腹凹毒蟲【Q】 作:アンディライリーのうさぎ
常に人手不足の呪術界×使い勝手のいい人材。この組み合わせの答えは
一級になってから仕事量が増え、櫻は忙しかった。五条の坊ちゃんを気にする暇なんて一瞬しかなかったくらいに。一方で仕事が増えると虫が呪霊を盗み食いできる機会が増えるので、悪くはなかった。
今日は仕事がなく、パイセンからカラオケのお誘いが来ている。『ご飯をおごってくれるなら…』とメールを打っている最中、教室の扉が開いた。彼女の頭の中でポケモンバトルを告げる音が鳴る。ゴジョウのぼっちゃんがしょうぶをしかけてきた!
坊ちゃんが繰り出したのは変な前髪の男。坊ちゃんは変な前髪の男の肩に腕を回し、「なっ、こいつ宇宙人だろ?」と話している。その人さし指が彼女に向いているのは気のせいだろうか。入ってきた担任は生徒が三人増えていることに「!!?」となっている。
「本当に宇宙人っていたんだね…」
「どう見ても仮面をつけてるだけの女でしょ」
「パイセ〜ン、「ワレワレハ、ウチュウジンダ」って言ってみてくださいよ」
「我々は宇宙人だ?」
彼女が五条の坊の仰せのとおりにすると、隣の二人がギョッとした。後輩でも相手は御三家の御子息だからね。下手に出た方がいい。この一年三銃士をどうしたらよいものか。授業だって始められない。困った彼女はメールの内容を変えて歌姫に送った。
『五条の坊ちゃんが三年の教室にカチコミに来たんですが、どうすればいいですか?』
一瞬で来た返信には『すぐ行く!』とあった。さすが頼れるパイセンだ。
一応挨拶はしておこう。櫻は立ち上がり、坊ちゃんの前に立った。百八十を超えた彼女と目線はほとんど変わらない。長身の仮面女の圧は目前に来るとよく分かるもので、五条は一歩後ずさった。ちなみに今日は翁の面だ。
「お久しぶりですね、五条様。それとはじめまして、一年のお二方。私は三年の安倍櫻です」
外見とは違いまともな挨拶に二人は目を丸くする。数コンマ置いて夏油と家入も自己紹介した。早く人間になりたい怪物に心があるように、宇宙人にだって常識はある。
「夏油さんに家入さんですね。入学から時間は経っていますが、どうぞよろしくお願いします」
「いえ…」
「はい……」
「へー、俺のことは「様」付けで、二人は「さん」なんだ。これって差別じゃないの?」
「五条の坊ちゃん」
「坊ちゃ………!?」
顔を真っ赤にした五条は、隣から聞こえた笑い声に固まった。夏油と家入がイイネタを見つけたと言わんばかりに笑っている。その後夜蛾を連れた歌姫が現れ、一年生は教室へ連行された。一方歌姫はあのクズ(五条)に何かされてないか、しきりに彼女を心配していた。
この件以降、五条はしばらく同級生から「坊ちゃん」と呼ばれることになる。
毎年九月には京都姉妹校交流会がある。呪術高専の東京校と京都校の生徒が参加し、二日間に渡って団体戦と個人戦が行われる。参加者は二年と三年で、人数合わせで一年が参加する場合もある。櫻も去年参加した。
その前の特訓も兼ねて二、三年は一年を交えて模擬戦を行うことになった。普通なら経験の差がある分、一年は分が悪い。しかし今年の一年は五条家のウルトラ麒麟児と呪霊操術の使い手。家入は戦闘面でこそ劣るが、希少な反転術式持ちだ。この一年だけで、というか五条だけでも交流会で勝てる。
「センパイザッコ〜!」
模擬戦で先輩に対するこの五条の煽りようである。二年の生徒は術式を用いて武器を振るうも、無下限の防御で防がれ、素の五条の身体能力で圧倒される。
五条には密かな野望があった。しばらく夏油と家入から「坊ちゃん」呼ばわりされることになった仇を、このちょうどいい機会に晴らしてやろうと画策している。あの仮面宇宙人を煽り、戦いに持ち込むのだ。
当の櫻は夏油と当たっていた。彼女が一番気になっていた相手だ。その理由は彼の能力『呪霊操術』にある。
呪霊を取り込み使役する力。取り込む場合呪霊に手をかざし、黒い球体となったそれを飲み込む必要がある。同じ“食べる”側として、夏油が呪霊の味をどう感じているか知りたい。
それに、一年の中で一番美味そうなのが夏油傑だ。これは単純に彼女の食の好みである。五条は珍味。家入はヤニ臭さがあるからあまり美味しそうじゃない。
「お手柔らかにお願いします、安倍先輩」
「うん、よろしく」
『呪霊操術』の天敵となる術式があるとすれば櫻の術式だろう。『
メインウェポンは巨大ハンマー、海外の猟奇殺人鬼が被害者の顔面を潰すのに使ったいわく付きの『
小手調べに夏油が出した二級と三級の呪霊はハンマーに潰され消滅した。その衝撃で地面がえぐれる。大ぶりの動きはしかし必ず隙ができる。そこにすばしっこく的の当てにくい小さい呪霊を仕向ければ────。さらに夏油は呪力抜きの素のフィジカルが五条に並ぶ。
「ッ!」
「顎がガラ空きです……よ!」
知っているか、これはゴリラ廻戦。雄叫びをあげてドラミングを決めたものが勝つ(違う)。
夏油の拳は櫻がギリギリで背後に避けたことで躱された。ピカチュウの面が衝撃で外れ、無理な体勢で逃れたことで大型ハンマーが彼女の手から滑り落ちた。一級呪霊を出すまでもなかったか──と夏油は仕留めにかかる。試合は「参った」と言うか、気絶した方が負け。もちろん術式や武器の使用もありだ。元々これは京都校との戦いに向けて行われている。普段の模擬戦とは違う。
砂埃が舞う中、乱れた長い黒髪が持ち上がり、作り物めいた日本人形のごとき顔が露わになる。血の色をした目に夏油の細い目が見開かれた。
「『
「ハ?………ぐっ、ゲホッ!」
夏油の目がかすかに充血し、次の瞬間口から血が溢れた。咳をするたびに口元を押さえる手に血がべっとりとつき、地面に赤い斑点を作る。鼻からも血が流れ、いよいよ立っていられなくなった夏油は倒れた。遠くで五条の「傑!!」と叫ぶ声が聞こえる。思考を回そうとするが急速に鈍る脳がハザードランプの如く危険信号を発する。
(これは毒……か。しかしいつの間に?その隙は無かったはずだ…)
ハンマーとピカチュウを回収した櫻は武器を引きずりながら夏油の前に座り込んだ。その腕のジャージを見て、「ははっ…」と声が漏れる。なるほど、虫か。傷口から虫が生まれ、ジャージの下に潜り込んでいる。中々にショッキングな絵だ。
「一年坊の君は私の能力を知らなかったようだね。動きを見てわかったよ。
夏油の靴下と肌の境界線。くるぶしに指を滑らせた櫻は虫刺されの痕に触れる。そこに爪を食い込ませ、ぐりぐりとえぐる。その小さな痛みにうめき声が上がった。毒によっては痛みもなくラクに逝かせてやることが可能だ。
「これ、致死りょ………じゃ」
「大丈夫。死んだみたいに気絶するだけだから」
「………」
「安心しいな。ほら、「毒を以て毒を制する」って言葉があるだろ?その言葉どおり毒で治療するよ。君が負けを認めてくれるならね。それともこのまま苦しんで気絶する?どっちを選ぶかは夏油くんに任せるよ」
仮面が外れたからなのか、それとも戦闘でアドレナリンがキマっているせいか。いつもの仮面女とは雰囲気がまったく違う。荒々しく、肉食的な圧を放つ。夏油はかろうじて動く右手をあげ、降参した。
相手の宣言どおり虫が噛みつくと毒の症状はすぐに緩和した。櫻は「心配ならドクターに診てもらって」と言い、去って行く。駆け寄る友人に夏油は「……あの人性格悪いね」と話した。