ようこそ孔明のいる教室へ 旧バージョン   作:tanuu

17 / 37
投票した者が決めるのではない。投票を数える者が全てを決めるのだ。

『ヨシフ・スターリン』


10章・人が決まってウソをつくとき。それは狩りの後、戦争の最中、そして選挙の前
52.弟子と子


<異国の館にて>

 

 

 赤い。その世界はとても赤かった。壁も、床も、天井も。玄関すら濃い赤である。そんな赤い屋敷の中を1人の人間が歩いている。名を黄雹華。諸葛孔明の副官である。軍服に身を包んだ少女は、銀髪の下にある美貌を歪ませながら明らかに内装に失敗している趣味の悪い館を歩いていた。洋館の一室を前に立ち止まり、一応の礼儀と思いノックをする。

 

「どうぞ」

 

 中からは鈴のような声がした。ギィっときしむ重たい扉を開くと、そこにはまた赤い世界。その中心に目当ての人物はいた。カンバスと絵の具はまぁ普通。しかしながらそれとは別に、尋常ならざる数の……血。瓶に入った大量の血が所狭しとある。骨や脳、目、心臓、あらゆる臓器がそこには存在していた。近くには死体も転がっている。顔をしかめながら、銀色の少女は中央の赤い少女に声をかけた。 

 

「どうも」

「えぇ。お久しぶりですわね」

 

 静かな、感情を感じさせない淡白な声がする。この声を聴いていると頭が痛くなる。まるで自分を穏やかに、しかし確かに洗脳しようとしているように聞こえるからだ。その一因にはこの死臭とお香とが混じった何とも言えない空気が作用しているだろう。

 

(わたくし)の診察を受けに?……薬は後2カ月は持つはずですが。それとも、芸術に理解をお示しくださったのですか」

「違います。貴女の意思確認に参りましたのですよ、諸葛魅音(レディ・ブラッド)殿」

 

 赤い口紅に赤みがかった髪。赤を基調とし、好むからというのもその異名の理由の1つ。そしてもう1つはその趣味嗜好から。独自――と言えばかなりオブラートに包んだ言い方にはなるが――な価値観を持っている。とは言え、別に無差別殺人をするわけではない。彼女が殺すのは国家に仇為す罪人。諸葛孔明率いる白帝会が守護者に近いとすれば、彼女は処刑人である。尤も、仕事をするかはかなり気まぐれだが……。

 

 その本業は精神科医。腕は良いのだが隙を見せた患者を傀儡にしようとする悪癖があり利用者は軍人くらいなものであろう。かつてその本性を孔明にも隠していた許嫁時代、彼女は白帝会のメンタルケアのために来た。鉄の結束を打ち砕きそうな洗脳を見抜かれ死闘の末に追い出されたが、耐性のある何人かはまだ見てもらっていた。PTSDはいかに強い軍人であっても悩まされるものなのだ。

 

「意思、とは?」

「貴女、何やら対日工作をしていたようですが、何かする気なのですか」

「それを知ってどうするのです」

「ご存じのように日本には閣下がおられます。その邪魔をするようでしたら、私は排除しなくてはならない。これは閣下からのご命令です。最悪、殺せと」

「……それが可能だと?」

「不可能かはやってみないと分かりませんでしょうに」

 

 絵筆が動く。果たしてその絵は残酷なまでに美しい。人体を材料に使った絵。それが彼女の描く芸術である。そうすることで罪人の魂は神より与えられた至高の財、つまりは芸術の一部となり、罪が救われるという主張をしている。理解者はいないのだが。

 

 精神科を修めているのも脳と精神は神の領域と勝手に主張しているからであった。

 

「あの方は救えない。黄大校、貴女は私の治療で救える。けれどあの方の罪とその十字架はもう戻れないところまで行ってしまった。そしてそれをどうすることも出来ず、ただ抱え込んでいる。そして苦しんでいる。貴女はわかっておいででしょう?だから私が殺すのです。そうして救済せねば」

「……それを本人が望んでいなくても?」

「ええ、勿論」

「……狂人が。まぁ良いです。邪魔をすると言うのなら……」

「邪魔をする気はありません。ただ、私は彼を救いたいだけなのです。私だけが救えるのです。貴女ではできない。私だけが、あの方の闇も光も、()()()()()()()()も全て知っているのだから」

「……」

「私は日本へ行きます。既に、ほら」

 

 彼女が差し出したのは封筒。そこには高度育成高等学校と書いてある。黄が中を見れば、合格通知と書いてあった。

 

「本籍を日本にずらしておいた甲斐がありました。ほら、この学校では政変がありましたでしょう?その混乱で審査が甘くなっていたようで、すんなりと入れましたの」

「そこで何をする気だ」

「あの方も昔は私の診察を受けた身。一応経過観察はしなくては。救済するかはその時次第。もしかしたら万が一、億が一、少しは良好になっているかもしれませんもの」

「そうだったらどうするんです」

「その時は……大人しく過ごすとしましょう。そうなった場合に彼を変えた世界に対して、少し興味はありますので。治療法に気付けるかもしれませんから。彼の凡そ地上ではほぼ手に入らないレベルの顔と目とその他の部位が手に入らないのは残念ですが。それに貴女が命じられたのは邪魔をしようとしている場合でしょう?私はかつての医者として行くのです。少なくとも建前上は、ですが」

「……分かりました。一応その建前を呑みましょう。閣下のカルテを持ってるほぼ唯一の存在が貴女ですからね。しかし次年度には我が会からも人が入ります。おかしな動きを見せれば、部屋ごと吹き飛ばしますよ」

 

 返答はない。了承したのか否かも示さず、赤い少女はただひたすらに筆を動かした。どこか恍惚とした表情で。黄雹華には殺せなかった。彼女を殺してはいけないという命令が孔明よりも上、彼の祖父から出ているからだ。つまりは全てハッタリだった。それも恐らく見抜かれているのだろうとため息を吐く。一刻も早くこの屋敷から帰りたかった。至急、自らの主に報告しなければならない。吸血鬼が来る、と。

 

――――――――――――――――――――――――――

 

 

 私の隣の席が欠席になって半月ほどが経過した。あの審議会の日以来停学になったため坂柳はずっと寮に籠っている。弾みで死なないように監視もついているようだが、生気のない抜け殻のようになっていると報告が来ていた。食材は学校側が運んでいるので飢える事は無いようだが、ほとんど手を付けていないらしい。そろそろ何とかしないと本当にその内餓死とか飛び降り自殺をしかねないので近々様子を見にいくつもりだ。

 

 お灸をすえるべく厳しめに対応したが、何も退学させたい訳でもないし殺したい訳でもない。そこまで憎むのも疲れるので、やりたくないのだ。大人しくしていてくれればそれで構わない。

 

 さて、坂柳はテストを受けていないので学年末試験は私が単独首位になることが出来た。いっつも上に坂柳がいるのは心情的に微妙だったので、ここだけは少し嬉しい。

 

<学年末テスト成績優秀者>

 

1位:諸葛孔明  1000点

2位:葛城康平  985点

3位:一之瀬帆波 980点

4位:幸村輝彦  976点

5位:高円寺六助 960点

5位:堀北鈴音  960点

7位:綾小路清隆 955点

8位:椎名ひより 951点

9位:神室真澄  942点

10位:的場信二  930点

10位:山村美紀  930点

 

 

 いつも通りの自分の点数はどうでも良い。Aクラスが大分上位にいるが、それも今回ばかりはどうでも良い。大事なのは、トップテンに入っている真澄さんの事である。彼女はこれまで私の授業を受け、最終的に学年順位においてトップテンに入る事を目標に据えてきた。そして今回の試験でそれが見事に達成されたわけである。それより上にいるのは綾小路や堀北、椎名に一之瀬と言った各クラスの第一線級の人物ばかり。リーダーを務めている存在もいる。

 

 しかしながらそれと肩を並べるまでに成長していた。上位にいる数名とは点数も近い。決して届かない存在、越えられない壁では無いだろう。後少しでトップ5も見えてくる。そうすれば今はいないが坂柳と私との戦いになってくる。願わくば、最後の3年生の学年末試験では見事フルカウントで卒業して欲しいと考えている。ここまでよく成長したものだ。私も鼻が高い。名実共に女子のリーダーとして相応しい結果と言えるだろう。

 

 難易度は過去最高であったと先生は言った。その上で退学者が1人も出ていないのはウチの学年が初めてらしい。それは意外ではあるが、めでたい事だ。私としてもありがたい。真澄さんの点数への感激を一旦置いておけば、注目すべきは一之瀬か。直前まで坂柳にアレコレされていたにも拘わらずしっかり点数は取っている。怖いものだ。

 

 そしてもう1つ注目すべきはCクラス。今回の試験でトップ10にいる全11名の内、最多なのは5名のAクラスだが、次点で4名のCクラスがいる。勉学において最底辺と言われていた元Dクラスだが、しっかりと実力者がいる事を示していた。とは言え、これはあくまでも上位陣が出来るだけであって下位にもCクラスが多いのは事実なのだが。他のクラスでは、アベレージが上がっているBクラスが注意点だろう。飛び抜けて出来るわけでは無いが、全体的に上位にいるBはこれからも警戒していくべき相手だ。

 

「今年のAクラスの成長率、そして成績は創立から見返してもトップクラスに入っている。非常に優秀な生徒たちだ。このまま退学者を出すことなく、全員で卒業できるかもしれないと俺も思えている。今年度最後の特別試験は3月8日に行われる。各々抜かりなく準備するように。これまでの健闘に敬意を表して、今日のHRは終わりだ」

 

 真嶋先生は微笑みながら告げて、発表を終了した。学年末試験では坂柳が原因で発生した賠償金によってクラスポイントの差が縮まった。そこを各クラスは狙いに来るだろう。当然こちらは迎え撃つ側だ。どんなものが来るかは予想できないが、今はかなりいい状態である。勝率はかなり高いと見ていた。

 

 

 

 

 

 

「文科省が動いた、か」

『はい。後任が派遣されましたが、その人物は……』

「まず間違いなくホワイトルームの手先だと」

『その通りであります。報告書はそちらに』

「月城……月城?どこかで聞いた名だ」

『出身大学は京都大学。学部は教育学部。所属ゼミは鳳ゼミ。閣下の御父上の下で助教授を務めた後に文科省へ転身。キャリアを積んでいます。その為お耳にしたことがあるのかもしれません。どの段階でホワイトルームと接触したのかは分かりませんが、恐らくは閣下の御父上の紹介ではないかと。今回の代理就任は省内だと栄転扱いなようで。何しろ、省内の風説だと高育は実質坂柳家の城と言われていましたからね。権力も大きい訳ですから』

「人となりは?」

『詳しくは不明です。家族はいないようです。省内では切れ者と名高いとか』

 

 面倒なのがやって来た。微妙に詰めが甘いために不正を糾弾された坂柳理事長とは違い、そんな甘さは無いだろう。そもそも私のあのクソ親父は無能や一般人を側には置かない。坂柳理事長は元教え子だと自分で言っていたが、特段変わった扱いを受けていないのはその為だろう。父のお眼鏡に坂柳理事長はかなわなかったのだ。それに対し月城というこの男は父の下で働いている。それもそこそこ長く。途中で教授の助手として母が入って来るまでは2人でやっていたのだ。

 

 本当に面倒なのが来た。これは相当な逸材な可能性が高い。

 

「私も少し父の遺品を探してみる。何か出てくるかもしれない。引き続き動きがあれば教えてくれ」

『はっ!それと……申し上げにくいのですが、レディがそちらへ行くそうです』

「……嘘だろ」

『私もそう申し上げたいのですが、残念ながら』

「邪魔しに来たのか?」

『診察したいと言っていました』

「あんなクソ医者にかかるくらいなら狂い死にした方がマシだ。なんで殺らない」

『閣下のお爺様から命令が……。閣下は少将ですが向こうは元帥閣下ですから』

「チッ!まぁ良い。そちらは後回しだ。月城を優先してくれ」

『了解!』

 

 通信は途絶する。間違いなく近日中に仕掛けてくるだろう。綾小路を退学させることがホワイトルームの最優先課題のはずだ。恐らくは、ではあるが。綾小路の父親が何を考えているのかは見極めきれていない。退学させるのはブラフであり、それすらも利用して綾小路を育て上げようとしている可能性だってある。私に関しても手に入れるとか何とか言っていたが、それは後回しだろう。こちらは確定的である。ホワイトルームは綾小路がいないと成り立たないのに対して、私は別にいなくてもいい。優先順位の問題だ。

 

 父の遺品は大量にある。日記の類もあるし、何かヒントになる物があるかもしれない。大量に散らばっている本類の中から捜索する作業を始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして悪夢は訪れる。

 

「──お前たちに、伝えなければならないことがある」

 

 3月2日。ひな祭りの前日に真嶋先生は酷く重苦しい顔で言った。目の下にはクマがあり、ほとんど寝ていないことが伺える。そのただならぬ状態に、生徒全員が息を呑んだ。

 

 始まった。ホワイトルームによる綾小路退学をかけた作戦が、遂に始まったのだ。多くを巻き込みながら、たった1人を陥れるつもりなのだろう。それも、無関係の生徒を巻き込んで。政治の世界ではよくある事だ。だが、それを教育機関で行う事に対して、私は納得する事は出来なかった。

 

「3月8日から始まる特別試験が、1年度における最後のものだと昨日伝えた。これを終える事で2年生への進級が完了する。試験の内容は異なれど、それが例年通りの流れ。……しかし今年は、去年までとは少しだけ状況が異なる。学年末試験を終えてもなお、本年度は1人も退学者が出ていない。この段階まで1人もいないと言うのは創立以来初だ」

「それは我々の優秀さの証左であり、褒めるべきことなのでは?」

 

 私の声に真嶋先生は頷く。

 

「その通り。これは学校側も認めているお前たちの偉業だ。無論我々教師もお前たちの多くが卒業する事を望んでいる。だが……これは我々教師の予測を超えた事態なのだが……学校側はお前達1年生から1人も退学者が出ていないことを考慮し、特別試験を追加で実施することを決定した」

 

 さしものAクラスも困惑を隠しきれず、抗議の声が飛び交う。口ぶりから見て退学者を出さんとしている学校の意図は見え見えだからだ。それを咎めるでもなく、真嶋先生は目を逸らしている。私はその姿をただ、見つめた。暫くすると少しだけ落ち着きを見せたので、先生は話し始める。皆どこかで分かっているのだ。抗議しても無くならないと。

 

「内容はいたってシンプルだ。そして退学率もクラス別に3%未満。一気に何十人もいなくなったりはしない。能力も問われない。運動や勉強も追加でする必要ない。テスト等もない。お前たちが行うのは『クラス内投票』だ」

 

 クラス内投票。言葉だけを見れば、某アイドルグループの総選挙のようにも見える。

 

「お前達は5日後にクラスメイトに対して評価を付け、自分が最も高く評価したクラスメイト、称賛に価すると思った生徒3名に対し『賞賛票』を、逆に最も低く評価したクラスメイト3名に対し『批判票』を、そして他クラスで最も評価している生徒1人に対して『賞賛票』を1票投じる。そして投票の結果獲得した賞賛票が最も多かった生徒には、特別報酬として新しく導入される新制度……『プロテクトポイント』を与える」

 

 聞いたことの無いものが現れた。プロテクト。つまりは守ると言う意味だがそこから想像されるものは何となくわかる。

 

「プロテクトポイントを所持した生徒は、犯罪行為等よほど悪質な理由でない限り、1度退学処分を受けてもそれを取り消すことができる。ただしこのポイントは他者への譲渡はできない。これの価値は言うまでもない。2000万プライベートポイントに匹敵する価値があると言えるだろう。或いはそれ以上か。尤も、退学を危惧しない生徒には無意味かもしれないが」

 

 この制度自体は別に悪いものでは無い。クラスのリーダーや重要人物にこれを持たせれば、大きな戦力になるだろう。自力でどうにか出来る私ではなく、葛城や真澄さんに持たせることが必要となってくるかもしれない。

 

「だが、そう良いことばかりではない。反対に、クラス内で最も批判票を集めた生徒には……この学校を退学してもらう。無論通常退学者を発生させた際に存在するクラスポイントへのマイナスは存在しないが、必ず退学者を出さねばならない試験となっているのは理解してもらえただろう」

 

 

 

 

<クラス内投票・試験要項>

 

5日後(3月7日)の投票日に賞賛票、批判票をそれぞれ3票ずつクラスメイトの誰かに投票し、首位にはプロテクトポイントが与えられ、最下位は退学処分となる

 

・賞賛票と批判票は互いに干渉し合い、賞賛票から批判票を引いた票数がその生徒の評価となる

・自身に投票することはできない

・同一人物へ複数回投票すること、無記入、棄権等の行為は一切不可。停学者もこの時は登校が許可される

・首位と最下位が決まるまで試験は何度でも繰り返し行われる。つまりは±0に調整は出来ない。

・他クラスの生徒にも賞賛票を1票投票する。こちらも無記入は認められない。また、このルールは前述の称賛票から批判票を引く際の称賛票に計上される

・唯一2000万ポイントで退学を免除できる。

 

 

「これが学校のやり方ですか」

「……済まない。教師陣も不本意だ。だが……どうしようもない事は世の中に沢山存在している。天災と思って受け入れて欲しい」

 

 そんな……という雰囲気が教室中を満たす。民主主義的と言えばそうだろう。だが、民主主義に批判票は存在しない。これは学校全体で行ういじめのようなものでは無いか。例え凄く優秀で、運動も出来て、本来は人当たりの良い生徒でも何かが原因でいじめられていたら間違いなくこの試験で消されてしまう。そんなもの、イジメ以外の何物でもない。学校は自分でいじめ行為を規制しておきながらその口でこんなことをしているのだ。

 

「後はお前達が話し合い、結論を出すことだ」

 

 ざわめいていた空気はやがて1つの結論に達する。彼らは気付いたのだ。退学になっても特に心の痛まない生徒が存在することに。そして今、その生徒はここにはいない。つまり何を言っても反論される事も無く、受け入れられる可能性が高い。だが誰もが悪役にはなりたくない。だからお互いに顔を探り合っている。

 

「批判票を誰に入れるかなんて決まってるだろ!」

 

 その空気をぶち壊すように、戸塚が叫ぶ。普段はあまり良い顔のされない行為だが、この時ばかりは多くのクラスメイトが彼の言わんとしていることを察し、悪役を買って出た彼に感謝の念すら感じている。

 

「クラスポイントを400も減らす原因になった坂柳一択じゃないか!その他にも色々あるかもしれないけど、それでもこれ以上に批判すべきことなんかないだろ!皆もそう思ってるよな」

 

 彼はぐるりと教室を見渡す。多くの生徒が身振り手振りでそれに同意していた。反対する者はいない。鬼頭なんかは沈痛そうな顔をしているが、では自分が退学したいかと言われれば否であろう。なおも戸塚の坂柳糾弾演説は続く。そんな中、私は試験の内容をメールしていた。相手は3年生。Aクラスの堀北学とBクラスの綾瀬だ。ため込んでいるポイントを少しでも分けてもらえないかの交渉である。

 

 前に堀北学に問うたことがある。退学者が出たらどうすると。答えは救済であった。出来るのかという問いにはイエスの回答があったので、2000万は少なくとも持っている。2人までならギリギリ行けるという話だったので、かなり余裕はある方なんだろう。綾瀬の方も1人ぐらいなら頑張ればの解答であった。

 

 そして今回の試験で2000万を払うことになるか否かはこれからの交渉にかかっている。いくら抗議しようと取り下げはしないだろう。だが、ポイントの減額交渉は出来る。Cクラスが払えないけれどAならば行ける額に下げる事が出来るかもしれない。半額とは言わずとも1500万までさげられれば御の字だ。

 

「今回の試験は確かに理不尽だけどよ、見方によってはチャンスのはずだ!クラスに害為す不要な存在をペナルティ無しで排除できるんだ!」

 

 戸塚の話は一見驕っているようで真実だ。この試験にはそういう側面もある。足を引っ張る存在を切り捨てられるという側面も。腐った林檎は他の林檎も腐らせる。朱に交われば赤くなると言うように、足を引っ張る生徒は周りを巻き込んで盛大に自爆する可能性が高い。

 

「弥彦、その辺にしておけ。お前の意見は十分に伝わっただろう。後は諸葛が決める事だ」

 

 葛城の制止で戸塚の演説は終わる。多分、今は彼がクラスに最も感謝されている瞬間だろう。なにせ、坂柳を追い出すべきという意見を自分の代わりに言ってくれたのだから。葛城の言葉により、全員の視線は私に集中する。それに応え、立ち上がって教壇に立った。

 

「これより、今回の試験の戦略を話します。今回は……特にありません」

「「「……え?」」」

「皆さんが思う称賛に値する方、もしくは批判すべき方に投票してください。もしかしたら情勢次第で他クラスに関しては指示をさせていただく可能性もありますが、ともかく自クラス内ではお好きに投票してください。その上で申し上げます。私はこのクラスに退学に相当する生徒は存在しないと考えています」

 

 困惑の視線が私を突き刺す。納得がいかないと言うように、戸塚は私を軽く睨んだ。

 

「どういう事だよ諸葛。坂柳はあんなことをしたんだぞ。俺だって被害を受けた。何1つ貢献してない上に失点を持ってきたんだ、退学でもおかしくないだろう」

「人は誰でも過ちを犯します。悔い改め、生きる道を閉ざしてはなりません。例え坂柳さんでなくても、私は同じことを言ったでしょう。私はこのクラスより、こんな理不尽な試験で退学者を出す気は微塵もありません。こんな試験で無かったとしても、私は退学者を出す気はありません。一度クラスをお預かりした以上、全員必ず卒業させると言うのが私の信念ですので」

「……確かに言い分としては立派だが、事実救済には2000万がいる。どこから捻出する気だ?申し訳ないが、クラスで坂柳の救済に資金を出す者は少数だろう」

「葛城君の言う通り。ですので皆さんのお手は煩わせません。どなたに投票し、どなたが批判票第1位になろうと私は必ず救済しますから」

 

 クラスは困惑しつつも、一応私の意見を受け入れた。彼らの中で坂柳へ批判票を入れると言うのは確定事項なのだろう。そして、女性陣は(男性陣もだが)坂柳亡き今真澄さん以外に女子をまとめられる者はいないと分かっている。だから彼女は去らない。これは戦略の問題だ。そこまで馬鹿では無いだろう。

 

 そして葛城だが、彼もまた大丈夫なはずだ。これまで多くの事でクラスに貢献している。橋本も被害者枠に入っているので無事。戸塚もうるさい奴とは思われているが坂柳を指名した兼で消えるほどではないと思われている可能性が高い。これもまた大丈夫。他は特に目立って悪い事もしていないので、人間関係に左右される。把握している限り、誰かが極端に嫌われているという事は無い。

 

 私はまぁ……指名されてしまったらそれはそれで諦めよう。2000万はあつめるが、真澄さんに放り投げて退学しても構わない。爺には文句を言われるだろうが、あの従妹とも来年度に会わなくてすむ。また以前の通りの日常が始まるだけだ。

 

「では今日は解散。戦略は他言無用でお願いします。私は少し出かけてきますので」

「ちょっと!」

「真澄さん、貴女も待機でお願いしますね」

「……分かった。後で話があるから。それと、どこ行く気?」

「分かりました、後で聞きましょう。それと、質問にお答えするのであれば今から行くのはこの試験の責任者の元です。この事態を企図した親玉に少しばかり殴り込みを。それではお先に失礼」

 

 急がないと日が無い。一刻を争う事態だ。他クラスも動き出している。3年生からの返信を見つつ、理事長室へと急いだ。

 

 

 

 

 

 

 理事長室など、生徒がそうそう訪れる場所ではない。だが今年度に入って確か3回目。おかしい頻度でここへ来ている。中に人の気配がある事は確認済みだ。ノックをする。

 

「どうぞ」

 

 中から声がするが、少しだけ無視する。嫌がらせというか、軽いジャブを打つためである。

 

「どうしましたか?」

「扉を開けに来ないとは偉くなったものだな、月城君」

 

 敢えて我が父の声を真似て言う。凄まじいドタバタ音と共に50代くらいの男性が扉を勢いよく開け放った。

 

「こんにちは」

「……驚きました。そろそろ君が訪ねてくるだろうとは思っていましたが、教授の声にそっくりです。心臓が止まるかと思いました。まぁ、どうぞ、入りなさい」

 

 柔和な顔をしている男は私を室内へ招き入れる。そしてソファを指さして、座るように促した。 

 

「それではお言葉に甘えまして、失礼致します」

「声真似は今後は止めて頂きたい。論文を何度も突き返された記憶が蘇りました」

「これは失礼を。しかし、突然の決定に随分と驚かされた身ですので、理事長代理にも同じ気持ちを味わって頂こうと思い、少しばかりのサプライズとさせていただきました」

「年を取ると心臓が弱くなるので、出来ればご勘弁を。……そしてまずは謝罪からでしょう。教授のご葬儀に参列できず申し訳ありませんでした」

「いえ、遠い辺境の地ですから」

 

 彼の事をどこかで見たことがあったのは父親の葬儀関連であった。綾小路の父親はともかく、月城は年賀状を送って来ていたのだ。珍しい人もいるもんだと思っていたが、父の交友関係になど全く興味がなかったので名前しか知らなかった。

 

 1度見た文字は忘れない。だが、どこで見たのかは案外忘れてしまう物だ。特にこういう手紙関連は。

 

「桜綾君も残念でした。訃報を知ったのが葬儀の後で何もできなかったのが悔やまれます」

「いえ。異国の事ですから」

「君は知らないでしょうけれども、当時桜綾君の人気は凄まじいものだったのですよ。生徒のみならず、大学の若い教職員も熱を上げていました」

「理事長代理もですか?」

「お恥ずかしながら。教授に取られたと知った時は脳が破壊されるかと思ったものです」

「そうですか」

「さて……そんな話には興味がない、という顔ですね。予め申し上げておきますが、今回の試験について、取り下げる事は出来ません。あくまでも私も中間管理職。上の意向に従わなくてはいけないのです」

「従わなくてはいけない、とはつまり代理自体は従いたくない、という事でしょうか」

「これは一本取られましたね。隠さず言うのであればそうとしか言いようがありません。私も鳳教授の下で教育を学んだ身。鳳教授と共に抜ける機会を逸し、なし崩し的にホワイトルームに従っていますがね。それに、あの方の野望はあまりに壮大で馬鹿げていて──そして恐ろしいモノですから」

「忠誠心で仕えている、という訳では無さそうですね」

「私は教授の生徒であり助教であった身として、その行く末、教授の作ったモノの末路が知りたいだけですから。教授は途中で何か、問題点のようなものに気付いたようでしたが、どこまでも凡人な私には分かりませんでしたので、それを知りたいのです。包み隠さずに言えば、知識欲となるでしょうか」

「驚きましたね。ここでの会話を私が代理の親玉に流すとは思わないのですか?」

「あの方は知っているでしょう。そして、それでも私を利用している。仕事はしますが、思想統制をしなかったのは向こうの責任です」

 

 軽く嘯く。この男は全く綾小路の父親を恐れていない。そしてこの男の目、雰囲気、話し方。いずれもかつて私が対峙してきた者と同じだ。軍のトップ、官僚機構の中枢、大物政治家。祖国で幾人もこの手の切れ者と相まみえてきた。そしてどうにかこうにか我々の行動への賛同を得ている。あの時、彼らと交渉してきたときの思い出が克明に蘇ってくる。これは難敵だ。それこそ、中華政府にも数えるほどしかいないレベルの。

 

「私は教授を尊敬しています。それは今でも変わりません。しかしながら、その息子であることを理由に君を特別扱いは出来ない」

「綾小路は特別扱いだと言うのに?無論悪い意味で、ですが」

「それはそれ、これはこれですから。君の事は私事で綾小路君の件は仕事ですので」

「それは残念」

「君はまだ子供であるという事、そして恩師の子であるという事を今は無視して交渉に当たるとしましょう。大分修羅場をくぐって来たようだ。それでも子供は子供ですが、ただの子供とするのは流石に失礼。ここにいるのは2人の交渉人。そう思って話すとしましょう」

「子供?」

「不快ですか?」

「いえ……随分と新鮮な扱いを受けたもので」

「子供は子供です。どれだけ経験を積んでも、知識があろうとも。大人が監視し、時には指導しなくてはいけない。違いますか?」

「いいえ、その通り」

「ここでは随分と勝手がまかり通っていたようですね。理事長の娘が停学になるとは。これからはその手の行為は厳しく取り締まるつもりですので」

「それは是非どうぞ」

 

 少しだけこの男の評価を上方修正した。有能なだけではない。この男は意外とこの学校に必要な存在なのかもしれない。今までいなかった、管理をするタイプの存在は。これで綾小路が絡まなければいい理事長になれると思うのだが。

 

「さて、要求を聞きましょう」

 

 月城の目が細く見開かれる。その眼光にかつての交渉相手達を思い出しながら、私は口を開いた。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。