に変わっている。
家入は立ち上がり、櫻先輩、と肩を揺すった。櫻は突っ伏しているうちに本当に寝てしまったようで、眠そうに目をこする。家入と目が合った彼女はすぐに己の使命を思い出した。「んん…」と声を出しながら櫻はグラスに手を伸ばす。まだ飲む気かと五条は止めに入ろうとした。
「おい、もうやめとっ」
「ン」
不意打ち気味に唇が合わさった。目隠しの下で目を丸くした五条の首に白い手が絡みつく。そのままグッと体重をかけられた彼は肩を跳ねさせた。甘ったるい酒が口の中に入ってくる。それを止める前に開いた隙間から舌も割り込んだ。
熱い応酬をさすがにガン見する精神は持ち合わせていない家入は、ふと気になったロブ・ロイのカクテルの意味をバーテンダーに聞いた。『あなたの心を奪いたい』という意味らしい。
一方、嫁に負かされた五条悟は顔だけでなく首や耳元まで真っ赤になった。目隠しを取ろうとする櫻の手を掴んでいる。
「やめろ……!!」
「五条くんのかわいいお顔、見たいなぁ?」
ねぇねぇ、見せてよ。見せて? おねがい。
甘く耳元でささやかれ、五条の動きが鈍った。頭の働きもノロくなっていくのがよくわかる。柔らかい胸がその形を崩し、これ以上なく密着する。目隠しの取り合いが続き、相手の隙を作るべく櫻は耳を食んだ。
「どりゃあ!」
目隠しがすっぽ抜ける。見えた五条の瞳は潤んでいた。目隠しはすぐに奪い返され定位置に戻る。しかししっかりとその顔を見た櫻はニコニコが止まらない。五条はクソ長いため息を吐いた。
「じゃあ私たちは帰るね、硝子ちゃん」
「サヨナラー」
しっかり恋人繋ぎで二人は帰宅した。あの天上天下唯我独尊の坊ちゃんも、嫁には勝てないようだ。
家入は辛口のカクテルを飲み、「甘ェ〜」と呟いた。
◇◇◇
最強だからこその願望、と言うべきか。五条悟は“負けたい”欲望を持っていた。もちろんその相手は誰でもいいわけじゃない。嫁限定で負かされたかった。これは幼少期から刷り込まれた結果だとも思っている。
日頃はちゃらんぽらんな先生の顔を持つ五条は家では違った。歳上の嫁にがっつり甘える。偉大なるグレイトティーチャーの皮は靴とともに脱ぎ捨てる。
櫻と夫婦になってからもう数年経つ。合法的に結婚できる年齢になったら即申し込んだ。相手に「あなたが嫌になったら別れて七海くんにアタックするから」と面と向かって言われているので、五条には焦る気持ちがあった。要は退路を塞いでおきたかったのだ。
櫻は少し考えそれを断った。理由は今結婚して子どもを設けたとして、五条に父親になる心構えが到底備わっているとは思えないから……だった。
これは的を射た発言である。五条の背は190センチを超えた立派なタケノコになったが、心は少年のままだ。でんじゃらすじーさんで死ぬほど爆笑できる。
OKがもらえたのはその数年後で、彼は高専の教師になっていた。口調も親友のススメで「俺」から「僕」に変わっていた。五条の一人称は櫻的に刺さるものがあったようで、以前にも増して甘やかされるようになった。
ちなみに櫻は現役で呪術師を続けている。等級は一級だ。七海とは絶対に組まないよう五条が圧力をかけている。
「ハァ゛ー……」
その日は一か月ぶりの嫁との再会だった。五条は帰って流れるように皿洗いをしていた相手に抱きついた。後ろの隙間からエプロンに手を差し込んで腹に腕を回す。
「お疲れの旦那様にお帰りはぁ?」と言うと、「はいはい、お帰りなさい旦那サマ」と投げやりな返事が返ってきた。もっと労わって欲しい。この一か月も忙しかった身を憐んでくれ。
「私にお土産はないんですか? 旦那サマ」
「玄関に置きっぱ」
洗った手をタオルで拭いた櫻は土産の元へ向かう。自分より重い旦那をズルズルと引きずった。エプロンは剥がされ、五条の手がセーターの襟をまくる。櫻は家事の時に邪魔な髪を三つ編みにして服の中に入れ込む。白い尻尾を出すとうなじが露わになった。五条はそこに唇を落とす。白い肌に咲く鬱血はそそるものがある。
「冷凍ものもあるのに置きっぱにしないでくれます?」
「ん? んー」
「ハァ……やれやれ、デケェ犬っころだぜ…」
櫻は帽子をかぶる仕草をしてからまた旦那をズルズルと引きずり、冷凍以外の土産をテーブルに置き、冷蔵庫に向かった。
「お風呂って沸いてる?」
「沸いてますよ」
「……なぁ」
華奢な肩に五条の顔がぐりぐりと押しつけられる。櫻の腹に回っていた腕は腰に回っていた。五条の息遣いは荒い。そりゃあ一か月はお預けを食らっていたから当然だ。
「しよ?」と彼が言うと、フフ、と笑い声が上がる。
「いいですよ、悟くん」
柔らかく微笑んだ彼女から、甘い香りがした。
蒼い目は熱で溺れていた。