『山本五十六』
「君、暇ですよね」
「突然なんですか」
私は停学中の坂柳に向かって言い放った。明らかにムッとした顔で彼女は返答する。
今日は相手のクラスの種目が発表され、同時に自クラスの選んだ種目が相手に発表された日である。向こうはほぼ学力系は捨てて来ていた。ただし、英語だけはあったので自信のある生徒が多いのかもしれない。当然ダミーの選択肢である可能性もある。こちらともかぶっている部分なので、当日は捨ててくる可能性が高い。
我々の提示した10種目も当然向こうに提示されたわけだが、Cクラスはそれを元にどれが本命であるかの対策を練るだろう。テスト系は覚えないといけないし、運動系は練習が必要だ。何もせずに座しているとは思えない。
自クラスの種目が選ばれる確率は10分の7。決して少ない割合ではない。我がクラスの理想パターンは全部自分たちの選んだ種目が出ることだ。しかしながら、それは理想的すぎる。そこまでうまくはいかない。最悪のパターンは逆に相手の土俵で戦う事だ。これになると厳しい。
テスト系は全てこちらに優位があると考えている。その上でド本命である美術史に引っ張り出せれば殺し間の完成なのだが……。堀北が美術史を捨ててくる可能性は大いにあるだろう。適当に人員を配置して、もっと危ないところに綾小路を入れてくる可能性だって十二分にあり得る。というより捨てると言う選択をとれるならば、そちらの方が正しい。
とは言え、これは状況にもよるだろう。一進一退の攻防の末、とかならば温存していた綾小路をぶち込んでくる可能性があるし、逆に最序盤だと捨ててくる可能性が高い。いずれのケースにおいても、対応方法は考えなくてはいけない。綾小路が来るならば真澄さんだが、そうでなくとも確実に勝ちを拾うために彼女をここで投入するのがベストだと考えている。
どんな場合でもなんとかする方法はあるが、結局は高度な柔軟性を持って臨機応変に、という事にならざるを得ない。戦争なんて準備をいくらしても思い通りにはいかないものだ。なので、出来るだけ敵の思考を誘導したい。堀北の思考を、出来ればそれに影響を与えられるであろう綾小路を誘導しておきたい。どうすれば綾小路をここへ誘導できるか。彼を使い潰し、なおかつ勝利できるだろう殺し間へと。
そう考えた際の最初の発言なのである。暇そうな坂柳を使えばいい。1人で考えるよりは楽だろうし、それに加え利点もあるのだ。
「まぁ、することが無いのは事実です」
「であれば、頭脳労働をしていただきたい」
事情を話す。我々が選んだ種目、そして相手の種目。ルールとこちらの狙い。堀北と出来れば綾小路の思考を誘導したいという事。黙って聞いていた坂柳だが、全て聞き終わるとフーっと息を吐き出した。
「おおよその事情は分かりました。しかし、どうして私が考えなくてはいけないんですか。そちらでも考え付くでしょう」
「確かにそれはその通り。しかし、これは君の為でもあるのだがね」
「私の?」
「そうだとも。復帰には手土産が必要だろう?何もなしで今日からまたよろしく、というのは無理だ。あまりにも都合がよすぎる。だからこそ、ここで君が献策して、それを採用した、の方が良いじゃないか。それならば多少はクラスメイトの溜飲も下がるだろう。尤も、ろくでもないものしか思いつかないならこの話は無かったことになるがね」
「それなら尚更自分で考えた方が良いような気がしますが。私のことを考えて下さるなら、自分で作った作戦を私が考えたことにした方が自己完結しているので効率が良いのでは?」
「それは構わないが、君は我慢できるのかね?そういうのに」
「……」
「そこは君、私の利益になるのであればなんでも結構、くらいは言って欲しいものだがね。まぁいい。それで、協力するのかしないのか。どっちだ?」
「……しなかった場合のリスクが大きすぎます。今度こそ追い出される可能性が高いですからね。無駄飯を食わせる余裕はないでしょうし」
「よろしい」
坂柳は使えるならば便利な存在だ。いないよりはいた方が利益になる。従わずにうろちょろしていた前ならばさておき、今では使える存在になっている。クラスメイトからしたら感情的に許せない部分も多いだろうが、私からすれば戦略において自分の感情は二の次三の次だ。
「ですが、あなたこそ良いんですか。敗軍の将に兵を語らせては軍師孔明の名が廃るのでは?」
「勘違いされておいでのようだが、孔明は軍師ではない。諸葛亮孔明は政治家だ。同時に指揮官でもあるがな。彼の人生の大部分は政治家としての部分が強い。軍師であったのも否定はしないが、本来は指揮官や政治家タイプなんだよ。だから私がこうして配下の参謀役に立案させてもおかしくは無いのさ。私は孔明のように過労死したくないのでね」
「そうですか。……方法自体はあると思います」
「ほぅ?」
彼女の言ったように、私は元々指揮官だ。いや、現在でも実際の任務はどうであれ書類上は部隊の司令官である。司令官は自ら立案することもあるが、専ら参謀の意見などを聞くことが多い。その上で自己の判断と噛み合わせて思考し、最終的に決定を下す。それが司令官の役目だ。
そして今回の試験に必要なのはこの指揮官としての能力。であれば普段のような宰相ムーブではなく、指揮官として振舞うのが良いだろうと考えている。その上で必要なのは参謀だ。書記兼秘書官は既に真澄さんがいる。副司令官には葛城が。であれば必要なのは作戦参謀である。これも因果なのだろうか、私の本来の副官も銀色の髪をしている。ついでに言えば、彼女は目、坂柳は足と身体に問題を抱えているのも同じ。奇妙な偶然だった。
「綾小路君が、そして堀北さんが美術史の際に絶対綾小路君を充ててくるようにすれば良いのですよね?」
「その通り」
「であれば、美術史という種目がただでさえニッチなジャンルなのに加え、更なる脅威、それこそ綾小路君を差し向けるしかないと思わせるような要素を用意すればいいのではないでしょうか」
「相手は捨ててくるかもしれないぞ」
「いえ、それは無いのではないでしょうか。勉強面の団体戦になると不利なのは明らかにCクラスです。けれど、美術史ならば1対1なので個人の能力に左右される。勝ちの目は大きいわけです。加えて捨てられるほどCクラスに余裕はありません。Dクラスが万が一勝利し、Cクラスが敗北した場合、最悪クラスが逆転するかもしれないのです。堀北さんからしてみれば、捨てると言う強者の戦い方が出来るような状況ではないのではないかと」
「なるほど。一理ある。それで、その脅威というのは?」
「無人島の焼き直しです」
無人島。確かあの時は、坂柳が存在していないのを存在していることにした。そしてリーダーを彼女にすることで、他クラスの思考の外を突いて勝利した。
「いないものを、いることにする、という事か」
「ええ。実際に種目に挑むプレイヤーが誰なのか、当日お互いが指定し終わるまで分からないのですよね?」
「ああ。そう聞いている。画面上で選び、終了すると大きなディスプレイに表示され、そこで初めて相手クラスのプレイヤーが誰なのかを知れるそうだ」
「であればCクラスは私がいるのかいないのか、分からない筈です。美術史の担当は私であることにすれば、確実な脅威として叩くべく綾小路君を持ってくるのではないでしょうか」
「発想は良い。だが、どうやって君が美術史の担当なのだと喧伝する」
「私が自分から言います。私は先の一件で間違いなく針の筵。それは事実ですし、他クラスもそう認識しているでしょう。だとしたら、バレない程度に情報を横流ししてもおかしくはないのではないでしょうか」
「あれだけされてまだやるなどおかしい、罠だと思われるかもしれんぞ」
「そこはしっかり考えがありますので」
「ふむ……」
坂柳が参加するか否かを知っているのは我がクラスだけだ。この学校はポイントで何でも買える。その認識は多くが持っているだろう。だとすれば、特別試験に停学中の生徒を参加させられるようになるポイントがあったとしても変ではないと思うかもしれない。実際には違くとも、坂柳がうまくやれば堀北の思考くらいは誘導できるはずだ。
「分かった。とりあえずやってみろ」
「意外ですね。ポイと預けてしまうとは。私はそんなに信頼に足る行動をしてきたとは思いませんが」
「ここで裏切ったら次がないと一番理解しているのは他ならぬ君のはずだ。私は君がそこまで愚かではないと思っているが故に、こうして任せる気でいる。上手く行けば御の字だが、うまく行かずともどうにかならない訳ではない。それに、傘下に入った以上いつまでも疑い続けるのはよろしくない。生徒を信じることも大事なのでね」
「……生徒扱いですか」
「対等に扱ってほしいならもっと大人になる事ですね」
ムスッとした顔であるが、坂柳は反論しなかった。さて、これでこの作戦をとりあえず坂柳に任せてみることにした。正直、彼女がどこまで出来るのかは分からない。なのでここで能力を見てみたいと思っている。上手くやれるのならば、その能力は上方修正の必要があるだろう。この前の林間学校などはいまいち本領発揮ではなかっただろうし、ここで試すのも良いだろう。実力が分からなければ使いようもないし指導しようもない。
お手並み拝見と行こうと思い、任せることにした。
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取り敢えずやってみろ、と言われた坂柳は早速行動を開始した。まずは堀北鈴音にメッセージを送る事である。この誘いに相手が乗るか否かは一種の賭けではあったが、果たして堀北は様々な思考の末に坂柳を訪ねることにした。
「まずはよくお越しくださいました」
「挨拶や御託は結構よ。本題を話してちょうだい。私は今、単刀直入に言えば凄く貴女を疑っているわ。理由は言うまでも無いでしょうけれど」
「それは仕方のないことです。ですが、それでもあえて信じていただきたいのです。私がCクラスに協力したいのだと」
「……難しい話ね。貴女を信じるための材料が何一つないのだもの。一之瀬さんにしでかしたことを考えれば、到底無理な話よ」
「逆に考えて下さい。だからこそ、私はCクラスに協力したいのです。まぁもっと言ってしまえば今回の試験でAクラスに対峙するクラスに、ではありますが」
「……」
「信じてくれ、とは言いません。ですが、私の動機はお話しします。その方が信じていただける可能性があると思いますので。その動機ですが、怨恨です。私はこの手で……この手で諸葛孔明を叩き潰したい!」
いきなりの大声に堀北も眉をひそめて坂柳の顔を見る。そこには演技とは思い難いような恥辱と恨み、憎しみと苦しみに満ちた顔が存在していた。堀北は演技である可能性は残しつつ、坂柳の中にある心情について読み取っていた。
「話の腰を折るようで悪いけれど、確かに貴女は諸葛君に断罪された。けれどそれは完全に貴女の自業自得ではないかしら」
「ええ。ですが、私はハメられたのです。私は確かに一之瀬さんの噂を流しました。しかし学年全体のモノは私ではありません。あれは諸葛君の陰謀です。私はまんまとそれに騙された。だからこそ……あの男を嵌めてやりたい」
堀北は彼女の話を話半分に聞いている。特に陰謀論の辺りから、責任転嫁だろうと半ば決めつけていた。流石に諸葛孔明が陰で操っていたというのは無理があるだろうと思っている。だが、真実はどうあれ坂柳はハメられたと捉えて諸葛孔明を恨んでいる。それだけは堀北も理解するところであった。自業自得だろう、とは思っているが。
「私の動機はご理解いただけたでしょうか」
「理解はしたわ。話は聞く。けれど、それを信じるかはまた別問題よ」
「それで構いません。私は、何としてでもCクラスに勝ってほしいのです。その為ならば、手段など選びません」
「そう。それで、情報とは?」
「Aクラスの種目です。正式採用はフラッシュ暗算、現代文・英語・数学・美術史のテスト。ダミーは囲碁、社会・スポーツ史テスト、リレー、大縄跳びです。そして私は美術史に配属する予定だそうです。当日、美術史が採用されましたら私は少しばかり手を抜きますので、どうにかそこに強い生徒を充てて頂きたい。流石に大負けするわけにはいきませんので」
「……」
堀北は考える。彼女の言っていることには正しさがありそうだったからだ。確かにAクラスならば売りである学力が存分に活用できる試験を持ってきてもおかしくはない。リレーや大縄跳びではないだろうとは分かっていた。彼らが練習の必要であるそれをしている形跡が全くないからだ。
だが堀北には1つだけ引っかかるところがあった。
「貴女は停学中では?今回の特別試験にだって、参加できないはずよ」
「ええ。私もそう思っていましたが、諸葛君は大金を払ったそうです。この学園ではポイントで買えないものはありませんからね。『君の参加権を買ったのだよ。働かざる者食うべからずだ』と言っていました。実際に契約書も見せられましたし」
「そんな事があり得るの……?」
「私は直接契約の場を見聞きしていたわけではないので何とも。確かめる方法はありませんね……」
「それに、そんな大金どこから……。貴女を救済するのにポイントを使ったと聞いているけれど」
「そのポイントの出どころは3年生なんです。彼の財布、そしてAクラスの財布は1ミリも傷んでいません。その最大の出資者は3年Aクラスだとか何とか」
「兄さんが……?」
堀北の弱みは兄だ。兄関連のことになると思考が弱まる。いろんな感情が堀北の中を駆け巡った。その中でも大きかったのは諸葛孔明への――――嫉妬。それを確認した坂柳は内心でほくそ笑みながら堀北に話しかける。
「ともあれ、私を秘密兵器として当日まで秘密裡にしておき、参加させるのが狙いのようです」
「確かに、貴女はテストの成績なら上位。覚えることに関しては私より上でしょうし、特にニッチなジャンルである美術史でも詰め込める、或いは教養として詳しいかもしれない。そんな貴女を1対1の種目に配置して確実に勝てるようにする。正しい戦略ね」
「ええ。私も得意な部類に入ります。本当は負けたくなどありませんが、優先順位は諸葛孔明の打倒。先ほど申し上げた他の種目の情報と併せて何としてでも勝ってください」
「でも、どうして諸葛君は貴女に教えたの?こんなのはトップシークレットでしょうに」
「私が泣いて土下座をしたからです。何でもいいからお役に立ちたい。そう土下座して泣きながら許しを乞うたのです。それにコロッと騙されました。あの人の弱点は女子です。彼はクラス内でも女子にかなり配慮をしている。その上、モテるのに浮いた話もない。それは女性に弱いからです。それを見抜ければ、相手にウンといわせるのは楽なことでした」
「それは話半分で聞いておくけれど……」
「加えて、何も話していただけないとどうすれば良いのかも分からない。ある程度概要を知ったうえでこそ働けると主張しました。心を入れ替えて、誠心誠意クラスのために尽くすとも。彼は私を信じ始めています。彼は敵には容赦がないですが、身内にはかなり甘い。神室さんを見ていれば分かると思います。退学から救済までしてやった。私にはもう何もできないだろう。そうタカをくくっています。私を見るときの彼の視線の……なんと嘲笑に満ちていたことか!」
坂柳がテーブルを再び叩いた。荒々しい息に嘘の気配は見えない。
「そ、そう……」
「ええ。信じていただけるかは分かりませんが……」
堀北の中で、確信へと天秤が傾きつつあった。諸葛孔明への怨恨。そして憎しみ。信じ込んでいる陰謀。動機は十分。本命にしている種目の情報も理論的だ。諸葛孔明が坂柳へ情報を渡した理由もある程度は筋道だっている。
ここで堀北の中に欲が出た。もっと引き出せるのではないか。そう思ったのである。
「坂柳さん。貴女の恨みは理解したわ。その思いを確実に発露させるためにも、出来れば詳しい情報をもっとくれると助けるのだけれど。具体的にはそれぞれの種目には誰を充てるとか、Cクラスの種目のどれを本命だと彼は予想しているとか」
「すみません……。私もそこまで詳しくは教えてもらっていないのです。ある程度予想はできますが……。バスケがCの本命だろうとは私でも予測できるのですが、それ以外は何とも。お役に立てず申し訳ありません。神室さんなら知っているかもしれませんが」
「いえ、それなら仕方ないわ」
堀北の信用度はこれで上がった。意外に思うかもしれないが、堀北からすれば心のどこかに果たして本当に諸葛孔明は坂柳をそこまで信用するようになったのか、という疑念があった。だからこそ、坂柳が情報を渡されていないと聞いてやはりかと思ったのである。戦力として利用価値を信用されてはいるものの、人柄としてはいまいち信用されていないと確認できたのである。
堀北もバカではない。坂柳がこう動くことも諸葛の想定内ではないか、という想定はしている。だから坂柳の情報に頼り切りではない。しかし、嘘を吐くときは真実を混ぜると言う理論から考えれば(当然諸葛がそれを知らない訳がない)、坂柳の情報の多くは真実である可能性があった。種目の1つないし2つほどが嘘なのだろうと判断している。
坂柳を参加させるのが嘘ではないと思った理由としては、坂柳が契約書と言ったことが大きい。坂柳を信用していない、かつ彼女の恨みも利用しているのだとしたら金をやり取りした契約書は見せないだろう。そんな事のために大金を使うほど諸葛は向こう見ずではないし龍園のようなそんな戦略はしないと堀北は踏んでいる。
そして彼女の脳内に鮮烈に残されている無人島試験の記憶。これも大きかった。圧倒的大差で勝利した作戦をもう一度再現しようとしているのではないかと思い至ったのである。
あの時の衝撃、種目の幾つかなど坂柳によって漏らされても平気だと思っているであろう諸葛への舐めるなという反骨心、兄関連での揺さぶり、坂柳の話術と雰囲気、そして司令塔の重圧。それら全てが少しずつではあるが、堀北の思考を削いでいた。それでもある程度冷静なのは流石といえるかもしれないが、ここは坂柳の作戦勝ちである。人を操ることに関してはボッチの堀北より一家言ある。
「繰り返しになりますが、美術史が選択される確率は10分の7。決して少なくありません。その際は十中八九、彼は私を使うでしょう。あまりにも負けすぎたりボイコットすると流石にバレてしまいます。私と同等、それ以上の生徒を派遣するようにお願いします」
「……分かったわ。こちらも持ち帰って検討させてもらうから」
「分かりました。どうなったかの報告は結構です。これは契約等ではなく、あくまでも私の私怨による行為ですから。それに、接触の回数は少ない方が良いですからね」
「ええ。それは同感ね」
くれぐれも……と言って玄関で坂柳は頭を下げた。堀北は坂柳の部屋を後にし、自身の参謀である綾小路を呼び出した。
堀北の話を聞いた綾小路は罠の可能性を大いに感じ取っていた。しかし可能性が多すぎる。どれが罠なのかと考えれば十中八九美術史が罠だろうが、それ以外の可能性も否定できない。坂柳と諸葛がグルである可能性もあるし、坂柳が本当に諸葛に気付かれず裏切っている可能性、もしくは気付かれており利用されている可能性もある。美術史の罠にしたって、坂柳をそこに置くのか否か。そもそも坂柳の参加は真実なのか。検討すべき事項が多すぎるのとは反対に、それらを確かめる方法は無かった。
だが、綾小路が1つ分かったのは諸葛孔明が綾小路を美術史に引っ張り出したいと思っていることだった。
「私は綾小路君ならばどこへ入れても何とかなるとは思っているわ。私たちの場合、弓道なら三宅君、タイピングは外村君がいるし、バスケやテニス、そして卓球は貴方が立ち直らせた平田君、須藤君、小野寺さんなんかもいる。他にもできる生徒は多いわ。反面テスト系は微妙だけれど……」
「逆に美術史に対応できる生徒はいるか?」
「高円寺君は……今回はダメそうね。司令塔なら或いは可能性はあったかもしれないけれど、リスキー過ぎるもの。一応フラッシュ暗算とかが来たら入れようとは思っているわ。2対2ならセットで松下さんを出しておけば何とかなるかもしれないもの」
「そうだな。高円寺は期待しない方が良い」
「他だと厳しいでしょうね。確かに教養ではあるけれど、修めている生徒は少ない。貴方はどうなの?」
「オレか……。まぁ、何とかなるとは思う」
「そう。相手の思惑は分からないけれど、美術史はおそらく向こうの切り札のはずよ。それを捨てられるほど、私たちに余裕はないわ。Dクラスの動向も読めないし……」
綾小路はこれを諸葛孔明からの挑戦状と見ていた。坂柳が来るにしろ何にしろ、向こうの本命は美術史。そして捨てられるほど余裕はない。彼の策か、それとも自分たちの策か。この1年の集大成として一度果たしあおうではないか。そう言っているように見えた。
同時にそれは綾小路の願い、ホワイトルームの否定にもつながると思っている。熟慮の末、綾小路は死中に活を見出すことにした。
「分かった。向こうの本命が来たらオレが出る。坂柳が真実を語っているにしろ何にしろ、諸葛の切れる手札の中に最強があって、その人物の誇るものが美術史だったんだろう。それが坂柳なのか、葛城なのか、神室や橋本、それ以外なのかは分からないが……それでも厳しい戦いになるはずだ。他が何とかなるなら、オレが出た方が良いだろう。捨てられないのは、お前の言う通りだしな」
「……そうね」
「お前はこの1年頑張ってきた。自信を持て。それは、お前の兄だって評価せざるを得ないはずだ」
「……」
「お前の兄は言っていた。お前には心の成長が必要だと思っていたと。オレはそれは既にできていると思っている」
「あなたに言われても、意味ないわ」
「そうかもな。だが気休めにはなる。お前は確かにクラスの指導者として振舞っているが、それは堀北学とは全く違う。そうだろう?」
「それは……」
「お前がもし今でも兄の幻影を追っていたなら、堀北学に似せた統治を試みるはずだ。だがそうしなかった。それで十分だろう。一歩一歩進むしかないからな」
「……そうね」
「諸葛も言っていた。お前が一番怖いとな。一之瀬は優しすぎる。龍園はリスキー過ぎる。だが、堀北はまっとうに努力する。そして成長する。まっとうに努力して進んでくる人間が一番脅威だと言っていた。あの目は真実だったと思う」
「……そう」
「少しは気が晴れたか?」
「多少はね。多少だけれど」
堀北はため息をついて、一度顔を下に向け、もう一度前を見た。
「ありがとう、綾小路君。何とかしてみるわ」
「そうか。オレにできることは少ない。できる限りのことはする。頑張れとは言わない。だから堀北、負けるな。諸葛にじゃない、自分に」
「ええ。そうね」
堀北は力強く頷いた。綾小路は思う。堀北は凄まじい成長をしている。しかし同時に思う。まだ諸葛孔明には届かない。だが、諸葛孔明が堀北を脅威に感じているのは事実だ。だからこそ十重二十重に罠を張ろうとしているのだ、と彼は考えている。
クラスの成長。個人の成長。それを促すのは存外に面白いことかもしれない。ホワイトルームでは自分は成長させられるだけだった。自分以外の他人は全ていなくなった。だが、今は違う。伸ばすべきはまず他人。だがそれによって自分も伸びる。これが諸葛のいう教育なのか、と綾小路は思う。それは彼にとって非常に心地よい物だった。
勝負を受けるのは、その礼のつもりもあるのである。尤も、それを堀北にいう訳にはいかないが。どこまで戦えるのか。それが自分の成果なのだと思い、綾小路は自室を後にする堀北を見送った。
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当日の朝が来る。今日は少しばかり目覚めが早かった。久々の戦闘指揮……とは少し違うかもしれないが、指揮をこういう形でとるのは久しぶりだった。今日はまず普通に教室で出席確認。その後は我々司令塔は移動となる。昼食を跨ぐことになるが、司令塔は多目的室で昼食だ。なお、携帯やパソコン、本などの持ち込みは許可されていた。テスト系科目などは受けている50分間は暇になるからである。私は春休み講習(受講者1人)の準備をしないといけないのでパソコンを持っていく。
時計を見れば朝の6時半。昼食を作るかと思った矢先、チャイムが鳴る。出れば真澄さんが立っていた。
「おはよう」
「おはようございます。で、何用?」
「ちょっとだけ話したくってさ。中、良い?」
「構わないけれど」
彼女は部屋に入るといつも通りに椅子に座った。昨日の授業はお休み。夕食後は美術史を頭に叩き込むように促して部屋に帰していた。
「覚えられたか」
「ばっちり。何が出てもどんとこい」
「そうか、期待してるぞ」
「任せて。それで……はい、これ」
「何だこれ?」
「お弁当。昼は多目的室で食べるんでしょ?」
「作ってくれた感じか?」
「そ。ま、一応ね。クラスメイトに色々指示して、面倒見て、私のことも色々して忙しかっただろうし、その分って感じ」
「ありがとう。後で食べさせてもらう」
「そんなに期待しないでよね」
彼女は私に弁当箱を渡して、そのまま私の瞳を見つめた。
「どうした?」
私の問いに答えず、彼女は綺麗に45度に頭を下げて最敬礼をした。
「1年間ありがとうございました」
「気が早い」
「ま、そうなんだけどさ。なんか……今凄く言いたい気分になったから」
「なんだそりゃ」
「分かんない」
「分からないか……なら仕方ないな」
「ついでに来年度もよろしくお願いします」
「はい、わかりました。こちらこそよろしく」
彼女は1つ荷を下ろせたような顔をしている。だが、すぐにキリっとした顔になった。
「勝とうね」
「負けるつもりは毛頭ないな」
お互いにニッと笑い顔を見合わせる。坂柳からは概ね成功と見込めるとの報が来ていた。元よりどんな戦いでも負けるつもりはない。だが、義務でもなく生死もかかっていない戦いでここまで負けたくないと思ったのは初めてかもしれなかった。信じてくれた部下の期待には応えたい。素直にそう思う。
人事を尽くして天命は呼びよせるよう努めた。後は勝つだけ。我が太祖・忠武侯諸葛亮孔明よ御照覧あれ。――――我々の戦が始まる。