ようこそ孔明のいる教室へ 旧バージョン   作:tanuu

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罪なき者のみ石を投げよ

『「姦通の女」ヨハネによる福音書第8章3~11節』


50.End of Her Wonderland

 1学年の間に一之瀬の悲惨な噂が流れ、Bクラスがそれに心を痛めていたとしてもAクラスの一般生徒には何の関係もない事であった。その証左に可哀想という意見を見かけても積極的に噂を止めようとする意見は見当たらない。それをやっているのはBクラスの生徒だけであった。Aクラスでそれをやるメリットも理由もそこまでない。噂を広めない程度の良心はあってもそれ以上をする義理など無かった。

 

 そしてBクラスがお通夜な中、学生たちにとっては大きく浮かれるであろうイベントが到来する。その名はバレンタイン。一般的には女性が男性にチョコレートを贈るというイベントである。まぁ大体恋愛を絡めて行われるイベントではあるが、最近では義理や友人同士でも贈るという。

 

 製菓会社の戦略と日本古来の贈答文化(お中元など)が混ざり合った結果生まれたのはキリスト教色の少ない日本型バレンタインデーなのだろう。ホワイトデーなるものも存在しており、返礼をしないといけない。まぁ貰ったのならば返すのは常識だろうが、出費は痛いと嘆く男性諸氏も多いと聞く。

 

 本日のAクラスにおいてはこの影響でピンク色の空気が満ち足りていた。恐らく、最も何の憂いも無くこの日を謳歌しているクラスといってもいいかもしれない。それは別に良い。クラスが平和であり、こういうイベントを楽しめる余裕があるのは素晴らしい事だし、むしろ外ではこれが普通であるべきだ。特に1年生ならば。

 

「1つくらいさぁ、あってもいいと思わないか?」

「何が?本命が?」

「ちょっとくらい憧れても良いじゃないか」

「……ハッ!」

 

 部屋の台所には大量の義理で貰ったチョコの山。義理でも貰えるだけありがたい。それはそうだ。しかし、少しくらい夢を見るものなのである。だってこれでも男子高校生なのだから。男子高校生って、そういうものだろう?

 

 と思って口に出してみたが、真澄さんは鼻で嗤っている。酷い。

 

「別に本命で無くても良いけども。揃いも揃って『義理です!』とか『お世話になりました、今後ともよろしく!』とかわざわざ言う事ないだろう」

「本命は別にいるって事でしょ」

「でしょうねぇ!ま、誰が誰を好きなのかは見ていれば分かるけど」

「怖ッ!え、なに、うちのクラスの恋愛事情全部把握してんの?」

「そりゃまぁ、一応」

「う、うわぁ……」

「引かないでくれ」

 

 実際、他クラスの人と恋愛しても構わないとは思っているが、その場合は把握してないととんでもない事になりかねない。自クラス内であったとしても恋愛沙汰で人間関係が険悪になられても困る。上手く相談に乗っている過程で誘導してみたりもしている。その結果良い感じになっているカップルもいるので、感謝して欲しいくらいだ。

 

 誘導と言ってもそんなに変なことはしていないし、自分自身の魅力値を上げられるようなアドバイスをしているに過ぎない。1年間見てきたのだから良いところ悪いとこもしっかり把握している。こういうパーソナルデータは良いことに使わないと勿体ない。

 

 朝平田や同じクラスの里中が大量に恐らく本命と思しきものを貰っていたが、生憎と私にそんなものは無い。間違いなく他クラスから恐れられてるのだろう。

 

「他クラスでアンタに渡せる勇気ある子は少ないでしょ。Aクラスの謎多きリーダーともなれば、いくら顔が良くてもどんな目に遭うか分かったもんじゃないし」

「そんなこと言われても」

「まぁ良いじゃない、橘先輩と綾瀬先輩からは貰えたんでしょ?」

「お義理を、だがな。前者の本命は間違いなく堀北前会長だろうし」

「それはそうね」

 

 気付いてないのは本人だけだろう。あそこはもう、何か色々大変そうだ。

 

「……もし本命があったら付き合う気だった訳?」

「いや、現実問題としては多分振る」

「なんで?付き合ってあげればいいじゃん」

「う~ん、君が付き合ってる男が毎日授業と称して自分じゃない女子を部屋に連れ込んでいるのは許容できるか?」

「ぶっ殺す」

「でしょう?だから無理」

「なにそれ、私のせい?」

「別にそうは言ってない。君がそれを強いているのならばまだしも、これは私が好きでやっていることだ。それに、どうせ付き合っても卒業と同時にさようならはあまりにも不義理だろう?私は国に帰らないといけない」

「遠距離恋愛はダメなの?」

「色々あるんだよ、色々」

 

 誤魔化した解答に不満気な顔でこちらを見てくる。そんな顔をされても困る。実際、何の関係もない人を私の政争には巻き込めない。もしかすると死ぬ可能性すらあるのだから。無論そうならないようにするだろうけれども、それでも危険性は残る。

 

 平和な国に産まれ、平和に過ごしてきた人をそんな事に巻き込むわけにはいかない。日本であれば、少なくともその手の死の危険とは無縁でいられる可能性が極めて高いのだから。愛する人だからこそ、死んで欲しくなど無いし苦しんで欲しくなどない。

 

 つまるところ、私は愛する人を探しながら、誰も愛する事が出来ないという矛盾を孕んでいると言える。もっと矮小化してしまえば、彼女は欲しいけど作ってはいけない、という事だ。

 

 昔の歌や話で良く流行った言葉に「例え世界を敵に回しても」というような言葉がある。はっきり言ってアレは三流の台詞だ。一流ならば、世界を敵に回すような状況にさせない。もしくは巻き込ませない。これが正しい。世界というほど大きなものでは無いにしても向こうがこちらを巻き込んでくるのではなく、こちらが向こうを巻き込むなどと言う状況は最悪以外の何物でもないと私は考えるのだ。

 

「故郷に許嫁でもいるとか?」

「許嫁ねぇ……いたよ、昔」

「は!?」

「今はいない。と言うか、止めさせた。誰があんな女と結婚なんかするものか。死んでも嫌だね」

「あ……今はいないのね。あっそう。ふ~ん」

 

 目を白黒させたり顔が赤くなったり青くなったり忙しい人だ。結婚願望があるものの、誰でも良い訳では勿論ない。絶対嫌な存在だっている。一応我が祖国はいとこ婚を禁止しているものの、事実婚だと大丈夫という謎論理により結婚させられそうになっていた。と言ってももう数年前の話だ。判明したのが日本に来る数か月前だったので慌ててあの爺を説き伏せて解消させた。

 

 危うくあの頭おかしい従妹と結ばれる羽目になっていた。人生でトップテンに入るレベルで焦った瞬間だっただろう。日本人のせいで薄まっている諸葛家本流の血をもう一回濃くするためだったらしい。今時流行らない思想だと思う。

 

「ま、いいや。はいこれ」

「何、これ?」

「バレンタインプレゼント」

 

 渡されたのはラッピングされた袋。モールに入っているメーカーでこんな包装をしている店は見たことが無いので、恐らく手作りであると予想される。

 

「義理だろうと何だろうと、どうせチョコばっかり大量に貰って飽きるんだろうなぁと思ったから」

「それはどうもお気遣い頂きましてありがとうございます」

 

 確かにチョコレートばっかり食べていると段々飽きてくるものである。

 

「店のじゃないから味は保証しないけど」

「大切に頂きますとも」

「……そう、好きにすれば」

「お返しはまた今度」

「期待しないで待っとく」

 

 私以外でもお礼を言われると照れてそっぽを向いたりどっかに逃げたりちょっと照れ隠しを言うのは最早デフォルトだ。クラス内でもそう認識されているようで、女子からはそこを偶にいじられていたりする。今まであんまり友達がいないと自他ともに認める人生を送ってきた彼女にとって、今が最初の黄金期であるのかもしれない。

 

 もうすぐ2月20日だ。その日は彼女の誕生日。日頃のお礼も兼ねて、物を用意しているのでホワイトデーでは無いが一緒に返してしまおう。貰ったものにはお礼を。当然のことである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 さて、そんな(ごく一部には)楽しかったバレンタインデーの翌日。空気は打って変わって重いものになっている。それもそのはず、一之瀬のものだけであった噂は広がりを見せ、全クラスを対象としたものに変わっていた。

 

 最初はバレンタインデーの翌日に決行する、B~Dだけを流す、という2点を綾小路から連絡されていたが、先日のBクラスによる殴り込みを考えた時にこのままAクラス以外の噂が流れると単純な生徒が今度こそマジの殴り込みをしかねない。

 

 Bはともかく、CやDだと怪しい。これ以上そういった面倒を被るのは厄介だったので、Aクラスのものも流してもらう事にした。無論、綾小路からはそれで良いのかと質問を受けたが、結局この無差別フェイクニュース攻撃で大事なのは学校に重い腰を上げさせる事。もっと言えば実際に動かずとも動くぞ、という気配を坂柳が感知すること。そうすれば向こうが勝手に動き出す。この目的を達成するための道筋はAクラスに関連する噂を流したとしても見えている。問題は無かった。

 

 既に綾小路は同時並行で一之瀬の説得にかかっている。ホント、友軍だと頼りになる存在だ。利害が一致しているうちに手を組むことが出来てよかったとつくづく実感させられる。

 

 登校し、噂に関して事実無根であること、安易な噂に流されないようにすることなどを再度強く注意喚起し、私は職員室へ向かった。

 

「現状について、真嶋先生以下先生方は把握されているのでしょうか」

「一之瀬に関しては把握している。しかし、Bクラスの生徒にも伝えているように本人からの訴えが無い以上、どうしようもないというのが現状だ」

「それは昨日までですね。今朝、新しく追加されました。こちらをどうぞ」

 

 携帯の画面を見せる。多くのクラスの生徒に関して、噂が流れている。中には櫛田の持っている情報、即ち根も葉も存在しているマジ情報も混じっているのだろう。それ故に信憑性を増していく。噂とはそういうものだ。

 

 無論Aクラスも散々な謂れようである。葛城は同性愛者、坂柳は理事長の娘なので裏口入学、真澄さんはパパ活経験者、私に至っては殺人犯である。最後だけ真実なのは一瞬心臓が止まりかけた。こういう明らかにフェイクっぽいものと坂柳は裏口入学みたいな真実に近いのが混じってるのが嫌らしい。

 

 櫛田情報もそこまで良いのが無かったのか、綾小路なりに考えて作りだしたフェイクなのだろう。間違いなく坂柳のところは私怨が籠っていると見た。それはさておき、真嶋先生は画面をスクロールして顔をしかめた。

 

「これは……」

「見ての通りです。最早、被害は一之瀬さんに留まりません。クラスも個人も問わない無差別攻撃と見て良いでしょう」

「なんという事だ」

「まさにその通り。しかし、申告が無ければ動けない。そうですよね?」

「あ、あぁ……。個人的には忸怩たる思いだが、そういうルールになっている」

「では、訴えを出します。私も被害者ですからね。犯人特定よりも先に噂の吹聴を禁ずるよう措置を取って欲しいと訴え出ます。これで動けるのではありませんか?」

「確かにそれならば動くことは出来る。しかし、犯人特定をしなくて良いのか?」

「特定は時間もかかりますし、難しい。噂は不特定多数の手で拡散されますからね。大本、即ち一之瀬さんの件を見た模倣犯がうっぷん晴らしという可能性も否定できません。であれば、まず行為を禁ずる方が早いはずです。学校にはどこの学校でも存在しているじゃないですか。『風紀を乱す』という伝家の宝刀が」

「確かにそれならば禁止も出来る、か。分かった。訴えを受理し、職員会議などを行う。明日の放課後か明後日までには返事が出来るだろう」

「よろしくお願いします。こちらも全ての元凶とみられる一之瀬さんの噂の発生源が今回の無差別爆撃の犯人と仮定して捜査を進めますので。数日以内には犯人に首輪をつけてお引き渡し出来るかと」

「それを咎めることは出来無いが、くれぐれも過激な事はしないようにしてくれ」

「分かっております。先生も、お早めに。こういう悪意はどんどんと膨れあがっていくものですから」

 

 これでいい。誰もしていなかった行為をした、つまりこうして訴え出たことによって学校側は被害者、この場合は私の求めに従って噂の吹聴を禁ずるように働きかけねばならない。犯人特定よりも優先して、である。

 

 自治を強く求める学校側は元々犯人特定には消極的だ。訴えが無い以上は出来ない。その間を縫って私が坂柳に自白を引き出し学校へ突き出す。無論、引き出せるのは一之瀬の分だけだが、証拠もある以上一之瀬の件ではもう逃れられない。そうすればなし崩し的に坂柳が無差別爆撃の犯人として見られるだろう。最悪、そういう『自白』を引き出せばいいのだ。薬も拷問もせずに自白を引き出すのは我が国のお家芸である。

 

 ここには信用度も関わってくる。私のこれまでの信用度、そして理事長更迭の話は職員も当然知っている。であれば、そんな真っ黒な理事長の娘と私と。どちらを信じるだろうか。やはり人は偏見が入るものである。この際多少の賠償は払おう。全責任を坂柳に押し付けて賠償としてクラスポイントなどを払うと言った際に、他クラスの教員は担当クラスの利益のために坂柳が犯人であることで決着させるだろう。

 

 例え、もし多少証拠が不自然であっても、犯人の自白が曖昧でも。訴え出た私が納得し、そういう事にするのが自身やクラスの利益になるのならば。まさか私が坂柳を嵌めるために張り巡らせた陰謀だとは思わないだろう。そこまでの影響力が坂柳にあると最早教師すら思っていないのだから。

 

 

 

 

 そして放課後。私はHRの時間を借りてクラスメイトの前で話していた。

 

「皆さん。知っての通り、悪辣なる何者かによって根も葉もない噂が流れています。これは断固として許される行為ではありません。その為私は被害に遭った者を代表し本日真嶋先生に訴えを出しました。数日以内に噂に関しては禁止令が出され、以後は処罰の対象となるでしょう。皆さんは今後とも噂の吹聴に協力せず、正しい行動をすることを切に望みます」

 

 噂を流されていた生徒はホッとした様子を見せている。気分のいいものでは無いだろうし、さっさと終息してくれるに越した事は無いと思っているのだろう。無関係の第三者には申し訳ない事をしてしまったと思う。それも兼ねての賠償金だ。払わない訳にはいかない。尤も、私の金では無いわけだが。

 

「将来、社会に出た際、この情報化社会では数多のフェイクニュースが出回っています。あらゆる機関、国家、個人があらゆる媒体で流しています。インターネットはフェイクニュースの巣窟と言っても過言では無いでしょう。無論、デマやフェイクニュースは許されるものではありませんが、そうはいっても無くならないのは事実。正しい知識を持って理性的に、信じ込まない癖を付けていきましょう!」

「「「「はい!」」」」

 

 元気のよい返事を返すクラスメイトに対し、蒼い顔をしている坂柳が印象的だった。

 

 その晩、綾小路から一之瀬の説得に成功したとの連絡が入る。このままでは坂柳は罰を受けてしまう。一之瀬が明日登校したとしたら、それを最後のチャンスと見て仕掛けに行くだろう。恐らく時間は昼休み。ここが運命を分ける最後のポイントだった。もし、ここで己の過ちを認め、動かなかったのならば許そう。しかし、それが出来ないのならば……残念ながら裁きを受けてもらうしかないだろう。

 

 橋本からも石崎などのDクラスから問い詰められたと報告が入った。現在臨時指揮をしている椎名の静止でなんとか暴力沙汰は免れたようだが、Aクラスはあの無差別爆撃すらも自作自演とみられ、多くの生徒に敵視されている。椎名も対峙した橋本や鬼頭に軽蔑しきった視線を送っていたという。恐らく、賢い生徒は私が裏で操っていない可能性も考慮してはいるだろう。ただし、それはとても低いと思われている。椎名の向けた軽蔑は、橋本ではなくその裏にいる無実の私に向けられていると見て良い。厄介なことだ。

 

 思えば幾度となく彼女にはチャンスがあった。もしくは与えてきた。それを全て無下にしてきたのは向こうの方だ。これが最後の恩情、最後の時間である。これをどうするか。それが彼女の運命を決めるのだ。追い詰められた死刑囚。ギロチンの刃を避けたくば、私に忠誠を誓うしかない。Give me liberty, or give me death.(自由か、然らずんば死か)なのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 翌日。クラスは良く収まっている。昨日の演説が功を奏したようで、クラスメイトは学年末試験に向けて昼休みでも勉強に取り組んでいた。私は1つ大事な話があるので昼休みに残って欲しいと連絡していた。大事な会議をすると。そんな中、不意に坂柳が立ち上がる。遂に時は来たのだろう。朝のHRで今日の午後のHRにて、噂に関しての学校からの通達があると連絡されている。彼女にとっては都合の良いことに、今日は久しぶりに一之瀬が登校している。今しか時は無かった。

 

 残念ながら、彼女は断頭台に自ら進むことを選んだのだ。であれば、その決断をたたえながら刃を下ろすとしよう。ただし、向こうがボロを出すまでは、一之瀬の成長の結果を見るためにも様子を見守る必要がある。決定的な瞬間に、決定的なモノを突き出すのだ。

 

 会議があるのにどこかへ行く坂柳に対し不審そうな視線を向ける葛城を制し、皆には待機をお願いする。盤上の上とは知らず、企みの成功を夢見ているのだろう。橋本がくっ付いているが、彼はこちらのスパイ。電話が常につながった状態であり、中身は筒抜けだ。彼と通話状態になる電話をスピーカーにして教壇に置き、聞くように求めた。クラスメイトはペンを止め、耳を傾ける。ついでに無言でいてもらう事にした。

 

「何しにきたんだよ坂柳!」

 

 電話の向こうでは、Bクラスの柴田が詰め寄っている。坂柳も勿論容疑者の1人だ。私よりも疑われていなかったとは言え、ではあるが。何となく納得がいかない。私はそんな悪辣な事はしていないのだが。それなのにどうして信用度が坂柳よりも低いんだ。

 

「そう怒鳴らないでください柴田君。私は皆さんを救いに来ただけですよ?」

「どういうことかな坂柳さん」

 

 奥の方から一之瀬の声がする。 

 

「待てよ一之瀬、お前が相手する必要ないって!」

「そうだよ帆波ちゃん、行っちゃダメ!」

 

 精神的なものとは別に病を得ていたのは事実のようだ。なので、病み上がりにこんな危険人物の相手をさせるのを防ごうとするのは友人としてごく自然な行動だろう。

 

「まずは体調が快復されたとのことで良かったです。本当はもっと早く声を掛けたかったのですが、試験勉強に忙しかったもので。それにしても良かったです。明日の学年末試験には間に合いましたね」

「うん。ありがとう」

 

 電話口でもBクラスの敵視する視線が伝わってくる。やっとBクラスの生徒も犯人が坂柳だと気付いたようだ。

 

「救いに来たと言ったな、坂柳。諸葛の使いっ走りか?」

「いいえ、これは私の意思です。彼では出来ない事でしょうから」

「それはつまりあの噂を流したことを認める、という事か?諸葛ではなく、お前が犯人だと」

「それもノーです」

「……であれば何を以て救済と?」

 

 神崎が問い詰める。まだ私を疑っていたのか。本当に勘弁してほしい。今度こそ私が犯人ではないと分かってくれたはずだ。

 

「以前、一之瀬さんが大量のポイントを所持しているという噂が持ち上がりましたね。あのときはすぐに鎮静化していましたが」

「それがどうした。関係ないだろう」

「私の推測に過ぎないのですが……不正なく大量のポイントを保持する方法は限られているという事です。クラスメイトから定期的にポイントを回収し、集めておく。要は銀行のような役割を、一之瀬さんが担っているのではないかと判断しました」

「そんなこと、答えられるわけないだろ」

 

 当然の反応である。こんな事解答できるわけがない。

 

「ええ。別にその回答を求めている訳では無いのです。ただ――――ただもしも一之瀬さんがそのような推測通りの役割を果たしているのだとしたら……それは非常に危険なことでは無いかと思ったのです。私の言っている事は間違っていますか?一之瀬さん」

 

 少しの沈黙の後、歩き始める音がする。恐らくその主は一之瀬。綾小路の説得は見事成功したとみて良い。彼の主観ではなく、事実として。

 

「ちょっと道を開けてくれるかな」

「で、でもっ」

「大丈夫。私なら、大丈夫だから」

 

 そして立ち止まり、一之瀬は大きく息を吸った。

 

「……ごめん、みんな!」

「な、何を謝ってるんだよ一之瀬!?お前が謝る必要なんて─」

「止めないであげましょう柴田君。彼女は懺悔しようとしているんですよ」

 

 悪趣味な笑い声に、Aクラスでは眉を顰める生徒が多い。女子は明らかに舌打ちしている生徒もいる。戸塚は怨敵坂柳の失脚に歓喜を漏らしている。お前も危ないな。

 

「私は今まで1年間……ずっと隠し続けてきた事があるの。この数週間、私のことで変な噂が立っていたと思う。勿論99%は嘘。でも、その中に1つだけ本当の事がある。それは手紙に書いてあった事……私が、犯罪者だって話。それは本当の事なの」

 

 Bクラスの生徒が静まり返っていく。Aクラスも驚愕を隠せない生徒が多い。

 

「ここにいるお人好し集団は全くもって見当もついていないようなので、詳しく教えて差し上げて下さい。貴女は一体、どんな過ちを犯したのですか?」

「私は――」

 

 一之瀬は1度、喉を鳴らす。

 

「皆に黙っていたことを――今から告白します。私の隠してきた犯罪、それは……万引きをしたこと」

 

 誰もがそれに衝撃を感じただろう。さしもの葛城ですら顔が固まっている。そんな事をするようには見えない。一之瀬はそういう生徒だ。

 

「私は母子家庭で、お母さんと2つ下の妹との3人暮らし。裕福な方じゃないけど、不幸だと思ったことは一度も無かった。だから私も小学校の時は中卒で働こうと思ってたの。いずれ就職してお母さんを助けて、妹の幸せをバックアップしようと考えてたから。でもお母さんは反対した。母として、2人の娘には幸せになって欲しかったんだろうね」

 

 一之瀬は過去を話し出す。妹の幸せを願うという点では共通点のある葛城は既に涙ぐんでいる。気持ちが分かるのだろう。

 

「お金が無くても一生懸命勉強すれば特待生制度を利用できることを知った。必死に勉強して、学校でも1番になる事が出来た。でも……中学3年生のある日……お母さんは過労で倒れてしまった。妹の誕生日が近かったの。妹はこれまでプレゼントなんか貰ったことが無かった。中学1年生なんだからもっと我が儘言ってもいいはずなのに、ずっと我慢して、耐えて耐えて耐えて。そんな妹に初めて欲しいものが出来た。それは去年流行したヘアクリップ。妹の大好きな芸能人が付けてるものだった。だからそれを買うためにお母さんは無理してシフトを入れてたんだと思う」

 

 だが、それは買えず。母親は入院してしまう。当然、お金なんて吹き飛んでしまったはずだ。

 

「今でも覚えてる。病院のベッドで泣きながら謝るお母さんに、ありったけの罵声を浴びせる妹の顔を。そんな妹を私は責められなかった。姉として……何とかして妹の笑顔を取り戻さないといけない。そう思った。だから、私は妹の誕生日当日、デパートへ足を運んだ」

 

 その先に言わんとしていることを、誰もが察していた。

 

「あの時の私の感情は闇だったと思う。いいじゃない……たった1度、妹のために悪さをするくらい。大したことじゃないんだ。世の中、悪い人なんてもっといっぱいいる。そんな感情を持っていた。これまで我慢し続けてきた私たちが責められる必要なんてない。これは許される行為なんだ。そんな身勝手、我が儘な解釈。そして私は……盗んだ。……ダメだね。結局、どれだけ懺悔しても決して消える事の無い罪」

 

 彼女の苦しみは本物だったのだろう。苦しみの量や辛さを比べることほど無意味な事は無い。だから私の方が辛かったなどとは絶対に言わない。彼女には、彼女なりの辛さがあったのだろうから。彼女の言う通り。もっと悪い存在は沢山ある。そう、君の近くにも。私という名の、罪の象徴がいるのだから。

 

「私はそのヘアクリップを持ってデパートを出た。初めての万引き、初めての犯罪。それは誰にも見つからなかった。だから私は塞ぎ込んでいる妹にそれをあげた」

 

 だがつかぬ間の幸せは終わる。果たして最初に引き金を引いたのはいつだっただろうか。私は一之瀬の話を聞きながらそう思っていた。

 

「悪い事をした娘に母親が気付かない筈がないよね。秘密にしておくように言ったプレゼントを妹は身につけてお母さんのお見舞いに行った。まさか盗品だなんて思わないもんね。その時初めて、本気で怒るお母さんを見た。私をひっぱたいて、妹からプレゼントを取り上げた。お母さんに連れられて、私はお店に連れていかれた。土下座をして許しを願った。その時になってやっと私は罪の重さに気付いた。どんな言い訳をしたって犯罪が肯定される事は無いって」

 

 真澄さんは苦い顔をしている。同時にどこか苦しそうでもあった。その苦しみは彼女が背負うべき十字架だ。そして私も、血塗られた十字架を背負い、いつか来る断罪の日へと歩いている。

 

「結局お店の人は警察沙汰にはしなかった。『もう2度と、こんなことをしないように反省してください』って苦々しい顔でそう言いながら。でも騒動はすぐに広まって私は閉じこもった。半年間引き籠った。前を向けたのは、この学校を教えて貰ったから。もう一度やり直す、最後のチャンスなんじゃないかって」

 

 

 

 

 

 

 

 そこで私は電話のスピーカーをオフにして、イヤホンで私の片耳とだけ繋いでる状態にする。クラスメイトは複雑な顔で私を見ていた。何故、これを聞かせたのか。それが彼らの知りたいことであった。

 

「皆さん、これが一之瀬さんの過去でした。坂柳さんはこれが知りたかった。では、これまでの一之瀬さんは嘘なのでしょうか。他クラスでも分け隔てなく接していたあの優しさは嘘なのでしょうか。私はそうは思いません。償いのための行動であったとしても、それはきっと本当だった。罪は許されないのでしょうか。では、何のために刑罰はあるのでしょうか。そもそも彼女は法の裁きを受けていない。周りの人は、店の人も含め、裁かせないという罰を与えたのではないかと思うのです。罪の意識に苛まれ続ける。それは彼女の背負う十字架です。ですが、それを背負ってでも未来へと歩ませることが、彼女が出来て、そして周囲が望んだ罰なのでは無いでしょうか」

 

 その苦しみは大きい。私も、十字架の大きさは違えど、似たようなものを背負っている。

 

「彼女は悔いた。そして改めた。罪を憎んでも人を憎んではいけないのです。過ちを知り、そして改めた者に、どうして石を投げる事が出来るのでしょうか。彼女を真の意味で裁けるのは、法と被害者だけだと言うのに。むしろ、陰湿な中傷によって多くを巻き込み、罪と共に生きると決め、多くの人ならば逃げるであろう現実と立ち向かった彼女を陥れた存在にこそ、正しく罪は定められ罰は執行されるべきなのでは無いでしょうか!」

 

 多くの生徒が私を見つめている。その言葉に拍手が起こった。坂柳に聞こえないように小さくではあるが。多くの生徒がこちらを感激した目で見ている。

 

「私が本来ここに皆さんを呼んだのは、坂柳有栖の弾劾裁判を決行する為です。彼女は皆さんの意思の代弁者であり代表である私の指示に無い一之瀬さんへの中傷と妨害を前回の特別試験で行い、Bクラスとの関係に多大なる傷を付けました。こうして今も一之瀬さんを中傷し、Aクラスを孤立に追い込んでいます。そして、ここ一連の誹謗中傷事件の全ての容疑者は坂柳有栖その人なのです。故に、私はここでこの場を疑似法廷とし、彼女に対し行動是正勧告と従わない場合は自主退学を推奨する勧告を出すべきと判断致しました。また、今回の誹謗中傷事件の他クラス被害者に対しクラスポイント、プライベートポイントなどを用いた賠償をすることを提案します。この2つの議案に対し、意見のある方は?」

 

 誰も手を挙げない。私はクラスを見渡し、言葉を続ける。

 

「私はこの裁判をするべく被告人として彼女に参加を促しましたが、今ここにいないという事は拒否したとみなします。そのため、やむを得ず欠席裁判となりました。では決を採ります。この2案に賛成の方!」

 

 女子がスッと全員手を挙げる。その勢いにやや戸惑いながら、男子も次々と手を挙げた。

 

「結構です。当法廷は総員40名の内欠席者2名、裁判長である私こと1名を除き、参加者全37名全会一致で坂柳有栖への非難並びに行動是正勧告、そして中傷事件被害者への賠償を行う事を決議致します!」

 

 女子はせいせいしたという顔をしている。戸塚は絶頂していた。ヤバい奴である。葛城は複雑そうな顔だが、仕方あるまいという顔をしている。別に今すぐにでも退学させようという訳ではない。賠償も余裕があるからこそ認めてくれているのだろう。真澄さんは蒼い顔ながら承認していた。鬼頭と山村はもう仕方ないとばかりに諦めている。

 

 さて、そんな裁判の中、BクラスではBの生徒たちが一之瀬を口々に宥めていた。真澄さんに行くぞ、と指示を出し、葛城に取りまとめを頼む。彼ならばうまくまとめてくれるだろう。真澄さんは顔色を少しだけ戻して後ろをついてきた。イヤホンは外し、携帯も電話を切ってポケットにしまう。

 

 

 

 

 

 丁度着いたころには温かいクラスの様子を見ながら、つい先ほど自クラスから弾劾決議を出された少女が苛立っていた。自分はクラスから爪弾きで温かさを貰えていないから嫉妬しているんだろう。見苦しい。余裕のない彼女は私にも気付いていない。

 

「止めて下さい。笑わせないで貰えますか、Bクラスの皆さん」

 

 一之瀬を擁護する声を一蹴し、甲高く音を立て杖を床に叩きつけている。

 

「実に下らない茶番劇ですね。不必要な過去の詳細まで語って、同情を引いているつもりですか?どんな境遇であれ、万引きは万引き。窃盗です。同情の余地などありません。貴女は私利私欲のために盗みを働いたのです」

 

 私利私欲のために人を陥れる人が言うと説得力がある。同情の余地など無いと自分で言ったのだから、それ相応の覚悟はできているのだろう。

 

「うん、その通りだね。過去の背景は一切関係ないよ」

「貴女が『犯罪行為』を犯したのは事実です。即ち、今抱えており今後も増えるであろうポイントも、卒業間近で盗み取ってしまうのではないですか?」

「……そんな事できっこないよ、坂柳さん。もし私が全員の意向を無視してAクラスに上がるような真似をすれば、それは裏切り行為。学校も許可しないんじゃないかな」

「そうですね。貴女は賢い人ですからそういう露骨なやり方はしないかと。けれどまさに今、ここに実演しているように同情を誘うやり口で、全員のお墨付きをもらうのではないですか?」

「そう、だね。私が……どれだけ頑張っても、私の努力は全て偽善なのかもしれない。一度犯した罪は二度と消える事は無いんだよね」

 

 追い詰める坂柳は楽しそうだ。その後ろにいた橋本は私の登場に気付き、静かに頭を下げて群衆の中に消える。

 

「皆さんも分かったんじゃないでしょうか。それが、一之瀬帆波さんという生徒です。このような人をリーダーに据えている限り、あなた方Bクラスに勝ち目はありません。真に罪を悔いるならば、今ここでポイントを全て返却し、リーダーを下りるくらいはして欲しいものですね!」

「お前がそうやって一之瀬さんを陥れても私には勝てないけどな」

 

 空気が凍る、という表現が正しいだろう。まさに空気が凍った。一之瀬も、Bクラスも、群衆も、その中にいた綾小路も、皆がこちらに視線を向ける。群衆はモーゼによって割かれた海のように左右にスッと展開した。その先にいた坂柳は凍り付いた顔で私を見つめる。

 

「散々好き勝手にしてくれたな、小娘。私の堪忍袋の緒が切れるまで後少しだ。いう事を聞かない不出来な生徒には困ったものだな。そんな相手に優しくしてやるほど、私はお人好しじゃない」

 

 一之瀬は若干困惑している。坂柳だけが凍り付いたように動かなかった。

 

「犯罪者の娘は犯罪者か?蛙の子は蛙だな。全く、私の父は君の父親にして現在不正で更迭された教え子である坂柳()理事長に昔悩まされ、私は娘の君に悩まされているとは。迷惑な父子だこと。しかも元理事長、お前の意見の通りなら消えない罪を背負った犯罪者を入学させたのか?父親の教育理念を否定するほどお前に何か価値があるとは思えないが……まぁ良い。先ほどはご高説を賜り恐悦至極。では、行きましょう」

「……は?どこへ行くというのです」

「何処って、職員室ですよ?」

「な、なんで私が職員室に!一之瀬さんならともかく、どうして私が!」

「貴女が一連の一之瀬さんに対して、並びに他の生徒に対する誹謗中傷事件の容疑者だからですよ」

「何の証拠があって!」

 

 珍しく大きな声で叫ぶ坂柳。そこに録音機を突き付ける。静まり返った聴衆の前で、スイッチを入れた。

 

『ねぇ、姫さん、もう止めましょうや』

『どうしてですか?これが上手く行けばBクラスは失墜。一之瀬さんは失脚ないしは自主退学するでしょう。それに、貴方は私に逆らえない』

『でも誹謗中傷なんて……犯罪者とか堕胎とか、これ嘘だったらヤバいですよ。本当でもヤバいですけど。それに手紙を入れる時に見つかったらどうするんですか』

『大丈夫です。これまでの掲示板での書き込みでは訴え出ませんでした。私の情報源によれば、犯罪者なのは真実。彼女は必ず訴えないでしょう』

 

 ここまでは本当に言っていたこと。そしてこの後は別の作戦について橋本が訪ねた際の音声を、別撮りした橋本の質問音声の後にくっつけている。なお、先ほどの「貴方は私に逆らえない」も別の時に言っていた坂柳の音声を切り貼りして繋いでいる。これで橋本は脅されている被害者だ。

 

『他クラスの分は撒かなくて良いんですかい?カモフラージュのために』

『必要に応じてやりましょう』

 

 ここで録音機を止める。顔面蒼白で呼吸も浅くなっている彼女に近付き、私は現実を突きつける。

 

「お前の好き勝手出来る箱庭はこれで終わりだ。夢から覚め、現実と向き合う時間が来たのだよ。最後はアリスの物語らしく終わらせようじゃないか。本物のアリスは夢から覚めたけれど、偽物の有栖は今でも夢の中」

 

 血まみれの私は赤い女王に相応しいだろう。断頭台の処刑人にも、だが。

 

Off with her head!(首を刎ねよ!)

 

 焦点の合わない目で私を見上げる瞳に向かい、私は微笑みながらそう告げた。

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