腹凹毒蟲【Q】 作:アンディライリーのうさぎ
誰にでも一人になりたい時はある。
歌姫に引っ張られるようにして昼ごはんを食べていた中に、いつの間にか家入も参加するようになった。ここにごく稀に卒業生の冥冥が紛れ込んでいる。家入には少し距離を置かれており、櫻は「
周りにいる人の密度が上がったせいだ。今日は一人で昼ごはんを食べたかった。歌姫に捕まる前に建物の屋根へ逃げた彼女は寝転がっていた。
眩しい。夏の日差しは彼女の白い肌を焼き、影法師を地面に引き伸ばす。仮面の下がサウナのようで暑苦しい。
でも櫻はその仮面を外さない。最初はジェイソンに憧れてつけ始めたけれど、そのリスペクトは今や家でホコリの被ったトレーニング器具のように見る影もない。呪霊をぶっ潰すスタイルのため、顔にかかる血を防げるゆえに結構仮面は有用だった。
今その仮面は彼女の心を覆う皮になっている。他人に絆されたくない。例外もいるけれど、人間は基本的に醜い。呪霊よりよっぽどおぞましい性質を隠して生きている。小・中でも人との接触を避けていたにも関わらず、その容姿からドロドロとした人間憎愛劇場を味わうハメになった。院長らとは呪術界のゴタゴタに巻き込みたくないから完全に縁を切っている。
だから、彼女の縋る場所はイマジナリーフレンドナナミンだけ。それだけで櫻はいい。
「こんなところでぼっち飯かよ、パイセン?」
七重弁当の六段目まで食べ終わった時、下からひょいっとサングラスボーイが上がってきた。珍しくニコイチの片方がいない。
「歌姫がさっき探してたけど。………つーか食い過ぎじゃね?絶対デブるじゃん。体重何キロだよ」
「六十……」
正直に話した彼女に、五条は「女の自覚とかないんか?」みたいな顔をした。
「なぁパイセン、アンタこの間の試合で術式使ってただろ。『
「………まさかご友人の仇を晴らしに来たんですか?」
「違ぇよ。ちょっと術式使うところ見せてくんない?」
「はぁ……まぁ、それなら…」
六眼の目が彼女の術式に引っかかるところがあったのだろうか。しかし幼少期会った頃は特に何も言われなかった。暑さだけではない汗が制服の生地に吸収される。呪術高専はなぜこんな暑苦しい制服を採用しているのだろうかと、関係のない疑問がよぎる。
ナイフの刃が白い肌を裂く。とろけるチョコソースみたいにパックリと避けた傷から血が流れ、そこから虫が生まれる。蒼い目がジッと一点に集中している。あぁ、居心地が悪い。判決を言い渡される前の被告の気分だ。長いまつ毛が陽の光を浴びてキラキラ光った。
「うぇ…キッッショ」
「虫をけしかけますよ?」
「冗談冗談、マイケル・ジョーダン」
「………」
櫻は無言で百虫を五条にけしかけた。しかし透明の壁に阻まれ、虫たちは撤退を余儀なくされる。彼女の体を這い、虫は傷口から体内に戻っていった。傷は少しずつ塞がり、やがて綺麗に治った。
「切るのだって痛いんですからね、五条の坊ちゃん」
「その呼び方やめろって言っただろこの野郎。ちょっと腕見せてよ」
「…嫌です」
「ちょっとだけだって」
「嫌です」
「ちょっとだけ、ほんのちょっとだけだって!」
おねがぁ〜い、とあざとく言う五条をイマジナリーフレンドナナミンがゴミを見る目で見ている。櫻は渋々腕を差し出した。男にしては細く長い指が肌にわずかに食い込む。途端に鳥肌の立った彼女は唇を噛んだ。ぞわぞわと下から虫が這い上がってくるような悪寒。今すぐに手を振り払いたい。五条は血管を探す看護師みたいに、腕の検分を続ける。
「硝子みたいに反転術式で行ってるわけじゃない。毒で治癒能力を早めてるんだよね?」
「……そうですよ」
「ふーん………安倍先輩はさ、特級呪霊と戦ったことってある?」
「…いいえ」
「俺はあるよ、最強だから。ハイ、ここで当然ですが五条くんクイズ!!」
「ハ?」
「五条くんの術式で右腕が吹っ飛んだ特級呪霊が、次に起こした行動とはいったいなんでしょう!五秒以内に答えてください。ごぉー、よん…」
フルマラソンをジェット機で攻略する五条の速さについていけない。腕を掴まれているせいで逃げようにも逃げられない。混乱の中で彼女は「呪力で回復した?」と答えた。
五条は笑って「大正解!」と話す。
「安倍櫻、お前は人間か?それとも呪霊か?」
蒼い瞳が、射抜くように仮面の下の彼女の目を見ていた。